55話 もつれ合う糸
「プトーコス卿、本隊に先んじて到着した兵から、耳寄りな情報が」
青いバンダナから、長い白髪交じりのくせ毛を揺らして、エラポス領主オニュクスの執務室に入った逞しい背中の男は、挨拶より先にそう告げられた。
赤いマントを揺らしながらデスクから立ち上がり、ソファーを勧めながら続けるオニュクス。
「朝一番はいつも通り茶ですか?」
「勿論だ」
呼び鈴を鳴らして茶を二つ頼む。
「呪画士に関する情報です。少し前トラゴスの街で呪画士が目撃されています。その時関わったのが鬼神の傭兵団らしく、当時隊長を務めていたのがゼナリオという鬼神です」
プトーコスに続いてソファーに腰を下ろすオニュクス。
一旦下ろした腰を浮かせて、プトーコスが前のめりに身を乗り出す。
「確保したのか!そのゼナリオを」
「いえ」
残念そうに首から力を抜いて、座り直すプトーコス。
「ですが、現在ネビーズと契約しています」
「何だと!」
ダン!と音を立てて立ち上がるプトーコス。額の青いバンダナを撫でて暫し思案する。小さく独語する「ワシの経験によれば……」の声。
「本隊の到着は?」
「明日中には」
「ネビーズに行く、明日には戻る。指揮権は副長に移譲する」
言い始めた時には既に一歩目を踏み出し、言い終わった時には既にプトーコスの姿は執務室に無い。
「相変わらずですね。帝国最速の機動力を誇る部隊の長に相応しい。しかし……何か話があって訪ねて来たのではなかったのか……」
赤いマントを揺らしてオニュクスも執務室を後にする。
遊撃隊隊長の単独行動を、副長に直接伝える為に。
数分後、誰も居ない執務室に届けられた二杯の茶は、誰を満たす事も無く、無為に香気をたゆらせていた。
◇
その日俺とリンクスは共和国側の街、ネビーズに居た。
定時連絡の為、昨夜忍び込んだのだが、連行は無かった。
偶然にも騒ぎを起こそうとした酒場に、連絡員が居たのだ。
まぁこんな偶然もある。お陰で連絡員の宿で、じっくり話も出来た。
街の様子は、先日潜入した帝国側の街エラポスよりも、ピリピリしている。
理由は連絡兵から聞けた。
一つは予定した増援が今持って来ないこと。ラアサの嫌がらせが徹底しているようだ。
もう一つは根地の森に現れた第三勢力、俺達だった。分からない事が多すぎて、対策の立てようが無く、不安を掻き立てられている。
連絡員の集めた情報によれば、ネビーズから見た根地の森の第三勢力は……。
目的不明。
規模不明。
意味不明。
だそうだ。洒落の効いた三段活用だな。
先手を打ちたがってウズウズしていたネビーズが、守りに徹していてくれるのはありがたい。ひとまず作戦成功といった所か。
昼前、たらふく喰ってから森に戻ろうと、屋台通りに繰り出した時。
「そいつ捕まえてくれ!」
その声に横道に目を向けると、やせ細った野郎が両手に串焼きを持って、人にぶつかりながら走ってくる。
食い逃げ?泥棒?目立つわけには行かないな、スルーしよう。
そう思った瞬間、野郎が俺にダイブして来た。
思わず抱きとめる。
野郎がつんのめった辺りをみると、ブーツが地面に立っている。矢に縫い付けられて。
突き立った矢の角度から射手を探すと、分厚い背中をした、ブロディヘアにバンダナを巻いた男が、借りた弓を返している。
走る野郎の靴だけを地面に縫い付けるとか、何処の与一だ。
「ワシの経験によると食い逃げかな?」
ブロディヘアーがにこやかに近づいて来て、俺達に声を掛ける。
プトーコスだと!?
俺は咄嗟に身構えてしまう。だって何日も追跡してた相手が突然目の前だもの。しかも敵の街でだ。
「驚かせてしまったか。スマンスマン」
申し訳無さそうにバンダナを巻いた頭に手をやるプトーコス。
「捕まえてくれたか、どうも食い逃げらしいんで」
「小隊長またお手柄っしょ!」
横の路地から、野郎を追ってきた男女が追いつく。
何だろう?左腕がピリピリする。
「自分は守備隊のダファーと云います。ご協力感謝します。お二方」
そう言って俺とプトーコスに礼を述べた眠そうなタレ目の男は、腰から革紐を取り出して野郎を縛ると、連行して行った。
ダファーさん、敵のお偉いさんが侵入してますよ。
おっと俺もか。
プトーコスは、辺りの人に傭兵の詰め所の場所を聞くと、その場を立ち去った。
『お腹すいたの』
『飯でいっか』
プトーコスを追おうかとも一瞬考えたが、拉致して人質にする訳でもないし、折角作った三竦みを下手に刺激しない方が良いだろうと考えて、食欲を優先する事にした。
何であんな大物が街に潜入出来たのだろう?
街門では、身分証の様な物をチェックしていた。持っていない者は街に入れて無かった。
……偽造か。
身分証とは言っても、顔写真が貼ってある訳でも無く、社会保障番号を確認される訳でも無い。
「う〜しょっぱいの」
うん。ここの串焼きはしょっぱいな。塩振りすぎだろ。
そのせいか、隣の麦酒とザクロジュースを売る店が繁盛している。
良く見たらどっちもナツメ商会の小旗が飾ってあった。
ほんっと抜け目ねえなナツメ商会。
「ロマンスグレーなの」
リンクスの声に目を向けると、もうもうと煙を上げる屋台に、見覚えのある白髪交じりの男が居た。
トラゴスの街で鬼神団の隊長をしていた男だ。
厳しくも優しいお調子者。俺の中ではそんな印象。
「リンクスなの、お兄ちゃんなの」
「おお!リンクスちゃんに呪画士殿!こんな所で!」
鬼神の隊長さんは、頬を綻ばせ、フェルサは成長しているかとか、赤髭を始めとする連中には会えたかとか、リンクスと嬉しそうに話してる。
「時に呪画士殿。呪画で魔獣を従える術はあろうか?」
急に真面目な顔で質問する隊長さん。
そもそも、泣かれる程絵が下手なだけで、呪画とか知りませんけど。
恐怖させようとか思って描いた事、一回もありませんけど。
俺は涙目でナイナイをする。
「あ、煙たいか。そうだよな、俺って何でか煙が寄ってくるんだ。色男に煙が寄るって言うし、仕方ねえけどな!はっはっは」
そんなの聞いたことありませんけど。
最近ハンドサインで通じてたから、ボディランゲージのスペック低いの忘れてたわ。
隊長さんの提案で、詰め所で飯を食う事になり、おみやする。
「詰め所で、こちらにゼナリオ殿が居ると聞いて来たんだが」
「鬼神の隊長なら……あれ?さっきまでソコに居たのにな。ちっちゃい兄妹と一緒に」
屋台の店主に尋ねたのは、バンダナの男プトーコス。
タッチの差で、未だ鬼神の隊長ゼナリオに会えずにいた。
「ゼナリオ隊長を見ませんでしたか?」
「これはニザームさん。ちょっと前まで居たんですけどね、しかし今日は鬼神の隊長を訪ねてくる人が多いなぁ」
屋台の店主に尋ねたのは、黒縁メガネの男、市長秘書のニザーム。
ニザームが小首を傾げる。
「詰め所でも似たような事を言われたのですが、隊長を探してる人ってどんな人ですか?」
ピタに挟む肉を焼く手を休めること無く、屋台の店主は答える。
「四十位の割に凄え体した、白髪の混じったモシャモシャっとした長い髪の男でしたねぇ」
メガネの中央を人差し指でクイッと上げて、暫し固まるニザーム。
「……もしや、青いバンダナをしていませんでしたか?」
「そうその人です!お知り合いでしたか」
返事をせずにニザームは駈け出した。
男の風体に覚えがある。
「ダファー!帝国のプトーコスが潜入している可能性がある!」
「はあ?プトーコスって?」
ニザームが駆け込んだのは、守備隊の詰め所。
珍しく走ってきたニザームを、怪訝な顔で見るダファー。
「プトーコスを知らないのか……」
ニザームは説明する。
帝国最速と言われる機動力を持つ、特務遊撃隊。
その隊長にして、前エラポス領主であり、達人級の弓の使い手であるプトーコスの事を。
「青いバンダナにモシャモシャの長髪?アイツか?」
「アイツっしょ!」
「会ったのか!なんと迂闊な!敵の将軍の容姿ぐらい覚えておいて下さい」
「確かに隙の無い動きだったな。急いで手配させますんで」
ダファーは詰め所にいる者に、大声でプトーコスの特徴を告げる。
慌ただしく詰め所を出てゆく守備隊員達。だがダファーとコホルは座ったまま。
「お前は本当に守備以外働かないな。所でゼナリオ隊長を知らないか?」
「鬼神の隊長に何の様だ?詰め所じゃないのか?」
「どうもすれ違ってるみたいでね、ゼナリオ隊長が知っていると言う、呪画士の話を詳しく聞きたくてね。聞いてるだろ?」
「知らん」
まるで興味が無い。そんな態度だ。
「小さな兄妹だそうですが、呪画の情報があまりに無くて……」
「プトーコスと一緒に居たアイツかな?」
「アイツっしょ!」
「プトーコスと呪画士が一緒に居た?」
嬉しそうに相槌を打つ大柄な女コホルに、少し苛立ちながら、ニザームは椅子に腰掛けた。
メガネの中央に人差し指を当てて、思案する。
「ネビーズに何か仕込みに潜入したのかも知れません。出来れば殺さないで捉えて下さい。どうやって街に入ったか、背後関係も気になります」
「そりゃマズイな、行くぞコホル!」
弾かれた様に詰め所を飛び出して行く二人を見て、ため息をつくニザーム。
「本当に守備だけの男だ……」
◇
青いバンダナの男プトーコスは、通りを歩きながら本気で悩んでいた。
何かにイタズラでもされているかの様に、ゼナリオに会えない。
昼前に傭兵詰め所に行ったら「屋台通りに飯に行った」と言われ。
屋台では「さっきまでソコに居た」と言われ。
もう一度詰め所に行くと「今しがた出掛けた」と言う。
そして、原因に思い当たる。
「そう言えば今朝……茶を飲まずに……」
オニュクスの執務室を訪ね、朝の茶を飲もうと思っていたのに、ゼナリオの話しを聞いてエラポスを飛び出し、ここネビーズで香りに釣られてコーヒーを飲んでしまった。
しまったなぁ。と顔をしかめ首を傾げるプトーコスは、気が付いた。
自らを遠巻きに伺う視線に。
周りを見渡したりせずに、自然な速さで歩き出し、角を二つ曲がった所で確信する。監視されている。
「潮時か」と小さく呟いて、プトーコスは混み合う市場へと紛れていった。
エラポスに戻ったプトーコスは、翌日到着した本隊から呪画士の新たな情報を聞く事となる。トラゴスに居た呪画士は小さな兄妹だったと。
◇
この日ネビーズで幾つかの出会いが実り、幾つかの出会いが実らなかった。
それによって、幾つかの齟齬が生まれる事となる。
呪画士とプトーコスが一緒に居たと認識したニザームは、帝国が根地の森の呪画士と通じていると考えた。
呪画士と傭兵隊長ゼナリオが一緒に居たと聞いたプトーコスは、共和国が根地の森と通じてると考えた。
傭兵隊長のゼナリオには密かに監視が付いた。
戦力的不利を感じたネビーズ、エラポスは、共に大規模な増援のを本国に要請する。
開戦の地はエラポス国境。
その認識は次第に規定の路線となり、両陣営とも大河アルヘオを挟んだ国境地帯に軍を集中する。
ラアサの懸命の妨害工作も虚しく、両陣営はエラポス、ネビーズを拠点に着々と軍を増強させていったのである。
◇
『ものすごい大軍なの』
なんでこうなった。
戦術的三竦みも成功し、睨み合いで相当の期間、時が稼げる筈だったのに。
エラポスもネビーズも、街まで軍を引いたのに。
まだ朝露の残る根地の森。
国境の川辺が見える高い木の枝。
そこから俺達は両陣営の布陣を見下ろしている。
その数……数万。
数が多すぎて俺じゃカウント出来ない。
ヤチョーの会でも厳しいだろう。主催者発表は……無いよな。
大河を挟んで両軍共、万を超える兵が陣を張っている。
根地の森の軍勢ではもはやどうすることも出来ない。
クソッ!結局始まっちまうのか!
戦争回避なんて無駄な努力だったのか!
なんで殺し合う為に、こんなに人が集まるんだ。
両陣営から一騎ずつ前進し、川を挟んで舌戦を始めた。
風に流されて両者の声が聞こえてくる。
「儂は帝国軍第一軍団長にして遠征軍総司令官エレンホス!
愚かな反乱軍よ、今すぐ武器を収め皇帝陛下の慈悲にすがるが良い。
皇帝陛下の威光の元、人類を糾合し、化け物を世界から一掃するのだ!」
「私は共和国議長カーヌーン!
今すぐ虐げられし民を開放し、秘匿する科学と技術を公開せよ!
法によらぬ独裁者の支配など到底認められぬ!
人類は自由と平等の名の下に統合されねばならぬ!」
「愚か!うぬらの自由とは同胞に刃を向ける自由!
平等とは等しく滅ぶ平等を指すのか!
うぬらの頂点が腐りきっておる事、
海を渡って我が帝国本国まで聞こえておるぞ!」
「それでも民によって選ばれし者の執政!
一人の狂人が全てを滅ぼしかねん制度に下るわけには行かぬ!」
「キサマ!陛下を狂人呼ばわりするか!
選ばれた狂人が責任も負わずに、富を独占しておるくせに!」
完全な平行線。決して交わることの無い一対のレール。
一方の正義は他方の悪。どちらの言い分も正しく、どちらの言い分も正しくない。戦争に勝った側の言い分だけが、今後数百年正しいと定義される。
そしてその定義の為に何千もの命が散る。
命よりも大切な物があると言って戦争を始め、命よりも重いものなど無いと言って戦争をやめる。
ニンゲンの歴史はずっとこうだ。
もう好きにしろ。
但し殺し合いがしたいゴミ同士だけで。
俺は森の軍勢に指示を飛ばし、森の防衛を固める事にした。
俺の指揮下にある魔獣達は、一匹も殺させん。
舌戦の最中、伝令らしき兵が駆け寄る。
同じタイミングで双方に緊急の連絡。先に口を開いたのは共和国の議長。
「そちらにも急報が入ったと見える。クアッダが進めていた非戦連合が布告を発した!開戦すれば軍事介入も辞さず!と」
「こちらでも確認した!反乱軍は議会という物の判断を仰がねばなるまい。休戦を受け入れてやっても良いぞ!」
「何を恩着せがましい!貴様とて本国の指示を仰ぐ立場だろうに!どうしてもと言うなら休戦してやる!」
子供の喧嘩かよ。
しかし、やったなクアッダ王!
ギリギリのタイミングで非戦連合の布告が間に合った。
俺は感激に胸が熱くなり、震えた。
バチッ!!
な?!
『お兄ちゃん!!』
両軍から上がる停戦の合図と共に、俺は全身に走る電撃に枝から落ちる。
数本の枝にぶつかりながら、根地へと落下した俺はモードD飛竜へと変身していた。
『な……んだ……と……』
未だかつてない程の憎悪が沸き起こる。俺はリンクスに抱き付いて、憎悪の激流の中の自我という小岩にしがみつく。
俺をしっかりと抱きとめ「お兄ちゃん」と連呼するリンクスは、空を見上げた。
どうにか憎悪を制御した俺も、リンクスの視線を追う。
『……何か来る』
両軍が布陣する中央。ソレは高空から音の速さで降り立った。
地響きと共に巻き上がる砂塵。
辺り一帯を瞬時に覆い尽くす圧倒的な恐怖。
『ドラゴンなの……』
停戦信号の光を浴びながら、二十メートルをゆうに超えるドラゴンは、猛々しい鼓咆を上げた。
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