9
県立岩田工業高校。
通称・岩工は、この界隈でも有名な不良高校。
校内の規律は乱れに乱れ、ガラスは当然のようにすべてぶち破られ、壁面は落書きで埋め尽くされ、廊下でバイクは当たり前。
時代遅れのリーゼントヘア、パンチパーマ、スキンヘッド、なかにはモヒカンスタイルまで乱舞する世紀末臭漂うハイスクール文化のガラパゴス。
「卯太郎様! コーラでごぜぇやす!」
「…………」
荒れ果てた教室内に野太い声が響く。
しゃくれ顎が目立つ大柄の男がひれ伏すように、ダッシュで買ってきたコーラを“男”に差し出す。
“男”は無言でそのボトルを手に取ったかと思うと―――
「ぐげっ!?」
容赦なくそれを大男の顔面めがけて叩きつけた。
「おまえは何度言えば分かるんだな! 僕様がコーラって言ったらペプシなんだな!」
「ひいいっ!! スンマセンしたぁーーー!! お、お許しを卯太郎様ぁ!!」
鼻の部分に大きな絆創膏を貼った立派な坊ちゃん刈りの小太り少年・堀塚 卯太郎は、ろくにパシリも出来ない大男を足蹴にして憤慨する。
まわりには何十人も強面の不良達が跪いているが、彼の暴挙を止める者はひとりもいない。
ただ俯いたまま口を噤んで見守るのみだった。
「しかもよりにもよってこれダイエットコークじゃないんだな! こんなの飲んだら僕様太っちゃうんだな!!」
「…………」
「……おい、そこのおまえ。ちょっと立つんだな」
「な、なンスか?」
卯太郎に指されて立ち上がったのは、頭髪を卍型にカットしたファンキーな不良だった。
「おまえ今、心の中で『もう太ってるだろ』ってツッコんだな?」
「えっ!? そ、そそそ、そんなこと―――」
「粛清なんだな! 処刑隊! 前へ!!」
「うわぁ~~~!! い、嫌だぁ!! コンニャクだけは嫌だぁ~~~~~!!」
卍男は泣き叫びながら黒頭巾の処刑隊に連行されていった。
全身にすりおろしたコンニャクを塗りたくられ、地獄のようなかゆみに襲われる通称・コンニャク刑。
それはこの岩工アウトロウズのなかで、最も重い刑罰として恐れられていた。
「ぷふー! まったくむかっ腹立つんだな! それもこれも、あの忌々しい糞DQNのせいなんだな!!」
「そ、それって西山のことですかい?」
「他に誰がいるんだな!」
大男の問いかけに、卯太郎は短い足を使って地団太を踏む。
西山 拓也……精神異能者として覚醒してこの不良高校の頂点に君臨した卯太郎の鼻っ柱を、文字通りへし折った男の名だ。
「この僕様のイケメンフェイスに、こんな傷を負わせてヒキガエルみたいにしたあのロン毛野郎! 絶対に許さないんだな!!」
「そ、そのことに関してなんですが、耳寄りな情報がありやして……」
「ん? なんなんだな」
「実は西山の野郎、先週かなりでっけぇ喧嘩をやらかして、結構な深手を負ってるらしいんでさぁ。確か相手の名前が、ブレなんとか……」
「!? そ、そそそ、それってもしかして、ブレイドのことじゃないのかな!?」
「あーそうそう! そのブレイドって奴にリベンジしようと西山の野郎がここ最近、舞橋大橋の辺りをウロついてるらしいんでさぁ」
その情報を聞いた瞬間、卯太郎の脳内に勝利の方程式が完成する。
この近辺で無敗を誇る精神異能者・ブレイドにやられた西山。
↓
すごい弱ってる。
↓
弱ってるバカDQN西山を舞橋大橋で待ち伏せ。
↓
僕様大勝利! 希望の未来へレディゴー!
「ぶ、ぶふふっ!! すぐ兵隊をかき集めるんだな!! せ、せ、せせせ、戦争なんだな!!」
「え? 今からですかい?」
「あの糞DQNに僕様の靴をぺろぺろさせるには今が絶好のチャンスなんだな! 分かったらすぐ召集をかけるんだな!!」
「へ、へいっ!」
「それと、そこのおまえ」
「? 俺、ですか……?」
唐突に卯太郎に指され、エラの張った顔立ちの弁髪男が立ち上がる。
「おまえさっき、心の中で『テメェの顔は元からヒキガエルだろうが』ってツッコんだな?」
「うえっ!? お、おおお、俺は決してそのようなこと―――」
「処刑隊!!」
「ひえぇ~~~!!」
県立岩田工業高校。
そこは精神異能者・堀塚 卯太郎が恐怖政治で治める不良達の流刑地であった。
◆
◆
◆
傾いた太陽。
燃えるような夕焼けに照らされた橋に浮かぶ、ふたりの少女のシルエット。
その場所は、莉子にとってほんの少しだけ見覚えがある場所だった。
莉子の住む白川町と、亞璃紗のマンションがある舞橋市の県境に架かる大きな橋。
それは、あの金曜の夜……拓也の追跡から逃れるために必死で駆け抜けた橋。
夕陽のなかで、莉子は亞璃紗から渡された資料に目を通す。
誰に調べさせたのか、それは西山 拓也の個人情報の一端であった。
「……え? なにこれ……? 合成?」
「いいえ。それが彼の母親、西山 優子ですわ」
「うわぁー……他人の空似とはいえ、なんかゾッとするなぁ……」
「わたくしも最初見たときは鳥肌が立ちましたわ。まさかここまでそっくりだなんて」
そこにあったのは幼き日の拓也と、その母親を写した色褪せた1枚の写真。
優しそうに微笑む莉子と瓜二つの顔立ちをした女性の隣に、目つきの悪い子供が寄り添っていた。
「それと、ここ2日間の彼の動向を調べた結果、いくつか面白いことが分かりましたわ」
「面白いこと?」
「彼……西山くんは、最近ずっと一之瀬さんと出会った場所からこの辺りまでを徘徊していたそうです。……まるで誰かを探しているみたいに」
「ううっ……あのバカ……」
「ふふっ♪ 彼は随分と一之瀬さんにご執心みたいですわね♪」
「笑い事じゃないよ……」
頭を抱えてうなだれる莉子を見て、楽しそうに微笑む亞璃紗。
莉子にとっては笑い事ではなくても、彼女にとっては笑い事以外の何者でもなかった。
これから拓也との直接対決に赴く莉子とは違い、単なる傍観者のスタンスの亞璃紗にはその余裕があった。
……いや、実際のところ亞璃紗は“傍観者のふりをしている”だけであるが。
莉子が学校に行っている間、亞璃紗はふたつの細工を施した。
ひとつ、西山 拓也の身辺と動向を調べ、その行動パターンを予測する。
ふたつ、第三者を通じて彼に恨みを抱いている“ある精神異能者”に、その情報をリークする。
亞璃紗の読み通り、“奴”はその情報に食い付いてきた。
「それと……どうやら西山くん自身も、少々やっかいな精神異能者につけ狙われているらしいですわ」
「やっかいな精神異能者?」
「通称・フロッグマン……この辺りの不良を精神異能者の力で従えている下衆な男ですわ」
「そいつ、強いの?」
「戦闘力的には下の下ですわね。2ヶ月前に西山くんに喧嘩を売った末、鼻の骨をへし折られたそうですし」
「うわぁー……それでお礼参りに西山を狙ってるわけ?」
「ええ。今の西山くんは手負いですし、フロッグマンにとっては報復する絶好のチャンスですしね」
「…………」
これから倒しに行く相手のはずの拓也の身が、莉子は気になった。
亞璃紗に負わされた精神的損傷というハンデを背負いながら、拓也はフロッグマンとやらの襲撃を凌げるのだろうか……
そんな不安感が、莉子の心を埋め尽くす。
右も左も分からない新参者の自分に無慈悲な刃を突き立て、欲望のままに蹂躙しようとした憎むべき男。
なのに……なぜか莉子は拓也の身を案じていた。
「一之瀬さん? どうかしまして?」
「あー……いやさ、なんていうか……なんか気乗りしないなぁーって……」
「? どうしてですの? フロッグマンに襲撃された後の西山くん相手なら、一之瀬さんの勝率も格段に上がりますのよ?」
そう、すべては莉子を勝利へと導くための計略。
あとは襲撃を受けて拓也が消耗したところを見計らって、奇襲をかけるだけで約束された勝利が莉子の眼前に転がり込んでくる。
これで晴れて莉子の心に突き刺さった拓也の精神的断片も消滅し、全てが丸く収まるはずである。
「いや、勝率とかそういうのじゃなくて……なんていうか、自分でもちょっとおかしいと思うんだけど、西山ってさ……もしかしたらそんなに悪い奴じゃないのかもって……」
「……はい?」
「きっとさ、死んだお母さんにそっくりなあたしを見て、つい魔が差しちゃっただけなんだよ。だから話せば分かってくれるんじゃないかな」
「…………」
苦笑いしながら加害者である拓也を弁護する被害者の莉子を目の当たりにして、亞璃紗の笑顔が引きつった。
無防備。
お人よし。
底抜けのバカ。
言いたいことは山ほどあったが、亞璃紗はとりあえず一呼吸置いてから莉子に向き直った。
「一之瀬さん? そんなあやふやな気持ちで軽々しく他人を信じていると、そのうち足元を掬われますわよ? 人間なんて、所詮はみんな悪人なんですから」
「そんなことない。少なくとも、剣さんは違うよ」
「え……? わたくし、ですか?」
亞璃紗の言葉を即座に否定した莉子。
その瞳はまっすぐに亞璃紗を見据え、名指しされてきょとんとした彼女の表情を映し出していた。
「あたしは剣さんのこと、いい人だと思うし……あやふやな気持ちで信じてるわけじゃないから」
「っ……!」
気恥ずかしい雰囲気。
亞璃紗は自分に向けられた莉子の善意と親しみの言葉とその眼差しを、まともに受けることが出来なかった。
故に、目を逸らす。
逸らした視線が、泳ぐ。
その視線の先に犬でも猫でもネタに出来そうなものがあれば、それで話題すら逸らしたかった。
そして……亞璃紗は見つけた。
最高にタイムリーなネタを。
「一之瀬さん……あれをご覧になって」
「ん? あ、あれって――― っ……!?」
亞璃紗が指差した先は、少し離れた河川敷。
見るとガラの悪そうな改造制服とユニークなヘアスタイルの集団が、ひとりの少年をとり囲んでいた。
莉子と亞璃紗より先に、卯太郎率いる岩工不良ご一行様達が拓也を見つけ出し、包囲していたのだ。




