116話 台風の目
距離を保って相対する、鬼神ゼナリオと獅子竜。
周囲を取り囲むヒエレウスの勇者とファーリス。
獅子竜は、再び放たれるであろうゼナリオの山崩しを警戒していた。
ファーリスの赤い長剣を借りて放たれた山崩しの威力は、獅子竜を驚かせた。
根地の森の一角を完全に破壊し、大河アルヘオまで幅十メートルの一本道を切り開いたからである。
だがゼナリオは動かない。
「獅子竜が動いたらゼナリオさんを掻っ攫うんで。ハヌマーン、コホル、フォロー頼むぞ」
大樹の陰から、獅子竜を伺うダファーが二人に告げる。
「何でゼナリオさん攻撃しない?直撃すれば流石のドラゴンでも倒せるっしょ?」
「無理なんで」
「どうして?」
「たぶん、立ったまま寝てるんで」
「「は!?」」
使用者の生気を吸って切れ味を増す魔剣である赤い剣は、渾身の山崩しただ一撃でゼナリオの生気をほぼ吸い尽くしていた。
それでも隙無く剣を構え、たったまま眠るゼナリオは見上げた者と言えた。
ポーションを呷った勇者達が、獅子竜より先に仕掛けた。
同時にゼナリオ回収に動く機装兵達。
メントルが獅子竜の周囲にナイフのワイヤーを張り巡らせ、勇者達は立体的な接近戦を仕掛ける。
横から、後ろから、上から、ワイヤーを足場にして空中で飛び跳ね、突撃と離脱を繰り返す勇者達。
カログリアの引き絞った刺突は、獅子竜の巨体を度々捉えたが、鱗を完全に貫く事は出来ず、ニキティスのトンファーは炎を上乗せする為の連撃をさせて貰えない。
「貴様ついに人を捨てたか」
獅子竜ミ・ディンの言葉は、腕を四本に増やしたメントルに向けての物だった。
メントルは四本に増えた腕で、十二本に数を増やしたナイフを巧みに操り、攻撃し、足場を作り、獅子竜の行動を阻害した。
「魔王に破れた後悔が私に力を求めさせたのだ。だがこの力、今は魔王を守る為に使わせて貰う」
立体的な行動から、獅子竜の頭部に肉薄したメントル。メントルの鉛色の腕が獅子竜の角を掴み、本来の腕が至近から投じたナイフが遂に獅子竜の目を捉える。
「ぐおお!」
初めて流れる獅子竜の苦痛の声。
獅子竜はその三白眼の金色の目から、血の涙を流した。
獅子竜に対する者達が歓喜の声を上げる。
「ちょこまかと……吹き飛んでしまうがいい。矮小な人間共」
負傷した目を左手で抑えながら、獅子竜は右をかざし、その手を時計回りにゆっくりと振った。
片目を負傷した獅子竜に追撃をしようと、やはり立体的に迫ったカログリアとニキティスが、不意に体勢を崩す。
「何だ!この突風!方向が……メチャクチャだゼ!」
「退避!獅子竜から……いやこの場所から離れろ!」
獅子竜の周囲に生み出された暴風は、張り巡らされたワイヤーを揺らし、大樹に打ち込まれたナイフを引き抜き、尚も激しさを増して遂には人を木の葉の様に舞い上げ始めた。
「退避!!いや何かに掴まれ!」
「うわああ!オニュクス様あああ!!」
「バリスタのワイヤーをエラポス兵へ!掴まらせろ!」
暴風に揺らぐ根地の森の大樹。
その幹の間を、時に枝や幹に叩きつけられながら舞い飛ぶ人間。
「オノマ?……」
「ひでえ……ゼ」
「何だコレは……オノマとは桁が違うのだ」
ナイフのワイヤーを体に絡めて地面に固定し、姿勢を低くして暴風に耐える勇者達。彼らは知らない。そのケタ違いの威力で吹き荒れる暴風が、獅子竜ミ・ディンの放った古代オノマだと言う事を。
獅子竜の周囲に現れた、無数の極小台風。
その台風は、大樹の枝を折り、人間を吹き飛ばしながら、一つまた一つと融合してその大きさを増し、高度を上げて根地の森上空に巨大な台風を作り上げた。
渦巻く分厚い雲からは、幾筋もの漏斗状の雲が地上に舌を伸ばし、落雷が轟く。
「そんな……台風と竜巻が一緒に起こるなんて……」
根地の森上空を覆うまでに成長した積乱雲は、尚も巨大化し、更に幾つもの台風を生み出してこの地方一帯を暴風雨が襲う。
魔王からの勧告で屋内に避難していたネビーズ、エラポスの住民達は、暴風雨を振りまきながら更に巨大化する雲を不安げに見上げていた。
竜巻と落雷が猛威を振るう南北街道。
南下する二騎の黒影は、分厚い雲にすぐその姿を消した。
◇
「戦闘中止!順次ヒポタムスへ後退しろ!」
「後退だ!泥濘んで機装が動かなくなる前に陣まで後退だ!」
ヒポタムスを巡る、帝国、共和国両軍も、急激な天候の変化に戦線の収束を余儀なくされた。
もう少しでヒポタムスを包囲しようかと言う所まで迫った共和国軍は、陣まで十キロの距離を後退し、帝国軍は援軍を待つ時間を得た。
この時点で、間接的にミ・ディンに助けられたヒポタムスの帝国軍ではあったが、それはあくまでもこの時点での話しだった。
◇
この広範囲の異常気象を遙か高空から、驚きを持って観察する者も居る。
「室長、黒海南部に発生した台風は数と勢力を増して尚も巨大化」
「観測を続けろ。基地司令にも連絡」
宇宙ステーションから地上を観測する者達である。
空調が整えられたステーション内、室長と呼ばれた男の額に汗が滲む。
「台風の目、五つ確認。アラビア半島の半分を覆う範囲です。台風の下では未曾有の災害が予想されます。ライブラの暴走でしょうか?」
「今までそんな観測はされた事が無かったな。先日接触してきた光竜リンクスは、「ライブラに停滞の兆し有り」と言っていたが……」
室長は尚も観測を命じつつ、モニターに映し出されたモンスター級の台風五つを凝視していた。
◇
その頃、根地の森は静けさを取り戻していた。
柔らかな日の光さえ差し込んでいる。
その光の筋を囲む、分厚い暗雲の壁。
台風が巨大化した為に、中心地根地の森は台風の目となり、ぽっかりと静寂が訪れていた。
だがその静寂の下は凄惨な光景だった。
大樹はなぎ倒され、小さな生き物達は巻き上げられ、一箇所に集まって辛うじて大地に身を止めた少数の者達も、既に疲弊していた。
ポーションの中毒症状で、朦朧としたファーリス。
既に電源が切れ、大地に固定されるだけの機装に乗るネビーズ兵と、昏睡のゼナリオ。
バリスタとメントルのワイヤーの網の下、互いを支えるだけで疲労困憊のエラポス兵と魔獣達。そして勇者達。
根地の大地に出来た、命の吹き溜まりに、獅子竜が迫る。
「無力を感じる事が出来たか?だがもうその経験を活かす事は出来んな」
真っ直ぐに獅子竜を見上げる瞳に、長さ五メートルに届く獅子竜の超長剣が映し出される。
振り上げられる超長剣。
惚ける様にその様子を見上げる一同は、死を受け入れたかの様に誰一人動かない。
振り下ろされる超長剣。
だが断る。
恍惚と獅子竜の振り下ろす超長剣を、或いは自らの死を見つめていた一同は、純白の翼にその視界を覆われた。
遅れて認識される、鋭い衝突音。
振り下ろされた二本の超長剣を、左腕の盾で受け止める翼竜の姿がそこにはあった。
「「「魔王殿!!」」」
「翼の……亜竜」
「ア……アニキ……殿」
様々な呼び名が同時に叫ばれる。
そして忌々しげな声で、もう一つの名が呼ばれる。
「戻って来たか、リンタロウ」
ミ・ディンは苛立ちを感じていた。
今まで数百年、滞り無く始皇帝の命を遂行し、歴代皇帝を守り、ドラゴンの魂を集めて来たミ・ディン。
だが、このリンタロウと言う亜竜に関わると、何故か事が滞る。
シエロを捕らえる寸前にグラードルに呼び出され、再生を司るドラゴンを封じた黒籠は破られ、邪魔する小物を屠ろうとすればまた現れる。
天敵
ミ・ディンはそんな言葉を、ふと思った。
◇
『リンタロウって誰だよ』
間に合った……とは言えない。
多くの命が、俺の為に失われた。
いつだって全力だった。後悔はしない。
反省は後でしよう……だが。
『これ以上の犠牲は断る!』
俺は盾剣にのし掛かる超長剣を跳ね返し、純白の翼を広げて獅子竜に体当たりし、力の限りひたすらに押す。
俺の為に、リンクスを助ける為に、時を稼いでくれた彼奴等を巻き込まない為に、何の工夫も無く全力で獅子竜を押す。
『おおおおおおお!!!』
獅子竜の超長剣が俺の背中を打ち、根地の大地を削って地面にめり込む。
即座に跳ね起きた俺は、神経を研ぎ澄まし、獅子竜に肉薄する。
暗雲の壁に覆われた、穏やかな光指す筒の中。
人の目では捉えきれない攻防が交わされる。
◇
「はな……れましょう……一瞬だけたてがみで触れて……アニキ殿が伝えて来ました。とにかく離れろと」
ファーリスが頭を振り、瞬きを繰り返しながら伝言を伝える。
魔獣達は六手猿の指示の下、移動を既に開始している。
「戦えない者は離脱しろ、戦える者は武器を持って続け」
腰の剣と矢筒を確認して立ち上がり、部下に指示を出す赤マントの威丈夫。
「待ってくれオニュクス卿。怪我で満足に歩けない者も居る、手を貸してくれ。それにあの獅子竜に普通の武器では……」
赤い剣を杖に立ち上がるファーリスに、ならばその剣を貸せと手を伸ばすオニュクス。
ファーリスは首を横に振る。
「訓練していない者がこの剣を使っても、二三度振っただけでフラフラになるでしょう」
「ならば、代わる代わる渾身の一撃を放つまで。我ら帝国軍人は戦いを諦めぬ」
赤い剣をリレーしての人海戦術。そんな事を思いつくオニュクスに、またそれを実行しようと腰を上げて鎧を脱ぎ始めるエラポス兵に、ファーリスは絶句した。
優秀な兵は、優秀な指揮官の元でのみ育つ。
指揮官の登用に熱心だった父クアッダの言葉を、ファーリスは思い出す。
クアッダ王国に攻め入った帝国軍の指揮官が、全てオニュクスの様な人物だったならば、クアッダは今頃攻め滅ぼされていたのでは無いかとも。
「ポーション……」
六手猿に手を伸ばすカログリア。
追う様に、やはり手を伸ばすニキティスとメントル。
「あなた達もまだ……」
呆れるファーリス。
「あの超長剣は要注意だゼ。勇者の鎧ですら自己修復しねえ」
「かと言って離れていては決定力に欠けるのだよ」
ニキティスの赤銀の鎧。その胸部には大きな刀痕が残っていた。
ポンポンとファーリスの肩を叩いた六手猿が、親指を立て、手の平を下に向け、後方を指す。
「そうですか、あなた達は命令に従って下がりますか」
六手猿のハンドサインを正確に読み取るファーリスに、目を見張るハヌマーン。
「俺が知ってるのとちっと違うが、判るのか……凄えなぁ」
「この六手猿は、アニキ殿と直接意志を通わせています。指示に従うのが賢明かと」
後退を勧めるファーリスだったが、意見は別れた。
各々が意見を主張し、無駄に時間を浪費しているのではとファーリスが焦りを感じたその時。
カログリアの言葉が、意思決定の方向を定める。
「……リンクスが来るまで……助ける」
カログリアを見つめる一同。
「そうだな、リンクスちゃんが来れば……」
「我々では足手纏かも知れんが、リンクスちゃんが来るまでの間だけでも魔王殿を手助け出来れば」
「そっか、魔王がウチらを助けに来たって事は、リンクスちゃんが助かったって事か。今に駆け付けて来るっしょ!」
六本の腕を組んで会話を聞いていた六手猿が、腕組みを解いて六本の親指を立てる。
命令無視の意思表示だ。
「ふぅ、分かりました。ですがアニキ殿の想いも汲んで被害を最小限に留める作戦を立てましょう」
ファーリスはありったけのポーションを集めさせ、各自に分配。
常に小集団で行動して相互にポーションを使う事、決して命を粗末にしない事などを告げ、震える手で赤い剣をオニュクスに託した。
◇
「どうしたリンタロウ。随分と弱っているでは無いか」
『お前もな!』
強がってはみたものの、リンクスの治療で力を失った俺は、魔獣達を喰らったとは言え、細胞の隅々にまで生気が漲っている状態とは言えない。
獅子竜ミ・ディンも、ファーリスや勇者達との戦いで多少は疲れては居るだろうが、明らかに俺の方が分が悪い。
その証拠に、俺が攻撃を一回当てる間に、五回当てられてる。
だが痛いだけだ!切れて無いっすよ!
結構な時間、劣勢のまま戦ったと思う。
彼奴等も遠くまで逃げただろう。
『見せてやるよ。俺のモードFを』
俺は獅子竜から少し距離を取って、意識を集中させた。




