117話 F
俺はミ・ディンを睨み付けたまま、意識を集中させて慎重にモードFへの変身スイッチに手を掛ける。
その存在を感知しながら、未だ一度も試していないモードF。
もしモードFが成竜への変身だった場合、ミ・ディンが襲ってくる。
その危険を考えるが故に、試す事さえ躊躇われたモード。
リンクスが成竜に成長するまでの期間に準備をし、力を付け、いずれは試そうと思っていたモードF。
だが事態はリンクスの成長より早く動いてしまった。
リンクスの命は繋いだ。
リンクスはマザーの元に帰り、ドラゴンとして食欲旺盛にこれからの生を送るだろう。
『俺達は本来この時代に居ちゃいけない存在だ。さあ滅ぼし合おうミ・ディン』
モードFを開放した瞬間。
俺の脳は膨大なエネルギーを欲し、血は全身から糖をかき集めて脳へと運び、体中の細胞は飢餓を訴え、四つん這いに崩れ落ちる。
集められた糖は、特濃ポーション漬けで異常拡張したニューロンを休眠状態から呼び覚まし、更なる拡張を始める。
一次元で産まれた核は、二次元に樹状突起と軸索を伸ばし、隣接する核とシナプスを介して結合すると、三次元にその厚みを増す。
だが縦方向に伸びた軸索は、シナプスを持たずに核を生み出し、拡張を続けるニューロンは徐々にシナプスの保有率を減らしながら、膨張を重ねる。
脳の発熱に耐えかねた体は、大きく口を開き、舌を垂らして激しく呼吸し、そして遂に体が変化を始める。
メキメキを音を立てて隆起を繰り返す筋肉。波打つ赤黒い鱗は徐々に色を失い、透明な外郭となって体を覆う。
ボキンと音を立てて急激に伸びた骨に張り付いて細く薄く伸びた筋肉が、再び隆起して、首を、四肢を、尾を、太く頑強に覆う。肥大化の一途を辿ると思われた肉体が急速に縮む。
上空に渦巻く暗雲から、大量の落雷を引き出し、ソレは立ち上がった。
金色の有鱗目、頭部から後方に伸びた二本の角、前方にせり出した口の先端部から天に伸びた長い突起。
太く長目の首に、全高ニメートルのガッシリとした人型の体躯、ニメートル半の長さを持つ強靭そうな尾。
左腕の盾剣は、波打つ刀身から直刀へと姿を戻し、丸い盾は磨き上げられた鏡の様に周囲を映し出す。
背中から生えた花崗岩を思わせる突起物は、一度体内に取り込まれると純白の翼となって生え変わり、大小八枚の純白の翼が背中を覆う。
そして先程まで透明だった鱗は、金色にその色を変えた。
「金の……竜人だと?成竜の気を感じたが……進化に失敗した様だな」
姿勢を低くして警戒をあらわにしていた獅子竜ミ・ディンは、頭の位置を高くし落胆した様に言い放った。
「翼竜の時よりも小さくなるとは、非力に拍車が掛かるな」
『クワセロ』
「何?」
金の竜人は唐突に動いた。
予備動作も無く獅子竜に肉薄し、その首筋に牙を立てる。
右前足を振って金の竜人を振り払った獅子竜だったが、首筋の鱗と肉が失われ、そこからは血が流れていた。
『モットクワセロ!』
喰いちぎった肉片を咀嚼しながら、金の竜人が再び予備動作無しで獅子竜に迫る。
「二度も虚を付けると思うなよ」
獅子竜は金の竜人の突進を躱し、逞しい尾を金の竜人に叩き付ける。
痛烈な一撃に吹き飛んだ金の竜人は、大樹をへし折って尚も飛び、次の大樹も砕き、次の大樹の幹も半分を削いだ。
大樹を数本なぎ倒して、ようやく止まった金の竜人は、頭を振って立ち上がる。
『ふう、お陰で目が覚めた。しかしミ・ディン、お前凄い密度だな。一口で腹いっぱいだぜ』
俺は変身直後、肉体を制御していなかった。
気絶していたわけでも、怒りに飲まれていた訳でもない。
自分を傍観している様な、第三者の様な感覚だった。言ってみれば瞬きする反射を意識が制御していない様な。
餓えに因る捕食への本能だったのだろうか。だがミ・ディンの肉片を喰らい、強烈な一撃を食らった俺は自分を取り戻した。
俺よりも、かなり高密度なミ・ディンを喰らう事で、俺の中で枯渇していたエネルギーが満たされたのを感じられる。
右手をニギニギし、尻尾をゆっくりと動かす。
『悪くない』
俺は獅子竜の懐へ踊り込む。
支配率が格段に上がった肉体は、無拍子でイメージした動作を瞬時に体現し、至近から放たれる獅子竜の超長剣を防御し、牙を躱した。
今ならミ・ディンやファーリスの動きが理解出来る。
シナプスが伝達物質を放出して、信号の送受信を行っていたニューロン。それが今は直接繋がっている。
この数万分の一秒が積み重なって、微かな反応の遅れになっていたのだ。
焦りは緊張を、緊張はストレスを生み、シナプスからは更に余計な信号が出され、肉体制御の信号を阻害する。
「ほう、動きが良くなったな。だがそんな小さな体ではな!」
『こっちの密度もかなり上がった!力だってな!』
チビチビ言うんじゃねぇよ。コレでも一・五倍カッコ当社比だ。
二十メートルもの巨体からは想像も付かない身のこなしで、零距離から尾を打ち付けられた俺は、またも派手にふっ飛ばされる。すかさず追撃して来た獅子竜が大きく口を開け、その牙で俺を噛み砕こうと迫る。
ガギン
俺は右腕を獅子竜に噛ませ、その牙の隙間から盾剣を突き入れて口内から脳を狙う。
『死ね!』
だが寸前で俺の意図を察したミ・ディンは、咥えた俺の右腕を離し、左手から伸ばした超長剣で盾剣を跳ね上げる。
血の尾を引いて切れる獅子竜の口端。
だが獅子竜は、怯まずに返す刀で俺の胴を薙ぎに来た。
ヤツの剣が速い!だが俺の肌は刃を通さない!相打ち覚悟で盾剣を眉間にぶっ刺してやる!
その時、獅子竜の眉間を睨みつける俺の視界の隅に映る超長剣がブレた。
何だ?本能がけたたましい警告音を発する。
だがもう回避も防御も間に合わない。
「「「躱せ!!!」」」
青い影が獅子竜にタックルし、赤い影が獅子竜が踏ん張る根地の大地をトンファーで砕くと同時に、白い影が俺の膝下から超長剣にカウンターの突きを放つ。
レイピアは正確に超長剣の根本を捉えたが、熱した飴の様にベロンと二つに裂けてしまう。
眉間に突き降ろされる盾剣、体勢を崩しながらも、レイピアを裂いて尚俺の胴に迫る超長剣、その鎧よりも蒼白なカログリアの顔……。
スローモーションな世界は、滅びの危機にある生命の、最大認識力が生み出す現実か、あるは既に起こった事を脳内補完しただけの幻か……。
刺し違えてやる!
俺はオリハルコン製のレイピアをいとも容易く裂いた超長剣が、俺の胴を切り裂く事を予感しながら、それでも突き下ろす盾剣に力を込めた。
『リンクスを苦しめるヤツは許さん!』
キッ
俺は胴体に走る三本の斬痛と共に、離れて行く獅子竜の頭を見た。
紙一重で脇腹を通り過ぎる超長剣と、届かない俺の盾剣。
違う。
ヤツの頭が離れて行ってるんじゃ無い。
俺がヤツから離れてるんだ。
眉間を捉えそこねて、虚しく宙をさまよう盾剣の切っ先の向こう。
獅子竜の巨体が、巨大な力に押され横に跳ね飛ばされる。
直後、耳をつんざく高周波。
「ジョーズ!」
「師匠ぉぉおお!」
そこには、びしょ濡れのラアサとフェルサの姿があった。
『邪魔するな!俺は刺し違えてでもヤツを!……』
「リンクスちゃんを苦しめるヤツは許さねぇんだろ?お前ぇが死んだらリンクスちゃんが苦しむだろうが」
『な……』
唖然とする俺とラアサの間には、今の俺にもやっと見えるかどうかって位の、極細の糸が三本掛かっていた。
これがさっきの斬痛の?
「お前ぇなら斬れねえって信じてたぜぇ。しかし不思議だなぁ。どんなに姿が変わってもお前ぇだって判る。アイツ等も判ったみてぇだな」
ラアサが顎をしゃくってヒエレウスの勇者達を指す。
立て続けに耳を襲う高周波と炸裂音。
見れば、フェルサが二本の板剣を振るって続けざまに山崩しを放ち、獅子竜を押し込んでいる。
「師匠おお!今の内にぃいい!」
お……おいフェルサ!大開放出来るのか!?だけどそんなに連発したら……。
「フェルサのアレは大開放じゃねぇんだ。それより聞こえて無ぇのか?リンクスちゃん呼んでるぜぇ」
何!?リンクスが目覚めたのか!?
遠すぎるのかリンクスの声が小さいのか、俺にはリンクスの声が聞こえて無かった。いつから呼んでた!?
「ちょっとなら食い止めといてやる。行って来い」
「……任せろ……」
「早く戻ってくるのだ」
「これで貸し借り無しだゼ!」
すまん。
俺は頭を下げると八枚の翼を広げ、大樹の間を縫ってラアサが示した方角へ、リンクスの元へと急いだ。
良かった……とにかく良かった。
俺は、いつの間にか悲壮感に捕われていた自分に、気が付いた。
そうだ。俺には死んだら悲しんでくれるヤツが居る。
俺は金の瞳から溢れる雫を拭った。
◇
『お兄ちゃん!』
『リンクス!!』
『痛いのお兄ちゃん』
ああ、スマンスマン。
俺はリンクスを抱きしめる腕の力を抜いた。
『お兄ちゃん金色なの。ガ○なの』
いや、俺的には肩に百……ってそんな事どうでも良い。もう大丈夫なのかリンクス?
『リンクス様にも仲間たちの願いを継いで貰ったウキ。母上様にも……』
そうか……やっぱり目覚めて直ぐ「お腹空いた」って言ったか。ってマザーもかよ。便乗しやがって。覚悟決めて喰らった俺が道化みたいじゃねえか。
『だって……埋めちゃうの勿体無いでしょ?』
『お兄ちゃんに、この子達返すの』
返す?何か貸してたっけ?
『ここでヤツに干渉されるとマズイの』
リンクスはそう言って、銀の鱗を纏った左手を俺の胸に当てた。
リンクスの手が熱い。
見ると、銀の鱗が水の様に波打ち、その表面を鏡の様に変えた。
あ……この状態って……。
『この子達、元々お兄ちゃんに興味あったの。でもリンクス食べちゃったから、ついでに躾といたの』
クアッダ王城に運び込まれたオリハルコンの原石。
数日掛けて不純物を吐き出し、鏡面真球へと形を変えたオリハルコンの塊は、俺が触れたのに反応して、俺を飲み込もうとした。そう、俺をだ。
咄嗟に俺を庇ったリンクスが真球に取り込まれ、帝国本島まで拷問の旅をするハメになったのだが、リンクスは無事真球から脱出し、以来銀の鱗を纏う様になった。
胸に当てられたリンクスの左手から、液状化したオリハルコンが俺に移動し、全身を薄く覆うと金色にその色を変えた。
何だろうこの感覚……。
無条件の信頼、完全なる服従……心からの……理解。
『ずっとお兄ちゃんの凄さを言い聞かせといたの。支配なの』
リンクスは腰に手を当てて、ペッタンコの胸を反らした。
その鱗は銀では無く、以前の赤黒い、マザーと同色だった。
『ヤツ本気で斬るとき超振動させるの。リンクスの支配じゃないから、この子達切られちゃったの』
超振動?支配?
『お兄ちゃんも超振動させれば、ヤツ斬れるの』
さっきの、カログリアのレイピアを裂いたミ・ディンの攻撃を思い出したその時。全身を覆うオリハルコンが瞬時に盾剣に移動し、そしてブレた。
『こ……これか』
『兄上様、向こうがまずいウキ。結界で手も足も出ないらしいウキ』
しまった!
嬉しくて何も考えないで飛んで来ちまった!
レヒツとヒーアが遠巻きに見てたって、俺が抜けちまったら竜の結界が復活しちまうじゃねえか!
『リンクスも行くの』
『ここに居ろ。絶対生きて帰ってくるから』
『お兄ちゃんと皆からパワー貰って、元気百倍オロ○ミンCなの!』
リンクスはそう言って、両手に漆黒の短槍を構え、くるくると回した。
その腰には、宝物が入った小さな布袋が下がっている。
『無理はするなよ』
『らじゃなの!』
◇
「忌々しい……結界が消えたぐらいで意気がるなよ」
「氷壁六角!」
「大車輪炎!!」
「山崩しぃぃいい!」
俺がリンクスを抱えて戻った時、結界の消えた獅子竜はフェルサが放った山崩しの直撃を受けていた。
ベキベキと周囲の大樹を巻き込み、獅子竜を抑えこむ衝撃波は、獅子竜の鱗に小さな傷を付け、血を滲ませる程の威力を持っていた。
衝撃波が収まると、獅子竜が苛立ちをあらわに吐き捨てる。
「おのれポデル!!」
ポデル?フェルサですけど?
「くらええええ!」
赤い剣を持ったエラポス兵が、獅子竜の尾を斬り付け、黒紫の鱗に小さな赤い筋を作る。
ガックリとその場に膝を尽きそうになる兵士を、カログリアがすかさず抱え上げその場から飛び退く。
おい!何やってんだよ!逃げろって言っただろ!
「し、師匠ぉおおおお!」
ど!どうしたフェルサ!やられたのか!?
「もう寝落ちしそうですぅぅうう!!」
ガクッとズッコケそうになるリンクス。
「みんなありがとなの!後はお兄ちゃんに任せるの!」
リンクスの声に、皆が視線を集める。
「き……金の竜人!?」
「いや、あの純白の翼はきっと魔王殿だ!」
「リンクスちゃんも居るぞ!!」
「みんなが近く居たら本気出せないの、避難するの。とってもありがとなの」
『ようミ・ディン。ニンゲン相手に酷い有様じゃないか。お前は一人、こっちは大勢。卑怯とは思わんよ、人徳だ。コワモテが災いしたな』
「リンクス……何故生きている」
『日頃の行いが良いんでな。神様があと二回は助けてくれるとよ』
「神など……」
俺がミ・ディンに舌戦を仕掛けると、心得たとばかりにラアサがハンドサインを送り、それを見咎めたオニュクスが兵達に撤退を指示する。
良いコンビネーションじゃないか。
味方の後退時間を稼ぐ為の舌戦だったが、獅子竜ミ・ディンに回復の時間を与える事にもなった。
こんな僅かな時間でも傷は塞がり、鱗は元の光沢を取り戻している。
ん?色が……?それに今、リンクスって呼んだか?
「魔王、アニキ、ジョーズ……それともサイと呼ぶべきかな?」
なんだと?
「何故知っていると言う顔だな。何でも知っているぞ。召喚者な事、そこのリンクスに左腕を喰われた事、母竜に左腕を再生して貰った事で竜の因子を手に入れた事。何でも知って居るぞ……今はな」
何だ!?誰の記憶を消化した?今見た感じじゃ皆無事だったと……。
「幼竜とは言え、流石は再生を司る竜の子と言うべきか。見事な生命力を宿しているぞ。手足だけでは無くその全てを喰らってやろう」
!!!!!!!!!
『んだとテメエ!リンクスの手足喰らいやがったのか!』
「母竜は陛下の為に、リンクスお前は私の為に役立って貰おう」
『テメエは百回ぶっ殺す!!』
俺達は同時に大地を蹴った。




