50話 大犬と対峙します
獣は、特に目標を決めず、気ままに暴れているように思えた。
王都いちばんの鐘つき堂に登って壊し、広場に降りたっては逃げ惑う市民を追いかけ回して吠え回る。
時折身体を震わせれば、周囲にいくつもの火球が生まれ、それがあたりへめちゃくちゃに飛んでいった。
それらはそれぞれ着弾場所で爆裂し、それがこの大犬がもたらす被害の最も大きなものだった。
「たしか、ガルムの剣と言っていたわね」
リンネが俺をみてぽつりと言った。
確か、言っていたのはシメオンだったか。
その名前は、俺にも覚えのある名前だ。
俺が好きだったフェンリルと勇者の活躍を描いた絵本。その最後に、倒され、封印されたのが邪神ガルムという邪神だった。
まさか、あれが?
遠くに、正確な大きさはわからないが、大犬の大きさはタロと同じくらいに見えた。
タロが伝説のフェンリルならば、あるいはあれも・・・・・・
俺は走りながら、あの大犬をガルムと仮称することに決めた。もしあれがほんとうのガルムでなくても特にかまいはしないだろう。そう呼ばれるだけの悪事は、もうはたらいているのだ。
ガルムから逃げる人たちで、大通りはいっぱいだった。
これでは、タロとすぐに合流するのは諦めざるをえないようだ。
タロがいる高級宿は王都の一番栄えている区域にある。
そこに向かう通りはこちらへ向かってくる人波に溢れ、そこを逆に進むのは時間がかかりすぎると思えた。
「できるだけ、近くへいってもらえんかね」
オーウェンが俺の肩でそういった。
「でもこれ以上は・・・・・・」
危険に思えるし、なによりオーウェンは大怪我だ。
「君たちには危険を冒させてしまうがね」
「いえ、そっちはいいんです。それよりも」
俺の視線が、自分の傷に行くのを見てか、オーウェンは唇の端をあげた。
「なに、長年冒険者などやっておるとな。この程度の怪我は茶飯事じゃ。いいからいってはもらえんか」
俺は少しの間考える。
「頼む」
オーウェンが頭を下げる。
「リンネ、頼める?」
「わかった。なんとか血止めくらいは続けてみせるわ」
俺はうなずいて、もう一人の方を向く。
「シャロは、はやく避難して」
彼女は矢筒の中の本数を確かめてから、
「そうしたいのはやまやまですけど、わたし、ロッカさんたちの監視対象なんですよね」
俺は答えにつまった。
「ギルド最高位剣士までいるのに、逃げられるわけないじゃないですか。しょうがないのでついていきます」
「わかった、行こう」
俺たちは、ガルムへ向かう道のうち、できるだけすいているところを選んで進んでいった。
―――――――――
ガルムへ近づくにつれ、冒険者や王都守備隊の姿が目立ち始める。
その中でも王都守備対の様子はひどく、どうやらはじめにガルムに立ち向かって散々にやられたらしい。
比較的無事に見えるのは冒険者たちだ。
自主的に集まったらしい彼らは、皆それなりに手練れに見えた。
けれども、混乱の中、お互いに連携がとれているとは言いがたく、それぞれがガルムに立ち向かっては、各個撃破されているようだ。
ガルムばかりではない。
ガルムを守るように見慣れた黒ずくめの集団が、幾人か周囲に展開し、冒険者や王都守備隊とやり合っては妨害を繰り返していた。
きままに暴れているように見えるガルムも、黒ずくめたちには手出しをしていない。
その中にひとり、ヒーラーの姿をした女性の姿を見ることができた。
あれは・・・・・・
「エヴァンジェリン?」
「エヴァさん?」
俺の左右で、パーティーメンバーが口々に彼女の名前を口にする。
「あら」
エヴァンジェリンの方もこちらに気づいて、眉の間に皺を寄せる。
彼女がなにか合図をすると、近くにいた黒ずくめたちがこちらへ向かって武器を構えるのが見えた。
「オーウェンさん、ちょっと待っててください。それから武器を借ります」
俺は彼を近くに横たえて、それから彼の携えていたサブウエポンのひとつを手に取った。
「リンネは、オーウェンさんを。シャロは援護をお願い」
無言でシャロが矢をつがえる。
そこへ、黒ずくめたちが殺到してき、
ドン
と、
ガルムが空から降ってきた。
その衝撃に巻き込まれた黒ずくめたちは、吹き飛ばされて倒れていく。
決して彼らを狙ったのではなく、ただ着地しただけでこの威力である。
シャロもとなりで尻餅をついていたが、どうやら怪我はないようだ。
口からよだれを垂らしながら、ガルムはゆっくりと俺たちのほうへと近づいてくる。
いや、目指しているのは俺の方だ。
近くで見ると、やっぱりタロと同じような大きさである。
タロで慣れていなければ、すぐに逃げ出したいほどの迫力だ。
ガルムは俺のほうへと鼻を突き出すと、ふがふがと匂いを嗅ぐような仕草をみせた。
そうして、ガルムは何かを悟ったように顔を跳ね上げると、上空から俺を見下ろす。
その口が、にたり、と笑うように歪んで見えた。
グルルルルと喉の奥から吠え声があふれ出て、
ギャフ、と吠えた次の瞬間、ガルムの周囲にいくつもの炎球が浮かび上がった。




