25話 D級冒険者になりました
「クソッ」
投げつけられた空き瓶が絨毯にあたって鈍い音を立てた。
少し前まで泊まっていた宿とは違う毛足の短い絨毯がたてるその音は、それだけでアドルフをますますいらつかせる。
「どうしてこうなった?」
少し前までの自分は、人生の絶頂にあったはずだ。
最難関のダンジョンを攻略し、あうもの皆に祝福される。
冒険者として最上の栄誉を、充分にうけていたはずなのに。
アドルフは新しい酒の瓶の封を切ると、それをまた一気にあおった。
ノックのひとつもされることなく、部屋の扉が開かれた。
見れば、アドルフが今最も見たくない顔のひとつが、薄暗い部屋に押し入ってくる。
「こんなところにいたのね?」
エヴァンジェリン。アドルフ自身がパーティーから追放したため、いまではもう仲間ではない。
けれども彼女は、いままでとそうかわらない笑顔で、アドルフに対した。
「なんのようだ?」
「あら、これでも心配していたのよ?いきなりいなくなってしまうんですもの」
「お前の・・・・・・」
せいだろうが、という言葉をアドルフは飲み込んだ。
ここは今まで泊まっていた宿とは違うのだ。
壁も薄く、聞き耳を立てている宿泊客もいないとはかぎらない。
騒ぎになってよいことなど、ひとつもなかった。
「安心しなさいな、アドルフ。あなたのやったことなんて、ひとつも話題になっていないから」
アドルフはそれを聞いて、もう一度酒をあおる。
セーフゾーン脇の泉にどくトカゲを投げ込む。そうして巻き起こされた惨事が許されるはずもないことは、彼自身にもわかりきったことだった。
それがたとえ目の前の女が仕組んだことで、それが認められたとしても、アドルフの名声に傷がつくことは避けられない。
混乱のさなかにあって、アドルフの行為と、それからアドルフの姿を同時に見ていた冒険者がいたかどうかははっきりしない。
それでも、アドルフにはいままでのように、目立つ場所で目立つ行動をととり続ける勇気はなかった。
「街はね、今あの事態を収拾した、あたらしいヒーローの話でもちきりよ?」
ぴく、とアドルフの眉が動いた。
飲んだくれてはいても、その事態に対する情報収集は怠ってはいない。
だから、その話も当然のように知ってはいた。
「ロッカくん、だっけ」
そうして、エヴァンジェリンの顔が不自然に歪む。
「ああ、もちろんあなたは知っているわよね。だってもとあなたのパーティーメンバーだったんですもの」
ガシャン、と
エヴァンジェリンの脇の壁で、酒瓶が派手な音を立ててはじけた。
「出て行け、2度と顔を見せるな」
低く、アドルフの声が響いた。
「あら、怖い怖い」
エヴァンジェリンはなんでもなさそうにそう言うと、胸元をまさぐって1枚の紙片を取り出した。
そうして、部屋の脇にあった書き物机にふたつ折りにしてからそっと置く。
「私、いまここに滞在しているのよ。用があったら訪ねてちょうだい」
「誰が……」
低い声で返そうとしたアドルフの口を、彼女の人差し指が塞ぐ。
「あなたにはきっと、必要になるわ」
そうして、エヴァンジェリンはくるりと踵をかえした。
「それじゃ、嫌われてしまった私は退散するわね。また、あいましょう」
アドルフの返事を待たずに、彼女は薄暗い廊下の中へと消えていった。
アドルフは動かず、さらに酒をあおっていく。
「ロッカだと?」
酔いのまわりはじめた頭で、彼はかつてのパーティーメンバーの顔を思い出そうとした。
鈍くなってきた頭の中で、ロッカの顔は、なかなか像を結んでくれない。
「その程度の存在が、ヒーローだとは笑わせる」
そうだ、ヒーローとは、アドルフのように万般にすぐれた冒険者がなるべきなのだ。
アドルフは立ち上がると、書き物机に歩み寄った。
そうしておかれた紙片を手に取ると、次の間には握りつぶす。
それから彼は、くず入れにとそれを放り投げようとした。
「クソッ」
そうして、それを直前で思いとどまる。
アドルフたちの行為はいまだ話題になっていない、とはエヴァンジェリンの言である。
けれどもそれで安全を保証されたと思うほど、アドルフは無謀ではなかった。
今はまだ、取れる手は多い方がいい。
そう思って、アドルフは紙片を上着のポケットに乱暴にねじ込んだ。
―――――――――
「これは、見違えたのう、ロッカ君」
王都のギルド、その重厚な扉を外に抜けてすぐ。
俺は初老の男に声かけられた。
D級冒険者の手続きを終え、免状の発行を受けた俺は、そのギルド最高位剣士に向き直る。
「男子三日あわざれば、というのも納得じゃ」
バルド・オーウェンはそういってうれしそうにわらった。
「それにしてもいきなりのD級とはのう。冒険者の経験があったとはいえ、いやはや、すごいもんじゃ」
「オーウェンさんでもそう思うんですか?」
なんといっても、彼はギルド最高位剣士にしてS級の冒険者だ。
彼自身のランクアップのスピードは、他の冒険者に比べてもはやかったとみるのが普通だろう。
「わしだって、D級にあがるまでには3年はかかったか、のう」
昔を思い出しているのか、オーウェンはそらを見上げながらそういった。
3年、というのもやはり、異様なはやさには感じられる。
オーウェンはそれから居住まいを正し、す、と俺に頭を下げた。
「まずは、ギルドにかわって礼を言わせてくれ。儂の不在を、よくカバーしてくれた」
オーウェンはこの王都のギルドを含め、特定のギルドを拠点に活動しているわけではない。
だから、ほんとうは謝られるにはあたらないのだが、上位クラスとしての責任感のようなものがあるのだろう。
俺は素直に、彼の礼をうけておくことにした。
オーウェンは顔をあげると、俺ににっと白い歯をみせた。
「それで、じゃな。ひとつロッカ君にたのみたいことがあるんじゃよ」
聞いた話だが、オーウェンはここのところ、相当に忙しく動き回っているらしい。
そんな彼がわざわざ俺の前にあらわれたのは、謝罪ばかりがようむきではないだろうと想像はできた。
「なんですか?」
「誰に頼もうか、迷ってはいたんじゃよ。それで今、ロッカ君に会って決めた。ロッカ君になら、この任務をはたすのに、不足はないじゃろ」
正確には、俺とタロ、それにリンネを合わせたパーティーに、なのだろう。
D級の免状をいただいたとはいえ、俺一人ではまだまだ未熟だ。
オーウェンは懐から巻かれて封印を施されたスクロールを取り出した。
それから慣れた手つきで封をといて広げて見せる。
「これはギルドからの正式な依頼とおもってよいぞ。報酬もギルドから出るし、貢献度もかせげるというもんじゃ」
彼はぐるりとあたりを見回し、人目がないのを確認すると、俺にその中身を示した。
俺はそれをうけとって視線でさらりと、はしからはしまで洗っていく。
「あれ、でもこれって……」
「そうじゃな。これは君個人への依頼になる。タロ君はちょっと、おやすみというところかの」
オーウェンはそういうと、もういちどにやりと笑った。




