119話 爪痕
「感謝します、ニンゲンよ」
「ゆっくりしてれば良いじゃないか。その方がリンクスも喜ぶ」
根地の森、南側外縁。
俺とリンクスは、森の魔獣達や亜人達を従えて、マザーとレヒツとヒーアの見送りに来ていた。
俺の姿はモードA人型。
亜人から譲り受けたボロい貫頭衣を着た俺は、この森の魔獣や亜人を統べる魔王にはとてもじゃ無いが見えないだろう。
リンクスは、見慣れた黒髪オカッパに、赤地に白い水玉模様のリボンを付けた姿だ。リボンも大分くたびれて来たが、新しいのは要らないらしい。
人型の俺の体は、相変わらずちっちゃいままだったが、変化もあった。
体は引き締まって力が漲り、髪は銀のリーゼントから金髪のサラサラへと変わっていた。何の意味があるんだ?イミフだ。
それよりも大きな変化。それは「声」を得た事だ。
支配したオリハルコンで声帯を作り、振動を制御する事で音を発する。
今は練習の為に、敢えて声を出す様にしている最中だ。
「食料が足りません。ここでアナタの配下の者を食べ続ける訳には行かないでしょう?私達は食欲の赴くまま世界を巡って命を喰らい、選ばれし時に備えねばなりません」
食欲の権化、ドラゴン。
世界中を回って魔獣を喰らい、遺伝子情報を集めて霊峰とやらに届ける、リニュー災害以後に産まれた謎多き新種。
何故産まれ、何故集め、誰に届けるのか。俺はドラゴンという種に改めて好奇心を刺激されつつ、マザーと握手を交わす。
「今度は捕まるなよ」
「フフフッ。リンクスがミガワリノゴフと言う連珠をくれました。黒籠を防ぐそうです」
「そうか。ソレが使い捨てか時間で復活するかはまだ判らんが、足りなくなったらまた貰ってやるから」
マザーは「その時は頼みますね」と頭を下げ、小さな俺の手を強く握りしめた。
痛い、痛いですよマザー。
最後にとばかり、右脇と股間にグリグリするレヒツとヒーアを暖かく見守りながら、マザーは「リンクスを頼みます」と再び頭を下げた。
「おおぉ。我らが魔王様に成竜が二度も頭を……」
「魔王様のお声の、何とお優しい事よ……」
「あの声で夜通し囁かれたらワタシ……はぁん」
周囲の亜人達から囁きが漏れ聞こえてくるが、鉄子的な何かが居るな……発声は自重するべきか……。
「ママ……またね。なの」
リンクスがマザーに抱きつく。
優しくリンクスを抱擁するマザー。
「強くなりましたねリンクス。あの時……お前を見捨てる覚悟でニンゲンに預けたワタシを……許して……ごめんね……本当にごめんねリンクス……」
マザーの閉じられた目から、一筋の涙が流れる。
「ありがとなの。お兄ちゃんと一緒だったお陰でママも助けられたの。だからごめんじゃ無くてありがとなの」
「本当に強くなりましたねリンクス。……ありがとう」
リンクスは、マザーの胸に顔をグリグリと押し付けて甘えた。
思い返してみれば甘えて当然だ。リンクスとあの洞窟で出会ってまだ半年。スゲー色々あったが、半年しか経っていない。
まだちっちゃかったリンクスが、俺と共にマザーの元を離れたのは生後何ヶ月だったんだろうか。
「レヒツとヒーアも頑張るの。今のままじゃリンクスに片手でケチョンなの」
感動的な抱擁が、もう暫く続くかと思われた矢先。リンクスが、腰に手を当てて二体の竜人に説教を始めた。
しゅんとなって、申し訳無さそうに項垂れるレヒツとヒーア。
「お兄ちゃんと居た時みたいに、毎日本気でじゃれるの。レヒツはもうちょっと周り見るの。ヒーアは重心が後ろ過ぎなの」
その場で武術指導が始まりそうな程、熱心なリンクスの言葉に、俺はふと気付いた。
本当は一緒にじゃれたかったんじゃ無いか?あの頃みたいに。
いつの間にか開いていた力に、失望とまでは言わないが、ちょっとガッカリしてるんじゃないのか?
強敵との戦いを重ねたリンクスは、着々と経験と力を蓄え、今ではレヒツやヒーアと本気でじゃれ合う事が出来ない。
早くママを守れる位になれとか、もっともな事言ってるが本心はまた一緒にじゃれ合いたいんだろうな。
でも、もうその位にしといてやれ、項垂れた首が地面に落ちそうだぞ。
抱擁よりも遥かに長い時間説教したリンクスは、「お腹空いたからこの位で勘弁するの」と言って再びマザーに抱き付いてから、俺の左隣りに戻って来た。
「じゃあ元気でな」
「またねなの」
俺とリンクスは、レヒツ、ヒーア、マザーと順にハグし、旅立つドラゴン達に手を振る。
様々な魔獣が遠吠えを上げ、亜人達が拍手し、遠ざかるドラゴン達を見送る。
遠く小さくなったマザーは、一度だけ振り向き森へと消えていった。
その顔が満足気に見えたのは、きっと気のせいじゃ無いだろう。
大丈夫。リンクスは俺が守る。
命ある限りずっとな。
「翼竜、いや根地の魔王よ」
マザー達が見えなくなっても、名残惜しそうに暫く森を見つめる俺達に、声が掛けられる。
振り向いた先に居たのは、白、赤、青の三人の勇者だった。
「そうか、お前らも帰るか。今回は助かったよ」
「勝負だ魔王」
ふぁ!?
「お前と戦う為にヒエレウスと縁を切り、お前と戦う為に根地の森に赴き、お前と戦うために獅子竜と敵対したのだ。今度は我らの相手をして貰おう」
言い回しから、戦いたさがヒシヒシと伝わっては来るが、お前らミ・ディンに負けたじゃん?そのミ・ディンに俺達勝った訳じゃん?つまりその……言わなくても判るよね?普通。
「さあ!変身しろ魔王!リンクス!我らの連携を見せてやるのだ」
「負けた時の言い訳は許さねえゼ!」
「リンクス……勝負……」
何勝手に盛り上がって身構えてんだよ。もうランク付け済んだろうが!
大体お前ら、鎧はボロボロだし、白に至っては素手じゃねぇか!
コレはアレか?ポーションの中毒症状で好戦的になってんのか!?
「俺達相手に変身するまでも無えってか!?後悔するゼ!」
「リンクス……その槍……貸して……」
「魔獣達の援護は無しで頼むぞ、フェアーにな」
散開して武器を構える勇者達。
いやいや、フェアーとかそもそも三対二ですけど?グッタリだし腹ペコだし戦う気ありませんけど?ってかリンクスはどうして漆黒の短槍を白に貸してるのかな?白もありがたく借りてますけど!?
「いざ!推して参る!!」
ウゼェェェ!不屈の勇者共、超ウゼェェェ!
◇
「それで、アニキ殿は、リンクスちゃんは無事なのか?」
「はい陛下。兄貴もリンクスちゃんも無事だそうです。ラアサ殿もフェルサの野郎も無事です。ただ……」
「ただ?」
「引っ叩いても、逆さに吊るしても起きないフェルサの野郎をここまで運んできたラアサ殿も、今は昏睡状態に……」
クアッダ王国、いつもの会議室に集った武官文官の面々は、ほっと胸を撫で下ろした。
「つまりは、死闘であったと……」
「その様です。根地の森は周辺を含めて大きく地形が変わり、ファーリス様はポーション中毒の症状が重く根地の森に留まったそうですが、獅子奮迅の活躍だったとか」
「ふむ」
クアッダ王が、そっけない言葉とは裏腹に、テーブルの下で小さくガッツポーズを取ったのを、老執事は見逃さなかった。
「詳しい状況は、ラアサ殿が昏睡から覚めてからと言う事になりましょうが、兄貴がひょっこりここに来る方が早いかも知れません」
「それで国の状況はどうか」
視線を受けた文官が、一つ咳払いをして発言する。
「昨日の嵐で城下にも二本の竜巻が発生。二百余りの家が倒壊しましたが、避難指示が厳重だったお陰もあって、地下室に避難していた国民に死者はありません。近隣の村や二つの鉱山には現在、人を派遣して被害状況を調べている所です」
「またもアニキ殿に救われた……と言う事であるな」
そう口を開いた傭兵団長イーラと隣で頷く第一将軍ナハトの二人は、体中至る所に包帯が巻かれている。
嵐の中、リンクス親衛隊を自認する三十人の鬼神を引き連れ、土木部の連中と共に堤防の決壊を防ぐ為に、剣をスコップに持ち替え奮戦していたのである。
イーラに至っては竜巻相手にスコップで山崩しを見舞おうとして、部下に止められたとの目撃情報まである。
いずれにせよ、ここクアッダではアニキの伝えた「災害級」との言葉を国王が重く受け止め、最大限の避難を行った為に最小限の被害で済んだのであった。
同じ様に、魔王から避難指示を受けていたネビーズとエラポス。
この二つの街は運良く竜巻の直撃を免れ、暴風で老朽化した家屋や小屋が何棟か倒壊しただけで、死者は無かった。
エラポスからの第二陣として、大河アルヘオ近くまで進軍していた部隊が、飛んできた大樹の直撃を受けたが、百名程の負傷者で済んだのは不幸中の幸いだったろう。
一方、甚大な被害を受けた地域もある。
根地の森から北北西。
帝共両国の戦場となっていたヒポタムス周辺である。
元々標高が高く、山間に街があるこの地域は強烈な雷雨に見舞われた。
陣まで後退した共和国軍は、度重なる落雷に機装の電源系統がやられて動かなくなり、進退極まった。
それをヒポタムスから見た帝国軍は「天罰だ」と歓声を上げたが、数分後土石流に街ごと飲み込まれた。
土石流は機装を失った共和国軍にも襲いかかり、帝共両軍は半数以上の兵と、守るべき街と、攻略すべき目標を失ったのである。
数時間後、血と泥にまみれ、ようやく雲の隙間から覗く青空を見上げた両軍であったが、更なる悲劇が待ち受けていた。
獣化である。
食料に貧した両軍は、手持ちの武器で魔獣を狩り、餓えを満たすことになる。
だが彼らには火が無かった。
火を起こす道具は軒並み土石流に飲まれ、オノマも何故か使えない。
彼らは躊躇いつつも餓えには勝てず、魔獣の肉を生で口にした。
獣化は立ち所に始まり、亜人となって自我を失ったニンゲンはニンゲンを襲い、獣化は爆発的に広がった。
無論全てのニンゲンが獣化した訳でも無ければ、獣化して亜人となった者が全て自我を失った訳でも無い。
幾人かは餓死寸前まで生肉を口にするのを我慢し、数日後何故か使える様になったオノマで肉を焼いて食べた者も居れば、獣化しても自我を持ち、ニンゲンに襲われる事を恐れて森深くに姿を消した者も居た。
ミ・ディンが引き起こした古代オノマの暴走は、不思議な事に殺意の水位が高い場所で、より甚大な被害を引き起こしたのであった。
◇
「局長……これはどういう事なのでしょうか?」
問われた男は、深い溜息と共に頭を振った。
地表から四百キロ上空、車輪型の宇宙ステーションスローンズの軸部分。
地球観測を任務とする者達が集うその部屋で、局長ジョンソンは何度目かの口付けをした。空のコーヒーカップに。
「発生も成長も異常な嵐でしたが……消えるなんて……」
「各種計器平常時を示唆、目視でも積乱雲は確認出来ず」
局長は自らの判断の限界をあっさりと認めた。
「月のオファニエルはなんと?」
「え、はい。……自然現象とは考えられず、ライブラが関与しているとの意見が多数を占めるとの事です」
空のカップを手にしたまま、室長は独り呟く。
「ライブラが引き起こした災害……だとするならば沈静化させたのもライブラと考えるのが妥当か……光竜リンクス……何とかしてコンタクト取れぬものか」
局長は知らなかった。
月面基地オファニエルでも同様の意見が出され、通信施設設営とライブラのサンプル採取を目的とした地球降下作戦案が提出される間際だった事を。
そして降下部隊の裏任務として、光竜リンクスとの接触が計画されている事を。
◇
「どや!」
「ま、参りました」
「竜にならずとは……言い訳出来ない……ゼ」
「槍……返す……」
あー疲れたし腹減った。
もうこいつら喰っちまおうかな。今ならオリハルコンごとゴックン出来る気がする。
俺とリンクスは、しつこい程に不屈な勇者達をやっと撃退した。
モードB盾剣で。
てか、こいつら汚えよ。
フェアーにとか言っといてポーション使うしよ、誰から貰ったポーションで誰に掛かって来てんだよ。
だが良い訓練にはなった。
オノマ戦闘の。
開幕早々「なんちゃら陣」とか言って合体オノマを使おうとした勇者共に、スピーカー十個出して絨毯爆撃食らわしたった。
やつら「卑怯な!」とか「何故爆発する!?」なんて言いながらポーションゴックンして、即第二ラウンド挑んで着やがったが、それは爆発じゃない。延焼だ。
オノマの多重詠唱で同時に産み出した十個のオノマ。半分は火、半分は酸素と水素のエアボールだ。
このエアボールを、ライブラが反応抑制する手前の膨張速度で延焼する様に追加投入して、火炎以上爆発未満に火力調整してある。
確かに白の動きは流麗さを増し、赤の攻撃は多彩になり、青の攻めはより戦術的になった。
だがモードBより上を使う程じゃあ無かった。
なんせ今の俺にはこの声がある。オノマばかりが声の利点じゃあ無い。
戦いながらハッタリのかまし放題だ。
「食らえ竜殺しの技を!」って言うだけで防御固めてくれる。
「おい青、受けて見るか?十六芒多重陣氷山天落を」って言った時の青のあの顔。焦りすぎだろ。あんのかよそんな技。
ニヤニヤが止まらん。
リンクスは、白相手に何気に楽しそうにやってたな。
白も鬼気迫る感じは無く、リンクス相手に型の確認でもしてるかの様な、ボレロを口ずさみながらの殺陣の様な。
赤と青が居なかったら、そっち見てたかったのに。
「参ったら、ごめんなさいなの」
「ご……五ラウンド目行くゼ!」
「め……メントルだ、いい加減覚えるのだ」
「ん……楽しかった」
大喜利か!?しかも無理矢理か!?
座布団やらんから、もう帰れ。
「サル、亜人で農耕やってるヤツ呼んでくれ。今度からは森の中で畑作るぞ」
ミ・ディンが砕いてくれた根地の大地のウッドチップも、丁度いい感じに焦げたし、山崩しで出来た溝には大河アルヘオの水が染み出てきた。
これからは俺の支配下に無い魔獣を警戒しながら、森の外縁で畑を作らなくても良くなる。これで食料問題も幾らかマシになるだろう。
『流石魔王様、転んでも只では起きないウキ』
「向こうの荒野も、戦争しないんだったら耕しちまおう。いい感じに貯水池出来てるし」
「ふむ、農耕か。ヒエレウスで幾らか経験があるのだ」
「オイラ結構得意だゼ!」
「……やってみる」
勇者共はどういう訳か、根地の森に居着いた。




