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103話 帝共開戦

 帝国本島から東北東へ約五百キロ。

 根地の森からみれば、北北西の方角にヒポタムスという街はあった。


 国境である大河アルヘオからも距離があり、険しい山岳地帯の山間という地形的事象からも、帝国共和国双方の戦いにおける最前線となったことは一度もない。

 起伏が激しく深い森。狭い街道。そして何より森林資源以外に特別な産業も無かったことが、ここヒポタムスから戦火を遠ざけていた理由でもある。


 古来ニンゲン同士の争いは、食料の争いが源流である。

 貨幣社会が確立されると、食料や衣類と交換が出来る貨幣が重用され、税を求めて流通の要所を支配下に置こうと争い始める。

 そして争いに欠かせない鉄を求めて、鉱山や鉱脈を支配しようとする。


 穀倉地帯、交易都市、鉱脈。

 争いの元となるエサとも言えるいずれの要素とも無縁だった事が、ヒポタムスを人間同士の争い「戦争」を近付けずにいた理由だった。


 だがそれも過去の話しとなりつつあった。


 ヒポタムスから見て北東に位置する小国ルンマーンを、僅か半日で滅ぼした共和国軍。

 かつて無い程の多数の機装兵を有する共和国軍。

 その鉄の濁流が今、永らく戦火から無縁だったヒポタムスに襲いかかろうとしていた。


 山中の沼地に生息するヒュドラーを、白銀の勇者カログリアが討伐したその夜。

 ヒポタムス領主プロセウは何者かに暗殺された。


 グラードルに因るクアッダ侵攻のゴタゴタの中、新たな領主は未だ着任せず、ヒポタムスは混乱していた。

 そんな時の共和国軍襲来である。


 領主の息子ロギスモスは、ヒポタムスに水を引き入れる為に作られた北の堰を破壊し、共和国軍の侵攻路にあたる谷を水浸しにて二日の時を稼いだ。

 来年の水不足を心配するには、まず今年の冬を越えなければならない。


 ロギスモスの賢策で、帝国軍の先鋭部隊はヒポタムスが包囲される前に到着し、ヒポタムスは共和国軍の蹂躙を免れた。


 そして今。


 山間の幾本かの細い街道を、先鋭部隊が塞いで共和国軍の侵攻を防ぐ間に、続々と後続の部隊も到着して、静かな山間の森林は欲望を抱く獣達が蠢く野望の森へと姿を変えつつあった。



 「急襲に失敗したか」


 「は、申し訳ありません。泥濘む谷間に思いの外時間が掛かってしまいまして」


 テントの中で会議を開く、頭に布を巻いた十名程の共和国軍司令部。

 彼らの顔に軽い落胆の色はあっても、失望や焦りの影は落ち掛かっては居なかった。その顔には未だ余裕すら感じられる。


 編成を大幅に変更し、膨大な数を有するに至った機装兵。

 更にその機装兵の新型機への交換。

 有用性はルンマーン攻略で実証され、共和国軍は確かな手応えと自信とを手にしていた。


 「足場が乾いて来れば、防御力を活かして谷を一気に突破してやる。散漫なオノマの攻撃など意に介さず、押し切ってくれる」


 高い防御力と、強大な腕力を有する機装。最新型では苦手とされていた機動性も改善され、より汎用性の高い兵器として完成しつつある。

 稼働時間が改善されれば、全軍が機装兵の軍隊も可能となるだろう。


 だが、重量に関しては如何ともし難い。

 厚い装甲と、強い腕力を求めれば重量の増加は必然であり、今後新たな素材が発見なり復刻なりしない限りは、大幅な改善は見込めなかった。


 大地が乾き、本来の固さを取り戻す事を待ち望む彼らは、知らなかった。

 帝国の先鋭部隊が、土と水のオノマを駆使して、泥濘を助長している事を。



 ヒポタムスの街内の一番高級な宿を借り上げて、臨時の作戦本部を設置した一方の帝国軍。

 その会議室とされたラウンジで、先鋭部隊の将軍を補佐し、作戦立案に助言をする一人の男が居た。


 「申し上げます、ペルトウ将軍。一番から三番までの谷で泥地を維持、共和国軍を足止め出来ております。


 真新しい、青く短いマントを羽織った剃頭の白人男性。

 かつてクアッダ侵攻戦に参加し、戦術眼を認められて参謀の列に抜擢され、グラードル個人に忠誠を誓うと公言した男。ピストスであった。


 彼もまた、グラードルの私戦に参加した汚点を返上するために、積極的にこの戦いに参加する者の一人だった。


 「うむ、お前を我が第三軍に引き抜いて正解だったな。我が第三軍は集結したか?」


 「申し上げます。強行軍にて先鋭部隊のみ先行した第三軍ですが、本隊は到着し後は輸送部隊を待つだけです」


 帝都への帰還途中だった第一第二軍は統合されて第一軍、第四第五軍も同じように統合され第二軍へと再編されて、ヒポタムスへと向かっているとピストスの報告は続く。


 報告を受ける第三軍将軍のペルトウは、軍人らしい堂々とした体躯を持つ、茶の髪を後ろに束ねた壮年の戦士だった。

 彼の率いる第三軍は、先のクアッダ侵攻戦においては一つの戦果も上げていない。


 第三軍は、パライオン川を渡って南からクアッダ王国へと移動する最中、上空を何かが通り過ぎたかと思うと、馬達が発狂した様に暴れだし、それだけで数十名の怪我人を出してしまった。


 移動と移送の要である馬達が逃げ散ってしまったせいで軍行速度は大幅に鈍り、クアッダ王国周辺に到着した頃には既にクアッダ王国はもぬけの殻。

 逃亡したと思われるクアッダ国民を追って、エラポス方面に移動中にグラードルが急襲されて死に、帰国の途に付くと言う散々な戦果だった。


 上空から第三軍を発見した魔王と竜人が、殺意と食欲をぶちまけた為に馬達が逃げ散った事など、ペルトウ将軍は知る由も無かったのである。


 帝国が公式発表した「グラードルの演習」という事ならば、彼の第三軍は「ひたすら軍行の演習を繰り返した」と言えるのかも知れない。


 「事実上の最強部隊は我が三軍と言う訳だな。名誉を回復する機会を与えてくださったプトーコス宰相閣下には感謝せねばな」


 青いバンダナの将軍プトーコスは、新皇帝イドロを補佐する為に特別遊撃隊隊長の座を退き、宰相として帝国を導く道を選んだ。

 この決断には、アニキとも魔王とも呼ばれる人物が、多分に影響を及ぼして居たのだが、その事を知る者は少ない。


 そしてその会議から五日後、地面の泥濘がいくらかマシになった所で、共和国軍は谷の強行突破を開始した。


 狭い三箇所の谷に、長蛇の列をなして進軍する共和国軍。

 谷の出口三方向から、共和国軍の機装兵を迎え撃つ帝国軍。


 オノマやバリスタを使って、谷から出てくる機装兵の先頭集団に攻撃を集中させ、共和国軍の侵攻を防いでいた帝国軍だったが、精鋭オノマ兵を失った帝国軍は、防御力に物を言わせた半ば強引とも言える機装兵の軍行を阻みきれなかった。


 第二の谷が突破されたのを皮切りに、続けざまに第一第三の谷が突破され、帝国軍は後退を開始した。

 細い街道のお陰で、守る帝国軍は後退しながらも機装兵を一体、また一体と行動不能にしていったが、帝国軍の騎兵隊も大規模な突撃が出来ない。

 巡らせた堀も、そこに流し込んだ油に因る炎も、鉄の行進を止めるには至らなかった。


 「ふん他愛もない。この戦、勝ったな」


 双眼鏡を覗きながら、共和国軍の司令官がそんなセリフを言った直後、それは起こった。


 街道脇の森が突然更地になり、騎兵隊が機装兵の隊列の横腹を急襲したのだ。

 突然の横合いからの攻撃に共和国軍は乱れ、二度三度の突撃を許した挙句、犠牲を払いながら前進を続けた十キロのうち、三キロの距離を後退して陣を張った。

 

 一方の帝国軍司令部もまた、この反転攻勢の様子を望遠鏡で覗いていた。


 「あそこで一旦陣を張る様だな、時間は歓迎だがまだ日は高い。どう思うピストス」


 ペルトウ将軍に問われたピストスは、望遠鏡を下ろして応える。


 「申し上げます。機装の稼働時間かと思われます。新型の稼働時間は不明ですが、オノマで切り開いた森にこちらも陣を張って、騎兵隊に休息を取らせましょう。次に稼働時間の終わりを迎えた時に一気に突撃させるのです」


 「森の中に更地を作って騎兵隊を待機させ、光のオノマで森に見せかけておいて一気に横腹を突く。見事な策だピストス」


 ペルトウ将軍の賞賛を軽く頭を下げただけで、さも当然の如く受け流すピストス。

 だが、そのピストスとて、全ての状況をコントロール出来ている訳ではない。


 共和国軍の新型機装兵が、予想以上に早い。

 硬さも想定の上限一杯だ。

 クアッダ王国の塹壕を利用した火計も模してみたが、あれ程の瞬間火力は出せない。何の油だったのか、サンプルを入手出来なかった事が悔やまれる。


 事実、見事に成功した騎兵隊に因る側面攻撃ではあったが、第二軍が到着し第三軍と合同での騎兵突撃の準備が整ったのはついさっきだ。

 もう少し機装兵の進軍速度が早ければ、逆に騎兵隊が包囲殲滅される危険すらあったのだ。


 だがピストスには、勝利の鍵は見えていた。


 機装兵に欠かせない電源筒。

 共和国軍の後方何処(いずこ)かに、電源筒を運搬する部隊が必ずある。

 それを見つけ出して破壊すれば、如何に機装兵が強力でもいずれは鉄の人形になるしか無いのだ。


 帝国軍はズルズルと後退する様に見せながらも、その速度を調整し共和国軍後方へ斥候を放っている。

 時間は自分たちの味方だ。

 ピストスはそう考え、時間をどの様に上手く使うかに多くの思案を割いていた。


 そして共和国軍、最前線の陣中。

 ここにも時間を上手く使う事に、腐心する者がいた。


 「ザカー!何故後退した!機装の能力を盾に前進を続けろとの基本方針を聞かなかったのか!?」


 木々の間にロープをめぐらし、迷彩柄の布で覆っただけの陣指揮所。

 その布を跳ね上げて指揮所に入ってきたのは、濃い黒髭を蓄えたキツイ目。

 ガッシリとした身体つきに伸びた背筋。如何にも職業軍人らしい実年の男だった。


 「ハヤウィヤ団長、現在先陣にあるのは我が団です。指図は総司令部を通して頂きたいですな」


 露骨に嫌そうな顔でそう反論したのは、ザカーと呼ばれた丸メガネを掛けた中年の男。

 短く刈り込んだ黒髪、長身だが少し曲がった背筋、細い線。

 指揮所に怒鳴りこんで来たハヤウィヤと、同格の団長だと一目で気付く者は殆ど居ないだろう。


 指揮所の中で、テーブルの設置をしていた兵士達が、そそくさと指揮所を後にする。

 そんな様子を気に留める事もなく、ハヤウィヤはザカーに向けて大きな声を出し続ける。


 「後ろがつかえておるから言っとるのだ!怖気づいたのなら軍団を寄せろ!我が軍団が鼻を取る」


 「先に谷を突破した軍団が、先陣を切る約束でしょう。総司令部の決定に異を唱えるなら、総司令部でどうぞ」


 ふん!腰抜けが。

 ふん、猪が。


 二人はお互いに軽蔑の眼差しを交換し、腰に手を当てた。


 「稼働時間には、まだ余裕があるだろう。使いこなせないなら代わってやると言っておるのだ」


 「敵はまだ新型機装の稼働時間を知りません。そして稼働時間を知ればそれに合わせて攻勢を掛けて来るでしょう。だから罠を張るんです」


 「ふん!そんな事などせんでも今の機装なら押し通せるわ!時間が掛かれば帝国軍の増援が増えるばかりだと言う事を忘れるなよ!」


 そんな事は言われなくとも分かっている。ザカーが半目でそう応えると、ハヤウィヤは威嚇するように歯を剥き出しにすると、指揮所を大股で去っていった。


 ハヤウィヤが去ったのを確認して指揮所内に作業に戻る兵士達。


 「ザカー団長、毎度大変ですね」


 「まったく……敵を見たら突っ込めば良いとアイツは思ってる。まぁアイツの場合、自分で先頭に立つからそこまで嫌いでも無いんだが」


 「ザカー団長が同期で自分より若いからって、ライバル視し過ぎなんですよ」


 「そこはどうでも良いんだが、いきなり横腹突かれたのは驚いたな。オノマをああいった使い方して来るとは……敵に切れ者が居るぞ。気を緩めるなよ」


 「「ハッ!」」


 結局その日、陣まで戻ってくる約束でハヤウィヤの軍団は帝国軍に夜襲を仕掛け、これあると待ち構えていた帝国軍に手痛い反撃を受けて戻って来た。


 少しだけ大人しくなったハヤウィヤにザカーは「後十キロ押せば二軍団が並んで布陣出来る場所に出る。それまでは戦力を蓄えてくれ」と告げて、第二陣に下げさせたのであった。



 長年、戦を繰り広げた両国軍。

 リニュー駆逐の為に世界を支配しようとする帝国と、帝国の支配に対するアンチテーゼとして民主主義を掲げた共和国。


 長い時の中でいつしか建前は本音と区別が付かなくなり、自らを正当化する為に相手を辱める。

 互いが互いを屈服させる為に死力を尽くし、争いを放棄する為に作られたライブラと、豊かに暮らす為に作られた科学技術を持ち合って殺し合う。


 この年、根地の森迎竜戦で一旦は回避されたかに見えた帝国と共和国軍との戦いは、こうして始まった。


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