41話 勇者が組織と対峙します
「勇者どのは、勇者と、フェンリルとの昔話をご存じですかな?」
シメオンがそう聞くや、あたりの気温が数度、さがったような気分がした。
アドルフの怒りは、後ろにいるエヴァンジェリンにもはっきりとわかったが、シメオンは話しを止めなかった。
「神獣フェンリルが、荒ぶる神々と戦う。それはそのまま、この国の建国譚でもあるのですよ」
すたすたと階段を下っていくシメオンに、アドルフは続いていた。この建物の本来の最下層を過ぎても、シメオンはとまらない。
そこは掘ってからさほど時間が経っていないらしく、壁の処理もされていないから、土がそのままむき出しである。
手をつけば、湿り気のある土がそのまま手指にからみつく。
アドルフには不快でしかなく、なんどかシメオンを切って帰ろうという思いが顔をのぞかせたが、前を行く隙だらけの背中が、逆に彼の刃を鈍らせていた。
「それでは、もうひとつお聞きしましょう」
怒りにまかせて、何度か殺気を飛ばしても、シメオンはどこふく風で歩く速度に乱れさえみられない。
代わりに帰ってくるのは、彼の言葉ばかりだった。
「荒ぶる神々の最後の一柱。英雄譚の最終章。そこに描かれていた神。クライマックスというべき箇所で、フェンリルに倒され、勇者に封印されたその神を、勇者アドルフどのは覚えておいでですか?」
「む、」
言われて、アドルフは虚を突かれたようにおしだまった。
どこかの雑用係と違って、アドルフは勇者とフェンリルの物語を、すり切れるほど読んだ過去はない。
子供ならだれでも一度は聞いたことがある物語だから、おおすじは知っていても、細かいことを聞かれても答えられはしなかった。
一拍待って、シメオンは続けた。
「他の神々とは違い、明確に邪神と記されているその神こそガルム。奇しくも、犬の形をしているとも描かれていますな」
アドルフとは異なり、シメオンは話すほどに体温が上がっていくようだった。
反対に冷え切ったアドルフは、吐き捨てるように言葉を返す。
「それで、いつまで付き合わせるつもりだ。いいかげんに・・・・・・」
「階段はここで終わりです。足下にお気をつけを」
「もうすこし進めば目的地よ。我慢できるわよね?」
しなだれかかってくるエヴァンジェリンを振り払えば、アドルフはそれ以上抗議する気勢をそがれている。
ふたたび先を歩き出したシメオンを追いかけて、アドルフは薄暗い通路を進む。
いつしか、土壁は石積みのそれに代わり、足下も堅い感触で敷き詰められているのに気づく。
「ここは?」
「王城。その地下にある空間よ。地下迷宮といっていいかも」
「なん、だと?」
アドルフが踏み込んだ組織のアジトは、たしかに王城の近くにあった。
ならば地下を掘って、つなげたのか?
「わたしの手下が掘り進んでくれましてね。はじめてここをみつけたときには、そう、がらにもなく感動したものです」
迷宮というだけあって、いくつかの分かれ道が存在した。
シメオンは戸惑うことなく、すたすたと道を選んで進んでいく。
「心配はいりません。ここの存在は、上の王城にいるものからは、どうやらかえりみられていないようでしてね。見張りのようなものと、遭遇したことはないのです」
またもはめられたのか?とアドルフは思う。
シメオンやエヴァンジェリンを切り倒したとして、この迷宮を一人で戻る自身は、彼にはなかった。
「もうすぐですよ、勇者どの」
示されるまま、狭い階段を上がると、そこは小さな部屋になっていた。
いや、小さいと言うには語弊があるか。
床面積はそれほどでもないが、天井が高く開放感がある。
ネルソンが持っていたカンテラを掲げると、周囲の壁に、何かの絵が描かれているのがみてとれた。
犬?いや、フェンリルか!
アドルフがそれらの絵をぐるり見回すうち、シメオンは一方の壁際へと歩いて行った。
「これが、俺を連れまわした理由か?」
アドルフは低い声で言った。ここに興味がないわけではないが、それよりも当然、シメオンやエヴァンジェリンへの怒りが勝る。
なにより、フェンリルというのがまずかった。
今のアドルフにとっては、地雷でしかない。
「どうですかな?感想は」
「聞かせてほしいのか?」
アドルフは柄に手をそえる。
シメオンを切って帰りの道はエヴァンジェリンに案内させる。
その後は・・・・・・
シメオンは、顔に笑いをはりつけたまま、アドルフと向かい合った。
「みていただきたいのは、実はこちらなのです」
彼は両手を大きく広げる。
彼が立つ場所は、そう、目が慣れた今見てみれば、なにかの祭壇のようだった。
「なんのつもりだ、貴様」
アドルフは、もう抜刀するのに遠慮はなかった。
突きつけた剣の距離はシメオンからはまだ遠いが、アドルフにとっては一息で詰められる距離でもある。
「言ったでしょう。邪神ガルム。それがこの地、この場所に封印されているのですよ」
「ふ、ハハハハハハ」
アドルフは笑い出した。何を馬鹿な。
気がつけば、シメオンは真顔である。
「そうして、その封印を解けるものこそ、ほかならぬ勇者どの、というわけです」




