68話 邪神をテイムしてみた
「ちょっと、離しなさいよこの馬鹿犬」
エヴァンジェリンが騒がしかったが、俺はそれを無視してガルムへむかい、その様子をうかがった。
致命傷とはいかないまでも、大きく怪我を負っている、というのがまず第一の印象だろうか。
ガルムはそれによって苦しんでみえたが、近寄ってみればそればかりでないことがわかった。
あれだけの光球を放ち、それをまるごと破られたにもかかわらず、ガルムの魔力は尽きておらず、それどころかまだ大量に残しているように見える。
これだけの怪我。それも神域の攻撃によるダメージであるのに、ガルムの傷がじくじくと修復しつつあるのがその証左だろう。
いずれにせよ、ガルムが戦闘力を回復するのはまだ先のことに思えた。
俺は観察を続ける。
ガルムの瞳。それは炎のようなゆらめきに守られて、なかを容易に知ることはできなかった。
それでも、はじめからそれと予測してしっかり見れば、その瞳が正気と喪心の間で揺れ動いているのがわかる。
大きなダメージを負ったことで、喪心が解けたのか。それともガルムほどの強力な存在に術をかけることに無理があったのか。今は正気の時間がそうでないほうを凌駕しつつあるようだ。
と、
その揺らぎが、突如喪心のほうにふれるのがみてとれた。
「なぜ?」
とタロの方へ目をやる。そこには、なぜかタロの足から抜け出したエヴァンジェリンがスクロールを掲げていた。
「油断したわね、駄犬。さあ、ガルムさま!やっておしまいなさい」
どうやら、羽織っていたマントを身代わりに脱出したようだ。
とん、とそのスクロールに矢がつきたった。
「いいかげんしつこいですよ。エヴァさん」
「っ、この!」
スクロールを持つのと逆の手で、エヴァンジェリンがなにをしようとしたのかは謎のままになった。
おともなく近づいたタロが彼女を軽く小突いて、ふたたびおさえつけたからだ。
「ふん、おそいのよ。ガルム。さっさとこいつをなんとか、ぎゅむ」
タロの足に若干の力がこもる。エヴァンジェリンが強制的に黙らされた。
グル
とガルムの声がする。
はじかれたようにそちらを見れば、先ほどとはうってかわった雰囲気のガルムがそこにいた。
未だ傷は癒えていない。けれども、その傷のまま、ガルムは立ち上がっていた。
そうして、二度三度よろめきつ、大きく吠え声をあげる。
もはや肉体の崩壊をきにしてすらいない。ダメージを負い、弱っているところに喪心を上書きされたことで、ガルムはより深く、精神をおかされたようだ。
ガルムは目の前にいる俺をみてすらいなかった。
見ているのはただひとつ、タロのことだけだ。
「タロ!!」
俺が言うのに、タロは牙をむいてガルムに対した。
今のガルムは、狂気におかされているようにすら見える。
なにか、俺にできることは・・・・・・
そうして、俺は『初心者テイマーの心得』を思い出す。
目次の次。一番最初の目立つところに書いてあった一文を。
テイミングの基本。
対手を弱らせましょう。
弱らせた対手と契約をかわしましょう。
ガルムは吠えた後一度身体を沈め、そうして飛び上がろうとした。
が、怪我が邪魔をしたのか、バランスを崩してどさりと崩れ落ちていく。
すぐに起き上がり、よろめきながらもタロへと向かおうとする姿は、敵ながら痛々しく思えた。
「やってみる価値はあるかな」
ガルムはタロに執心し、より近くにいる俺には見向きもしていない。
巻き込まれることにさえ注意すれば、危険は避けられそうではある。
俺は剣の刃に指の腹をはしらせ、できた傷から血文字を描く。
そうして、俺は駆けだした。
よろめいているガルムに近寄るのは、思ったよりも危険がともなった。
ガルムの巨体はそれだけで凶器になったし、それ以上にあふれ出る魔力が途中から炎にかわってあたりにはぜていくつもの焦げ目をつくりだしている。
俺がガルムへむかったのを見てか、タロがガルムを挑発するように吠え立てる。
それでガルムの注意はますますタロのほうへと向いた。
俺は降り注ぐ炎をなんとか避けながら、やがてガルムのすぐ後ろへとたどり着く。
「ガルム!」
俺は大音声でよばわると、血で文様の描かれた右手を掲げた。
「テイマー、ロッカが其に問う。名はなんぞ!」
そうして両の目をつむり、耳をそばだてる。
テイムが成功する前触れの、頭の中に名前が浮かぶ現象は起らなかった。
「重ねて問う。其の名を」
その名が、ガルムであるというのはわかっているのだ。
けれども、テイムに必要なのは、対手に『名前を名乗らせ』る、というプロセスだ。
ーガ、ルー
頭の中に、文字が一つづつ浮かんで消える。
それらはいつもよりも小さく不確かで歪んで見え、どれもだいぶん不確かだった。
俺は必死でそれをつかもうとし、そうして果たせずに片目を開ける。
ガルムはほとんど身体を引きずるように、タロへの距離を縮めていた。
不確かでも、やるしかないか。
俺は覚悟を決めて、もう一度ガルムへと距離を詰める。
そうして、今度はガルムの正面に回り込んで手を掲げた。
「我が旗の元に下れ、ガルム」
描かれた血の紋章に、光が奔った。




