【64】仕掛けられた罠
いつまで経ってもジオツキーもアメリも席に戻っては来なかった。
何か変だわ。
だって、二人はエルムを見張っているはずよ。
お姉さんは、休憩後はずっと舞台袖にいたわよ? なんでジオツキーとアメリが、席を外しているのを知っていたの?
私の心の中でお姉さんへの不信感が、インクが滲みるように広がっていく。
そう思っていた時だったわ。
ボックス席のドアが、重いカーテンの向こうでギイ……と開いた音がした。
*
ブロディンはクララを警護しながら楽屋へと入っていった。
「ずいぶん人が少ないんだな」
クララは説明する。
「ええそうなの。もうすぐクライマックスだから、合唱団や躍り手たちの出番があるの。舞台袖にみんなが集まるから、それでなのよ」
「なるほど」
(舞台が終わったら、エルムが動き出す……そこで何が起きるかだな。だがエルムの息のかかった者が内部にいるとジオツキーが言っていた……。お嬢をパーティで襲った奴か? いや、楽屋にカードを置きに来るぐらいしかできないんだから、また別の奴だとは思うが……警戒するに越したことはねぇな)
ブロディンはそう考えて、楽屋内にぐるりと目を光らせた。
クララは楽屋個室への廊下を先に歩き、ブロディンもそれに続く。
クララがいつも通りに自分の部屋のドアノブに手をかけた。
ブロデインはその瞬間、嫌な予感がした。
理由はない。『感』だ。ジオツキーが聞いたら鼻で笑われるかもしれないが――
ブロディンの体は既に動いていた。そして、その『感』は正しかった。
「危ない!」
ブロディンがクララ体を引き戻したのと、クララがドアを開けたのは同時だった。いや、わずかにブロディンの方が早かった。クララのさっきまであった顔の辺りで、何かが爆ぜた。
「きゃあっ!」
「ちっ、ミスったか?」
悔しそうな男の声がクララの部屋から聞こえた。
ブロディンはその声の主に向けて、魔術の矢を即座に放った。だが相手はそれをさっと避ける。
ブロディンは避けたそいつの姿を確認する。
知らない男だった。
避けたその男に向かって、再び魔術の矢を放つ。だが男はすばしっこかった。至近距離の戦いだというのに、身軽に次々とブロディンの矢を躱す。
男が身体を反らせながら、呪文を唱えた。
男の掌に青白い炎が出来上がると、それを息つく間もなくこちらに投げつけてくる。
ブロディンはクララを抱えながらその炎を避けた。
「この魔術は見たことがあるぜ……?」
アルマンの街で襲撃されたとき、馬の目の前で何かが爆ぜた。そしてこの青白い炎の魔術。あれと同じだ……!
「あいつか!」
あの魔術師の魔力はオレより弱かった。それなら、クララを抱えながらでも勝てるだろう。ブロディンはそう算段した。
そのブロデインの考えを読んだように、男は余裕たっぷりにニヤリと笑う。
男が詠唱すると、小さな青白い炎が大量に出来上がった。それが虫の大群のように、一気にブロディンに襲いかかって来た。ブロデインの視界が青白い炎で埋め尽くされる。
「しまった……!」
驕った気持ちが判断を遅くさせて、一瞬の隙を産んでしまったのだ。
あわてて一掃しようと呪文を詠唱し、炎の虫を撃退したときには、クララを抱えていたはずのブロディンの手は空っぽだった。
「!?」
(……クララは!?)
いつの間にか、目の前の男にクララを奪われていたのだ。
(クララが奪われた感覚は一切無かったぞ……!?)
ブロディンは気が付いた。
さっきから、体がおかしいのだ。光の矢を放っているときも、なんだか冴えた感じがしなかった。そういえば、頭も少し重い。
そうだ、あいつは、矢を軽々と避けていた。
そしてクララを奪われたという手の感覚は、何も無かった。
――――何が起きてる…?
「ふふふ、気がついたか? 幻麻効果、すごいだろう?」
ブロディンの様子を面白そうに見ていた男は、優位に立つ自分に酔ってブロディンを馬鹿にする。
「……幻麻だと?」
ブロディンは理解した。最初にドアを開けたあの時、目の前で爆ぜた火花……あそこに魔術が仕込まれていたのだ。
しばらく神経を麻痺させる幻麻の魔術……
アルマンでも馬の様子が変だとジオツキーが怒っていた……
「クララを返せ!」
「雇い主に顔に傷でもつけてやれと言われてるんでね。仕事が終わったら返してやるよ」
男は片手でクララを羽交い絞めにし、もう片方の手は魔術を放らんとばかりにクララの顔に近づけた。
クララは男の言葉と目の前に迫る掌に蒼白になった。
「い、嫌よっ、やめて! ……助けて!!」
クララはブロデインに懇願する。
すぐにでも助け出してやりたい。
ブロディンは腕を軽く抓って自分の感覚を確かめた。
――だが、幻麻の魔術のせいで感覚はまだ鈍いままだった。
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次回【第65話】反撃 その1













