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100話 離反

 ルンマーンを僅か半日で陥落させる事に成功した共和国軍は、次なる目標、ヒポタムスへと向けて、既に移動を開始していた。

 その知らせを、書面にて共和国首都ハリーブの私邸で受けた男が、右の口元だけを釣り上げて笑う。

 黒いターバンを頭に巻き、浅黒い肌をスーツに包み、灰色の瞳を光らせる壮年の男。共和国新議長カルディナルであった。


 前議長カーヌーンは、根地の森迎竜戦で死んだ。


 行く必要も無いのに、先陣の口上を述べる為にわざわざ戦場へと赴き、成竜降臨の混乱の中、無駄に命を落としたのだ。


 「私は瑣末(さまつ)な名声などいらん」


 カルディナルは呟く。

 彼の目的は、帝国を滅ぼし、帝国が専有する古代技術を共和国民に開放し、人々に文明的な生活を取り戻す事。

 それが叶えば、共和国議長カルディナルの名は、未来永劫語り継がれるだろう。


 カルディナルは共和国の議会制がもどかしかった。


 何をするにも時間が掛かり、声が大きいだけの少数派に譲歩して、結局は玉虫色の結果しか出せない。

 そんな議会を、カルディナルは金と時間を掛けて侵食した。


 自らの親派の議員には金を配り、意に沿わない議員にはスキャンダルや事故が降り注ぐ。議会は次第にカルディナルの親派で固められていった。


 そして今、盤石の体制を議会内に築いたカルディナルは、共和制度内において皇帝にも等しい権限を有するに至っていた。


 「序列上位の者が多数失われたが、大丈夫か?」


 ソファーに深く腰を下ろすカルディナルの向に、一人の男が座っていた。

 黒いターバン、浅黒い肌、灰色の瞳。


 着衣こそ違うもののテーブルを挟んで座る男は、議長カルディナルにそっくりだった。

 ただ一箇所、右頬を縦に抉る大きな傷以外は。


 傷の男が、口を開く。


 「兄者は何も心配せず、共和国の表を支配すればいい。裏は私が支える。ネヒマもワハイヤダも所詮は人形だ。代わりは幾らでも居る。それと何処に耳があるやも知れん。砂嵐盗賊団を壊滅したからと言って油断するな」


 「そうだな、油断は大敵だな」


 カルディナルそっくりの、傷の男。

 彼の名はジャラード。

 カルディナルの弟にして、ラアサ等の盗賊団が、遂に尻尾を掴む事が叶わなかったナツメ商会の実質的な支配者。

 腐敗した共和国の影の面を支配する、裏の顔であった。


 「例の暗殺団が依頼をキャンセルして来た時は驚いたが、ヒポタムスを包囲すれば、いよいよ帝国へ宣戦布告だ。今頃はトラゴスにもネビーズにも物資が運び込まれて挙兵の準備が進んでいよう」


 「ふむ、頼りにしているぞ。我が弟よ」


 その時ジャラードが、不意に視線をドアに走らせると小さく唇を動かし、姿を消した。

 直後、ドアがノックされ、秘書が部屋に入ってくる。


 「議長閣下。議事堂へ行く時間でございます」


 その言葉を受け、鷹揚に頷いて、ソファーから立ち上がるカルディナル。

 秘書がドアから出るのを見送ったカルディナルが、ソファーを振り返った時、既にそこには弟ジャラードの気配は無かった。



 その頃共和領ネビーズでは、議会からの特使が、中央広場に兵士達を集めて熱弁を振るっていた。


 「我が共和国が、真の自由と繁栄を取り戻す時が、遂にやって来た!帝国の圧政を逃れて建国してじきに百年!民の為に古代技術を開放してきた我ら共和国が帝国を討ち滅ぼすのだ!」


 顔を紅潮させ、カイゼル髭を震わせて、声を張り上げる特使。


 「帝国への宣戦布告と共にエラポスを占領し、南北大街道を支配下に置くのだ!さすれば今より更に豊かな暮らしが皆を……」


 特使の声は尻窄んだ。

 兵士達の反応が弱い、と言うか、無い。


 幾度と無く叱咤激励・戦意高揚の弁を振るってきた彼にとって、この様な反応は初めての経験だった。

 整列した兵士達の囁きが、聞こえてくる。


 「エラポスと戦争?何か……ちょっとな……」

 「だよなぁ、助け合ってやっと拾った命なのに」


 兵士達の様子を見守る群衆からも、エラポスとの戦争に否定的な囁きが漏れる。


 その群衆の中。

 銀髪にカイゼル髭の小男と、おかっぱ黒髪に赤地に白の水玉のリボンを付けた少女の姿と、無駄に大きな胸を隠そうと、ダブついた服を着た女の姿があった。

 少女の口元に「ピョコン」とカイゼル髭が現れ、小男に小突かれて消える。


 『こら、バレるだろ』


 『おヒゲ、おそろなの』


 俺とリンクスと鉄子は、ネビーズ守備隊長のダファーに会うために、ここネビーズに潜入していた。まさか変装のカイゼル髭がかぶるとは思わなかったが。

 アイツは変装じゃ無いか。


 共和国軍に導入された、新型機装のスペックとかを知らないかと思って訪ねてきた訳だが、こんな煽動演説を聞けるとは。


 中央広場に整列したネビーズの兵士達が、一人また一人と座り込む。


 なんだ?


 「俺はエラポスと戦争するなら、除隊します」

 「そうだな」

 「オレも除隊します」

 「女房が産気付いたんで……」


 座り込む人数がどんどん増え、遂には幹部以外の殆どが地面に腰を降ろしてしまった。

 それを見たカイゼル髭の特使が、髭を震わせて抗議の声を上げる。


 「き、貴様等それでも栄誉ある共和国軍兵士か!?」


 「栄誉あるじゃなくて、命ある兵士ですんで。ここに居る者の殆どは、先の根地の森迎竜戦で命を拾った者です。それもエラポスの兵士達と肩を貸し合って。いまじゃ直接取引もあって、顔見知りもいっぱいいるんで」


 ありゃ?最前列で座り込みして異議を唱えているあの男は、守備隊長のダファーじゃないか。

 何か、ちょっとまともなヤツラも居るんだな。


 本来、言葉が通じるだけで、極限状態での殺人は減る筈なんだよな。

 顔見知りで、しかも共に死線をくぐり抜けた仲とあっては、尚の事だろう。


 「エラポスとの戦争は反対っしょ!」


 「そうだそうだ」

 「反対だ!」


 あの女デカ!

 俺の頭の高さに、乳がありやがる。

 体の割りに頭が小さくて、顔の割りに目が大きくて、モデルみたいな女だな。

 個性派美人って感じだ。


 「どう言う事だ!市長代理!兵士達も教育出来んのか!?」


 特使の怒りの矛先は、市長代理である黒縁メガネの男、ニザームへと向けられた。


 「教育も何も、ここは共和制の国。市民の意志が尊重される民の国ですよ」


 黒縁メガネの中央を人差し指でクイッと上げて、特使を見つめるニザーム。

 特使は再び顔を紅潮させて、声を荒らげる。


 「何だと若造が!民の意志を束ねた最終決定の場である中央議会の決定だぞ!貴様の理屈は、部分的多数派でしか無い!そんな事も判らんで市長代理をやっとるのか!」


 「その中央議会の内部が、部分的多数派なのでは無いのですか?帝国と隣接するこの街ですら、何の軋轢(あつれき)もありませんよ。帝国との争い事など無いのです」


 おお?

 あのモフモフ狂い、マトモだぞ!?


 「若造……若くして権力を握って調子にのっておるな。汚らわしい魔獣の国とまで不可侵の約を結ぶ、恥知らずな男め。中央議会の権限で貴様の市長代理の任を解く!その生意気な口を閉じて、家に帰って母親の乳でもすすっておれ!」


 特使は市長代理のニザームを指さして、この場から連行しろと近くの兵士に命令する。

 ……だが。


 「何いってんだいこのエロ髭!ニザームさんのお陰で随分と暮らしやすくなったし、帝国の物だって安く手に入る様になったってのにさ!」


 「根地の森の魔王様を馬鹿にしてんの!?アンタら中央の役人は税金を持ってくだけだけどさ、魔王様はあたしの旦那の命を助けてくれて、魔獣が子供を襲わない様にしてくれる。アンタらなんかよりよっぽど有難いお方よ!」


 「そうよそうよ!」

 「下品な髭落としてさっさと帰りな!」


 群衆の中の女達から、次々と声が上がる。

 ぐぬぬ……と顔を赤黒く染める、カイゼル髭の特使。


 女……いや、母親はいつの時代でもやっぱり強いな。

 しかしこの褒められる展開は、ちょっと慣れないな。照れくさい。


 「おのれ中央議会に叛意を表す愚民共め!見せしめにこのネビーズに攻め入って直轄地にしても良いのだぞ!」


 「ネビーズに攻め入るなどと言われては、黙って受け入れる訳には行きません。そんな事をするなら、ネビーズは共和国から分離独立して、エラポス及び根地の森との同盟を模索しますよ」


 「ふん!現実も見えぬ若造が!帝国が同盟など結ぶものか!まして根地の森など魔獣の巣では無いか!言葉も通じぬ魔獣と同盟など結べるものか!」


 罵声を浴びせられたニザームは、不意に群集に紛れる俺の方を見た。

 周囲の視線が徐々に集まり、俺達の周りの人垣が割れる。


 おぉ、モーゼだ。

 って場合じゃ無い。


 折角のお忍びだったのに、こうなっちゃしょうがねぇ。

 俺は一歩前に出ると、カイゼル髭の特使と目を合わせたまま、右手で付け髭の端を掴み、右から左へとゆっくりと付け髭を剥がした。


 「……」


 「……」


 カイゼル髭の特使と、カイゼル髭でなくなった俺の間に無言の沈黙が降りる。


 「……誰だ?この小男は?」


 目をパチクリさせて、ニザームに説明を求める特使。


 そうだった。コイツ「初めまして」じゃん。もったいぶって変装解いたが何の意味も無いじゃん。

 そもそもクアッダ王国じゃ無いんだから、俺の顔知ってる市民すら居ないだろうに、俺は何を勘違いしてこんな登場をしてしまったのだろう。


 『恥ずいの』


 「恥ずかしいです。アニキ様」


 分かってるから追い込まないで!


 ニザームが俺に近付くと、後を追うように特使とその護衛の兵が俺の前に並ぶ。

 特使をチラリと見てから、俺に話し掛けるニザーム。


 「魔王様、もしこのネビーズが共和国を離脱した場合、根地の森との同盟は可能でしょうか」


 「はあ?小芝居はよせ若造、こんな小男に魔王などと」


 小馬鹿にした顔で言葉を挟んだ特使だったが、視線は鉄子の爆乳に釘付けだった。

 ダブダブの服を着て尚、視線を固定するとは鉄子の爆乳恐るべし。


 これは……まさか。黒衣の男ミ・ディンとの決戦でも、視線を固定する最終兵器に成り得るのでは?

 いやいや、流石にそれは無いか。

 てか、今はそれじゃ無い。

 

 しかし特使の馬鹿にした顔が、イラッと来るな。

 変身して度肝を抜いてやる。


 俺はモードFに入らない様に慎重に……。


 メキメキッ。


 俺の左腕はうねった盾剣になり、膨らんだ全身は赤黒い鱗に覆われ、背中から尾に掛けて花崗岩の様な突起物が生える。

 大小四枚の純白の翼が広げられ、風が地面を叩く。

 首は伸び、鼻は前方に伸びて鋭い牙の並ぶ口は顔横まで裂ける。

 頭部から伸びた角はねじれながら前方に伸び、見開かれた金色の瞳は特使を睨みつけた。


 「!!!!!!!」


 言葉を発する事も出来ず、その場に尻もちを付いて、ガクガクと体を震わせる特使とその護衛達。


 「アニキ様……また少しステキになられましたね」


 鉄子が、幸悦した顔で俺を見上げている。

 ん?姿変わってる?


 「「「キャーーーーーーーー!!」」」


 周囲の群衆から悲鳴が上がる。


 あ、しまった。

 パニックなるわこれ。すまんニザーム。


 「ドラゴンだーー!!」

 「すげーー!いっつも森の上飛んでるのと一緒だ!」

 「当たり前だろ!魔王が魔獣抱えて飛んでんだぜ!」

 「硬くてスベスベよ!」


 あ……あれ?

 ガキンチョ共が、俺に群がってるんですけど?


 「おい魔王、この腕どうなってんの?」

 「銀のもふもふやわらかーい」

 「わぁ!羽にも乗れるよ!」


 ガキンチョ共が、俺によじ登ってるんですけど?

 おいガキ、盾剣に触るな、危ないだろ。


 腰を抜かして、ガクガク震えて小便を漏らす特使共とは対照的に、ガキンチョ共はまるでジャングルジムに登る様に俺に群がり、腰から背中、肩から頭までよじ登って来る。

 落ちたら怪我するって。危ないから。


 「こらこら、魔王様に失礼でしょう。まずはちゃんとお礼をしてからですよ」


 「「「はーい、市長さん」」」


 ニザームの言葉に、ガキンチョ共は俺から降りると、一列に整列した。


 「せーの」

 「「「魔王様、ボク(アタシ)のパパを助けてくれてありがとう!」」」


 ガキンチョ共は一斉に、ペコンとお辞儀をした。

 そして顔を上げると、キラキラした目で俺を見つめている。


 これは「触っていい?」って目だ。魔獣もガキもこの辺は一緒だな。

 俺がコクリと頷くと、ガキンチョ共は歓声を上げて、再び俺によじ登り始めた。


 「すげー角がぐりーんってなってる」

 「羽が太陽の匂いするー」

 「あーほんとだ!」


 「リンクスなのお兄ちゃんなの」


 誇らしげなリンクス。

 ガキンチョには、ヤキモチしないのな。


 そうか……俺はコイツらからすれば、親の恩人って事なのか。

 ニザーム辺りが、コツコツと魔王のお陰とか説いて歩いてたんだろうか。魔獣の被害も激減して、暮らしやすくなったとは言ってたが。


 いつの間にか逃げ散った特使共をよそに、俺は群がるガキンチョ共とは温度の違う視線を感じて、周囲を見渡した。


 建物の陰から暗い表情でこっちを伺う、ガキンチョのかたまりが幾つもある。

 俺を責める様なその眼差しは、こう言っている様に感じた。


 どうしてボクのパパも助けてくれなかったの……と。


 気持ちを察してやる事は出来るが、どうしようも無い。

 下手をすれば森の魔獣達も、ネビーズもエラポスも全滅してたかも知れないんだ。ベストとは言わないが、ギリギリの選択だったし、俺達も死に掛けた。


 ここで詫びるのは簡単かも知れないが、あのガキンチョ共の為になる事は一つも無い。乗り越えて強くなるしか無いんだ。


 『あ、リンクス〜』


 「鉄子〜」


 「ニザームさん、ちょっとよろしいですか」


 「え?孤児達を集めて?……大きな馬車ですか?」



 「「わーーーー!」」

 「「「きゃーーーーーー」」」


 子供達の歓声がネビーズの街の空に響いた。


 街中の人が、顎を高く上げ、晴れ渡った空を見上げている。

 いや、空に浮かぶ馬車と、それを釣り上げて羽ばたく翼竜を見上げている。


 上空千メートル。ネビーズの街や根地の森はおろか、南は遥か大河アルヘオの源流たる山脈、北はメラン海まで見晴かす大パノラマ。


 豆粒の様な家や自分達の下を飛ぶ鳥の姿に、ガキンチョ共は興奮し、その目からは既に他者を責める様な眼差しは消えていた。


 地上に降りた馬車から、ガキンチョ共が次々と飛び降り、次のガキンチョ共が乗り込む。


 「「「魔王様!ありがとうございました!強く生きます!」」」


 ガキンチョ共が、声を揃えてお辞儀をする。

 降りたガキンチョ共が手を振って見送る中、馬車はゆっくりと地上を離れる。


 初めは怖がって、馬車の縁にしがみついていたガキンチョ共が、徐々に身を乗り出す。落ちんなよ。

 リンクスが下で見てくれてるから、問題ないとは思うけど。


 馬車が屋根の高さを超える時、俺はさっきと同じようにたてがみの銀糸をガキンチョ共の頭に伸ばし、たった二つだけ告げる。


 世界は広い。

 強く生きろ。


 俺は高度を上げる。


 親の死が小さな事だとは言わない。

 だが、世界は広く、ガキンチョ共の可能性は更に広い。


 昨日の結果としての今日じゃなく、明日の為の今日を生きて欲しい。

 俺は素直にそう思った。


 夕方まで掛かって、孤児達に空をプレゼントした俺は、孤児じゃ無いガキンチョ共にまで空をプレゼントする約束までさせられて、その日のフライトを終え、夜になってようやくダファーと話す時間を得た。


 「隊長、魔王が訪ねて来るなんてさすがっしょ!」


 ……あなたが「コホルちゃん」でしたか。



 二日後、ネビーズは共和国を離脱し、都市国家として独立。

 正式に根地の森と同盟を結んだ。


 この地域の勢力図が、大きく書き換えられたこの年。

 だが暦では、まだ今年はひと月の歳月を残していた。


遂に100話に到達しました。

お付き合い頂いている読者様に、改めて感謝です。

完結まで頑張ります。今後共宜しくお願いします。

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