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123話 それぞれの明日へ

 春。それは芽吹きの季節。

 雪を割って草が生え、寒風をしのいだ木の枝からは、新芽が顔を出す。


 太陽は力を取り戻し、光と熱の恵みを大地にもたらして、冬の間停滞していた命が、その活動を一気に加速させる。


 だがその恵みの光を受けられるのは、厳しい冬を耐えぬいた者だけ。

 知恵無き者は厳しい冬を越す術を知らず。力なき物は生命の糧となって命の鎖の一部となる。


 ここにもまた、この冬を越えられなかったモノがある。

 酷い空腹に見舞われ、自らの手足を喰らい、頭脳は機能しなくなり、体の各部がバラバラに離れてしまったモノ。


 「陛下。旧共和領シャマンとファラーウラが、そろって属領となる事を求めております。如何なさいますか?」


 「議会を招集しろ。余はこの夏で国王を引退するつもりだ。これから先の事は、これからの王に決めてもらった方がいいだろう」


 濃い髭を触りながら、クアッダ王は笑って答えた。


 「しかし共和国……何とも呆気無い事で御座いますな」


 「戦争は経済を圧迫する。開戦と同時に経済制裁をかけられ、国のトップが死んだのでは国として方向を見失って当然だろう」


 コーヒーの替りを淹れた老執事は、クアッダ王の向かいのソファーに姿勢正しく座り。背筋をのばしてコーヒーカップを傾けた。


 かつてこの地方の二大勢力として武威を誇った共和国。

 その共和国は、冬を越える事が出来なかった。


 最高議長の死に因る中央議会の混乱。その場凌ぎで無計画に出される追税。統制の緩んだ軍の、略奪等に代表される治安の低下。

 人々の不満は限界を超え、共和国に属する都市は次々に離反を宣言し、遂に共和国は瓦解したのである。


 「時に陛下。国王を辞任なさった後は、どうなさるお積もりなので御座いますか」


 「そだな……」


 ソファーに方胡座をかいたままコーヒーを飲むクアッダ王は、窓の向こうの晴れ渡った空へと視線を転じた。


 窓の外の中庭からは「ヒャッハー」の掛け声と共に鍛錬を繰り返す兵士達の声と、「大開放はもっと……こうなのである!」「こうって……判らん!」等の声が響いていた。



 春の青空を飛び去る、大小八枚の翼を持ったドラゴンを見上げる、濃い金髪の少年の姿があった。

 レフコン海に浮かぶ帝国本島。帝都の城下町である。


 「兄ちゃん!また根地の魔王が来てたみたいだぜ!」


 「皇帝陛下殿は魔王と良好な関係の様だな。だが瓦解したとは言え共和国と正式に終戦協定を結んだ訳ではない。俺も早く怪我を治して傭兵に復帰しないとな」


 「あなた〜もうすぐ医者に行く時間ですワ。準備してくださいね」


 少年の視線を追う様に、窓から身を乗り出して空を見上げる男は、脚に添え木をして、松葉杖を手にしていた。


 「兄ちゃん、まだ無理しちゃだめだぜ。西方遠征から帰ってきたばかりだろ?」


 「そうですワあなた。まずは怪我をきちんと治して下さいね」


 「判った判った。おい、一人で歩けるから。そんなにくっつくな。恥ずかしいだろうが」


 「私は恥ずかしくなんてありませんワ。あなた」


 明るい金髪の美人に寄り添われた松葉杖の男は、照れくさそうに頬を掻いた。


 「いいじゃん兄ちゃん。姉ちゃんはずっと兄ちゃんの帰りを待ってたんだから」


 「ヤイヤ、今日は騎士見習いの仕事は休みなのか?」


 「今日は夜勤だぜ。昨日言ったろ?」


 そうか?と再び頬を掻く男は、照れくさそうに妻の肩に腕を回して、体を支えられながら戸外へと出た。


 「しかしあのイニドリス村のすぐ近くの、根地の森に魔王が眠っていたとはな……好戦的な魔王では無いと聞いているが、今思えば恐ろしい事だな」


 「きっと何百年も眠ってたんだぜ!凄えよな!」


 「いや……だからラティー……そんなに押し付けないでくれ。その……益々歩きにくいんだが」


 「ほら、行きますワよ。ゆっくり」


 ヤイヤと呼ばれた闊達そうな少年と、ラティーと呼ばれた美しい妻に両脇を支えられ、男は城下町の道を、医者へとゆっくりと歩いて行く。

 美しい妻のたおんたおんに揺れる胸を、左腕に感じながら。



 砂浜には穏やかに、繰り返し波が打ち寄せていた。

 その砂浜に、一艘の小舟が辿り着く。


 「殿下、ここからアジスタン……アニキ殿の話しでは、ここから東に絹で出来た道があり、遠く東の果てまで続いているらしいんで」


 眠そうな目をした、ツーブロックに頭脇を刈りこんだ男が、そう言って先に小舟を降り、ロープを引いて小舟を砂浜に引き上げる。


 「ダファー、それ騙されてますよ。シルクロードは絹で出来た道ではありません。ですがアジスタンには垂直に切り立った山や、長大な国境壁がある筈です。古代の文化も残されているとか……楽しみですね」


 黒目黒髪の精悍な顔立ちをした青年は、船を降りると未ださほど濃くはない髭に手をやって、青い春の空を見上げた。


 「殿下、本当に荷物はこれだけで?」


 「ああ、旅の荷は軽い方が良い」


 「まあ、ポーションが沢山あるお陰で、治療の道具が要らないのは助かります」


 「ポーションですか……出来ればもう……飲みたくないですね」


 殿下と呼ばれた青年はほろ苦く笑い、ダファーと呼ばれた男をお供に、海岸から森へと分け入って行った。



 「う〜む。完璧な法ですね。クアッダ王は一人でこれを作り上げたんですか?」


 「アタイはちゃんと知らないけど、ファーリス王子が色々助言してたらしいし」


 ネビーズの街、旧市長執務室。

 「ネビーズ領主」と書かれた板の立つ、大きな執務机に座る若い男が、人差し指でクイっと黒縁メガネを上げて、紐で括られた書類に再び目を落とす。


 執務机の脇、部屋の入り口近くに設けられた小さな机には、垂れ耳の犬系亜人が座っている。

 その小さな机に建てられた肩書を現す板には、こう書かれてあった。


 「今は秘書だが未来の嫁(仮)」


 書類の紙をめくった黒縁メガネの男が、ピタリとその手を止める。


 「ファーリス王子が助言って言いましたか?リース」


 「うん」


 「ファーリス王子は十歳で西方へ旅に出たと聞いています。と言う事はそれ以前に、幼少の頃に国の法に関する助言をいていたと言う事ですか」


 「詳しくは知らないし」


 「魔王殿が認めるだけの事はありますね。あなたもですよリース」


 リースと呼ばれた犬系亜人の少女は、その言葉に嬉しそうに大きな瞳を輝かせて、「うん!」と元気よく頷いた。



 「また居ないのだ……」


 「いいから早くこの氷室空けるの手伝えよ。日が暮れちまうゼ」


 「九十九連敗……」


 青・赤・白の髪をした三人の男女は、土に汚れた手で互いに言葉を交わした。

 体に張り付く鎧は身に付けておらず、魔獣の革で作られた服に身を包んだ彼らは、森の亜人と変わらぬ暮らしをしていた。

 一日一回の魔王との決闘を除いては。


 「メントル、ニキティス、ここまだ土になってないよ!今週中に種植えしないと兄ちゃんに怒られるんだよ!」


 「「はいはい」」


 メントル、ニキティスと呼ばれた青と赤の髪の男達は、ポニーテールの少女に呼ばれて、素直に従う。


 「アフマル……私は……」


 「カロは水路見て来て、何か詰まっちゃうんだよ」


 「……判った」


 カロと呼ばれた女も、少女の言葉に極自然に従う。


 「サールー!どーこー!」


 ポニーテールの少女は、誰かを呼びながら、森の中へと駆けて行った。



 「ラアサ様、新築した宿が明日から開業できやす」


 「やっと完成したかぁ。これで旅のもんを寒い仮宿に寝せなくて済むなぁ」


 イワンと名付けられた、カップケーキの外壁を持つ交易街。

 中心の井戸の上に増築された領主の館で、ラアサと呼ばれた男はほっとした顔で笑った。


 「おい、ラアサ様じゃねえだろ。領主様だろ?」

 「それ言うなら領主殿だろ?」


 領主の執務室は、仕事が一段落した者が常に集まり、いつも賑やかだった。


 「ラアサ様、仮設の宿なんすが、アレはアレで安くてイイって客も居まして。使えなくなるまで残してイイんじゃって話も出てるんすが」


 「ふ〜む、けどあの場所にゃ別のもん建てる予定なんだよなぁ。まぁ準備が出来るまで保留にしとくかぁ」


 「おい、だからラアサ様じゃなくて、領主様だろ?」

 「だからそれ言うなら領主殿だろ?」

 「殿って対等より上なんじゃねんのか?よく知らねえけどよ」


 ニヤケた男は、肩書だけは一応役人となったかつての盗賊達の、変わらぬ姿を見て「くくくっ」と笑った。

 肩書だけで偉くなった気にならない彼らを見て、「このまま変わらなきゃ良いなぁ」と心底思った。


 「まぁ、オレも領主様なんて呼ばれてもムズ痒いだけだし、今まで通りでいいさ」


 「「「へい!」」」


 執務室にたむろする者達は、嬉しそうに返事をした。



 「兄上様……居ないウキ」


 「何を言ってるんだサル。俺は目の前に居るだろう」


 言葉を話す様になったサルは、根地の森の地下に掘られた魔王の家で、目を閉じて腕組みし座っている俺に、ジト目で話し掛けていた。


 「リンクス様も居ないウキ」


 「なに言ってるのーリンクスも居るなのー」


 瞑想するかの様に座る金の翼竜の左脇に、もたれる掛かって眠るリボンを付けた金の竜人は、棒読みに返事をした。


 「ばか!リンクス!お前は寝てるんだから、返事しなくて良いんだよ」


 「あ……テヘペロなの」


 「……やっぱり居ないウキね……一体今何処ウキ?」


 くそ、もうバレたのか。

 鋭いな……サル。


 折角飛べるんだし、世界の色んな所を見て回りたい。

 そんな純粋な欲求は、意外にも認められなかった。


 国として認められる様になってしまった根地の森は、毎日の様に同盟や庇護を求める街の代表団が訪れ、時折他の地域の魔王の訪問を受ける事もあった。


 魔王クラスは「居ない」と言えば「また後日」って帰るんだが、ニンゲンの代表が帰らない。

 切羽詰まってるのかも知れないが、数日森を開けて戻ると、大量のニンゲンが謁見を求めて持ち詫びている。


 そのニンゲンとの会談が、煩わしい事この上無い。


 完全従属を申し出る街の代表は良いのだが、よくいるのが「俺の交渉術で有利な同盟を結んでやる」って意気込んでる輩や「魔王に譲歩さしたった」と言う部分的勝利を謳って政治的にアピールしたいヤツらだ。


 サルと鉄子を補佐役に、アフマルに決定権を持たせてみたが、ニンゲンは相手が子供と見ると、魔王の名代と紹介されてもあからさまに不満を訴えた。


 結果身内からも不満が出る。


 「間接的に、兄ちゃんがバカにされてるみたいでヤダ」


 「出来れば長く森を空けないで欲しいウキ」


 「もう愛人でもいいので、お願いします」


 鉄子のお願いは意味不明だったが、三日と森を開けられなく無くなった俺は王の不自由を身を以て感じ始めていた。


 そこで俺は一計を案じる。

 

 俺はマリアから貰ったスピーカーと中継器を使って、森にカカシを残してお忍びで旅行に出る事にした。

 ニンゲンの謁見は時間を決めて一日一時間とかで良い。どうせ譲歩なんかするつもり過剰な貢物を貰うつもりも無いんだから。


 イエスとノーと帰れ。

 この三つの言葉を告げるだけなのに、森に縛られるって勿体無いだろ。


 「……で、今は何処ウキ?」


 「えっと……すまん。アフマルと鉄子呼んで来てくれ。他のヤツには内緒でな」


 俺は三人に、丁寧に正直に気持ちを込めて説明した。

 言い訳がましい説明が三十分にも及ぼうとした時。


 「ふふっ」


 っとアフマルから笑い声が漏れる。


 「兄ちゃん真面目だね」


 「そうですよアニキ様。アニキ様は王なのです」


 「配慮は嬉しいウキ。でも命令すればいいだけウキ」


 え?いいの?


 「最初から話して下されば良かったのに」


 「だよね」


 三人は協力して「上手くやる」と約束して、俺のわがままを聞き入れてくれた。皆良いヤツらだなぁ。


 「すまんな」


 「そう言う時は、ありがとうだってリンクスが言ってたよ!ね!」


 「ありがとなの」


 たった一日でカカシに気付かれた俺達だったが、サルも鉄子もアフマルもちゃんと話したら理解してくれた。アフマルは自分も連れてってとせがんだが、見知らぬ土地でどんなヤツが敵になるか知れない所に、アフマルを連れて行くのは躊躇われた。

 シルシラの話ではもう一人前以上に戦えるとの事ではあったが。


 「よその魔王が決闘を申し込んできた時は、予定を組むから戻って欲しいウキ」


 決闘の申し込み……あるのか。


 「で、兄ちゃん達今どこ?」


 「ん?今か?」



 俺達は、暗い夜の海上を東に向けて飛んでいた。

 場所は太平洋上。


 「半殺しおいしかったの」


 おはぎな。


 昨夜ヤマトに立ち寄った時に、リンクスはおはぎの虜になった。

 「もう餡がございませぬ」って言われるまでお代わりしてた。胸焼けとか無縁なんだろな。


 「次の国にも美味しいお菓子ある?」


 「ああ、きっと珍しいお菓子あるぞ」


 「楽しみなの!オシノビ楽しいの!」


 旅行とお忍びがごっちゃになってるが、リンクスが楽しそうだからまあ良いか。


 東の水平線が明るさを増して行き、やがて太陽がその端を海面から顔を覗かせる。俺はリンクスをしっかりと抱えて、産まれたばかりの朝日へと飛ぶ。

 まだ見ぬ世界に軽い興奮を覚えながら。







 朽ち果てた家屋が濃い苔に覆われた森の中。


 一匹の小さなトカゲが立った棒の先端でキョロキョロと周囲を見渡し、身の危険を感じてチョロリと棒を駆け下りる。


 その棒は円筒状の金属から空に伸びていたが、地面に半ば埋もれ、全体にびっしりと苔むすその物体が、かつてオノマに因って生み出された鋼の槌だった事を知る者はもはやこの地には居ない。


 苔むした鋼の槌は、一度も使われる事無く、何者を傷つける事も無く、やがて土に帰る時を静かに待っていた。


 自らの滅びに満足しながら。


旅はまだ続く様ですが、物語はここで終了となります。


長い間お付き合い頂き、誠に有難う御座います。

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