【72】事件の幕引き
感情が高ぶる私に、ブロディンが心配そうな視線を送ってきた。
その意味を汲んだ私は古の魔道具屋でのことを思い出して、魔力が溢れすぎないように必死で自分を抑えたわ。
私の投げた言葉で、エルムは私とは対照的に怒りを爆発させていた。
「あんたの言ってることちっとも分んないわよ! あんただって、私の大切な舞台を奪ったじゃないのよお!」
私には、エルムの言っていることの方が分からなかった。
「……殿下がそんな悲しい事を言い出すなんて……! もしかしてこの女になんか吹き込まれたのね!? そうなのね、殿下!?」
強く問いただすエルム。
だがそれを聞いて、アクティスはカッとしてエルムを怒鳴った。
「フィーはそんな人じゃないっ! フィーを侮辱するな!」
信じられないという表情をしてアクティスを見上げるエルム。
「殿下、どうして私を怒鳴るの? どうしてあの女の見方をするの? 私のことが好きなのに! パーティで私に微笑んでくれたのに!」
アクティスも、その場にいる全員が、彼女の世界に戸惑いを覚えた。
「君のことは、好きじゃない」
アクティスは断然と言った。
「どうして? だって私に優しくしてくれたじゃない……!」
「君の勝手な、思い込みだ。僕はそんなこと一言も言ってない」
アクティスは首を横に振って、エルムからさらに遠ざかり距離を置いた。
「うそ……!」
頬を両手で包み、泣き出しそうな表情になったエルムは下を向く。
「これは……悪い夢よ……」
歯を食いしばって顔を上げると、今度は一転して明るい声を弾ませた。
「そうだわ、ねえ晴れ舞台の続きをしましょう? まだ物語は終わってないわ」
だが、その目は笑っていなかった。
「ジュリエット、あんたが幸せになるなんて、絶対に許せないんだから……! あんたなんか、魔法が溶けて、早く婆になっちゃえばいいのよ!」
エルムは、スピアの正面へ風魔術を使って素早く移動した。周囲の者が止める暇は無い。
そして、スピアの目の前であの手鏡を開けようとした。
しかし私の魔術で封印されている手鏡は、しっかりと閉じられていて開けることができなかった。
その隙に、ジオツキーが素早くスピアを下がらせる。
「なにこれ? 開かないじゃないのよ!? あのクソ爺い、私の大事な指輪も奪っておきながら、いい加減な物をつかませたわねえ!」
私の目には、手鏡に私の鎖がまだ巻き付いているのが視えた。
「……わかったわ、もしかしてこれもあんたの仕業なのね?」
上目遣いでわたしを睨みながら、エルムの口が小さく動いた。
何かを詠唱したのだろう。
舞台を照らす魔灯器がカタカタと鳴る。
エルムが揺れ出す魔灯器にニタリと笑う。
空気が渦を巻きだし、次第に流れが強くなる。
皆、強風に目を開けていられなくなった。
エルムは魔灯器を頭上から降らせるつもりなのだ。
私は手を高く上に伸ばして、風を凪ぐ呪文を唱えた。
ぶわっと大きく空気が捻じれたように動くと、――風は止んでいた。
「なに……!?」
エルムは自分の魔術が消えてしまったので驚き、慌ててもう一度呪文を唱えた。
魔灯器も心配だが、私はあの手鏡を一刻も早くエルムから奪いたかった。いつ私の鎖が消えてしまうかもわからない、その時に開けられたら……
奪い返したくともこの風も厄介だ。手鏡がどこに飛んで行ってしまうかわからない。
再び空気が渦を巻きだしたが、私も手を上げて呪文を唱えた。
ぐにゃりと空気が動き、先程と同じように風を凪ぐ。
焦ったエルムは、繰り返し魔術を放とうとした。
だけれども、これ以上彼女の好きにさせるわけにはいかなかった。
私はエルムの魔術が動き出す前に、その魔術をねじ伏せた。
「あんた、……なんなの? 何、その魔力?」
エルムは呪文を唱えると、エルムの身長程の青白く光る矢を作り出した。
それを私に勢いをつけて、グンと投げつける。
その大きさからして、おそらくエルムの全魔力を注ぎ込んだ物なのだろう。
私も対抗するために手元に作り上げた白く光る矢を、エルムと同時に放った。
二つの光の矢は残像を残しながら、真直ぐに相手の矢へ向かい、衝突した。
そして私の矢が、青白いエルムの矢を粉々に砕く。
その衝撃がエルムに伝わって、エルムの身体が大きく弾かれ、舞台からオーケストラピットへと飛ばされた。背中から落ちるエルムによって譜面台や椅子が薙ぎ倒されて、ガシャガシャと派手な音を立てる。
床に転がったエルムは、髪を乱して目を吊り上げ、怒りの形相で立ち上がる。
私への恨みや、プライドを傷つけられらた悔やしさがあるのだろう。
興奮していて息が荒い。
「……私より魔術の強いやつ、今までいなかったのにぃ……! あんたなんか!」
そういうや否や、エルムはドレスに隠れた足から何かを取り出し、私に素早く投げつけた。
魔術の風に乗ってそれは一直線に私に向かってきた。
それが、短剣だと私の目は理解した。
空気の中を滑るように私に近づく刃先。
呪文を唱えようにも、もう間に合わない。
短剣は見えるのに、驚いた体が反応しない。
迫りくる刃。
私は息を呑んで、やがて刺さる短剣に身構えた。
その刃先が何かに遮られ、見えなくなった。
何かが、割り込んだ。
「アクティス!?」
短剣が、アクティスに刺さった。
叫ぶ私の足元に崩れるアクティス。
崩れたアクティスの煌びやかなロミオ王子の衣装に、深紅の染みがどんどん広がっていく。
「いやああああっ、殿下!!」
両手で顔を覆ったエルムが絶叫する。
「アクティス! 今、止血魔術をするから!」
私は震える声で、アクティスの脇腹に手を当てて呪文を唱えた。
アクティスはぐったりと床に座りこんだまま動かない。
「うそっ! 殿下? 誰が? 誰がこんなことを?」
オーケストラピットから、舞台上のアクティスを見上げる蒼白なエルム。
……エルムは自分がやったことなのだと、認識していなかった。
全員が驚愕の表情でエルムを見つめた。
アクティスが苦しそうに声を絞り出す。
「ヤトキン嬢、……今、君が、フィ―に向かって短剣を投げたんだ。……そして僕に…刺さった」
「嘘、私、そんなことしない……」
「いいえ、あなたなのよ、エルム」
私の声は、恐ろしく冷たかった。
「嘘よ、嘘! 嘘ばっかり!! ……もうっ……!」
エルムは転んだ時に手放した手鏡を床から拾い上げた。
両手で手鏡をつかんで頭上高く持ち上げると、床を目がけて凄い剣幕で投げつけた。
「こんな、こんなものっ!!!」
投げつけられた手鏡はエルムの足元で跳ねた。
その瞬間、私の目には魔術の鎖がすうっと消えて無くなっていくのが視えた。
跳ねた手鏡が床の上へと落ちる。
落ちた弾みで、折り畳みの手鏡が、ゆっくりと開いた。
古の魔道具――黒魔術の手鏡は、エルムの姿を捉えると、怪しく鏡面を光らせた。
それはエルムが自分の姿を見た最後だった。
鏡の中で自分が御伽話のように変化する。
若い女から老婆へと――――
次の瞬間、エルムは。
手鏡に映る変わり果てた自分の姿を目にした。
「ぎゃああああああ……! こ、こんなの嘘でしょ? 誰か助けてぇ? これ、これ戻してよ? だれか早く!! お願いよお、助けて!? こんなの、嫌あああああああっ!!!!!」
その場にいた誰もが、変貌したエルムから目を離すことができなかった。
そして舞台には、恐怖で叫び続ける皺枯れた老婆の叫び声だけが響き続けた――――
いつもお読みいただき、どうもありがとうございます。
次回【第73話】エピローグ1
残すところ、あとわずかです。













