29話 勇者アドルフが一体出た
アドルフは怪訝そうな顔で俺をみている。
昔の仲間に呼び止められて、不快感を覚えているというよりは、俺のことが誰だかわかっていない顔だ。
しばらくそうしていてから、彼ははっと思いついたよう、な表情を浮かべる。
それから舌打ちをひとつして、俺の腕を掴んで裏路地へと引き込んだ。
「おまえ、ロッカか?なんでこんなところに」
「アドルフこそ、なんで」
「おまえの知ったことかよ」
掴んでいた俺の手を振り払うと、アドルフは舞うように後ろへ下がった。
「どうしてあそこにいたのかは知らないけど、あの組織はほんとうにまずいんだ」
「だから、知ったことかと言っている!」
「今、あそこにはギルドの査察がはいってる。いたことがわかれば、アドルフだって」
ぴく、とアドルフの表情が動いたようだ。
俺はたたみかけるように言った。
「今なら、まだ大丈夫。なにがあったか話してくれれば、俺からギルドの方にとりなしてあげられるから」
アドルフはうつむくように下を見る。
それから、俺のほうへと歩み寄った。
「よかった。じゃあ話を」
くつくつ、と下げたままの彼の顔から、笑い声が聞こえてくる。
どん、と衝撃があって、俺は吹き飛ばされて尻餅をついた。
「え?」
見上げると、アドルフが俺を突き飛ばした右腕を、腰のあたりにやるところだった。
「言うじゃないか、おまえ風情が」
アドルフは抜刀して刃を俺につきつける。
「多少なりとも活躍してるようだが、その程度で俺になにかをいえる立場と勘違いしたのか?」
威圧するように、アドルフは俺の目の前で刃先を揺らした。
その刀身がかすかに曇っているのがめにとまる。
あれはむしろ、なにかを切ったそのあとか?
ネズ四郎
それに気がついたとき、俺は我知らず、動いていた。
突きつけられた刀身を、直接掴んで振り払う。
【フェンリルの毛皮】の効果で無傷な俺にアドルフが驚いたような顔を向ける。
【暴走特急】発動!
視界が歪む。驚いたようなアドルフめがけて、攻撃力を八倍した突進が真っ直ぐに向かう。
「なめ、っるなよ!」
激突音とともに、視界が元に戻る。
アドルフの顔が、すぐ近くに現れていた。
いままで、何人もの敵を吹き飛ばしてきた【暴走特急】だ。
アドルフといえども、結果は同じだろう。
俺はカッとしてやった自分の行為を、今は反省しようとし・・・・・・
【暴走特急】を、アドルフは両手で受け止めた。
受け流すでも、かわすでもなく、正面からがっちりと、だ。
勢いで押されるまま、路地裏をしばし滑っていく。
ずざざ、と砂埃を巻き上げて少し。
【暴走特急】を受け止めきったアドルフに、ダメージらしきものはかけらもみられなかった。
「なめるな、といったよな」
抜刀しながら、アドルフが言う。
俺も無言で、それにならった。
「ますます気に入らないな。それで俺の前に立てるとでも?」
アドルフは片手で大きく剣を振る。
俺の目が見るとはなしにその軌跡を追った。
瞬間、
俺の【暴走特急】なみの速度で、アドルフがこちらにむけて突っ込んできた。
「わっ」
と声をあげる暇もなく、高速の斬撃が俺を襲う。
片手で、腰の入らないただ振り回しているようにしか見えないアドルフの攻撃。
それはしかし、一撃一撃が大きなハンマーで殴られているように重かった。
斬撃自体も、てきとうに繰り出されているように見えて隙がない。
俺はただ、アドルフの攻撃を受けることしかできなかった。
ゴッ、と、横薙ぎの大ぶりが、俺の体を大きく浮かせる。
続いて放たれた切り落としが、俺を地面にたたきつけた。
アドルフは、自分の腕をしげとみつめながら、小首をかしげる。
「おまえ、本当にあのロッカか?俺の攻撃をこうまで受け止めるなんてな」
それから袈裟に剣を振るい、自嘲する。
「俺が、鈍ったのか?まあ、不摂生ではあったしな」
「アドルフ、いいかげんにしなよ!」
「くどいぞ、ロッカ」
アドルフに話が通じる様子はない。
こうなれば、と俺はさきほど手放した、懐の口寄せの札を探る。
「来い、ガ・・・・・・」
無言で、アドルフの手から突きが飛んだ。
それは口寄せの札を弾き飛ばして、俺の手のとどく範囲の外へと飛んでいく。
「口寄せの札、か。そういえばお前、今はテイマーなんだって?」
舞い落ちた札を踏みつけて、アドルフは言う。
「あまりしつこくするようなら、覚悟してもらうぞ。おまえを殺して、なにもなかったことにしたっていいんだ」
俺とアドルフの実力差ははっきりしていた。
彼の言うのは、あながちはったりというわけでもないのだろう。
「どうして、こうなったんだ?オレは勇者アドルフだったはずだ。それがどうして、こんなところで?」
アドルフが、なにかをひとりごちた。
彼の顔に影が落ちる。オレにつきつけた切っ先が、わずか下がった。
「アドルフ、ここまでだ。おとなしくいっしょに!!」
もう一度、俺はアドルフの剣先を掴んだ。
「忠告はしたぞ、ロッカ」
素早く引かれた剣先の刃が、【フェンリルの毛皮】の防御値を超えて俺の手のひらを切り裂いて血の花を咲かせる。
「もう一度、だ【暴走特急】」
アドルフではなく、その背後。
直進的な突進を移動手段に変える、【暴走特急】の裏技だ。
俺のことを、アドルフは視界にとらえていない。
もらった
俺は心の中で叫んで、アドルフに向かって剣の鞘でうちかかる。
瞬間、俺の体の中心を、鋭い痛みが走り抜けた。
反射的に、だったのだろう。
放ったアドルフが驚いているのが見えた。
彼がこちらを見ることなく放った斬撃は、正確に俺をとらえ、肩口から胸にわたって切り裂いた。
切られたのは服のほか、皮膚1枚と肉が少し。
懐から、未契約の口寄せの札が数枚、こぼれ落ちた。
「だから、言ったんだ」
致命傷にはほど遠いが、見た目通りダメージは大きい。
「もう、後戻りは・・・・・・」
「大丈夫、だからさ、いっしょにきてくれないか?」
「まだ言うのか?それ以上言うなら、切り捨てるしかなくなるぜ?」
アドルフがもういちど剣をつきつける。
彼は俺に従う気はないようだ。
もう、俺にはそれをどうこうするちからはない。
「気をつけろよ。どうでもよくなることだってあるんだ」
と、
ばらまかれた口寄せの札が、突然光を放った。
未契約の口寄せの札は、その時点ではただの魔力のこもった紙である。
その魔力にしたところで、そんな現象を巻き起こすだけの、力はないはずなのである。
けれども、俺はその光に見覚えがあった。
だから、俺はそう叫んだ。
「頼む、来い、タロ!」
「なに?」
ぼん、
と音がして、あたりを白い煙がつつんだ。
それが晴れる頃、黒い大きなもふもふが、目の前にあった。
「フェンリル、だと?」
驚いた顔を隠さずに、アドルフが言う。
「まさか、あのときの犬、だってのかよ?」
タロは俺のほうをちらりと見ると、アドルフに向き直って鋭い威嚇の声をあげた。




