37話 俺とタロのお話です
「お初におめにかかります。私のことは、どうぞシメオンとお呼びいただけましたら」
アドルフはちらりとエヴァンジェリンのほうをみた。
彼女はいつになく真剣な顔で、かしこまっているようにみえた。
シメオンという男、どうやらそれなり以上の地位にいる人物とみてよさそうだ。
「それで、今日はなんのご用向きでしょう?」
言い終えるや、アドルフの剣がシメオンの喉元につきつけられた。
「そこの女に伝えた通りだ。どうせ下で聞いていたんだろ?」
そうされても、シメオンは湛えた笑みを崩さない。
アドルフは舌打ちして続ける。
「おまえらには俺をはめた報いを受けさせてやる。それだけだ」
「いけませんな、勇者ともあろうおかたが」
言われて、アドルフの腕に力がこもった。
「そうさせたのは、どこの誰だ?」
自分のありようが、アドルフの怒りを駆り立てるだけだと悟ったのか、シメオンは大きく息を吐く。
「お話を、させていただいてもよろしいか」
「今更、お前らの話に興味があるとでも?」
シメオンは一度は止めていた笑みをもういちど、浮かべている。
「この国と、勇者に関することでございますよ」
ひゅん、と
アドルフの剣が振るわれた。
シメオンの首筋に一筋の赤い線が引かれ、一筋の血が流れ落ちる。
アドルフは刀を振って、まとわりついた血をはらうと、流れる仕草で納刀する。
「話次第では、首から上がなくなるだけでは済まないぞ」
「こころえておりますとも」
シメオンは笑みを絶やすことなくそういった。
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てし、と差し出された前足をくぐって、胸元の毛を抱いてやる。
顔と腕全体でもふもふを感じながら、俺はたろの体をなでさすった。
「きゅーん」
とかわいらしいなき声をあげるタロは小さかった昔とそれほどかわらないように思える。
けれども、俺が両手をめいっぱいに広げても、もうタロの体を一周することはとうていできなかった。
「大きくなったな、ほんとに」
王都をはなれて少し、草原の真ん中で、久々にタロとふたりきりだ。
今は少しばかりたいへんな時だけれど、リンネにシャロ、ふたりのことは一時オーウェンにまかせてある。
「なあ、タロ」
腰袋から干し肉を取り出すと、タロはそれにかぶりついた。
「アドルフのことなんだ」
タロの動きが一瞬、止まる。それからタロは一気に干し肉をかみ砕いて、飲み込んだ。
いつもはなめてしゃぶって、長く愉しむのがタロなのに、だ。
俺は少し時間をおいて、続ける。
これから言う言葉を絞り出すには、それだけの時間が必要だった。
「ほんとうは、タロ、アドルフのところに来たんだろ?」
タロは腰を下ろし、高い位置から俺を見下ろすようにした。
「俺といっしょにいてくれて、タロにはずっと、ほんとうに感謝してるんだ」
俺はタロの前足に手をやって、ゆっくりと撫でた。
タロはただ黙って俺の話を聞いている。
俺は乾ききった唇を人なめして、それから覚悟を決めて言う。
「だけど、もう遠慮しなくたっていいんだよ。アドルフのところにいったっていいんだ」
タロの体が、ほんのりと熱くなるのがわかった。
俺は続ける。
「今、アドルフがピンチなんだってさ。だから」
ヴー
と、タロのうなり声を聞いた気がした。
直後。
どふ、っと衝撃が走り、俺は大きく吹き飛ばされる。
タロ?
タロが頭から思い切り俺に突っ込んできたとわかった。
タロの全力ではない。けれども決して冗談にはならない衝撃が、俺の前身を駆け巡った。
本来なら、【フェンリルの毛皮】の効果で無効化される程度の攻撃。
けれども、タロ本人の攻撃には、【フェンリルの毛皮】は発動しないということだろうか。
地面にたたきつけられた俺に、タロが飛び上がってのしかかる。
「タロ、やめて、タロ!」
ばん、ばん、と音をたてて、タロの前足が俺の胸にたたきつけられた。
ウォフ、ウァフ、ウォフ
タロは哀しそうな鳴き声を上げて、何度も俺を叩いてくる。
なんどもそうされているうち、俺の中にタロの感情が流れ込んでくるのを感じた。
よくもそんなことを!!
タロは怒っていた。そうして悲しんでいた。
俺は、なんて馬鹿なことをいってしまったんだろう。
タロの打撃による痛みよりも、その後悔のほうがより鋭く、おれを責めさいなんだ。
俺は呆然としながら、タロの前足の嵐の中で、必死で声を出そうとする。
「ごめん、ごめんな、タロ」
何度も何度も、そう言った。
そうして、タロが手を止めることには、俺はすっかり動けなくなっていた。
タロはしばらく俺を見下ろしていた。
タロの中で、怒りと悲しみがひいていくのがみてとれた。
今はむしろ、俺をこんなにしてしまった自分のことを、責めているようでもあった。
クゥン
と小さくないて、それから俺の顔を嘗めた。
ざらりとしたあたたかい感触が、いまはとても気持ちよかった。
「ごめんな、タロ。もう二度と、あんなことはいわないよ」
タロがめちゃくちゃに、俺の全身を嘗め始めた。
「タロ、もういいよ。わかったからさ」
それはしばらく、終わる様子を見せなかった。




