65話 ゆうしゃはしょうきにもどった
【竜の息吹】を受け続けて、耐久力が限界にきていたのか。
それとも、それよりずっと以前から、金属疲労が蓄積していたのだろうか。
あるいは、アドルフのずぼらさから、剣の手入れを怠っていたのが原因だろうか。
そのどれが、あるいはほかの何かが正解なのかはわからなかったが、俺の剣がアドルフを切り裂いたのは間違いのない結果だった。
致命の一撃というわけではない。けれども、確実にダメージとなる一閃は、アドルフの左の二の腕に沈んでいた。
ひいた刃に、アドルフの血しぶきが続いて飛ぶ。
俺はあらためて剣をかまえ、追撃の一撃を準備した。
「アドルフは、戦闘不能にして連れかえる!」
言って、俺はふみこもうとし、そうして直前で足をとめる。
アドルフは膝と両手を床につき、なにやらうめき声をあげていた。
その様子は、ただでさえ尋常ではないアドルフが、さらに壊れてしまったかのようにみえたのだ。
俺は少しの間合いを開けて、アドルフに向かい合う。
しばらくうめき声をあげたあと、アドルフはやおら顔をあげてこちらをみた。
交わった視線の先、どこか弱々しくあるものの、彼の瞳には意思の力が宿っているように思えた。
「アドルフ!」
俺は大声で彼を呼んだ。
彼はその声に反応したように見え、そうしてうめき声がやむ。
次にアドルフが口にした言葉は、こんどははっきりききとれた。
「なんだ?ここは。どういうんだ?」
そう言うと、彼はぎょろりとあたりを見回し、そうして俺に気がつく。
「ロッカ、だと?ふざけた夢を……」
「はいはい、そうですよ。これは夢。悪い夢です」
皆が、一斉にエヴァンジェリンのほうをみた。
彼女はいつのまにか取り出した魔法のスクロールをひらき、なにやら魔力を通している。
その手早さは、その場のだれにも、とめられるものではなかった。
「う、がぁぁ」
アドルフの目から、ふたたび意思の光が消えていく。
「ささ、勇者さま、こんどこそその邪魔者を」
「ふざけるな!」
その怒りが、エヴァンジェリンにむけられたものなのか、それとも簡単にしてやられたかつてのリーダーに向けられたものなのか。言った俺にもはっきりとはわからなかった。
確かなのは、やはりアドルフをおかしくしていたのは、エヴァンジェリンの一派だったということか。
俺は叫ぶなり、【暴走特急】を発動する。
痛みで目が覚めることがあるのなら、ひっぱたいて正気にもどしてやるだけだ。
ゴッ、と
俺の突進をアドルフが受け止める。
しかし怪我を負い、しかも操られて行動を縛られているアドルフである。突進を受けた直後の俺の硬直。それをはるかに上回る隙が、彼にはあった。
俺の固めた拳が、その隙の間を抜けて、アドルフの頬に突きあたった。
「もうひとつ!!」
痛めた右手をかばうことなく、俺はもう一度アドルフに拳を突き出す。
それは彼の顎下に直撃して、アドルフは派手に吹き飛んだ。
ばたん、と勢いよく音を立てて、アドルフがダンジョンの床に仰向けに倒れる。
俺は慎重に彼に近づき、上からのぞき込む。
アドルフはぺっと血の混じった唾を吐いて、俺のほうを見る。
「ロッカか、まさかお前に……」
言いかけたが、それ以上は言葉にならないようだった。
とまれ、彼の目には、ふたたび意思が戻っているようだった。最悪の場合に想定していた、こちらに襲いかかってくる、ということもないようだ。
アドルフは俺から目をそらし、そうしてダンジョンの天井をみつめたままで動きを止めた。
俺は一息ついて、エヴァンジェリンのほうへ目をやった。
これ以上、あのスクロールを発動させ、アドルフを喪心させるわけにはいかない。
「まったく。役者不足って、まさにこのことね」
彼女は追加のスクロールを取り出す様子もなく、ふてたような顔で言う。
「まあ、いいわ。勇者なんて、ガルムさまを呼び出した時点でお役御免なのよね。むしろいままでつかいたおせて、よかったといっておこうかしら」
そうして、彼女は大犬の顔を見上げた。
「さあ、ガルムさま。おまたせをいたしました。たっぷりと暴れていただいて良いのですよ?」
火球を放ち終えてからこっち、ガルムはずっと静かにしていた。
その時、タロに切り裂かれた怒り。それを発露させることもなく、それがかえって不気味さを醸し出している。
タロにつけられたたガルムの傷は、もう塞がっているようだ。
ただでさえ荒々しく凶相のガルムだったが、その傷によってさらに凄みが加わっている。
低く、うなる声がそこから響いた。
ガルムのこころに火が入ったのは、間違いないように見えた。
俺は剣を構えてそれに対する。気力はまだ充分だ。けれども魔力をはじめ、持てる戦闘力はアドルフ戦で出し切ってしまった感はあった。
パーティーメンバーも、リンネは怪我で離脱中だ。まともに戦力になりそうなのは、シャロと、そして……
タロはとことこと俺の横を抜け、皆の前へと歩み出る。
それは俺だけでなく、パーティーのメンバー皆を守ってくれているようだった。




