EL DIABLO・5
スプリングスより三キロ西、フアレス。
フアレスの町は鉱山が近いこともあり比較的賑わっている小さな町だ。夕暮れ時、サルーンは家に帰る前に疲れを酒で癒そうとする鉱山労働者で満席になっている。そのためポーカー台に酒を置いた男とポーカーをプレイする男とで口論になり、喧嘩まで勃発した。店主は気にも留めない。飽きるまで殴り合えばいい。
ここに来る男たちは喧嘩の作法を知っている。銃を使わずに拳と拳で気の済むまで殴り合う。だから保安官も目をつけることは無かった。
ポーカー台に酒を置いた男は大層酔っているようで、千鳥足だがその拳の力は素面と変わらない。正拳が男の肩にめり込む。狙いは良くないが殴られた男は骨が折れたようでぎゃあぎゃあと喚きながら転げまわっている。この決着は着いたということだろう。
うずくまる男に唾を吐きかけて男はカウンターまで行くとバーテンに酒を頼んだ。
「エラディオ。もうやめた方が良い」
バーテンは顔を真っ赤にした男に言う。その赤は酒と怒りのせいだろう。比較的甘いマスクの下、はだけた胸元には胸毛が生えそろっている。
「誰に向かって言ってんだ!?俺を誰だと思ってんだ!?ああ畜生!どいつもこいつも癪に障るぜ!!」
酒が入ると何に対しても傲慢で声のでかいエラディオはいつもと変わりがないが、それにしたって今日は機嫌が悪い。エラディオより顔のしわの数が多い酒飲み仲間たちは彼の顔を窺いながら静かに尋ねた。
「どうしたエラディオ。随分ヤケじゃねぇか」
「どうしたもこうしたもあるかよ!!あのクソアマ!まだ殴り足りねぇ!」
エラディオは音を立てながらボトルをテーブルに置く。満杯まで注がれた酒が静かにグラスを伝って流れていく。
「お前、女に手ぇあげたのか」
「手前の女に手ぇ上げんのはアメリカ人の血の証だろうが」
「あんたはメキシコからやってきたんじゃなかったのか」
エラディオはその言葉を無視してバーテンが仕方なく出した酒を煽る。
「あの女、俺以外の男と寝てやがった」
「よくある話だ。俺はカミさんに俺が近くにいないときは誰とでも寝ていいって言ってる。夫婦仲良くしたけりゃそれが一番だ。お前はまだ若いからそれが分からんだろうがね」
「寝取られじじぃのたわごとなんか聞きたかねぇよ」
「それで?気は晴れたのか?」
「晴れてるように見えるか?」
「いいや」
「ガキがいたのも知らねぇ。それも三人もだ」真っ赤な顔の前にエラディオは三本指を立てながら強調する「あの年で三人も子供がいる売女だとは夢にも思わなかったさ」
飲み仲間たちは眉間にしわを寄せながらお互いに目配せをする。彼らには嫌な心当たりがあった。
「俺が一発殴ってやったら奴は言った。フランクがそろそろ帰ってくる。あんたなんか殺されちまえばいいって喚いてた。たぶん奴の男だろう。どうせしょぼくれた負け犬に違いねぇ」
「・・女の名前は・・アマンダか?」
「ああそうだよ。知り合いか?そりゃ悪かったな。どうせ一週間もすれば退院だ。そんときゃ俺に対する姿勢も変わってるだろうよ」
飲み仲間たちはすっかり素面に戻っていた。エラディオより一回り年の離れた彼らは知っている。エラディオはとんでもない男を怒らせてしまったかもしれない。
「アマンダの男のフランクってのはなぁ・・あのフランク・レッドフォードのことだぞ」
エラディオは目を丸くした。その後でふっと息を吐くと声を上げて笑った。
「フランク・・!?フランク・レッドフォードだと!?あはは!!マジか!そいつぁすげぇや!あの伝説の賞金稼ぎがあんな売女と寝てるってのか!そりゃ随分地に落ちたなぁ・・若けりゃなんでもいいってか伝説の賞金稼ぎもよぉ」
「あんた気は確かか?奴を知ってるなら自分が何を相手にしてるのか分かってんだろ?」
「あぁ・・分かってるさ」エラディオは涙を拭い、口元に飛んだ唾も拭う「昔は名を馳せたおいぼれの事さ。人が良すぎて死んだのかと思ってたぜ」
飲み仲間たちは再び顔を見合わせる。エラディオは知らないのだ。フランクが伝説の賞金稼ぎと呼ばれ、人々から敬愛されるその裏で何をやっていたのかを。
「アマンダは奴の友人の娘だよ。だからお前が殴ったのはフランクの娘を殴ったのも同然だ。奴は人との距離が他の人間よりも近いからな」
「だとしても俺がその栄光をへし折ってやるよ。爺さんの骨は腐った木の枝折るよりも簡単だ」
「・・俺たちがフランクを見たのも最近の事じゃない。だが確実に言えるのはどうあってもお前の命は危険に曝される運命だってことだ」
「今更奴に何ができる?生憎俺の首に賞金はかかってねぇ。仮に奴が銃を抜いたとしても奴は自分の栄光に泥塗って刑務所送りだ」
「・・お前さん、奴が善人だと思ってんのか?」
飲み仲間の一人が静かに尋ねるとエラディオはグラスを置いてようやく飲み仲間に向き直る。
「・・は?」
「奴はなぁ・・お前たちの仲間からこう呼ばれていた。エル・ディアブロ。悪魔って名前でな」
スプリングスから少し離れた場所にあるセント・ハーシェル教会に隣接された病院の一室でフランクはまだ目を覚まさぬアマンダの隣に座る。アマンダの目には大きな丸いあざがあり、唇の端は切れ、町の男たちが惚れた美貌も見る影も無くなっていた。
もちろん病室は個室ではなく、歩けない老齢の病人たちがベッドに横たわっているばかりだ。小さな埃が光帯に照らされながら静かに舞うこの病室でフランクはアマンダの起床を待っていた。
「・・フランク」
アマンダの片目がゆっくりと開かれる。
「ようアマンダ。大変だったみたいだな」
アマンダはしばらく何も言わずにフランクを見ていた。その片腕がフランクへと伸びる。フランクはその手を取って優しく握りしめた。
「子供たちは大丈夫?」
「ああ。とりあえずは仲良くやってるよ。少しばかり寄っていくつもりがここにいてくれってせがまれちまってなぁ」
アマンダはその頬に笑みを湛える。
「その願いは叶えてあげられそう?」
「それくらいならお安い御用だが・・俺は料理ってモンが出来なくってなぁ・・。あいつらが言ってたエルマおばさんって人に頼もうと思うんだが子供たちは嫌がってるらしい。一体何もんなんだ?」
「父さんの妹よ。聞いたことなかった?」
「ダレンの?いいや、あいつからは聞いたことなかったな」
「まったく父さんったら・・身の上話をする人じゃないのは分かっているけど自分の家族のことくらい話してあげればよかったのに」
「お前のことは耳にタコができるくらい話してたけどな」
アマンダは再び微笑んだ。閉じ切った痣のある目から静かに涙が垂れる。
「エルマおばさんはあまり社交的じゃない人なの。なんでもきちっとしてて・・まぁ子供には好かれないタイプね」
「ちと面倒な相手だな」
「でも根は良い人だから、きっと力になってくれる人よ。私もそう思って子供たちに訪ねるように言ったの」
「・・じゃあ帰りに寄っていくか。それより具合はどうだ?よさそうには見えないが」
「まだあちこち痛むけど・・でも大丈夫よ。見た目より強いんだから」
「ダレンの娘だ。言わなくても分かるよ」
「それより私・・エラディオのことが心配よ。きっと私が退院したらまたやってくるわ。何とかして欲しいんだけど・・」
「できる範囲でやってみるさ」
エラディオは悪人だ。それは分かる。昔の自分ならすぐにエラディオのもとに赴いて、気の済むまで殴った後で「もう二度とアマンダに手を出すな」と言い放っただろう。
だが、今は違う。決してもう若くはない。それにエラディオに比べれば自分の方がずっと悪人だ。所業が世間に知れ渡ればすぐに首を吊られることになるほどの。時間の経過はフランクを強くしたが選択肢の幅は日々少なくなっていくばかりだ。
「ねぇフランク」席を立とうとするフランクをアマンダが呼び止める「明日もまた来てくれる?」
「もちろんだ」帽子を深くかぶった後でフランクは歯を見せながら笑う「約束は守る主義の男だからな」
アーニャたちがやって来たのはナターリアの書斎だった。アーニャもかつて見たことのある本が本棚に並べられている。場所は違えど埃臭さはあの時と同じだ。アーニャはこの空気の中で数年間ナターリアの傍にいた。今も椅子に座ったナターリアの傍で立つ黒いドレスの少女と同じように。
「お客様を呼ぶことが無いもんでねぇ・・。生憎席はこれしかないんだ。悪く思わないでくれよ?」
ナターリアはドレスの少女に数枚の紙を持ってこさせる。煙草に火を点けた後でナターリアは静かに話し始めた。
「さて、問題が発生したことについて話す前に君には先に謝っておこう。全部あたしの不備が招いたことだ」
「不備・・?」
「そうさ。これは前のわが家に備えてあった生体写膜だ。ネズミや虫程度じゃ反応しないが人くらいの大きさの生き物が通ると一回きりだけそれを膜に映す。あたしが先住民の視覚器から作った代物だ。これ一枚で小さな町が人間ごと変えるくらいの値段はふっかけられる」
アーニャはその生体写膜を手に取る。写膜は暗く何が映っているのかさえはっきりとは分からない。
「それじゃ真っ暗で何も見えないだろう。ランタンの光に透かして見てくれ。ああ、くれぐれも気を付けてくれよ。熱にはたいへん弱い代物なんだ」
ランタンの光に近づけると写膜には黒い人影が映り込んでいるのが分かる。アーニャは尋ねた。
「それで?これが何だって言うの?前の家はもぬけの殻なんでしょ?こそ泥にあんたから何が盗めるって言うわけ?」
「大事なものを忘れてたのさ。ここに唯一持ってこなかったものがある。今は必要ないからねぇ」
ナターリアは灰皿に煙草を押し付けると悪びれもせずに言った。
「君の名前さ」
次の瞬間にはアーニャは銃を抜いていた。思考を一切伴うことなく銃口をナターリアに向け撃鉄を起こしていた。ドレスの少女もまた今の一瞬で銃をアーニャに向けている。ナターリアの傍に置かれるだけはあるということか。
「謝ったじゃないか」
「謝って済む話だとでも?」
「今回の件については重々承知さ。だから君にわざわざ教えに来たんだ。あたしも動く。すべてなかったことにする。お互いこういうことは得意だろう?」
「私一人で十分よ」
「だが君は敵を知らない。あたしは知ってる」
「三秒以内に教えなさい」
「断る」
「二」
「あたしにも責任を取らせてくれ」
「一」
「君の力に」
張り詰めた空気を銃声が引き裂いた。アーニャの弾は外れ、代わりに銃弾が肩を貫いている。薄い黄色のドレスを徐々に赤黒い血が染め上げていく。
「・・紹介がまだだったね。君の後任のアリスだ。あたしの愛しい愛しい娘。出来は彼女の方が良かったらしい」
アリスは銃をテーブルの上に置いてナターリアへと直る。その頬に向けてナターリアの平手打ちが飛んだ。赤く染め上げた頬に何を言うことも無く、アリスは目を伏している。
「だがアナスタシアもまたお前と同様に愛しい存在だ。あたしを護ったことは褒めてやる。だが、彼女に穴を空けたのは重罪だ。分かるな、アリス」
こく、とアリスは頷いた。
「それでいい。次にアナスタシアがあたしに銃を向けるようであればアナスタシアを傷つけずにそれを止めてくれ。お前ならできるはずだ」
ナターリアは肩を抑えるアーニャに視線を戻す。
「奪われたのは君が前の家にいた時のリストだ。今はただそれだけ。それと君とを結びつけるにはまだ少し時間があるだろう。そうなる前にあたしの家に侵入した不届きものを消してほしい。君と、あたしの右腕でもあるアリスの二人で。君のために。あたしのために」
「当然。あたしのために殺すわ。でもこの出来損ないを同行させていいの?悪いけど壊すわよ。バラバラにしてここに戻してあげる」
「こんなことを言いたくはないが・・今の君はジャンクだよ。世間の風が君を錆びつかせた。ジャンクにあたしのアリスは壊せない。出来ないと思うならやってみればいい。君は死に、世界に名を知らしめ、世界最大の悪として処刑される。誰かの懐にはした金が入って、それで終わりだ。それは君が最も望まない結果だ。そうだろう?」
「今のうちに言いたいだけ言っておくがいいわ。それで敵はいったいどこの誰?」
「アリスにすべて教えてある。これ以上あたしは何も言う気がないよ。久々に長々と喋ると辛くてねぇ」
「反省とやらはどこにいったのよ・・」
ナターリアは二本目の煙草に火を点けてふがふがと話し始める。
「とにかくアリスの同行が条件だ。くれぐれも傷をつけないでくれよ?」
アリスは黙ったままアーニャを起こす。撃ち抜かれた肩が痛んだがアーニャはそれを堪えてアリスとともに書斎を後にした。
残されたナターリアは一人、大きく煙を吐いた後でいびつな笑みを浮かべていた。




