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Psychopath  作者: 東都湖 公太郎
ブレイド
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「まったくもー! こともあろうに『録画でいいじゃん』だなんてホント分かってないわよねー! 剣さんの言うとおり、あんなバカ見捨てちゃえば良かったっ!」

「そ、そうですわね……おほほ……」


 日も暮れてすっかり闇夜が空を覆った街の中。

 ぷんすかする莉子に、亞璃紗は苦笑いを浮かべて申し訳程度に同意する。

 もちろん、亞璃紗自身も『録画でいいじゃん』と思ってはいるが、そんなことは口が裂けても言えなかった。


「それにしても、精神的断片クラスタが除去されるとこんなにスッキリするもんだとは思わなかった! まるで喉に刺さってた魚の骨が取れたみたいに清々しいよっ!」

「ふふっ、それはなによりでしたわね♪」

「うんっ! これも全部、剣さんのおかげだよっ! 本当にありがとうっ!」


『ありがとう』

 実はこの言葉を、莉子はずっと前から言いたくて言いたくて仕方がなかった。

 言いたかったのに、亞璃紗自身から『西山くんを倒した後にお聞きしますわ♪』などと止められていたせいもあり、その言葉を口にした莉子の気持ちは高揚していた。

 満面の笑みで亞璃紗の手を取ってぶんぶんと振っているところからも、彼女のテンションの高さがよく分かり、その振り幅と勢いはまるで主にじゃれつく犬のしっぽのように大きく、強かった。


「きゃっ……もうっ、一之瀬さんったらはしゃぎ過ぎですわよ?」

「あ、ごめんっ! 嬉しくてつい……あはは、あたしって最初から最後まで剣さんに迷惑かけっぱなしだね……」

「くすっ、別に構いませんわよ? わたくしもボランティアで一之瀬さんに協力したわけではございませんし、ね♪」

「……え?」


 そんな言葉を紡ぐ彼女の表情を見て、莉子の笑顔が固まった。

 なぜなら莉子は亞璃紗のその笑顔……天使のように微笑んでいるはずなのに、とめどもなく恍惚と欲望が染み出しているような笑顔を、一度だけ見たことがあったから。

 忘れもしない、あの地下のトレーニングルーム。

 彼女のサディストとしての一面を垣間見てしまったあの時と、全く同じ笑顔だった。


「あ、あの……剣さん? そ、それって、どういう―――」

「うふふっ♪ 一之瀬さん? 内容もろくに読まないで契約書にサインするなんて、本当に無防備ちゃんですわね♪」

「え……? 契約書って……あっ!!」


 その言葉で莉子は思い出す。

 亞璃紗の家でなにかの書類にサインしたことを。

 内容が英語表記だったので内容は分からなかった。

 サディスティックな笑顔、そして謎の契約書……嫌な予感で心がざわつく。


「で、でもあれは、保険の申込書だって……」

「ええ、その点に関しては嘘は申しておりませんわ。ただし、“2枚目”に関してはその限りではございませんが……」

「に……にまいめ……?」


 莉子の素肌に、とめどもなく汗が滑り落ちる。

 別にさして暑くもないのに、嫌な汗が止まらなかった。

 そういえば、契約書は2枚あった。

 その書類にどんな文言が記載されているのかは見当もつかないが、彼女の妖しげな微笑みを見るだけで、莉子の身体は恐怖で凍りつく。


「そんなに身構えなくても大丈夫ですわ。2枚目の契約書もたいした内容じゃございませんから♪」

「ううっ……そんな満面の笑みで言われると、よけい怖いんだけど……」

「本当ですわよ? ほらっ♪」

「? ……こ、これって……せ、せ、請求書ぉ!?」


 にこやかに差し出してきたのは、数十枚の紙の束。

 そこに書いてある内容に、莉子は目を見開いた。


「特殊治療費30万、トレーニング施設使用料12万、異常技能受講料79万、リムジン使用料18万、保険加入料……さ、さんぜんはっぴゃくまん!?」

「保険に関しましては右脚の怪我で一千万円ほど支払われますので、それを差し引いて……ざっと2900万円ほどになりますわね♪」

「そんな……っ」

「さ、契約書の内容に従って、即時お支払いくださいませ♪ さぁ♪」


 契約書の内容を要約するとこうである。

『剣 亞璃紗は一之瀬 莉子に生じたトラブルの解決に全面的に協力する。

 それと引き換えに、一之瀬 莉子はその解決に際して発生した経費について即座に剣 亞璃紗に対して支払うこと。

 もし支払われなかった場合―――』


「ま、待ってよっ……2900万円だなんて、あたし……払えないっ……」

「まぁ! それでは代金を踏み倒されるおつもりですの?」

「違うよっ! 踏み倒す気なんてないよっ! でも、契約書にサインしちゃったのはあたしだし……剣さんだって、あたしの為を想ってしてくれたんだよね?」

「えっ? え、えぇ、まぁ……」

「だったらその気持ちは、裏切れないもの。今は無理でも、ちゃんと払うよ……」

「…………」


 正直、バカだと思った。

 こんな不条理な契約に縛られ、こんな手口で自分を陥れた人物を、未だに信頼している。

 亞璃紗は一之瀬 莉子という愚かな生き物に、心の底から呆れ果てた。

 それと同時に、この期に及んでもまだ自分を信用してしまっている頭の悪い飼い犬のような愚直さに、強く心を惹かれていた。

 今にも泣き出してしまいそうな表情で縮こまる莉子。

 その声。

 その表情。

 見ているだけで、聞いているだけで、彼女の背筋にゾクゾクとしたものが疾る。

 少し前に見せていた猛々しい彼女とは程遠い、今すぐにでも抱きしめてあげたくなるような弱々しさ。

 そのギャップが、たまらなかった。


「んふふっ、うふふふふっ♪ すぐには払えませんのね? では、致し方ございませんわよねっ……♪」

「えっ? つ、剣さん……?」


 ゆっくりとした動作で、莉子の肩に手をかける亞璃紗。

 その白い指先に触れられた瞬間、莉子の身体はビクリと震えた。

 怖かった。

 亞璃紗が、怖かった。

 少し荒い吐息、紅潮した頬、見開かれた眼。

 彼女が見せた表情は、今まで見てきた上品なお嬢様とは大きくかけ離れたものだった。

 その迫力に気圧された莉子はよろよろと数歩後ずさり、そこで“なにか”にぶつかる。

 黒塗りのボディ。

 いつの間にか、そこには亞璃紗のリムジンがあった。

 既に後部座席の扉は開いており、莉子は前からかかる力に流されるように、そこへ押し込まれる。


「わわっ!? なっ……剣さん? な、なにする……の?」

「なにって……くすくすっ♪ ここまでされて、まだお分かりになりませんの? 本当に?」

「……っ!」


 車内で押し倒されたような体勢のまま、亞璃紗を見上げる莉子。

 金細工のような輝きを放つプラチナブロンドの髪がサラサラと流れ落ち、莉子の顔をくすぐる。

 彼女の蟲惑的な笑顔に、心臓が止まりそうになる。

 整った桜色の唇の動きに、目を奪われる。

 手首には彼女の指が絡み付き、両脚も亞璃紗の白く長い脚によってホールドされていた。


「支払って頂きますのよ。貴方の身体で……ね♪」

「そっ……! そんなっ……やだ、やだよっ……」


 反論など許さないと言わんばかりに、亞璃紗の白魚のような人差し指が莉子の唇をなぞる。

 そして車は、夜の街をゆっくりと走り出した。

 徐々にスピードを上げていく車と同調するかのように、莉子の心臓の鼓動も加速していく。

 亞璃紗はその心音すらも愉しもうと身体を密着させ、ようやく手に入れた少女の瞳を見つめ続けていた。

 まるで宝石箱の中に仕舞ったダイヤモンドを眺めるかのように―――




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