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56話 成竜降臨

 大河アルヘオを挟んで、エラポス国境に布陣した帝国と共和国の両大軍。


 開戦寸前、クアッダ王が画策した非戦連合からの布告が届き、停戦を受け入れる両軍。

 停戦の信号が早朝の空に光る最中、両軍のほぼ中央に「最恐」が降臨する。


 成竜降臨。


 恐怖の代名詞たるドラゴンは、その地に降り立った瞬間から辺り一帯を恐怖で覆い尽くした。


 戦闘経験が浅い兵士は、遠巻きに姿を見ただけで腰を抜かし。

 経験豊かな兵士と理性を失った者は、我先にと逃げ出した。


 数万に及ぶ兵のパニック。

 ドラゴンはただその地に降り立っただけで、数百の兵を負傷させた。


 全長約二十五メートル。

 蛇の様な長い胴体には一対の腕と二対の脚。

 肩と腰に当たる部分からは、コウモリにも似た巨大な翼膜が三対、生えていた。広げた翼膜の幅はおよそ十メートル。


 腹部の鱗は水色掛かった灰色で、背中は緑と茶のまだら。

 ワニの様な頭部に金色の有鱗目。

 後方に伸びた長い二本の角と、その付け根に生える尖った耳。 

 耳付近まで裂けた口には、尖った牙がビッシリと生えていた。


 着地で舞い上がった砂塵が収まるより早く、ソレは始まった。


 強者による弱者の捕食。


 成竜は尺取り虫の様に体を縮めると、翼を広げた。

 低く鋭く体を伸ばし、地面を蹴り、翼を震わせ、再び地を離れる。


 逃げ散ろうとしたニンゲンの外周を、グルリと回って飛び、ニンゲンを喰らい、恐怖の輪の中に追い立てる。


 成竜は帝国も共和国も関係なく喰い散らし始めた。


 低空から恐ろしい速さで飛来し、空に向けて突き出される剣や槍を砕きながらニンゲンの上半身や頭部を喰らい、再び高度を上げる。

 低く円を描く様に跳ぶ成竜に投槍や弓矢やオノマが飛ぶが、成竜の速さに位置予測が追いつかず、虚しく成竜の後方の空を通過する。



 『凄いな……』


 『……凄いの』


 やっと憎悪を押さえ込んだ俺は、リンクスと共にさっきの枝まで戻って、殺戮のさまを固唾を飲んで見下ろしていた。

 森の軍勢は、成竜の注意を引かない様、息を殺している。


 今はナリを潜める他無いと思えた。



 ニンゲン達はようやく恐慌から立ち上がり、負傷者を守る様に陣形を整え始めた。小さな円陣が生まれ、周囲の兵が合流し、百人規模の円陣があちこちに形成される。


 低空で飛来する成竜に対して、円陣から数百の矢が一斉に放たれる。

 空に生まれた一本の黒き激流、数百の矢が成竜を襲う。


 エラポス弓箭兵の特技「一点射」

 突進する騎兵隊に横からでも全矢命中させる程の命中率を誇る、矢の激流。


 低空を滑る様に飛来する成竜に、黒い激流は吸い込まれる様に命中した。

 だが、矢は成竜の鱗を貫けず、パラパラと地上に落ちる。


 一本の矢も突き立ちはしなかったが、煩わしそうに首を振って成竜は進路を変更した。


 沸き起こる歓声。

 進路を変更させた。

 たったそれだけで歓声が起こる。


 「ぐあぁぁ!」


 直後に響く悲鳴。

 弓兵が少ない小さな円陣の一つが蹴散らされ、喰い散らかされる。


 小さな円陣が移動し、合流して円陣を大きくし、更に小さな円陣に寄って負傷者を取り込む。


 細胞分裂を逆再生する様な光景が、戦場の各所でみられた。

 時に小さな円陣を喰い散らし、時には大きな円陣を襲って分断する成竜は、さながらガン細胞だろうか。


 翼をはためかせて、空中に留まる成竜。

 負傷者を内包し円陣の外側に向けて大盾を構える機装兵と、その内側で肩に装着されたバリスタを引き絞る機装兵。その内側で何事かと見守る者。


 「オ、オノマだぁああ!」


 空中に制止する成竜の周囲、水平三百六十度に黒い光球が生まれる。

 直径一メートルまで成長した光球。その数……およそ百。


 放物線を描くこと無く、全方位に放たれた黒い光球は、触れた瞬間直径五メートルの質量を持つ光に変貌し、触れた者を尽く押しつぶし、肉塊に変え、地面に穴を穿った。


 「迎撃せよ!」


 鋭い号令の元、飛来する数十の黒い光球を、空中で射抜く部隊があった。

 射抜かれた光球は、空中で膨れ上がり、放物線を描いて落下、土煙を上げて地面に直径十メートルのクレーターを作った。

 その部隊は青いバンダナをした男に率いられ、戦場を縦横に掛け巡りながら、負傷した兵の合流を支援していた。

 プトーコス率いる帝国軍特務遊撃隊である。


 「堪えろぉおお!」

 「これ以上無理っしょ!」

 「逸らせ!左に逸らせ!」


 機装兵と鬼神が力を合わせて、黒い光球の圧力に力で抵抗し、被害を最小限に留める円陣もある。


 対処出来なかったその他殆どの円陣は、陣を乱され、直後成竜の襲撃を受けていた。


 「冗談じゃ無い。あんなバケモノとどうやって戦うってんだ!」

 「人類が……滅んで……しまう」


 悲壮感漂う中、自らの職務に只ひたすらに忠実な者達もいた。


 「電源筒を車から降ろせ!一人でも多く負傷者を乗せろ!息のある者は一人も見捨てるな!」


 「大隊長!指揮権を一時貸して下さい!成竜を地面に引きずり落とさないと、後退する負傷兵が狙われますんで」


 「ダファー……出来るのか?」


 「やるんです!」


 「……そうだな。一万を数える共和国正規軍はまともな指揮も無く、各個迎撃しか出来ていない。ネビーズ大隊長の名が組織反攻の役に立つなら」


 大隊長はそう言って、自らの背に立つ旗をダファーの機装に括りつける。


 「負傷兵は武器も鎧も捨てて乗車、完全非武装で根地の森へ」


 「何だと!?」


 ダファーの言葉に耳を疑う大隊長。


 「空を跳ぶ成竜から身を守るには、森に入るしかありません。森の軍勢に捕縛された者は、誰一人死なずに帰って来ましたよ」


 「魔獣の温情に賭けるのか……人の命を……」


 「それでも!ネビーズまで荒野を行くよりは一人でも多く助かる可能性がありますんで!」


 余りに突飛な作戦に判断に迷う大隊長。


 「臨時大隊長の命令っしょ!」


 「……そうだな、従おう。どう動けばいい」


 大隊長は成竜が他の円陣を襲っているのを確認すると、高位の者を集めた。


 「時計回りに機装兵と鬼神を中心に戦力を集めますんで、戦力が抜けた円陣を順次退避させて下さい」


 「分かった。聞こえたな!車をかき集めろ!武器を離したくない者は戦場に残れ!」


 共和国軍がダファーの号令の下、組織されてゆく。

 一方の帝国軍はプトーコス率いる特務遊撃隊の指示によって、既に負傷兵の離脱が始まっていた。


 だが共和国軍とは異なり、エラポスの街は近い。

 後退には便利なようでも成竜に追撃されれば街での戦闘になってしまう。一般市民を巻き込んでの。


 プトーコスは各部隊からオノマ兵を選抜して、離脱する兵とエラポスへの道を守らせ、自らは成竜に追いすがって離脱する兵に気付かれない様に、攻撃に出る作戦を立てていた。


 「プトーコス卿!共和国軍の負傷兵、根地の森に入る様です!」


 「やはり共和国軍は根地の森と通じていたか」


 「それが……武器も鎧も捨てて……まるで投降です」


 「なんだと!?」


 プトーコスは額の青いバンダナに手を当て、暫し考え込んだ。


 「……プトーコス卿?」


 「ワシの経験には……無いな……乗ってみるか……共和国軍の撤退を指揮する者が戦場に居るはずだ、接触を試みる」


 プトーコスの決定に驚く副長。


 「停戦の信号が上ったとは言え、危険です!」


 プトーコスは空を指さす。


 「アレ以上の危険はあるまい。オニュクスとエレンホス卿に連絡を取ってくれ。他の者は付いて来い!」


 副長は五十騎を連れて連絡に走り、プトーコスは四百騎を率いて成竜の下に向かう。


 「針が次々と泡を破り、弾けた泡から雫が根地の森に落ちる様だった」

 「絶望の中の微かな光に、誰もがアイツの言葉に従った」


 ダファーの螺旋陣。

 共和国で後にそう呼ばれる撤退戦。


 その針の先端に横合いから合流する様に、追従する部隊があった。


 「ワシは帝国軍特務遊撃隊隊長プトーコス!指揮官と話がしたい!」


 負傷兵の撤退と、反攻部隊の編成に忙しいダファーはプトーコスの名を思い出すのに若干の時間を要した。


 「自分は指揮官のダファー!手短に頼む、忙しいんで」


 帝国軍の大将軍、皇帝陛下に自由な行動を許される稀有な存在。

 そんな大物に対して、まるで同僚の様に話すダファーに小隊の部下達は肝を冷やす。


 「ぬ、貴公は守備隊の」


 「あの時はどうも……って挨拶してる場合じゃないな。そっちも大変なんじゃないんですか」


 「短刀直入に聞こう、根地の森は友軍なのか?」


 「いや、賭けだ」


 ダファーの返答は短い。

 睨み合うダファーとプトーコス。


 背後では、車に積んできた電源筒と負傷者の載せ替えが行われ、機装兵が大急ぎで電源筒とコードを接続している。

 更にその向こうの空では成竜が身をくねらせ、急降下をしている。


 「我が帝国軍も参加させて貰おう。成竜を地に引きずり下ろして時を稼ぐのだな」


 プトーコスは目ざとく見ていた。ダファーの編成する機装兵の武装を。

 両肩にバリスタが装備され、その矢にはワイヤーが付いている。

 そしてワイヤーの先には頑丈そうなアンカー。


 「それは助かる。成竜を地に落とす手立てが乏しかったんで」


 こうして旗の色が違う両軍の共同作戦が始まった。

 離脱する車も両軍の物、車に乗る負傷者も両軍が手を携えて、互いに重傷者を助けあっている。


 「コホル、俺は成竜に一泡吹かせに行く、負傷者の離脱の指揮を頼む」


 「いやっしょ」


 「……おい」


 「小隊長と一緒に死ぬっしょ」

 「ウチラも一緒に逝きますよ」


 ダファー小隊は全員健在。皆一様に笑顔だった。


 「言う事言っとかないと後悔するぞ」


 「ちょっ!ゼナリオさん!余計な事言わないで!」


 戦場の生存者の約三割は離脱を始めた。そろそろ成竜も気付くかも知れない。第二段階に移動する頃合いだ。


 「プトーコス卿!我が軍もご指示通り、根地の森に退路を変更、オノマ兵も待機させました」


 「うむ。副長、離脱の指揮を取れ」


 「……はっ」


 一瞬の躊躇いの後、副長は部隊を率いて次の円陣へと向かって行った。

 上官の命令に平然と背く、あの女兵士の率直さを少し羨ましく思いながら。



 『白旗だと!?』


 『はい兄上様、森に迫るニンゲンは皆丸腰ウキ』


 根地の森に退避して来るボロボロのニンゲン達。重傷者を満載した馬車をわずか一体の機装兵がやっと引いてくる。その機装兵も片腕だ。


 野戦用の迷彩ネットを被って、ゆっくりと近づいて来た車が、根地の森を前にして白旗を掲げた。

 暫く森の様子を伺った後、覚悟を決めて森に入ってくる。


 『捕縛の準備は出来たウキ、兄上様、指示をウキ』


 『捕縛はしない……ニンゲンは一人残らず……』


 『……お兄ちゃん?』


 不安そうな顔で俺を見上げるリンクス。

 俺はリンクスの頭にポンと手を置く。


 『一人残らず保護しろ。治療と水と寝床と与えて監視だ』


 『了解ウキ。非戦闘員も手伝うウキ、兄上様の命令ウキ』


 『さすがお兄ちゃんなの!』


 リンクスが嬉しそうに胸を張っているが、俺からしたらリンクスがニンゲンに手を差し伸べようと考えてた方が驚きだわ。

 ほんの数ヶ月前は、ご飯にか見えてなかった筈なのに。


 ここから見下ろしていると、両軍が協力関係になったのが分かる。

 代わる代わるヘイトを取って、負傷兵を少しずつ少しずつ離脱させている。


 特に目覚ましい動きを見せているのが、プトーコスの部隊だ。

 猛然と迫って弓を射掛けては、尻尾を巻いて逃げて見せて成竜のヘイトを取っている。


 機装兵のバリスタ部隊は射程は長いが、機動性に若干劣り時々蹴散らされては、その都度数を減らしている。


 ニンゲン達は着実に数を減らしているが、成竜は傷ひとつ負っていない様に見える。

 時折オノマが当たって炎や氷が発動している様にも見えたが、ダメージを受けている様子は微塵も無い。

 成竜はもう既にニンゲンを喰って居ない、只ひたすらに殺戮を楽しんでいる様にしか見えない。


 腹膨れたら帰れよ。

 俺の甘い予測は無残にも潰えた。


 成竜がその場で渦を巻く様に飛び、周囲に尻尾の鱗を飛ばす。

 その日三度目の鱗攻撃は、大盾を持った機装兵と鬼神が素早く展開し、大きな損害を受けた様には見えない。


 学び、対策し、活かす。


 ニンゲンの優れた部分だろう。

 でも何で戦争だけは繰り返すかね。


 大切な人に二度と会えないのが、そんなに嬉しいかね。


 そんな事を考えていると、戦場の風が動いた。

 迷彩ネットを被った帝国の部隊が、見破られない様に慎重に近付いている。

 そしてその部隊の接近を気取らせない様に、攻勢を強めるニンゲン。



 「今だ!」


 号令と共に迷彩ネットが取り払われ、既に手の内にオノマの光球を宿した兵達が姿を現す。


 低空で滑るように飛んでくる成竜の、左の翼を狙って飛ばされる赤と緑の光球、炎と風のオノマ。

 成竜は体を右に傾けて回避、左の翼の下をオノマが通り過ぎるかと思われた刹那。オノマは弓矢に射抜かれ、翼の下で暴風が吹き荒れた。


 突然発生した突風に、バランスを崩して墜落する成竜。

 すかさず機装兵がバリスタを発し、ワイヤーで成竜を地に貼り付ける。


 成竜が墜落した地響きを合図に、一斉に根地の森に逃げ出す兵士達。

 鬼神がアンカーを大地に穿ち、ワイヤーを備えないバリスタや弓矢、そして多数のオノマが、左側三枚の翼に攻撃を集中する。


 だが成竜の翼膜は破れない。

 成竜が体勢を直して身を捩る。


 六本の手足に絡みついたワイヤーが悲鳴を上げ、次々に千切れる。

 体に巻き付いたワイヤーも、成竜が踏ん張ると同時に悲鳴を上げ、幾本かのアンカーが大地から飛び出す。

 六枚の翼が広がり、羽撃く予備動作を見せたその時。


 「両軍の鬼神達よ!今こそ開放の時、飛ばせてはならん!」


 「おお!」

 「コォォォオオ」


 声を上げたのは現ネビーズ傭兵隊長のゼナリオ。

 彼の叫びに応じて、残った鬼神が次々と息吹し、開放してゆく。


 「「「喰らいやがれぇぇええ!」」」


 力を開放した鬼神達が、板剣を振りかざして次々と成竜に襲いかかる。

 頭に、肩に、腹に、尾に。一撃毎に体を震わせる成竜。

 成竜のよろめく姿に、感嘆の声が上がる。


 「これが……鬼神か……」


ここまで読んで頂きありがとうございます。


次回更新予定 日曜日 20時

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