113話 宝物
「見せてやる」と距離を取ったミ・ディンは、背中の留め金に分厚い剣を固定すると、両手で印を結んだ。
複雑に指を絡め、次々と別の印を結ぶ。
勇者召喚は、高密度の過去世界からニンゲンを呼び出す召喚の儀と、魔獣から抽出した因子を注入する勇者の儀から成り立っていた筈だ。
そして、竜の結界を霧散させるのに必要なのは、四つの竜の因子。
あの時、ババアドラゴンの結界を霧散させた時のメンツは、俺、リンクス、ババア、そしてミ・ディン。
そこから導き出した俺の想像は……。
ーーーミ・ディンの竜化ーーー
『させるか!』
「お兄ちゃんダメーー!」
ミ・ディンがしようとする事を想像し、戦慄を覚えた俺は、ミ・ディンの印を結ぶ作業を邪魔する為に、渾身の力を込めて斬りかかる。
わざわざ待ってやる義理など無い。
広げられた大小四枚の純白の翼は、微かな振動で膨大な推力を生み出し、空気の壁を突き破って周囲に衝撃波を撒き散らす。
ミ・ディンの眉間目掛けて、音の速さをゆうに越えて突き出される盾剣。
だが、ミ・ディンは印を結ぶ動作を中断出来ないのか、俺を睨んだまま回避しようとしない。
盾剣の影がミ・ディンの頬に落ち掛かり、額目掛けて駆け上がる。
盾剣の切っ先が影と合流し、ミ・ディンの額に届くまで、後一ミリ。
キィィィィィン!!
『ぐっ!?』
俺は何かに弾かれ、空中でバランスを崩し、ミ・ディンに無防備な背中を晒してしまった。
直後、俺の脇を掠めた何かが、木の根で出来た大地を砕き、木っ端を粉状にまで細かく砕いて、大量の煙を巻き上げる。
「ダメって言ったの」
『間に合わなかったか……』
リンクスが体当たりしてくれたお陰で、何かを躱せた俺は、舞い上がった煙から距離を取り、目を凝らす。
煙が流れ、姿を現したのは……。
前方に突き出した黒い二本の角、肉食獣を思わせる頭部に金色の三白眼、紫のたてがみ、全身を覆う黒紫の鱗、太く長い尾……それは二十メートル級の獅子だった。
『クラエ……アイツヲ……クラエ』
その威容と巨体は、俺の中の怒りを激しく揺さぶった。視界が赤く染まる。
「角あって鱗あって尻尾あるから、ドラゴンなの」
ドラゴンの守備範囲広えな。
ドラゴンって言われれば、ドラゴンに見えなくも無えな。
獅子竜って所か。
アイツをぶっ殺して、その全てを喰らってやる!
ドッ!
木の根の大地を砕きながら、獅子竜に姿を変えたミ・ディンが迫る。
あの図体で何て速さだ!
俺はリンクスを抱えて翼を広げ、一旦上空へと逃れると、眼下の森を見下ろす。
「ふ」
突然の上からの声に、俺は翼を丸めてリンクスを庇う。
翼と背中に走る激痛。
根地の森全体が震えるかと思える程の衝撃で、木の根の大地に叩きつけられた俺は、歯を食いしばって木っ端が舞い上がる中飛び上がり、上空の獅子竜に迫る。
『痛えだろうが!』
デカイって事は攻撃が当たるって事だ、跳び上がったら後は落ちるだけだろ!
盾剣の斬り、短槍の突き、尾の殴打、蹴り。
二十メートルの巨体を空中に晒し、自然落下する獅子竜に俺とリンクスの攻撃が連続でヒットする。
だが獅子竜はその巨体を揺るがせただけで、小煩げに尾を振り、俺達を弾き飛ばした。
こ……この手応えは……。
「持ってるの、竜の結界」
『ざけんなよ』
獅子竜の黒紫の鱗は、俺達の攻撃など無かったかの様に、光沢を放っている。
あの時と……ババアドラゴン攻撃した時と同じ手応えだ。
『クラエ……アイツヲ』
怒りに突き動かされる俺は、結界を理解しながらも猛然と獅子竜に攻撃を仕掛ける。結界ごと喰らってやる!
突撃しては痛打を受け、周囲の木々をなぎ倒してぶっと飛ばされる俺は、それでも執拗に突撃を繰り返した。
「お兄ちゃん!落ち着くの!」
再度突撃しようとする俺の尻尾を、リンクスが引っ張る。
リンクスをギロリと睨みつける俺。
『ジャマスルナ……オマエモクラッテ……』
俺はリンクスを睨んだまま盾剣を振り上げ……振り下ろした。
ゴツン!と自分の頭に。
『すまんリンクス、久しぶりに飲まれそうになった』
リンクス喰らうとか、幾らなんでも分別失い過ぎだ。
怒りに身を任すにはまだ早い。カードはまだある。
『隙を見て双竜撃を放つ。一発目で動きを止めて、二発目で勝負だ』
「らじゃなの」
俺とリンクスは双竜撃を放つべく、獅子竜を挟み込む様に接近戦を仕掛ける。
暴風を生んで振られる獅子竜の爪は、掠めただけで肉が削げ落ちたかと思う程の威力で俺を跳ね飛ばし、その牙は樹齢数百年の大樹を一撃で噛み砕いた。
獅子竜の動きはその巨体からは想像も付かない程速いが、竜化に因る攻撃力増大と、結界に因る防御力の極大と引き換えに、人型に比べると少しだけ素早さは落ちた気がする。
リンクスが攻撃を喰らわない。
俺が意識を失わない。
双竜撃が結界を破れる。
分の悪い賭けなのは相変わらずだが、鉄火場には入れた。
後は勝ちを拾うタイミングだ。
「竜化し、結界を纏った私に死角は無い。貴様等の肉片も残らんが、止む終えまい。捉えるのは他の竜にしよう」
竜化して獅子の頭になっても、普通に喋れるお前が凄えわ。
リンクスはギリギリで回避して距離を詰めたままだが、俺が攻撃を受けて飛ばされてしまうせいで、必殺のタイミングが取れない。
「竜化しても攻撃が通らないとはな、お前の硬さは物理的な物でも無いな。闇世絶界に落とした時は通った……」
ミ・ディンは図る様な目で俺を見、そして口角を釣り上げて笑った。
「意識か。意識がある間は通らないのだな」
ドックン……。
俺は自分の心臓の音の大きさに驚いた。
そして上半身の血管が収縮し、下半身に大量に血液が流れ込んでいる事に気付く。つまり本能の意見は「ニゲロ」だ。
『ならどうする?夜這いでもするか?生憎俺は男と同衾する趣味は無い』
俺は平静を装って答えると、歯を食いしばって首に力を入れた。
次からは意識を刈り取る為の攻撃が増える。
更に俺はミスを悟る。
『森から出るぞ』
獅子竜の攻撃力が尋常じゃ無いせいで、足元の根の大地がすでにウッドチップ状態だ。これじゃ踏ん張りが効かなくて双竜撃が撃てない。
俺達は戦場を、かつてババアドラゴンと戦った荒野へと移した。
「前回はここでシエロを仕留め損ねたが、今回はそうは行かん。にしても……」
獅子竜は攻撃の手を休める事無く、言葉を繋ぐ。
こっちはイッパイいっぱいだってのに、余裕じゃねえか。
「その目……絶望が見えんな。何を企む」
感の良い野郎だ。一発で決めないと次は無いかも知れんな。
その時、獅子竜の右手が俺にかざされる。
今使ったか?古代オノマ。躱せたか?
荒野に出ちまったせいで、身代わりの護符を確認するための視線切りが出来ない。だが焦る内心を悟られる訳には行かない。
神経をすり減らす接近戦。スタミナ勝負の根比べを覚悟した時、チャンスは訪れた。
「今なの!」
俺とリンクスとの丁度中間。二人とも着地状態。獅子竜は前足を上げて棹立ちの姿勢。俺は神経を集中させて右拳を引き、タイミングを合わせて地を蹴った。
これで!!
左右から突っ込む俺達。
だが予想外の攻撃が俺達を襲う。
棹立った獅子竜の両前足の肉球を割って、五メートルもの長さのオリハルコンの剣が生え、俺達を同時に襲ったのだ。
踏み込んだ所への想定外の攻撃。
盾剣で受け損なった俺は、胸に穴が空く感覚と共に、この日何度目かのぶっ飛びを喰らった。
即座に起き上がった俺は、血の気を失った。
リンクスが獅子竜の前に身を投げ出している。何かを拾おうとして。
『リンクス!!』
踏み込みに合わせて繰り出された、長大なオリハルコンの剣。
姿勢を低くして何とか回避したリンクスだったが、腰に下げた小さな布袋を切り落とされてしまう。
そして今。
あろう事か、リンクスは獅子竜の目前に落ちた布袋を拾おうと、無防備に突っ込んでいた。
『リン……!!』
「きゃぁぁあ!!」
振り下ろされた二本の長大な剣は、リンクスの右腕と右足を切断した。
力余って地面に十メートルものクレーターを作る剣。
その剣が今度は下方からリンクスの胴体を両断せんと迫る。
『ぐああぁぁ!!』
間一髪体を割りこませた俺は、二本の剣を同時に下方から受け、右手足を失ったリンクスを抱いたまま、上空に打ち上げられた。
激痛に顔をしかめながらも、辛うじて翼を広げ、更に高度を上げながら腰のポーチからポーションを取り出し、リンクスに飲ませ、切断面に掛ける。
『リンクス!!リンクス!!』
「お兄ちゃん……」
辛そうに薄目を開けるリンクス。
リンクスの左手には、血に濡れた小さな布袋が握られていた。裂けた部分から中身が……複数の小石の様な物が見えている。
『片方の手足と引き換えに拾ってきたのか……何だこれは』
微かに甘い匂いのする小石を、俺は一つ摘み上げた。
「お兄ちゃんが初めて買ってくれたロクムなの……勿体無くて一欠片づつ取っといたら……固くなっちゃったの」
クアッダ王国でコンプ買いした、二十個のロクム。
最後の一口とも言えないほどの、小さな小さな欠片。
乾燥して小さくなり、今では微かな香り以外にそれがお菓子だった痕跡を残さない小さな欠片。
『何でこんな物……』
「お兄ちゃんが初めて買ってくれたの……宝物なの……」
こんな物を宝物として持ってたなんて、手足を失ってまで拾うなんて……。
『リンクス。俺の宝物はお前だ。だからもう二度とこんな事するんじゃ無いぞ。……お願いだから』
「ありがと……なの」
リンクスは弱々しく笑った。
『リンクス?……おい!血が止まんねえよ、どうなってんだよ!?』
リンクスの腕と脚の切断面から止めどなく流れる血が、一向に収まらない。俺は慌てて自分のポーチからもポーション取り出して掛けるが、目に見えた効果は無い。
『サル!一番のポーションは何処だ!』
『H-5ウキ、どうしたウキ?』
『リンクスにポーションが効かない!すぐ行くから手当て出来るヤツ集めとけ』
俺はリンクスの傷口を抑え、大急ぎで根地の森へと降りた。
『効かないウキ、原因は不明ウキが、斬られた腕や脚があれば、くっつくかも知れないウキ』
『命令だ。全力で生かせ!』
俺は集まった六手猿達にそう告げると、真っ直ぐに最速でさっきの地点へと飛んだ。あの出血じゃ時間勝負だ。リンクス頑張れ……死ぬな……。
音の速さで低空を飛ぶ俺の、視界が歪む。
くそ!何でこんな時に涙なんか……何でこんな時にリンクスに出逢った時の事なんか思い出すんだよ!
ふざけんな!消えろ!リンクスは死なねえ!!死なせねえ!!
何処だ!?リンクスの腕は!?脚は!?
俺はさっきの特大クレーター周辺を隈なく探す。気持ちが焦っているのか、見つけられない。何度も同じ所を通り、地上に降り、クレーターも亀裂も探す。
何で無えんだ!
俺は天に向けて、声なき咆哮を放った。
何処行った?もう探すったって……探す所なんて無い……。
無い?無いなら!!
「戻ってくるとは意外だったな」
根地の森の方向から、獅子竜がその黒い巨体を躍動させて俺に迫る。
俺も真っ直ぐに獅子竜へと飛ぶ。
獅子竜が大きく飛び上がり、右手を俺にかざす。古代オノマの動作だ。
だが俺は避けない。
一瞬五感がラグったが、それでも最高速で直進する。
「お前も、死ぬ覚悟が出来たか」
獅子竜は獰猛な笑いを浮かべて、両手の長大な剣を構え振り下ろす。
だが俺は避けない。
体を小さく丸め、翼を片方だけたたみ、錐揉みしながら獅子竜の腕の下をすり抜ける。速度を落とすこと無く。
「な!?」
『リンクス助けたら必ずぶっ殺してやる!テメエだけは絶対だ!大人しく待ってやがれ!!』
翼を再び開いた亜竜は、凄まじい速さで森の中へと消えていった。
『兄上様間に合ったウキ!?』
『いや、無かったそれよりも古代オノマの知識ある奴探してくれ』
『古代……わかったウキ』
俺はリンクスの側に降り立つと、人型に戻り、リンクスのポーチから二つの三角錐を取り出す。
黒い三角錐と白い三角錐。
それぞれを左手と右手に握り、怒鳴る様に呼び掛ける。
『マザー!!力を貸せ!!リンクスの手足を生やす!!』
『……よ……ますか……ニンゲンよ』
来た!左手の黒い三角錐から微かな声が聞こえる。
懐かしい若い声。間違いないマザーだ!。
『黒籠と、白籠とおぼしき物がある!使い方知らねえか!?グラードルの記憶にも使った記憶は見つからないんだ。これがもし白籠なら黒籠壊せるんだろ!?』
『分からな……私の記憶で……黒穴、白穴と言う対極……』
『マザー!リンクスが死にそうなんだ!もうちょっと頑張れよ!』
黒穴と白穴……対極……。ブラックホールとホワイトホールなら対消滅するか?古代オノマの実験に対消滅使う位だから、古代科学では対消滅は安定して行われたたかも知れないのか。
カチン
黒と白の三角錐を合わせてみる。全ての面を全ての角度で、だが何も無い。
全ての頂点も全ての辺も試したが、やはり何も起きない。
リンクスの息が早く浅い。
『マザー!こないだその中から力貸してただろ!?中からリンクス助けろよ!』
無理な事を言ってるのは分かってる。こないだはリンクスが媒介となって無理やり引っ張りだしてた感じだもんな。分かってはいるんだ、でも!
『黒口と白口……一つにする……』
一つにってだからどうやって!?
俺は二つの三角錐を合わせ、両手で力一杯握りこむ。
力でどうにかなる事じゃ無いのも分かってる……でも!
俺は組まれた右手と左手を見て、脳に電撃が走った。




