109話 二つの戦線
夜明け。
東から上った朝日は、空を紫から紺、紺からいくばくかの橙色を経て、やがて透き通った青へと染めた。
既に初冬と言っていいこの時期。
早朝は冷え込み、生在る者の吐く息に白い靄を掛ける。
共和国から分離独立した都市国家ネビーズ近郊、それ程深くもない森の中。
そこに横たわる者の口には、白い靄は無かった。
「戻って守備隊長に報告だ。敵軍……全滅と」
魔王の家族であるリースからの要請で、陣を一旦引き払って街に引き上げたネビーズ守備軍。
約束の夜明けを迎え、偵察に出た守備隊の一部は、目を疑う様な光景を目の当たりにした。
「共和国軍が全滅だと?残存兵も居ないのか」
「はい。尽く息絶えておりました」
報告を受けるのは、眠そうな目をした若い男。その両脇には背の高い女と、猿顔の男がテーブルに付いていた。
ダファー、コホル、ハヌマーンの三名である。
「ざっと見て千は居た筈だぜぇ?全滅って事は、遂に出たかぁ?魔王軍」
「いや、違うんですよハヌさん。魔獣に殺られた様な様子は微塵も無いんです。機装も人も全て一撃必殺です」
「夜の森でそんなの無理っしょ」
「危険が無いなら、今のうちに機装の回収だけでもしておきたいですね……うちらの機装も大分年季入ってますんで」
「あっ」と思い出したかの様に、懐から一枚の紙を取り出す偵察兵。
蜘蛛型の大型機装が積み上げられた場所に、置いてあったらしい。
受け取ったダファーが紙の文字に目を走らせ、眠そうな目をしぱしぱさせる。
「なになに?蜘蛛型はニコイチして使え?……どういう意味だ?」
「「さぁ?」」
交互に顔を見られたコホルもハヌマーンも、肩を竦めるのだった。
◇
黒い大きな瞳孔を囲う、濃い茶の目に、朝の青い空が映し出される。
その目は瞬きを一つすると、より高みを見上げた。
風を孕んで羽ばたかれた翼は再び大きく広げられ、真っ直ぐに伸ばした尾と共に、空の十字架となって透き通った初冬の空を旋回する。
上空を旋回する無数の十字架の下。
祈りを捧げられる事の無い躯が、散乱していた。
その数約二万。
イナブに駐留した共和国軍の、ほぼ全軍に当たる数である。
『お疲れ様ウキ』
『やっと終わったか』
『やっと終わったの』
俺達は、少数居た傭兵を敢えて逃した。
各地を転々とし、様々な勢力の元で剣を振るうであろう彼ら傭兵。
彼らには、武器を持たぬ民衆を「見せしめ」の為に虐殺しようとして魔王の怒りを買い、無残に躯を積み上げた「イナブの悲劇」をふれ回ってもらわなければならない。
『自業自得なの』
ほんとにな。軍人として人を殺す職業に付く事に文句は無い。
何かを守る為、誰かを守る為に、必要ならば戦う意志はあって当然だ。
だが、武器を持たない民衆を殺す事を、軍の作戦だからと疑いなく受け入れる軍人は只の家畜だ。殺し合いは殺しあう覚悟を持ったヤツら同士で納得するまでやってくれ。邪魔しないから。
『兄上様、このニンゲンの死骸は、みんなで食べて良いウキ?』
うわ。
忘れてたって言うか、スッポリ抜けていたと言うか……。
そうだった。コイツラ魔獣達は雑食だった。
言い付けを守って、この辺ではニンゲンを襲わないから忘れてたが、本来魔獣達にとってニンゲンは数ある食料の内の一つでしか無かった。
『打ち上げウキ』
リンクスだろ?こんな言葉教えたの。
俺に睨まれたリンクスは、手を後ろに組んでそっぽを向き、口笛を吹いた。
判り易過ぎですけど。
魂無き肉体は単なるタンパク質……ではある。
本来食べる為に食べる分しか命を奪わない魔獣達に、この辺りでの食事制限を掛けているのは俺のエゴだ。
頑張ってくれたご褒美に、タンパク質で打ち上げを……って無理むりムリ。
武器を持った相手を殺す事に、抵抗感が薄くなって来ている俺ではあるが、ニンゲンが喰われる場面は想像しただけで嫌悪感がパナイ。
俺はもっともらしい言葉を吐く。
『見せしめ返しの為に、野晒しにする。降るんだろ?雪。春になってから燃やせば、疫病が蔓延する事も無いだろう』
決して衛生状態が良いとは言えない辺境の村でも、疫病や感染症はおろか、インフル的な物すらこの世界では目にしていない。
もしかしたらライブラが、感染症を防いで居るのかも知れない。そう考えるとライブラって凄いな。でもそんなライブラさえ戦争に使うのがニンゲンだが。
『作戦終了!各自帰投しろ!』
『らじゃウキ』
その声を合図に、上空の魔獣達は根地の森へと進路を取った。
こうしてネビーズ方面に出兵された共和国軍三軍団、二万四千は壊滅したのだった。
魔王と竜人に因って。
◇
その頃、もう一方の共和国軍三軍団。
ヒポタムス方面軍は膠着状態にあった。
二軍団が並んで布陣出来る地点まで前進した共和国ザカー軍団は、今か今かと出番を待ち望んでいたハヤウィヤ軍団と並列布陣を試みた。
だがこの地点には、帝国軍第三軍参謀ピストスが仕掛けた罠が待ち構えていた。
踏み出す毎に泥濘む足元に、意地になって前進を続けるハヤウィヤ軍団は、軍団の半数が膝までぬかった所で大幅に進軍速度を落とした。
その泥濘が急速に広がりを見せ、慎重に進軍していたザカー軍団の約三分の一を飲み込む。
「こ……これは、沼か!」
帝国軍参謀ピストスは、オノマの応用に秀でた才を持っていた。
下級貴族出身であるピストスは、皇族や上級貴族にしか知らされない真のオノマの情報に触れることが叶わない。
その為、兵法を学び、騎兵隊を中心とした部隊運用を磨いて来たのだが、ある時、流れてきた傭兵から興味深い話しを聞く。
「オノマをオノマで包んで、隠し置く術を見た」と言うのである。
ある街で宿を取り、酒場への近道にと通った空き地。
何もないと思った場所を踏んだ時、足が突然突風で巻き上げられた。
情けない声を上げて尻もちを付いた男は、空き地の隅に二人の子供が居ることに気が付いた。
「大丈夫?おじさん。ここは「しゆうち」だから勝手に入っちゃダメなんだよ」
「いつ消えるか試してたのに、潰されたし」
驚いた男はまず勝手に土地に入った事を詫び、次いで今のは何かと尋ねた。
「風のオノマをね、光のオノマで包んで見えなくしといたんだよ。これでガビに勝ったんだよ」
「ソコにもソコにも置いてあるから、今歩いてきた跡を帰るのが正解だし」
男にはソコもソコも普通の地面にしか見えなかったが、オノマにそんな使い方がある事に、えらく驚いたとの事だった。
その話しを帝都の酒場で偶然耳にしたピストスは、脳に電流が走る思いがした。
戦術支援としてのオノマ。
既存のオノマでも、敢えて使い方を限定したり、場所に対して使ったり、或いは複数の手順を踏めば、罠として大きな効果が望めるのではないかと。
それからピストスの試行錯誤が始まるのだが、複数のオノマを使える者も少なく、十分な研究期間を得られぬままグラードルに因るクアッダ侵攻が始まってしまう。
今回参謀の地位を得て、第三将軍ペルトウの理解もあって、ようやく複数のオノマ使いに指示を出せる様になると、ピストスはオノマ罠を構想から実験に、実験から実戦に投入したのだった。
今回の沼のオノマも、先日の泥濘を維持した時の経験を参考に、散水と撹拌とを繰り返し、最後に表層の地面を乾燥させるといった手間の掛かった物だった。
本来の予定では、敵全体が罠エリアに入った時に、一気に表層地面の含水量を増やして広範囲を一瞬で沼にする予定ではあったのだが、まだ研究が十分とは言えなかった様だ。
だが、研究が不十分でも効果は十分あった。
開けた場所まで押し進んだ共和国軍機装兵。その二軍団の内、一つが半分、もう一つが三分の一沼に浸かり、もがく機装兵は既に腰まで沼に沈んでいる。
沈んでいない機装兵は、本当は別の目的に使いたかったであろうワイヤー付きのバリスタを撃って、沼に沈んだ機装兵を引き出そうとしたり、数機掛かりで樹木を引き抜いて、沼に投げ入れて機装兵を掴まらせようとした。
だがピストスの罠は次があった。
鋭い笛の音が戦場に響くと、重装歩兵に守られたオノマ兵が沼のほとりに姿を現し、青白い光球を沼に投じたのだ。
ピキッ!
白い結晶が急速に沼を覆う。
青白い光球が次々と投げ入れられる度に、沼の表面を覆う氷は厚みを増し、氷の結晶は沼にはまった機装兵を包み込んだ。
「う……動かない!誰か助けてくれ!」
「隙間から泥が……いや氷が……た……」
「止まるな!沼を突っ切ってオノマ兵を倒しさえすればあああ!」
機装は強大な力を持っているが、それは搭乗者の腕や足の動きをトレースする事で発揮される。
今回の様に、地中に埋もれた内足が固定されてしまえば、数トンの機体を跳び上がらせる脚力も意味は無い。トレースする元の内足が動いていないのだから。
細かい指示を飛ばして、混乱しながらも組織的に救助活動をしていた共和国軍は、今度こそ完全に混乱した。
そこに、数名で大きな鉄杭を抱えた兵士と、巨大な槌を担いだ傭兵が迫る。
「や、やられた……まさかオノマにこんな使い方があるとは。ジャハド軍団に救援要請!氷には油を撒いて火を放て!」
丸メガネの軍団長ザカーは、作戦の失敗を悟りながらも指示を出す。
一機でも多くの機装を、ここから離脱させなければならない。
機装の首の部分に鉄杭を立てる帝国兵に、連装式クロスボウから矢が放たれる。
一人、二人と矢を受けて倒れるも、残りの兵が懸命に鉄杭を支える。
ふん!と気合を込めて開放をした傭兵が、大きく振りかぶった巨大な槌を鉄杭に叩き付けると、ガキィイと金属を擦る不快な音を立てて、鉄杭は深々と機装に突き刺さった。
短く痙攣して、その動きを止める機装。
「おぉぉお!やれるぞ!」
「続け!この期を逃すな!」
意気上がる帝国軍は戦意を漲らせ、下半身を凍りつかせた機装兵に群がった。
「鬼神か!槌を持った敵を集中して狙え!」
「凍った沼なら入って大丈夫だ!とにかく鬼神とオノマ兵だ!」
「とにかく前進だあああ!」
不利な形勢にも関わらず、沼にはまり凍り付いた味方までも乗り越えて猪突猛進をするハヤウィヤの軍団は、この時、意外にも共和国軍の崩壊を防ぐのに一役買っていた。
凍り付いた機装兵に、トドメを刺そうと前に出た帝国兵の出鼻を挫いたのだ。
如何に鬼神とは言え、機敏に動きまわる新型機装に、そうそう渾身の一撃を叩き込める筈も無く、突出したハヤウィヤに率いられた部隊は目の前の敵を倒す事を優先させた結果、多くの味方へのトドメを防いだのだった。
足元に突き立つ矢を気にもせず、双眼鏡を覗く剃頭の男が居る。
今回の罠を準備した男、第三軍参謀ピストスである。
「どの位の機装を潰した」
「は、三百程は潰せたかと」
ピストスは内心で舌打ちをした。
本格反攻前のこの作戦。小手先の作戦でしかないが、だからこそ何度も使える策では無い。一度のチャンスで少しでも多くの機装を潰しておきたかったのだ。
「反攻部隊の準備はどうか」
「第一軍のマルキス将軍が、出た後は好きにやらせて貰うと……」
「ピストス、全てお前の言った通りだな」
その声にピストスは双眼鏡を外し、振り返ると頭を下げる。
そこに居たのは彼の直属の上司たる、第三軍将軍ペルトウだった。
「マルキスめ、コミスが大人しいのをいい事に何事にも上から物を言いおって。ワシが退かねば第一第二軍だけで作戦を立てるとまで言いおった」
ペルトウの言葉に、ピストスも彼に付き従う士官もため息を付く。
「勝ってもいない内に、勝った後の力関係を気にするなど……」
ピストスはその後の言葉は続けなかったが、その場に居た者の気持ちは同様だった。
ただピストスは、今回の反攻戦のタイミングだけは主導したかった。
彼の集めたデータに寄れば、新型機装はそろそろ電源が切れる。充電の為の後退がなされる筈であった。
その主導権は、ペルトウの協力もあって今ピストスの手の内にある。
反攻作戦開始のタイミングを見定める為に、彼は足元に矢が突き刺さる程の前線にいるのだ。
だが、予定外の事もある。
今、この段階に至っても、敵の弱点である筈の電源筒を守る部隊が発見出来ずにいたのだ。
その部隊自体が存在せず、蜘蛛型の機装となって軍団と同行しているとは思いもせずに。
結局、充電時間を狙った反攻戦は失敗に終わる。
細心の注意を払って、機装の稼働時間を誤認させた共和国のザカー軍団が、機装が停止した演技までして帝国軍を自陣深く引き込み、一気に帝国軍を叩いたのだ。
沼の罠と時間の罠。
一勝一敗にも見えるこの二人の勝負は、意外な形で決着を見るのであった。




