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108話 ネビーズ守備隊

 共和国軍マリム軍団長の元にアリードという男が居た。

 四十才の年齢の割に、白髪の多いくせ毛を伸ばした、浅黒い肌の男。

 軍団の参謀を兼任する「武」と「知」を兼ね備えた男アリード。


 そのアリード率いる共和国軍千が、夜の闇の中ネビーズに迫る。


 アリードは魔王襲来で混乱を来す軍団の中で、存命する数少ない高級指揮官の一人だった。

 イナブ待機の命令に因る初動の遅れ、彼の乗機である指揮官用の機装の故障に因る一般機への機乗などの幾つかの幸運が、彼がターゲットとしてスポットされる事を避け、彼は生き延びた。


 だが、竜人の銀の礫の攻撃範囲から逃れたのは、幸運ではなく彼自身の状況判断に因る物だった。


 アリードの考えは戦略的だった。目の前の敵を倒すばかりが戦では無い。

 敵の意図を推測し、敵が最も嫌がる事をする。

 そんな戦略眼を持った男だった。


 魔王の軍が、ネビーズ殲滅を防ぐ為に攻撃を仕掛けて来たのなら、混乱の内にネビーズを落としてしまえば良い。

 そうすれば、目的を達成出来なかった魔王の軍は、引き上げるに違いない。


 そう考えたアリードは、喧騒に吸い寄せられる他の部隊を尻目に、自らの部隊を素早くイナブから退避させた。

 途中、電源用の蜘蛛型機装を数機確保し、指揮官を失った他の部隊を糾合しながらイナブを一旦離れ、森の中を突き進む。


 アリードに率いられた部隊は、交代の為に薄くなった上空からの監視の目を掻い潜ってネビーズに近付き、大河アルヘオに掛かる浮橋を渡る所で上空から発見されたのだった。


 「先鋒部隊が敵と遭遇!ネビーズ守備隊と思われます!」


 「数は!?」


 「およそ二百!ただし敵先陣にダファーを名乗る機装有り!」


 交代での充電を指揮しながら、報告を受けたアリードの顔が険しさを増す。

 その傍らには、修理と調整を終えたアリードの赤肩の機体が背部ハッチを開けて四つん這いの姿勢で待機している。


 「ダファーだと?あの「守りのダファー」か?先鋒部隊の攻撃を控えさせろ。数を揃えて一気に叩く」


 数年前、ふらりとハリーブの兵募所を訪れたダファーと名乗る青年。

 魔獣の活性地である西方、その西方の旅から戻った所だと言う眠そうな目をした青年は、若さに似合わぬ武術の冴えと、機装への高い順応性を見せて、瞬く間に中隊長にまで昇進した。


 だがこの辺りから、ダファーは度々問題を起こす様になる。

 攻撃命令の無視である。


 十名以下の部下を指揮するの小隊長なら、攻撃に参加しないならしないなりに、電源筒や補給部隊の護衛など、やり繰りのしようもあるが、百名程を従える中隊長の身分で命令無視などされては、作戦が立ち行かない。


 ダファーは降格と昇進を繰り返して転属を重ね、高給目当てで受けたワハイヤダ特戦隊の厳しい選抜を見事パスするも、結局一月程でその特戦隊も除隊している。


 「ですが、たかが地方都市の守備隊長でしょう?少数の兵で何が出来ます」


 充電を終えた機装兵が、アリードをけしかける様に口を開く。


 「お前等は知らんのだろうが、模擬戦でダファーに煮え湯を飲まされた指揮官は山程居るんだぞ。どれ程押していても勝ち切れんのだ」


 そう応えるアリードもまた、煮え湯を飲まされた事のある指揮官の内の一人だったりする。

 かつての模擬戦で、敵左翼を分断撃破し、残る敵を半包囲したアリードの部隊。

 だが途中から指揮を引き継いだダファーの粘りに、結局模擬戦は予定の日数を消化してしまい、引き分けに終わった。


 「ダファーは部隊の再編が抜群に上手い。戦いながら消耗した兵を交代させ、短い休息を取らせて、望んだ地点に引き込んだ敵に一気に叩き付けたり、かと思えば何キロも一気に後退したりする。守りのダファーと言われる所以だ」


 「逃げ上手で臆病者なだけでは無いですか」


 アリードの説明を聞いても尚、納得しかねると挑戦的な言葉を続ける機装兵。


 「根地の森迎竜戦……」


 アリードはそこで一旦言葉を切った。


 「あの戦いで魔王軍をも引き込んで、成竜相手に帝共両軍の壊滅を防いだのもダファーだと言われている」


 「ま……まさか」


 機装兵は、アリードの言葉を笑い飛ばそうとして失敗した。

 

 「とにかく、ネビーズの兵は多くは無い。守りのダファーに手腕を発揮させぬ為にも、一度の戦闘で甚大な損害を与えて一気に攻め滅ぼすのが一番だ」


 アリードは重ねて部隊の一時集結を指示し、小隊長以上の下士官の集合を伝達した。

 ……だが。


 「どうした?少ないではないか」


 アリードの不満の声で、作戦会議は始まった。

 大河アルヘオを渡河した時の、半数しか下士官が揃わない。


 「まさかたったこれだけの時間で、やられた訳ではあるまいな」


 「後退を開始した時は、ザイルもパイクも居たのですが……」


 アリードは腕組みをして目を閉じる。

 ネビーズの兵は多くても三百。機装は旧式で数も百未満。傭兵を大量に抱えたと言う情報も無い。二百の兵が正面に展開して守りを固める以上、それ程大規模な別働隊があるとも思えない。


 仮に別働隊を準備出来たとして、新型機装に乗る下士官をそう簡単に倒せるとも思えない。


 パキ。


 小枝を踏み折る音に、アリードは目を開き、周囲を鋭く見渡した。

 機装の肩のライトに、部分的に照らされただけの暗い森に、緊張感の無い声が流れる。


 「コホルちゃんを困らせるヤツは許さねぇぜ。ひっひっひ」


 「機乗!!」


 アリードは誰何の声も上げずに、下士官達に機乗を指示した。

 その指示に即応した者と、そうで無い者とを隔てたのは「死」。


 動かなかった者は、まだ青い果実を潰す様な音を立てて、立て続けに脳を飛散させ、僅かに遅れた者は、アイドリング中の機装に足を入れた所で、背骨を叩き折られた。


 ガシィィン!


 背部ハッチを閉じようとする下士官機の前に、アリードの赤肩の機装が立ち塞がり、右手の長剣で攻撃を受け止めた。


 「見慣れない機装だな……何者だ」


 「新型でカスタム機か、速えぇな。ひっひっひ」


 卑下た笑いを漏らすのは、細いシルエットをした流線型の黒い機装。

 肩と胸にはナイフのマーキング。

 その胸のマーキングの奥では、猿顔の男が愉快そうに口端を上げていた。


 黒の暗殺団が一人、ハヌマーンであった。


 「素直に名乗れば命は助けてやる」


 アリードは内心の動揺を隠して黒い機装に詰問し、同時に左手で合図を送って下士官と共に黒い機装を包囲した。


 「下士官十一人か……司令官は仕留め損ねたが、まぁ零点じゃ無いだろう。あばよ」


 その言葉の意味をアリードは正確に理解した。

 今この場に立っている士官は自分を含めて八人。

 つまり、ここに顔を見せなかった者を含めて、十一人の下士官がこの黒い機装に倒されたのだ。


 そして敵の中心部に事も無げに侵入し、当たり前の様に帰ろうとしている。


 「くっ!姿が消える!隠蔽のオノマか!?」


 「それを使え!逃すな!」


 アリードがソレと呼んだのは、頭部を潰され、息絶えた下士官。

 言葉の意味を把握しそこねた機装兵が、下士官の遺体の胸ぐらを掴んで持ち上げる。

 釣り上げられた下士官の遺体を、左腕を内から外に振って力任せに殴りつけるアリード。


 ドパッ!


 肉片となった下士官の遺体は、血の「みぞれ」となって真横から降り注いだ。

 そして血のみぞれは何も無い空間に、ベットリと張り付き、細い機装のシルエットを浮かび上がらせた。


 「そこだ!逃すな!」


 「くっ!やるじゃねぇか」


 何事かと駆けつけた新型機装はあっという間に数を増やし、血の斑目模様の黒い機装は逃げるだけで精一杯になった。


 「速ぇな。やべえ、振りきれねぇ」


 仲間の血のマーキングと言うまさかの手で、姿を消すオノマを封じられたハヌマーンは、窮地に立っていた。


 暗殺用に軽量化され、俊敏性に優れたこの黒い機装でも新型機装より僅かに速いだけに留まり、カスタム機の赤肩は更に速い。

 腕力に至っては、新型機装に到底及ばない。


 ハヌマーンは起動前の機装から長剣を奪い、逃げながら戦い、逃げながら逃げた。


 「やっとコホルちゃんと、毎日一緒の仕事になったのに」


 ハヌマーンは、自分の上官を殺された兵士達に執拗に追い立てられ、徐々に傷ついていった。


 剣戟を交わす度に関節部は悲鳴を上げ、各部装甲は凹みひび割れ、遂には右腕が利かなくなって左手に長剣を持ち替えた時、ハヌマーンは思った。


 「曹長……じゃねぇ、魔王様が言ってた死亡フラグって、もうじき死ぬって事だったのか……悔いがねぇ訳じゃねぇが、コホルちゃんに会えなかった人生よりは多分ましだよなぁ」


 最後に好きな相手の役に立って死ねる。

 ハヌマーンは、妙に晴れ晴れとした顔をしていた。


 一人でも多く道連れにしようと、長剣を振るうハヌマーンではあったが、機装の電源ランプが赤く点滅するのを見て、遂にはその足を……止めた。


 「ま、悪行を重ねた報いってやつか」


 ハヌマーンは目を閉じ、自らの葬儀の模様を想像した。


 ゆっくりと穴に降ろされる棺。

 涙に濡れたコホルちゃんや、暗殺団の仲間が花を投げ入れ、少しずつ土が被せられる。

 墓石の前で静かに手を合わせる面々。

 その墓碑銘にはこう刻まれてあった。


 【猿顔】


 「こんな墓碑銘で死ねるかぁぁああ!!」


 カッと目を見開いたハヌマーンは、除装すると黒い機装を捨てて、自らの足で逃げ出した。


 「フレースヴェルグならやりかねねぇ。一番アイツらしいとか言って。んでミクトリがちげえねぇとか言って皆で大笑いするんだ!死にたくねぇ!コホルちゃん!死にたくねぇよおおお!」


 さっきまでの死を悟った達観さはどこへやら、ハヌマーンは叫びながら走った。

 その時。


 「居たぞ!」

 「撃て!」


 ハヌマーンの前方から飛来した四本のバリスタの矢は、ハヌマーンの頭上を越え、追いすがる機装兵に直撃した。


 「ハヌさんを助けろ!!」

 「「「うおおお!」」」


 前方に現れたのは、二十機程の機装兵。至る所に修理箇所があり、左右の腕が別の物まである使い込まれた機装達。

 ネビーズ機装兵の一団だった。


 「失敗したら信号上げる約束っしょ!」

 「そうだぞハヌマーン」


 一団の中には、コホルとダファーの姿もあった。

 ハヌマーンを押し包む様に、突出するネビーズの機装兵達に呆気に取られるハヌマーン。


 助けに来る約束など気休め。大規模な敵を前に守備隊の人数を割ける訳が無い。

 ハヌマーンはそう思っていた。


 突然目の前に沸いて出たネビーズの機装兵に、追撃の足を鈍らせた共和国軍の新型機装だったが、その数が少数と知ると再び速度を上げて迫ってきた。


 「ハヌさん確保しました!怪我はありません!」


 「速やかに撤収!ワイヤー……撃て!」


 再び放たれた二本のバリスタの矢は、ワイヤーの尾を引いて「ハの字」に飛び、大樹に深々と突き刺さった。


 「あの機装はダファーだ!」

 「一気にこのまま倒してしまえ!」


 共和国兵から声が飛ぶ。

 ワイヤーには夜光塗料が塗ってあり、暗い森の中、ダファーの居る地点を知らせるガイドラインの様に光っていた。


 これ見よがしに光を発するワイヤーに触れる事を避け、ガイドラインに沿って先細りに集まってゆく共和国軍の新型機装。


 先頭の新型機装が、ダファーへあと数歩に迫ったその時。

 ダファーの機装の後ろから、一つの人影が現れる。


 「山崩し!!」

 「山崩し!!」


 「山崩し!!!!」


 耳鳴りと共に発せられた衝撃波は、密集した先頭集団の機装をまとめて押し潰し、後続を次々と巻き込んで飛んでいった。


 右、左、中央と、ガイドラインの内側に立て続けに三発放たれた山崩しは、至近の新型機装を完全に破壊し、中距離以遠の機装を行動不能にした。


 長大な板剣を杖に、地面に片膝を付いて肩で息をするのは、ロマンスグレーの傭兵隊長、鬼神ゼナリオだった。


 「す……凄え……」


 機装兵に抱えられたハヌマーンが、声を漏らす。


 「あー済まん。俺も運んでくれ……眠気が……」


 ゼナリオは最後まで言わずに、その場に倒れ、寝息を立て始めた。


 「え?このまま一気にやっちゃって下さいよ。ね……寝た……の?」


 「鬼神ってのはこういうモノらしいんで。超人的な力を発揮すれば急速な睡魔に襲われる。だから細く長く戦える鬼神が偉いんだとか」


 寝息を立てるゼナリオを、コホルの機装が優しく抱え上げ、全機装が一斉に移動を開始する。


 「あ!チェンジ希望!オレがコホルちゃんに……」


 「約束破ったからダメっしょ」


 しょげるハヌマーン。


 「しかし流石ハヌさんっすね。敵のど真ん中行って士官を倒すなんて、おれらには無理っすよ」


 「ハヌさん、自己犠牲とかダメですからね」


 自陣へと逃亡を始めたネビーズ機装兵の一団から、ハヌマーンを称える声が上がり、ハヌマーンは命を掛けて自分を助けに来てくれた仲間の気持ちに、目元を潤ませた。


 「お前等……まだネビーズの守備隊に入って間もないオレを……うっうっ」


 「ハヌさんのお陰で機装兵は練度が上がってるし、呑み代も掛からなくなって嫁も喜んでるし、ガキは小遣いが増えたって喜んでるし」

 「いやホント、ハヌさんには感謝してるんです」


 「ですからハヌさん。コホルさんにはずっと挑んで下さいよ」


 「何日連続で挑まれても、負けないっしょ」


 「さすがコホル嬢!じゃんぐびクイーン!」


 全速で陣地に戻るネビーズ機装兵の一団から、大きな笑い声が起こる。


 クアッダ王国で特別教官をした後、ハヌマーンは正式に暗殺団を辞めてネビーズ守備隊へと入った。

 そして連日コホルに言い寄っては飲み比べを挑み、連敗記録と共に酒場に足を運ぶ兵士達の信頼を積み重ねていたのである。


 「しかし守備隊長、魔王はホントに俺達を見せしめから助けてくれるんですか?」


 機装兵の一人が、不安げにダファーに質問する。

 明るく振る舞っては居ても、僅か二百五十の兵で共和国軍と事を構えるとなると、内心では不安が渦巻いていた。


 「ニザーム曰く、未来の嫁が知らせてくれたそうだ。魔王はイナブに集結中の三軍団二万四千を相手するために、今朝森を発ったと」


 「魔王軍の間違いじゃ無いんですか?」


 「魔獣の軍勢は、いざと言う時ネビーズを守れる様に、待機させると言ってたらしいぞ」


 「……」

 「……」


 「幾らなんでも無理でしょ……」

 「だよな……」



 彼らは知らなかった。

 魔王が既に、イナブに集結した軍勢をほぼ壊滅させて、漏らした千の軍団を倒す為に、今しがた飛び立った事を。


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