72話 勇者の旅立ち
ひとしきり、ガルムとのふれあいを終えたアドルフがこちらへやってくる。顔がガルムのものと思われるよだれでぬれていて、気づいた彼はそれを拭った。
うしろで、ガルムが立ち上がっている。
タロによってつけられた傷からけぶりがあがり、徐々に肉が盛り上がってきていた。どうやら、再生がはじまっているようだ。
アドルフとパスのようなものがつながって、魔力が供給され始めたのだろうか。人ごとながら、まずは良かった。俺は心からそう思った。
「それで、どうするの?アドルフ」
彼は軽く目を閉じて言う。
「俺は行く、あいつとな」
「残って罪を償う手もあるとおもうよ」
俺はあたりを見回した。操られているとはいえ、カイロや他の冒険者たちを斬り、ギルドに攻め入り、オーウェンも斬った。事情があるとはいえ、説明なしに許される立場ではないだろう。出頭するというのなら、弁護するのにやぶさかではないのだけれど。
「とめるのか?」
アドルフはそう聞いた。いまや剣もなく、ガルムとタロの格付けもすんでいる。
優位に立っているのは俺のほうだったけれど、今のアドルフには、それにも立ち向かってみせるというような気概があった。
あるいはそれが、勇者というものなのだろうか。
「とめないよ」
と俺は言った。一番はガルムのことだ。邪神であるガルムがギルドに引き渡されれば、良くて封印。悪ければ殺されるか、実験動物としてこれからを過ごすことになりかねなかった。
一度はパスのつながりかけたもの同士、そういったことには我慢ならない。
アドルフがガルムをつれて、どこかへ行きたいというのなら止める理由はわずかしかなかった。
アドルフならば、ひとりで生きていくすべもあるだろう。
もし、こんどまた問題を起こしたら、俺とタロ、それからみんなで、とめにいくまでだ。
「そうか」
アドルフは目を伏せる。
それから踵を返そうとした。
「もう一度叩かれたいの?、アドルフ。まだロッカにいうべきことを言ってないように思うのだけど」
リンネが杖を振り上げ、アドルフのうしろに立っている。
彼はなんともいえない顔をして、こちらを見た。
なにかを口にしようとし、それが果たせないような表情だ。
「まあいいじゃない。こういうのもアドルフらしいよ」
彼の表情を見て、俺はそういった。
かつてからは考えられない表情ではある。
「それじゃあ、俺は行く」
言って、アドルフはガルムに向けて手をあげた。
ガルムはゆるりと立ち上がった。
「いつか、また会うこともあるだろう」
アドルフがまっとうに冒険者の世界に残り、俺が冒険を続けていけば、そういうこともあるかもしれない。
「そうだね。そのときはよろしく」
「どうよろしくするというんだ?」
「そうだねぇ。いつか、いっしょに戦えたらいいな」
「どうかな。またやり合うことになるのかもな」
そういて、彼はこんどはほんとうに踵を返す。
すまなかったな。
「え?」
上階への階段に向かうアドルフの背中から、そんな声が聞こえた気がした。
――――――――――
「リンネは、ついていかなくてよかったの?」
アドルフの背中を見送ってから、俺はなんとはなしにそう聞いた。
リンネはなんのはなし?という顔をしてから、やがてなにかに思い至る。
そうして、ぷっくり頬を膨らませた。
続いて振り合わされた彼女の杖が、俺の頭にぶつかって乾いた音を立てた。
「なにが?もしかしてアドルフのことなんて、言っていたりするのかしら?」
そんなことは考えもしていなかった、という顔で彼女は言う。
「ないない。それはないわ」
「そうなんだ」
「幼なじみとして、思うところがないわけではないけれど」
そうして、彼女は少しだけ考えるようにする。
「それに、忘れているかもしれないけれど、わたしはあなたのパーティーメンバーなのよ。勝手に抜けたりはしないわ」
もし、あなたが私にメンバーを抜けて欲しい、なんておもっていたなら別だけれどね。と彼女は笑った。
「ごめん」
「わかればいいのよ、わかれば」
「わたしは別にかまいませんよ?いいんですよ。いつのまにかいなくなってくれたって」
やってきたシャロが、ちゃかすようにそういった。
「わたしと、タロちゃんと、ロッカさんとでよろしくやりますので。じゃんじゃんぬけたってくださいな」
「言うじゃない。お荷物さまが。辺境の地へでも送ってさしあげようかしら」
「これでもわたし、荷物としてはロッカさんにも、たいへん大切にされているんです」
むむむ、とにらみ合いそうなふたりを、俺はたしなめるように言う。
「さあふたりとも、冒険者のみんなを助けるよ。怪我や気絶しているひとは、まだたくさんいるんだから」
リンネと、それからアドルフに見逃されたヒーラーたちの手で、致命に近い傷を負った冒険者たちは癒やされて、最悪の状態を脱している。けれどもいまだ動けない者たちが大半で、人手は多くて困るといったことはないだろう。
「了解」
「はーい」
彼女たちの元気の良い返事がすぐに飛んでくる。
俺は苦笑しながらまずはカイロのほうへと向かった。




