58話 竜VS竜
成竜から突然叩きつけられた欲望の念「食欲」。それに俺の中の怒りが反応し、俺と成竜は戦闘状態に突入してしまう。
俺を一掴みに出来る大きさの、成竜の左手が上方から迫る。
俺は更に速度を上げて、低く鋭く、成竜の懐に滑りこみ、成竜の腹に盾剣を突き立てる。
分厚い鉄板に小さなナイフを立てる様な手応えと、黒板を爪で引っ掻く様な音と共に盾剣の切っ先は水色の鱗を滑る。
すかさず右足を軸に、あらん限りの力を込めて尾で殴打。
小揺るぎする成竜の巨体。
直後成竜の右手が、俺に迫る。手がデカ過ぎて何処をガードしていいか分からない。とにかく盾剣をかざし、体を丸める。
世界がブレる。
無重力下の水をひっぱたくイメージ。全身が飛び散る様な感覚。
音と色彩が失われた世界で、やけにスローに吹き飛ぶ俺。
ヤベ
地面に叩きつけられ、十メートルも土煙を上げて滑る俺の意識は混濁した。
『お兄ちゃん!』
その声で意識を手繰り寄せた俺は、成竜の牙を辛うじて回避した。
立ち上がり、首を振って頭の靄を払って、構える俺。
成竜が、自らの右手を不思議そうに見ている。
コレあかんヤツや。
ドクロマークの赤いボタン。
俺は押してはイケないボタンを押してしまった事に、今更ながら気が付いた。
一撃の威力がデカ過ぎる。
俺の唯一のセールスポイントのタフさが、優位を保っていない。
『お兄ちゃんをよくもー!』
『よせ!リンクス!』
リンクスが成竜に迫る。
唸りを上げて襲いかかる爪や牙を、紙一重で回避し、成竜の巨体にまとわり付き、執拗に攻撃を仕掛ける。
蹴り、尾、漆黒の短槍。
いずれの攻撃も成竜の鱗を傷つけられない。
飛び上がって回避したリンクスを、成竜の尾が襲う。
『させるか!』
俺は大地を蹴り、四枚の翼を羽ばたかせ、速度を上げて成竜の後ろ足に体当たりをする。
成竜は僅かに体勢を崩し、振られた尾はリンクスの上方を掠める。
リンクスが距離を取るのを見て、俺も一旦成竜を離れる。
『煩わしいチビだね、おとなしくしてないと先に喰っちまうよ!』
さっきからチビチビ言いやがって、いちいち癇に障る言葉だ。
『デカイのがそんなに偉いのかババア!』
『ババア、ちょー硬いの』
『ババアだって!?礼儀を知らないチビ共だね!』
成竜は特大の咆哮をした。
ビリビリと震える大気と大地。
遠くの川面までが激しく波打っている。
俺は震える大気を切り裂く様に盾剣を一閃させ、成竜に走る。
リンクスが再び成竜に肉薄したからだ。
あの一撃はヤバイ。
リンクスが成竜の爪に引き裂かれるイメージが頭をよぎる。
『こっちだババア!喰いたいんだろ!』
『姉さんってお呼び!』
『あつかましいの』
振られる右腕に対して、二歩踏み込み、手首の辺りを盾剣で受け止める。
『ぐは!』
やはり成竜の腕力に抗い切れずに、吹き飛ぶ俺。
だが、意識はがっちりと抱えたままだ。
さっき程効かなかったと思ったら、一撃入れられるタイミングでリンクスが足に攻撃して、踏ん張りを弱めてくれてたみたいだ。
リンクス出来る子。
しかし成竜の防御力はちょっと異常だ。
俺の攻撃力も結構上ってる筈なのに、鱗に傷一つ付けられない。
オノマも、あの山崩しですら、傷跡が無い。
『オマエやっぱりおかしいね、この感触……硬いだけでも無い、結界でもない……喰うのがますます楽しみだよ』
言葉尻にハートが付きそうな、ネットリとしたババアの言葉。
『リンクスがババア食べるのー!』
リンクスが食欲爆発で、ババアに迫る。
待てって!俺と違って一撃死ありうるんだから!
俺もリンクスに習って回避に重点を置きながら、リンクスがヘイトを取らないように、成竜の正面で盾剣を振るう。
結界?
誰かがそんな事言ってたような……。
『ぎゃっ!チビ!何をした!』
その時、初めて成竜の声に狼狽の響きが混じった。
老婆の狼狽……よし俺は冷静だ。
右後ろ足を攻撃していたリンクスに振り向こうと、頭が横を向く。
その成竜の耳穴を狙って、盾剣を突き出す。
カッ!
刺さった。ほんの五センチ程だが、今まで目を狙っても弾かれていた剣先が確かに刺さっている。
『何をした!チビ共!』
『何って、切り刻んで喰うんだよ、喰うか喰われるか、お互い様だろ?』
なぜ突然攻撃が通る様になったか、何が起こったかは分からない。
だが初めて見せた成竜の動揺の裾、離すつもりは無い。
『結界を霧散させる術でも見つかったのかい』
『関係無いだろ、どうせババアが糞ババアになるだけだ』
『調子に乗るのはおよし!』
成竜の動きが変わった。
これまでの防御を過信した、力任せの動きから、機敏で慎重な動きに。
あの巨体でフェイントまで織り交ぜて、俺とリンクスの波状攻撃を防ぎ、強烈で鋭い反撃を繰り出してくる。
リンクスの回避は徐々に際どくなり、俺はボロボロだ。
背後を舞う落ち葉を掴める程の感覚の冴えも、成竜の攻撃範囲が広すぎて、カウンターを取るには至らない。
『もーいっちょうなのー!』
だが、光はある。
攻撃は通っている。
リンクスはしつこく右後ろ足に攻撃を重ね、成竜のくるぶしからは赤い血が滲んでいる。
成竜が時折、痙攣した様に体を震わせ膝を付く。漆黒の短槍の毒だ。視覚と聴覚が入れ替わる筈だが、耐性があるのかその素振りは見えない。
『ちょこまかと!』
成竜の意識がリンクスに向く。
ソッチミンナ。
俺は成竜の顎の下に滑るように潜り込み、喉の柔らかそうな所に……。
『かかったね!』
『しまった!』
上体をくねらせて帰って来た牙に、遂に俺は捉えられた。
がぁぁああ!
全身が軋む音、いや骨が砕けてるのか、俺はかつて腕が生えた時と同じ位の痛みに全身を貫かれていた。
『お兄ちゃ……きゃーー!』
『チビも捕まえたよお、待ってな、亜竜を味わったらすぐに喰ってやるからねぇ』
『リンクス!?捕まったのか!?クソ!見えない!リンクス!』
ドクン
俺の視界が赤く染まる。
沸き起こる怒りの暴風。
コロセ!クラエ!と叫ぶ声。
胃の底を蹴り上げるかの様な熱い不快感。
喉の奥から広がる苦い何か。
やって見せろ!リンクスを助けろ!
俺は怒りの制御を止めた。
◇
「ああぁぁ!喰われた!」
「亜竜が喰われたぞ!」
根地の森。国境の川辺を見下ろせる枝の上。
プトーコス、ダファー、ゼナリオの三人は一際大きな六手猿に抱えられて、この枝までやって来た。
ゼナリオが懸命に「ドラゴンの兄妹が!呪画士が!」と訴え続けた結果である。
ここからでは、三人には成竜の微かな傷は見えない。
だが、二万を超える軍勢を、たった一匹でズタズタにした成竜を、二匹の幼竜が抑えている様子は、見えていた。
何度殴り倒されても、立ち上がり成竜の正面に立つ翼の亜竜。
見失う程の素早い動きで成竜を翻弄し、時折片膝を付かせる攻撃を見せるリボンの幼竜。
ゼナリオは今は知っている。
二匹の幼竜が、呪画士と、その妹リンクスであると。
「あぁ、呪画士殿……これで、ニンゲンと魔獣に掛かる橋は失われてしまった……」
その呪画士が、遂に成竜に喰われてしまった。
枝の上、ガックリと膝を付き、手を付き、首を落とす。
その視線の端には根地の森奥に運ばれて行く、最後のニンゲンが映る。
「何だ!?」
「まだ生きてる?」
二人の声に、顔を上げるゼナリオ。
そこからの光景を、ゼナリオは生涯忘れる事が無かったと言う。
◇
『兄上様、リンクス様、ニンゲンの保護が完了したウキ。これから森の全ての命を掛けて、二人を助けに行くウキ』
『お兄ちゃんがお兄ちゃんじゃなくなったの!来ちゃダメなの!』
『しかし!』
『とにかく今はダメなの!』
『ぎゃああぁ!』
成竜の叫び声。
踏みつける力が弱くなった一瞬の隙に、リンクスは前足の下から逃れた。
リンクスが見たものは、吐出され、地面に叩きつけられながら、ボキボキと音を立てて歪に波打つ翼の亜竜。
成竜の舌からは血が流れ落ち、憤怒の表情で亜竜を睨んでいる。
『死に損ないが舌噛みやがったよ、まったく!おとなしく喰われな!』
『させないなの!』
リンクスは成竜の頭に飛びつき、角に掴まり、脳天に短槍を突き立てる。
鈍い痺れと共に、鱗に弾かれる短槍。耳穴を狙って再度短槍を振りかぶる。
大きく振られた首、何とか角に掴まるリンクス。
左前翼と角に激しく挟まれ、リンクスは錐揉みしながら地面に落ちた。
『かはっ、お……兄ちゃん……』
短槍を杖に立ち上がるリンクス。
口元には真っ赤な血。
ぐりんと首を回し、うつ伏せのまま、その姿を金色の瞳に写した亜竜は、弾かれた様に跳び上がり、声なき咆哮を上げた。
ドン!
土煙を残し、光の尾を引いているかと錯覚する程、鋭い突進をする亜竜。
突進の先は成竜。
繰り出される成竜の攻撃に、鋭角に回避しながら尚も迫る亜竜。
『なんだってんだい!』
苛立ちを言葉に乗せて、何かを感じた成竜が距離を取ろうと上体を起こした時、亜竜は広げた純白の翼を微かに震わせて、更に加速した。
突進を防ごうと出された成竜の両腕。
その内側に既に亜竜の姿は在った。身を捩る成竜。
突き出された盾剣は、根本まで深々と成竜の左肩に突き刺さる。
突き立った盾剣の根本に右手で突きを見舞い、反動で盾剣を引き抜く亜竜。
赤く糸を引いて離れる成竜と亜竜。
六枚の翼を羽ばたかせて、突風を亜竜に叩きつけながら後方へと距離を取る成竜の両手に、黒い光球が生まれ肥大化する前に、消失した。
『く……舌を噛まれたせいで……』
リンクスは亜竜に近付けないでいた。
成竜と同じように亜竜をも警戒していた。
先程から何度呼びかけても「お兄ちゃん」が返事をしない。
アソコで戦う亜竜は「お兄ちゃん」ではない。
アノ亜竜の中に「お兄ちゃん」は居ない。
その時、リンクスは唐突に戦慄を覚えて姿を消した。
◇
「翼の亜竜が……成竜を押している……のか」
「自分の目が信じられないんで」
「呪画士……殿?」
枝の上で喘ぐ三人の戦士達。
気が付くと周りの枝には、おびただしい数の魔獣がひしめき、戦いの行く末を見守っている。
その光景に、胃の辺りに冷たい物を感じながら、戦いを見守る。
武器があれば、防具があれば加勢出来るだろうか?
ゼナリオは自問し、否定する。
自分を助ける為に成竜の前に踊り出た呪画士。今、焦燥感に耐え切れずに飛び出せば、呪画士の願いを無にしてしまう。
ゼナリオは唇を噛んで自分を押さえつけた。
◇
成竜と亜竜の激闘は激しさを増し、大地を震わせる。
亜竜の攻撃は時に、成竜に突き刺さり、時に成竜の半身を跳ね上げた。
だが、成竜の巨体に致命傷を負わすには至らず、成竜の強力な爪や尾は亜竜を捉え始めていた。
亜竜のスピードが落ちて来たのだ。
地響きを立てて、遂に成竜が亜竜を前足で踏み付けた。
『手こずらせてくれたねぇ。オマエみたいな亜竜は見たことないよ』
成竜は辺りを見回す。
『リボンのチビはどっか行っちまったみたいだね。まぁいい、オマエを喰ってからまた探すかね』
『リボン……リ……ンクス……』
『タフな亜竜だねぇ』
『俺を……喰ったら満足して行って……くれ。頼……む』
『そんな言葉は勝ったヤツだけが言って良いんだよ、ババアババア抜かしたくせに、お願いなんて厚かましいね』
靄の掛かった意識の中、ババアの言った「リボン」の言葉が聞こえて、俺は自我を取り戻した。
体中が悲鳴を上げてやがる。意識を手放した間、一体何があったのか。
リンクスは逃げられたのか。
良かった。
あの子は賢い、ニンゲンとコミュニケーションも取れるし友達もいる。
リンクスの成竜姿、見たかったなぁ。
俺の目から熱いものが溢れた。
ドラゴンでも泣けるらしい。
一度激しく踏みつけられた後、俺は摘み上げられた。
迫る成竜の口は、粘液にまみれ、赤黒く脈打っていた。
『ぐぎゃぁぁあああ!!』
俺は暫しの浮遊感の後、地面に落ちた様な衝撃を感じた。
死ぬってこんな感じなのか?
俺に振りかかる生ぬるい液体。
体に伝わる振動。
俺は、自らが抱えるのが、大地だと理解するのに数秒掛かった。
痛む体をどうにかひっくり返して、仰向けになる。
何が起こったんだ!?
俺は目の前の光景に絶句した。
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