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Psychopath  作者: 東都湖 公太郎
The long long summer vacation
42/45

4




「う~ん……」

「? 莉子、どうしたの?」


 夜の帳が下りきった帰り道。

 子供の頃からふたり揃ってもう何度となく往復した、帰り道。

 あと数歩ほど歩けば、雪の家が見えてくる。

 その往来で、莉子は神妙な面持ちで俯いて唸っていた。


「……もしかして、さっきの戦闘でどこか―――」

「ち、違う違うっ! そんなんじゃないってば!」

「じゃあ、なに……? さっきの莉子、なにかを堪えてるような感じがしたけど……」

「う……そ、そこまで分かるんだ」

「……そんなの、当たり前。……わたしが何年、貴方と連れ添っていると思ってるの……?」

「んと……じゅ、10年と半年くらい?」

「……正解っ♪ うふふっ……♪」


 正確には10年と84日なのだが、そんな細かいところまで把握していたら重い女だと思われるかもしれない……

 そう考え、『10年と半年くらい?』という解答に及第点を付ける雪。

 及第点とはいえ、雪の顔は緩みきっていた。

 出会ってからの年月を、おぼろげでも憶えて貰っているという事実。

 他愛のないことかもしれないが、恋する彼女にとってはとても嬉しいことだった。 

 そして、表情ひとつからなにを考えてるかまで見透かされてしまっている莉子はというと―――


「えっと……そのっ、わ、笑わないでよ?」

「……うんっ、笑わないよ?」

「じゃ、じゃあ言うけど……っ」


 観念したように目を伏せて、深呼吸。

 なにを堪えていたのかを暴露する為の覚悟を決めたのだろうか。


「っ……、こ、金剛堂のソフトクリームっ、結局食べられなかったなぁ……って。ちょっとだけ、落ち込んでたのっ! それだけっ!」

「えっ……? っ、ぷっ! 莉子ってば、やっぱり食べたかったんじゃないっ……うふふっ♪」

「ああーっ! 笑わないって言ったのにっ! 酷いよー!」

「うふふふふっ♪ ごめんねっ、だって……っ、あんな真剣そうな顔してたからっ……くすくすっ♪」

「むぅぅぅ~~~~っ!」


 笑わないという約束を反故にして微笑む親友を見て、ばつが悪そうに頬を膨らませる莉子。

 しかし、それを強く咎める気は起きなかった。

 何故なら―――


「……ッ! ……っと」

「莉子……?」


 莉子はふいにバランスを崩し、身近にあった壁に寄りかかるように手をつく。


「ねぇ莉子っ……? 大丈夫……?」

「だ、大丈夫大丈夫っ、ちょっとふらついただけ……っ、あ、あれ……?」


 その足取りは、どう贔屓目に見ても『ちょっとふらついただけ』などというものではない。

 だが、その原因には莉子自身少なからず思い当たりがあった。


「あ、あははっ! な、なんでだろ……っ、急に脚に力が……」

「もうっ! やっぱり無理してたんじゃないっ、バカっ……」

「いやぁー無理してるつもりはなかったんだけど……参ったなぁ」


 度重なる精神武装ミリタリアの使用、強化ブーストの乱用、敵の攻撃による消耗……

 先程の戦闘で莉子は肉体的にも精神的にも、予想以上に疲弊していた。

 最初はさほど気にならなかったが、ここに来て緊張感が緩んだのか今まで蓄積されてきた疲労が一気に押し寄せたのだ。

 実は莉子、この変調を誤魔化すためにずっと気丈に振舞っていたのである。


「……大丈夫? 歩ける? ちょっとウチで……休んでく?」

「そんなに心配しないでよ、こんなの全然へーきだって」

「バカっ……! 平気に見えないから心配してるのっ……!! なんでそんなことも分からないのっ!? バカバカっ! 莉子のバカっ!!」

「っ……!」


 普段おとなしい雪の、叱責。

 その気迫に、莉子はどきりとした。


「……貴方はいつもっ、ひとりで頑張り過ぎ……っ、ちょっとはわたしを頼ってよっ……、お願いだからっ……」

「雪っ……あ、あんた……」


 雪の絞り出すような声と、切なそうに紡がれたその言葉。

 それはまるで雨水が乾いた大地に染み渡るように、莉子の心に浸透していく。

 思えば莉子は、雪のことをまるで見ていなかった。

 ただ身勝手に騎兵隊を気取り、雪が心配するのもお構いなしで無茶をして……

 その結果がこの様である。

 雪を守るどころか彼女に不安を与え、涙ぐませてしまった。

 彼女が激怒するのも、無理はない。


「ごめんね雪……あたしっ、調子に乗り過ぎてた……」

「そ、そんなっ……! 莉子が謝る必要なんてないよっ……だって莉子はっ、わたしのことずっと守ってくれたじゃないっ……」

「ううん、そんなの上辺だけだよ。その証拠に、恩着せがましく雪を庇って暴れまくった結果……今あたしはあんたに悲しい思いをさせてる……」

「莉子っ……」


 莉子は、己の身勝手さと愚かさを恥じた。

 普段の彼女ならここまで気落ちすることなどないのだが、精神力を消耗している莉子はいわば衰弱状態。

 もちろん、そんな莉子を雪が放っておくわけもなく……


「じゃ、じゃあさっ! ほ、ほんの少しでいいから、ウチで休んでいってよっ……!」

「え? 雪んちで?」

「うんっ……! わたしっ、少しでも莉子にお返しがしたいしっ……いっぱい、おもてなしするからっ……ね?」

「お返し……」


 頬を赤らめ少しもじもじしながら、そう呟く雪。

 せっかく雪がお返しをしたいと申し出ているのだ。

 遠慮しては失礼だろう。

 それに……彼女の好意溢れるその視線に、莉子は不思議と安心感を覚える。

 今まで散々強がってきた見栄など消え失せ、とことん寄りかかってしまいたいと思えるほどに。


「じゃあ、せっかくだし……お言葉に甘えちゃおうかな? えへへっ」

「莉子っ……♪」


 莉子は、ほんの少しだけ……雪の好意に甘えることにした。

 それは莉子にとってしてみれば、親友の雪に対し、信頼と好意を寄せている証でもあった。

 無論、雪も同じ気持でこんな申し出をしてきたに違いない。

 莉子はそう信じて疑わなった。

 ……しかし。


「うふふふふっ……♪ 嬉しいなぁ……♪ 莉子がウチにお泊りするのって、中2の時以来だよねっ……♪」

「あれ? そうだっけ?」

「そうだよぉ♪」

「……?」


 妙だ。

 雪のテンションが異常に高い。

 不気味なくらい浮かれている。


「うふっ、うふふうふふふっ♪ 今夜はたーっぷりおもてなしするからねっ、莉子っ♪ あの時は邪魔が入ったけど、今日は最後まで……」

「うん、期待してるよ。……? 邪魔? 最後? 雪、あんたなに言って―――っ!?」


 突然、二の腕を掴まれる。

 もう逃さないと言わんばかりの、強い握力。

 絶対に連れ込んでやると言わんばかりの、強引な腕力

 弱っている莉子は、その力に流されてぐいぐいと引っ張られていく。

 どこか様子がおかしい雪を不審に思い、彼女の顔を覗き込む。

 そこには先程まで莉子の心を動かした憂いを帯びた瞳など、どこにも存在していなかった。


「ちょっ、ゆ、雪っ!? いたっ、痛いよっ!」

「うふふふふふふふふふふっ……♪」


 嫌な予感。

 陰湿かつ肌に纏わり付くようなねっとりとした危機感。

 莉子の背筋にぞわぞわと悪寒が走る。

 しかし、今更彼女の好意を断れるわけがない。

 莉子は為す術も無く、ずるずると引きずられていく。

 蜘蛛の塒へ……







 雪にしてみれば、莉子が自分のために身を削ってくれることは素直に嬉しい。

 しかし、同時に悲しくもある。

 もしかしたらわたしは本当に足手まといかもしれない……

 わたしがいるせいで莉子が辛い思いをするなんて耐えられない……

 わたしもなにか、莉子の為になにかしたい……

 莉子の役に立ちたい……

 莉子を癒したい……

 そんな純真な想いで雪が動いているのは、間違いようがない事実である。

 しかし、それはそれ。これはこれ。

 彼女にはそれとは別に、含むところがあった。


「はぁ~~~……やっぱ雪んちのお風呂は広くていいねぇ~~~……もぉ最高っ……」


 そんな雪の腹積もりなどつゆ知らず、莉子は久しぶりに貰う霧島家自慢の檜風呂を堪能していた。

 莉子の家の狭いバスタブではろくに足も伸ばせないが、ここでは違う。

 頭のてっぺんから爪先まで、好きなだけ伸ばせる。

 それは風呂好きな莉子にとっては最高のごちそう。


「はふぅ~~~……檜の匂い……っ♪」


 腑抜け。

 今の莉子は言うなれば蕩けるスライムの如き腑抜け。

 しかし、それも仕方のないことであろう。

 疲弊した身には、ちょっと熱めの湯が骨身に染みて仕方がないのだ。

 ぬぬりひとつない暖かみのある檜造りの湯船が、最高に心地良いのだ。

 故に、このように莉子が呆けて脱力してしまっても、致し方ないことなのだ。

 しかし、なんという現金、なんという単細胞であろうか。

 莉子がこんな調子であるから、付け入ろうとするのである。

 ……彼女が。


「……莉子っ、お湯加減……っ、どうかな……?」

「雪っ……うん、いいよぉ。もうバッチリだよぉ……」

「そう……良かったぁ♪」


 雪はいそいそとビニールマットを用意しながら湯加減を聞く。

 その傍らに置かれている琥珀色の液体に満たされた怪しげなボトルにまで、莉子の注意は向かっていない。

 それどころか、彼女が何故ビニールマットなどというものを持ち出しているかにすら気付けていない。


「莉子っ……、ちょっとこっちに来てくれる……?」

「え? どうしたの?」

「いいから来て来てっ……はいっ、ここに座ってっ……、うふふっ♪」

「?」


 妙にテンションの高い雪に手を引かれて湯船を出る莉子。

 連れて来られたのは先程まで雪が準備をしていたビニールマット……

 海でもないのにこんなものを持ち出して、一体雪はなにをしようというのか。

 莉子は首を傾げながら、ビニールマットにその体重を預ける。

 空気の詰まったクッションが、莉子の重みを受けて僅かに歪む。


「うふふふふふっ……♪ 足……こっちに向けて?」

「い、いいけど……っ、なにすんの?」

「うふふふっ……♪ な・い・しょ♪」

「その笑顔がすーっごく怪しいんだけど……」

「あ、怪しくないよぉ……っ、だっ、大丈夫だからっ……、変なことは絶対しないからっ……」

「あたしも出来れば信じてあげたいけど、雪には“前科”があるし」

「うっ……!」

「それに雪ってば、さっきからなーんか落ち着きが無いっていうか、飢えてるっていうか……」

「そっ! そんなことないよぉ……もうっ、わたしはただ純粋に莉子のことを癒してあげたいのっ……!」

「うん。その気持ちはホントに嬉しいし……その言葉だけはあたしも本気で信じてる」

「莉子っ……! じゃ、じゃあ早速っ―――」

「でも、あたしがちょっとでも『おかしい』と思ったら……問答無用で止めるからね? いいよね?」

「うぐっ……! そ、それは……え、えーとっ……」


 静かに呟き、右手に点火イグニッションの炎を灯し、ジト目で釘を刺す莉子。

 そんな彼女の態度を受け、雪はあからさまに笑顔をひきつらせて目を逸らした。

 雪にしてみればそれは、完全に手中に収めたと思った獲物の突然の反撃。

 追い詰めた犯人の懐から現れた拳銃チャカよりもデンジャラス。

 ランディング間際に大暴れする巨大カジキよりもアグレッシヴ。

 それはもはや、先程まで湯船で蕩けていた莉子ではない。

 度重なる死線を掻い潜ってきた、一匹狼の如き眼力。

 そう……莉子は警戒しているのだ。

 当然である。

 たとえ無二の親友とはいえ、一度は彼女に食べられかけたのだ。性的な意味で。

 この程度の威嚇は、あって然るべきであろう。


「いいよね? だって雪は、親友のあたしに対して『おかしいこと』なんて、しないもんね?」

「うっ……」

「……しないもんね?」

「……っ、うんっ! も、もちろんだよぉ……、ていうかっ、そ、そんなのっ、当たり前じゃないっ。もぉ~やだなぁ莉子ったらぁ、うふっ……うふふふふふふふふふっ……」


 雪は莉子の直視に耐えかねるように、目を泳がせながら手にしたボトルを手持ち無沙汰げにいじる。

 その中に閉じ込められた得体の知れない琥珀色をした液体は、なおも怪しく揺れ動いていた。


「……ところで雪、さっきから気になってたんだけどさ」

「えっ!? な、ななな、なにかなっ!?」

「そんなにキョドらないでよ……、そのボトルの中身が何なのか知りたいだけなんだからさ」

「……へっ? こ、これ!? こ、これは……っ、そ、そのっ……」

「なに? 改まって言えないようなモノなわけ?」

「ち、ちがっ……! 違うよっ! こ、これはっ、アロマオイルなのっ……」

「アロマオイル? って……、エステとかで使うアレ?」

「うんっ……脱法ドラッグだけじゃシノギとしては不安定だからっ、最近はこういうのも作ってるのっ……、結構評判いいんだよ……?」

「へぇ~……」


 莉子の問いに、たどたどしく答える雪。

 その瞳を莉子はジッと見つめる。

 ……妙に挙動不審なところはあるが、嘘は吐いていない。


「莉子っ……? よ、よかったらっ……試してみない? オイルマッサージ……っ」

「うーん……じゃ、お願いしようかな」

「そうこなくっちゃ……♪ では早速っ……♪」


 許しを得た雪は嬉々としてボトルの栓を開ける。

 そして、中に詰まったとろりとしたオイルを両の手でくにゅくにゅと揉みしだく。

 こうやって、常温のオイルに自分の体温を移しているのだ。

 暖かな色合いをした電球色の明かりに照らされ、てらてらとつやめくオイル。

 それをただ見ているだけなのに、莉子はなんだか妙な雰囲気になってしまう。


「まずは足の指からほぐしていくねっ……♪」

「う、うんっ……」


 嬉しそうに呟きながら、その長くか細い指を……莉子の足の指に―――


「うわっ! うわわっ! 雪っ……! な、なんかにゅるって……!」

「ふふっ……♪ 当たり前でしょ? アロマオイルなんだからっ……♪」

「そ、そっか……うん、ごめん。ちょっとびっくりしちゃって……続けて?」

「うんっ……♪」


 雪は舌なめずりをしながら、莉子の足の指に特製アロマオイルを丹念に塗りこんでいく。

 莉子の足に未知の刺激を与える雪の指は、うっすらと日焼けした莉子の脚とは対照的に、雪のように白かった。


「っ……! ぁぅ……っ、雪っ、ちょ、ちょっと……くすぐったいよっ……!」

「我慢して……」

「で、でもっ―――」

「オイル追加するね~……うふふふふふふふふっ♪」

「ひゃっ!? つめたっ!?」


 莉子の抗議を強引に押し通し、雪は乱雑にオイルを彼女の脚にどろどろとトッピングしていく。

 それは味音痴によって無尽蔵にふりかけられる調味料の如く。

 きめ細やかな彼女の脚を蹂躙していく。


「うふっ、うふふふふふふっ……♪ 不思議だよね? こ~んなに細い脚のどこにあんなパワーがあるんだろうねぇ……?」

「はぅ……っ! ちょ、ちょっと雪っ……! やだっ……ちょ、やめっ……!」

「ん……? どうしたのぉ……?」


 某モビルスーツには程遠い、起伏ゆるやかなすらりとした莉子のふくらはぎ。

 そのふくらはぎに、マッサージと呼ぶには些か卑猥なアプローチを仕掛け始める雪。

 莉子の抵抗が少ないと見るや、反転攻勢に移るつもりなのだ。


「なっ……! なにとぼけてんのよっ……! さっきから触り方がっ―――」

「触り方が……なに……?」

「いや、そのっ……なんていうか……っ、もうちょっと普通にして欲しいんだけど……っ」

「うふふっ♪ 普通……? わたしは普通にマッサージしてるつもりなんだけどなぁ~……」

「うぅ……っ!」


 普段の莉子では有り得ないような、トーンダウン。

 いつもの彼女ならもっとハッキリとした物言いをする筈なのだが、いかんせん今の莉子は精神異能者サイコパスとの連戦で消耗している。

 雪の触り方っ……ちょっとエッチっぽい気がするけど、もしかしたらあたしの勘違いかも……

 こんなこと言ったら、あたしのほうがなんか意識しちゃってるように見られちゃうかも……

 心も身体も弱っているせいで、そんなもやもやとした気持ちのほうが先行してしまい、強く言えない……自分の言葉に強い自信が持てない。

 ……そう。

 言うなれば、精神異能者サイコパスとして格段に強い莉子を堕とすのなら―――

 衰弱している今。

 今、この瞬間を置いて他にない。

 好機。

 絶好の好機。

 彼女は、雪は……この機を逃さず目ざとく付け入り、徹底的に“おもてなし”するつもりなのだ。

 時の権力者達をその身体で籠絡してきた、悪女のように。

 巣に迷い込んだ哀れな蝶に毒を注入する、蜘蛛のように。


 そしてその毒は、じわじわと莉子の身体から力を奪っていく。

 彼女がそれに気付く頃には―――




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