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52話 根地の森

 「はあ?別働隊が戻らない?」


 ダファーは機装の整備の手を止めて、連絡兵に向き直った。


 壮行会翌日、共和領ネビーズの軍は、帝国領の川向こうの街エラポスに向けて進軍し、川を挟んでエラポスの軍と対峙した。


 ネビーズ軍三百五十余名に対して、エラポス軍約八百。

 三百の弓箭兵を擁する、対岸防衛戦に特化した軍隊。


 エラポスは、南から北へと流れる、ヒエレウス王国の南を源流とする大河アルヘオと、それに北西から合流するパライオン川との落合の三角地帯に位置し、帝国領である西側以外は川に面している。


 南から北に流れる大河アルヘオは、帝国領と共和領を東西に隔てる国境となっており、エラポスの大河を挟んだ南東側は、広大かつ踏破困難な根地の森が広がる為、エラポスは戦略的要衝として古くから大きな軍事力が置かれていた。


 かつては、帝国領と共和領を結ぶ公益都市としての側面も持っていたが、ナツメ商会が大河アルヘオと平行する形で南北に街道を作った為、現在では「軍の街」としての色合いが強い。


 大河アルヘオを越えてエラポスへと至る橋は無い。現在は。

 かつて平和な時代には、堅牢な橋が掛かっていたと言われているが、戦乱の度に橋は落とされ、次第に懸架も破壊も楽な浮橋が掛けられる様になった。

 その浮橋も今は破壊され、渡河を拒んでいる。


 大河アルヘオは川幅約五十メートル、水深は一メートルから三メートル。

 注意深く渡れば、渡れない事も無さそうだが、無防備な渡河の最中に弓を射掛けられ、川底には罠も沈んでいる。

 守りに非常に適した街。それがエラポスである。


 もし本格的な開戦に先立って、エラポスを陥落させることが出来れば、帝国側の防衛網は大きく乱れ、初戦を優位に運ぶことが出来るだろう。


 自ら先陣に立ち、エラポスを陥落せしめ、その功績を持って共和国権力中枢に座を占める。それがネビーズ市長アスィスの、戦乱に抱いた野望である。

 その為に無理な議会工作もして「臨時司令官」の肩書も手に入れた。


 アスィス市長は「臨時司令官」の肩書と議会の承認を盾に、軍の作戦に介入し、別働隊による根地の森突破、本隊の渡河に呼応した側面攻撃をねじ込んだ。


 大隊長は無謀な作戦と拒否したが、法的な決定権を持つ「ねじ込み」に結局折れざるをえなかった。


 そして。


 「根地の森抜けようなんて、何処のバカだ」


 「ダファーさん声が大きいですって、市長のシンパに聞こえたら……」


 連絡兵が首を竦めて辺りを見渡すが、ここ機装の整備倉庫には今、ダファー小隊の面々しか居ない。


 ダファーは手短に状況を聞き出す。


 別働隊五十名は夜明け前に根地の森に入り、昼過ぎには奇襲の合図が上がる予定だったこと。

 あまりに合図が遅いため、二十名の兵が捜索に森に入ったこと。

 そして、誰も帰って来ないこと。


 「はあ?ミイラ取りがミイラじゃねえか。大隊長は何してるんだ」


 「それが……臨時司令官の命令に事ある事に異を唱えた為、謹慎に……」


 「あのブタ、ろくな事しねえな」


 機装を稼働待機状態にしながら、ダファーはガックリと肩を落とした。

 小隊員も整備を終え、次々に待機状態にしてゆく。


 四つん這いの姿で、背中と大腿部のハッチが開いた状態の機装。

 ダファーは腰部から伸びる内足に、ブーツを履く様に足を突っ込み、大腿部のハッチを閉じる。


 前屈みになり、胸部から伸びる内腕に腕を通すと、股間に座面が現れて装着者の腰を固定。背部のハッチがゆっくりと閉じる。

 背面装甲と前面装甲がピッタリと合うと、凸っていたシリンダーが回転しながら沈んで行き、前後装甲を完全に固定させる。


 装甲内部のスペースバッグが膨らみ、装着者と機装の隙間をなくす。

 キャノピー内側に各部チェックがモニターされ、機装全体が黄色から緑の表示に変わる。


 「起こすぞ」


 四つん這いの姿勢から、右足を踏み出し、次いで上体を起こして立ち上がる機装兵。周波数の高いモーター音は次第に小さくなってゆく。


 右手の指を小指から順に折り、やはり小指から順に伸ばす。

 その背後、同じように四体の機装兵が立ち上がる。


 「兵装は最低限、予備の電源を最大数背負って行くぞ」


 「「「了解!」」」


 全高ニメートル半、全幅一メートル余りの機械の鎧は、その重さを感じさせぬ機敏さで整備倉庫を飛び出し、薄暗くなり始めた空の下、風を切って走った。



 大河アルヘオを挟んだ帝国領エラポスの街。

 街を見下ろすようにそびえる石造りの小城、エラポス領主オニュクスの城。


 その応接室では一人の初老の男が、茶を飲んでいた。

 太い眉毛に深い彫り。青い瞳は眼光鋭く、頭に巻いた青いバンダナからは、長い白髪交じりのくせ毛が広い背中まで伸びている。

 茶椀を持つ手は骨太く、腕は筋肉が盛り上がっている。


 バンダナの男が茶を飲み干した丁度その時、扉が開いた。


 「これはプトーコス卿、お会いできて光栄です」


 「オニュクス、元気そうでなによりだ。まず座れ」


 応接室に入ってきたのは、エラポス領主オニュクス。


 堂々たる体躯に銀の甲冑をまとい、赤いマントを羽織っている。

 ニメートルに届きそうな長身とそれに見合った幅と厚み。高い鼻と波打った金髪に青い瞳。

 眉間や頬のシワがなければ美男子として、街の娘を賑わせたかもしれない。


 ソファーに、向かい合わせで腰を下ろした二人の男が、共にまとうのは武人の威圧感。動作に隙がなく、常に引き絞った弓を思わせる緊張感だった。


 口を開いたのは、プトーコスと呼ばれたバンダナの男。


 「布陣して見合っておる所か」


 「はい、今朝ネビーズより約四百の兵が進軍して参りましたが、寸前の所で渡河を阻止し、布陣が間に合いました」


 「寸前では無かろう、見事な布陣だ。準備していたのだろう?」


 「ネビーズのアスィスは欲深い男。先に仕掛けてくる事は予想しておりました。根地の森を踏破しての奇襲の情報も掴んでおり、罠を張って置きました」


 「根地の森には干渉するな。この地に代々伝わる言葉だ。……しかし流石はエラポスの領主となっただけの事はある」


 「ええ、指導者に恵まれましたからね。特に前任の領主には絞られました」


 「そんなに厳しくはしてないだろう」


 「あれで加減していた等と言われたら、本気を想像しただけで吐きそうですよ、前領主殿。今は特務遊撃隊隊長ですか」


 二人の武人はフフンと愉快そうに笑った。


 川を隔てた弓箭兵による防衛戦術は、三代前の領主によって確立された物だが、前任の領主プトーコスの達人の域を超えた弓術によって、その能力は飛躍的に高められ、現領主オニュクスによって更に鍛えられている。


 扉がノックされ、ワゴンに乗った茶が運ばれてくる。

 メイドが茶を支給し退出するまで、しばしの無言。

 カチャカチャと食器の音だけが、応接室に響く。


 扉が閉まると、今度は領主オニュクスから口を開く。


 「しかし戦も始まっていないのに、プトーコス卿がいらっしゃるとは、何か新たな情報でも?」


 「クアッダが第三勢力の構築に動いておる。どの程度糾合出来るかは分からんが、クアッダの動きを牽制する為にパライオン川に掛かる橋を尽く落として来たのだ」


 バンダナの男プトーコスは空中の地図のパライオン川をなぞる様に指を動かした。


 「それにワシの経験によると、勢力乱立の時にはどこにも属さないヤカラが、隙を縫って漁夫の利を得ようとするものだ」


 領主オニュクスは、茶を飲む手を止める。


 「エラポスとネビーズが戦闘状態になれば、川を挟んでの攻防になるのは自明の理。となれば漁夫の利は、軍隊の出払ったここエラポスと言う事になる」


 一呼吸おいたプトーコスは茶に口を付け……。


 「しまった!今日はもう三杯の茶を飲んだのに!四杯目に口を付けてしまった!」


 「またゲン担ぎですか。相変わらずですね」


 「何を言うか、ワシは今までずっとこうして勝ち続けて来たのだ。何か良からぬ事が起こらねばいいのだが……」


 眉間にシワを寄せ、真剣な面持ちで腕を組む、かつての師匠であり現在の帝国軍重鎮であるプトーコスを見て、オニュクスは優しく笑う。


 その時。

 慌ただしいノックの後、一人の兵士が応接室に入ってきた。


 「申し訳ありません!失礼とは思いましたが、可及的報告が御座いまして」


 「良い、申せ」


 「は!根地の森に入った部隊が消息を断ちました」


 二人の武人は互いに顔を見合わせ、そして視線をカップに落とした。

 ……四杯目に口を付けてしまったカップに。



 『大漁なの』


 『お見事ウキ』


 眼前には目隠しと猿轡をされた兵士が、大勢横たわっている。

 その数、エラポスの兵百名、ネビーズの兵七十名。


 そう、俺とリンクスは今、根地の森に居る。


 ラアサの依頼で帝国遊撃隊を追跡して、パライオン川を南西に下り、大河と合流した所にある街を視界に収めた時。


 『サルいるの』


 リンクスの言葉で、根地の森が近くにあることを知る。


 『ようこそリンクス様。とその兄上ウキ』


 大河を泳いで渡ると、見事な二列縦隊で阿修羅ザルは俺達を迎えた。

 馬って泳げるのな。

 犬かきならぬ「馬かき」で器用に泳ぐシロとクロのシルエットは、長い首のせいか、ネス湖のUMAを思わせた。


 阿修羅ザルの軍団を前にした俺は、自動アップグレードを発見した。

 意識した対象と、念話が出来る様になっていたのだ。


 さらばダダ漏れ。

 ようこそプライバシー。


 モードCの竜化とかで、もっと機能拡張してんじゃね?


 そう思った俺は、左肘に竜骨を打ち付け竜化すると……。

 整列していた阿修羅ザルが逃げ散った。凄い速さで。


 『……兄上様で間違いないウキか?』


 めっちゃビビられた。


 結局モードによる機能拡張は無かったが、阿修羅ザルの呼び方が「兄上」から「兄上様」に変わった。

 全体チャンネルも個人チャンネルもコツは掴んだ。

 グループチャンネルは阿修羅ザルの個体が認識出来なかった為、迷子担当大臣のサルに任せた。


 そして俺達は、罠を仕掛ける為に森に入ってくる、エラポス兵を逆に罠にかけて捕縛する。どうするか考えている所に、ネビーズ兵の根地の森侵入が知らされ、こちらも罠に掛けて捕縛。間抜けな追加の兵も捕縛。


 そして今、縛られて転がる両陣営の兵を見ながら、俺は「考える人」のポーズをとっている。考えるドラゴンですけど。


 殺してしまえば開戦の引き金になるかも知れないし、食わせる食料の備蓄も無い。お帰り頂く他無さそうだが……。



 その夜、川を挟んで睨み合っていた、ネビース、エラポスの両陣営から、同時に黄色と白の光球が打ち上げられる。


 停戦の合図である。


 「川から何か流れて来ます!」


 前線の兵の報告に、両陣営とも斥候を放つ。

 暗い川の中央で相まみえた両陣営の斥候であったが、流れてきたモノを見て戦闘を後回しにした。


 流れて来たモノは互いの陣営の兵一人ずつ。


 警戒しながらも、両陣営の斥候は、スマキにされて流れて来た味方を回収して引き上げた。流れて来た兵が根地の森に侵入した兵と判り、混乱する両司令部。


 「更に川から流れてくる物多数あり!」


 ソレが根地の森に侵入した兵と見た両陣営は、停戦の合図を上げ互いに救助活動に入った。



 「んで、全員帰って来たって?」


 「全員無事だ」


 ツーブロックの茶の髪、タレ目の男が問う。

 答えるのは黒縁メガネの男。


 情報を集めていざ根地の森に入ろうかとした時に、停戦の合図を見たダファーは、ネビーズの陣に取って返し、救助活動に参加した。


 次々と流れてくるスマキの兵を救助し、その場でエラポスの兵は引き渡し、交換にネビーズの兵を保護する。

 流れてくる兵がいなくなったのを確認して互いに兵を引き、今は救護班のテントで情報を集めている。


 「どういう事なんだ?」


 「救助された兵から事情を聞いているが、根地の森に住む六手猿の群れにドラゴンが君臨したらしい」


 「はあ?意味が分からんぞ。何でドラゴンが六手猿喰わねえんだ?」


 「私に聞くな!私に聞けば何でも判ると思ってるだろ!」


 黒縁メガネの男ニザームは、自らを落ち着かせる為にコホンと咳をした。


 「ドラゴンに指揮された六手猿が、組織的に動いて捕縛された。と救助された兵は言っているらしい。この事態に対応する為に、大隊長の謹慎が解かれたのは朗報だが……」


 「種族の違う魔獣が組織的にって……何かとんでもない事が起こってるんじゃないのか?エラポスと戦争なんてしてる場合じゃねえんじゃねえか?」


 「うむ、とにかく私は一時軍を退く提案を市長にするから、お前も大隊長に後退を進言してくれ」


 二人は互いに頷き合って、救護班のテントを後にした。



 「ドラゴンを頭目とする新たな勢力……信じられんな」


 エラポス領主オニュクスの城、その会議室。

 領主オニュクスを始めとした、部隊長が顔を連ねる。


 「ネビーズと交戦状態に入った場合、根地の森の勢力に対して無防備になります。ここは軍を一旦、街に引き上げるのが賢明かと」


 「賛成」

 「賛成です」


 「ふむ、本格的な開戦を前にエラポスを失う訳にもいかぬが……。ネビーズと根地の森双方への見張りを強化、ネビースの部隊の様子を見る」



 翌朝。


 オニュクスの命令により、エラポスの軍が退くのに合わせて、ネビーズの軍も後退した。

 聞き取り調査の結果、驚愕の事実が明らかになったのである。


 根地の森の捕縛事件に呪画士の関与あり


 異種魔獣の協力組織と共に、その組織にニンゲンが加わっている。

 前例の無い事態に、オニュクスは自室にプトーコスを招き相談をし、本国の指示を仰ぐ事にした。



 こうして、共和国と帝国の開戦は延期されたのである。



 

 


ここまで読んで頂きありがとうございます。


次回更新予定 日曜日 20時

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