57話 対成竜
開放した鬼神による乱打。
二十五メートルにもなる成竜の巨体が、震え、よろめく。
「これが……鬼神か……」
疲弊したニンゲン達に、微かな希望の光りが灯る。
その微かな光りを打ち消す様に、唸りを上げて振られる成竜の尾。
「ぐあぁ!」
「グッ!」
尾を攻撃していた鬼神と機装兵が、十体程まとめて宙を跳ぶ。
緩んだワイヤーの元、再び足を踏ん張る成竜。
成竜は見た。
頭に一直線に突っ込んでくる、大きな盾を構えたニンゲンを。
成竜が繰り出した右手の一撃を、飛び上がって回避するニンゲン。
だが、直後繰り出された左手に、盾ごと握りつぶされる。
熟れた果実の様に潰され、指の間から真っ赤な血が飛び散る。
その血にまみれた指を踏み台に、大きな剣を振りかぶるニンゲンが成竜の頭に迫る。もう一人、盾の後ろに隠れて居たのだ。
「うぉぉおおお!!」
衝撃波と共に、成竜の頭に叩き付けられる斬撃。
土煙を上げて大地に叩き付けられる成竜の顎。
頭、胴、尾と波打って成竜は地に伏した。
「今だ!ワイヤーを張り直せ!好きにさせてはならん!」
森に逃げ込む人々の背中を見やって、そう檄を飛ばしたのはゼナリオ。
「かつての部下が揃って居れば、違うやり方もあったのに」と肉塊と化した部下を見て悔やむ。
「もっと低く!トラスに!三角に張るんだ!」
「目に一点射!翼ですら傷を負わせられん!」
共和国のダファーと帝国のプトーコスが指示を飛ばす。
成竜の手足に巻きつけられたワイヤーを、アンカーに踏ん張って懸命に手繰り、引き寄せる機装兵。
成竜との力比べ。肘から、肩から、腰からモーターの焼き切れる匂いがし、火を吹いている機装もある。
「何してる!機装を破棄しろ!」
「しかし今俺が落ちたら、まとめて持ってかれます!」
火を吹く機装に留まり、それでも懸命にワイヤーを引く機装兵。
胴体を攻撃していた帝国の鬼神が二人駆け寄り、一人がワイヤーを保持、一人が板剣で機装の背中を切り開いて、燃える機装から兵を引きずり出す。
「翼に穴を開けてワイヤーを通そうと思って居たんですが……」
「なんと言う防御力だ、膜の筈なのに」
ひたすらに左側の翼膜にオノマを叩き込んでも、穴どころが傷一つ付けられない現状に、喘ぐダファーとプトーコス。
成竜の鼻っ面に踊りでたダファーは、成竜の爪によって砕かれた剣を捨て、腰間から一本の長剣を鞘走らせた。
「何だあの剣は」
一メートルを超えるその長剣は、微かに赤い光りを帯び、刃もいびつに波打ち、武器の持つ独特の美しさを持って居なかった。
だが、美しさとは違う禍々しい力強さをプトーコスは見て取った。
その長剣は、成竜の攻撃を幾度も幾度も弾いた。
ダファーの攻撃は成竜に傷を負わせていなかったが、爪でも牙でも長剣は折れず砕けない。
だが、機装は赤い長剣程、堅牢では無かった。
成竜の攻撃を受け止める度、肩や肘の関節から火花を散らし、遂には左腕が利かなくなって、ダファーは成竜の鼻っ面から退いた。
「小隊長!その剣初めて見たっしょ!」
「預かり物ですんで」
引き上げて来たダファーに駆け寄る機装。
火花を上げる左腕を何とか使えるようにしようと、コホルが奮闘する。
ワイヤーが悲鳴を上げ、また三本千切れる。
成竜の首が大きく振られ、オノマ兵数十人が鋭い牙の餌食になる。
「限界ですね、もうワイヤーが底を付いたんで」
「だがまだ森に入っていない兵が、あれ程おる」
プトーコスは森へと走るニンゲンの背中を睨んで、自らの無力を呪う。
その時、耳をつんざく鼓咆が辺り一帯を震わせる。
成竜が吠えると同時に、大きく身を揉み、次々とワイヤーが切れ、機装兵が鬼神が弾き飛ばされる。
六枚の翼を広げ、成竜が羽ばたきを始める。
風が巻き起こり、土煙が舞う。
成竜の体が、今だ巻き付くワイヤーと、それにしがみつく機装兵を引いいたまま、大地を離れてゆく。
一メートル……ニメートル。
それは微かな希望が失われる光景に思えた。
「山崩し!!!」
轟音と共に、成竜の横腹を襲った衝撃は、成竜の巨体を三十メートルも吹き飛ばし、再び成竜を地面に叩き落とした。
もうもうと上がる土煙。
耳に残る甲高い耳鳴り。
「だ……大開放……だと……」
プトーコスは目を見開いた。
戦士として戦場にある事三十余年。その多くの戦場に鬼神の姿はあった。
だが大開放による秘技「山崩し」を目にしたのは、いつ以来だったか。
「動ける者は負傷兵を抱えて退避!殿は鬼神ゼナリオが務めさせて頂く!いざ!押して参る!」
「「「た!隊長!!」」」
板剣を体の右に立て、立ち上がろうとする成竜に突進するゼナリオ。
「いい加減でも何でも良いから、翼に残ったワイヤー掛けて退避!」
「後退しながら目を狙い続けろ!」
耳鳴りと共に再び響く轟音。
もはや振り向く事もなく、息のある兵を抱えて後退を始めるニンゲン達。
目指すは根地の森。
一筋の影が通ったのを見た兵もいた。
耳鳴りと轟音。
「これでも傷一つ付かんか」
三度目の山崩しを放ったゼナリオは、激しく肩で息をし、顔面は蒼白を通り越して既に紫色だった。
成竜の攻撃を回避し、飛び上がろうとする度、山崩しを叩き込み、離陸を妨害する。
もはや意識は朦朧とし、手足は痺れ、板剣は大地の一部と化したかの様に重い。
迫る成竜の右手に、二つの黒い光球が生まれた。
もはや足の感覚も無く、山崩しを放つ力も残っていない。
チラリと眼球だけを動かして、森へ逃げる兵の背中を見る。
痺れる体を叱咤し、成竜の一撃を受け止めようと板剣を掲げる。
黒いオノマが立て続けに発動し、板剣に亀裂が走る。
もはやこれまで。ゼナリオはゆっくりと瞼を閉じた。
「アントニオ、ジョセフ、非力な父を許してくれ。愛している」
全身を襲う激痛がやがて無くなり、己自身の存在が失われる事を確信して、ゼナリオはその時を待った。心穏やかに……。
だがその時は来なかった。
『ライ○ーキックなのー』
ゼナリオは、その声と共に、やわらかな羽毛に包まれた様な感覚にとらわれ、全身を襲う重圧は消えた。
『痛って、リンクスもうちょっと加減して』
『らじゃなの』
『んじゃ隊長さんを森に頼む』
『すぐ戻るから無理しちゃダメなの』
瞼を上げたゼナリオは、自分を包む白い翼を見た。
白い翼の持ち主、たてがみを持つ赤黒い幼竜の姿も見た。
もはや立つことも出来ぬ体を背負って、根地の森へと疾走するリボンを付けた幼竜も見た。
何故恐怖を感じないのだろう。
頭に響いたのは……声?
ゼナリオは不思議に思ったが、目の前の光景に思考が止まる。
根地の森から、魔獣の軍勢が溢れ出てくる。
六手猿、大犬、狼牛……多種多様な魔獣が、森に逃げ込もうとするニンゲン達に襲い掛かった。
……いや、そう思った直後、魔獣達はニンゲンを咥え、背負い、抱え、森へと引き上げて行く。
ゼナリオを背負ったリボンの幼竜は、ニンゲンも魔獣も次々に追い越し、森の入口で六手猿にゼナリオを託すと、引き返していった。
既に指一本動かすのもままならないゼナリオは、乱暴に鎧を剥がれ、六本の腕の一本に抱えられて、他の軽傷者五人と共に根地の森に入った。
「ははっ」
ゼナリオは笑った。
傭兵として魔獣と戦うこと三十年。
魔獣がニンゲンを手当する光景を目にするとは。
六手猿が六本の腕を全て使って、傷の洗浄、止血をしている。
あれは……何と呼ばれていたか、イモリの様な魔獣が自らの尾を傷付け、そこから出る体液を欠損部位に擦りつけている。
あんな事が出来るのか……千切れた腕の傷を粘着物が覆い、出血が止まる。
口から清潔な水を出す魔獣もいる。
ゼナリオをゴロンと落ち葉のベットに寝かすと、六手猿は飛ぶ様に戻っていった。次の負傷者を運ぶ為に。
混乱も遅滞も無い。統率されている。
ゼナリオはそう感じた。
「ゼナリオさん!生きてたっしょ!」
「そうか、貴公がゼナリオか」
首だけ動かしたゼナリオは、広大な落ち葉のベッドの、そこかしこに腰を下ろすニンゲンの群れを見た。その数は見えるだけで千を超える。
皆一様に疲弊し、傷つき、俯いている。
「この森はやはり呪画士が統率しておるのか」
ガバッ!
プトーコスの言葉に、ゼナリオは唐突に上体を起こした。
取り囲むプトーコスやダファーを初めとする、反攻部隊の幹部達は驚いてゼナリオを見つめる。
ゼナリオは口を開いたまま、虚空を見つめる。
思い出される場面。
(リンクスなの!お兄ちゃんなの!)
「あの兄妹を殺させてはいかん!」
「どうしたんですかゼナリオさん!落ち着いて、騒ぐと縛られますんで」
立ち上がろうとして、落ち葉に顔から倒れこみ、それでもプトーコスの腕に捕まって立ち上がろうともがく。
「あの兄妹を救い出せ!あの二人に何かあったら俺達ニンゲンは」
「兄妹?何を言っておるのだ」
「ぐっやめてくれ!俺はお前たちの兄妹をたすけ……」
ゼナリオ達は、ダファーの指摘通り、枝から飛び降りてきた六手猿に取り押さえられた。
◇
『お兄ちゃん!』
『大丈夫、見つめ合ってただけだ』
リンクスが隊長さんを背負って戦線を離脱した後、俺は成竜と睨み合っていた。俺の中の怒りが「アイツヲクラエ」と叫ぶ。
警戒する俺を、珍しそうに観察する成竜。
俺は仕掛けない。
俺が欲しいのは、たかだか十五分程の時間。
ニンゲンが森に逃げ込む時間を、稼ぎたい。
隊長さんが無謀な居残りをしなかったら、正直出て来たく無かった。
逃げる算段は付けて来たが、上手く行くかどうかは運だ。
『返、事をおし、聞こえ、ないのかい』
その時若干のノイズと共に頭の中に入ってくる声があった。
金色の目が俺を睨む。
声のイメージは老婆。コイツか、この成竜の声なのか?
『聞こえないのかい、知能が無いのかい』
『リンクスなの、お兄ちゃんなの』
リンクスは俺の後ろに隠れながら、自己紹介をした。
『そっちのチビはいいんだよ、翼の亜竜、オマエ色々おかしいね』
おかしいと言われても、色々が多すぎてどう答えて良いか分からない。
『どう……おかしいんです?』
『幼竜のくせに強い因子も、竜のくせに他のキオクが混ざり合ってる事も、何より……ニンゲンの為に出てきたのかい』
成竜は翼を畳んだ。
よし、いいぞ!会話に引き込めば少しは時間が稼げるかも知れない。
『あの人は友達なんです』
『トモダチ?なんだいそりゃ?自分で喰うつもりだった鬼神を、取られそうになって慌てて出てきたのかい』
『友達は食べちゃダメなの』
『チビは黙っておいで』
成竜が小さく吠えた。
リンクスは小さく震えて、再び俺の背中に隠れる。
『鬼神はキオクが美味いからねぇ。もっと美味いのが……』
記憶が美味い?竜は記憶を喰うのか?
その時、俺の記憶の一ページが突如蘇る。
(……どう?伝わる?ニンゲン)
(お、おう。声若けーなマザー)
(時間掛かっちゃったわ、面白すぎて)
リンクスの母親、マザードラゴンとのやり取り。
何故今、こんな場面が思い出される?
『もしかしてオマエ……別の世界から来たのかい?』
ドクン
俺の心臓は驚きに縮んだ。
別の世界から……この質問をされたのは、姿勢の悪い短命の鬼神、イワン以来二度目だ。
俺は考えた。
この成竜は何を知り、何を求め、何故唐突にこんな事を聞くのか。
だが極度の緊張感の中、怒りを鎮めながらの俺は、考えがまとまらない。
『そうだ。俺は別の世界から来た』
俺は正直に答えた。
それが正しいと思えた。
……その時は。
変化は突然に訪れた。
『あっはっは!そうかい!アタシはツイてるね!』
成竜は翼を広げ、足を踏ん張り、上体をもたげて、高みから俺達を見下ろした。
『大開放する鬼神は喰い損ねたけど、代わりに異世界の者を喰えるなんて!一番キオクが美味いのは異世界の者さね!』
突如吹きつけた思念の風。
それは食欲。
叩きつけられた欲望に、呼応するかの様に膨れ上がる、俺の中の怒り。
『喰ラッテヤル』
果たしてその声は誰のものだったか。
俺と成竜は共に大地を蹴った。
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