18話 あたらしい道をみつけました
投げ込まれた毒トカゲは、泉の水上で2、3度もがいて、それからゆっくりと沈んでいった。
何を?とアドルフが問うまえに、変化は劇的に訪れた。
緑色の、やけに粘度の高い泡がひとつ、トカゲが沈んだあたりから浮かび上がって泉の表面でぱちりと弾ける。
同時、
その泡と中心にして、緑色のドロドロが一気に広がって、一瞬で泉を埋め尽くした。
泉は、いまや毒の沼になっていた。
「なん、だと?」
アドルフは目を見開いた。
たしかに、毒トカゲは猛毒を持ってはいたが、いくらなんでも泉ひとつを一瞬で毒化するだけの、そんな量をあの体にため込んでいたとは考えられない。
「驚いた?」
エヴァンジェリンが近づいてアドルフにしなだれかかる。
「精霊を毒化するのがポイントなのよ。それだけでもう、この通り」
「おまえ、なんてことを」
「あら」
エヴァンジェリンは人差し指の先で、アドルフの胸をとんとつついた。
「あなたが、やったのよ」
絶句するアドルフに、彼女は続ける。
「それにね、まだこれからよ?」
いまや緑のヘドロに覆われた泉の表面が一気に盛り上がる。
それは人のような形をとると、アドルフに向かって襲いかかった。
「チッ」
舌打ちの勢いそのまま、アドルフはそれを抜き打ちにする。
ぬたり、とした嫌な感触があって、それはゆっくり両断された。
「これは、精霊?なのか」
ダンジョンの床に落ちたそれがじゅわじゅわと嫌な音を立てて消滅していく。
あとには先のトカゲのように、毒々しい色をした魔石が転がった。
「これよ、これ!これが高く売れるのよ」
エヴァンジェリンは魔石に飛びつくように拾い上げると、それをかかげる。
「さあ、あなたたちの出番よ。これをたくさんあつめてちょうだい」
戦士と魔法使い、ふたりの男が前へ出た。
ひとりはにやにやと下卑た笑いを浮かべているが、もう一人は不安そうな顔をしている。
無理もない。みためにあたりは惨状だ。
「安心して。ああみえてあいつらが使ってくるのは猛毒を付与する接触攻撃だけなのよ。
だから勇者のリーダースキル、状態異常耐性さえあれば、ね」
言われて、もうひとりの男も笑った。
彼らは思い思いにもとは泉だった毒の沼地に分け入って、もとは精霊だった毒スライムに切りかかり、あるいは魔法を放っていく。
「おまえ!!」
「あら、感謝してくれるの?そうよね。こんなに簡単にお金が稼げるんですもの」
アドルフは無言で剣を構えようとする。
「やめておきなさい。いくら勇者サマでも、この数のこいつらを狩るには手間がかかるはずよ」
アドルフは剣を見る。べたりとからみついたスライムの粘液で、切れ味が落ちているのは確かだ。なによりスライムは数が多い。騒ぎが大きくなる前に狩りつくすには時間がかかるのは確かだった。
「クソっ」
はめられた、と思った時にはもう遅い。アドルフはとにかく場をおさめるためにスライムの方へ向かおうとし……
「エヴァンジェリン、おまえ、それ……」
アドルフがさした自分の右手を、エヴァンジェリンは見た。
「ちょっとなによこれ」
彼女の手は真っ赤になって、二倍ほどに膨れて見えた。毒、だ。
「なんでよ、状態異常耐性は?毒は無効化されるはずじゃ」
聞かれたアドルフは言葉につまる。
彼女の言うとおり、アドルフのパーティーメンバーに、毒は効かないはずだったからだ。
事実、アドルフ自身には毒の害はみられない。
うしろでばちゃり、と音がした。
目をやれば、沼に分け入った男たちが、両方とも倒れ、うつ伏せに浮かんでいる。
鎧や服の間からのぞく皮膚は赤くただれ、彼らもまた、毒にやられているのを示していた。
「アドルフ、どういうことなの、こんなのきいてない」
即座に魔法を発動し、自らの毒を癒しながら、エヴァンジェリンが叫んだ。
アドルフは答えられない。彼自身なにもわかっていなかったから。
パーティーへの勇者の加護が失われている?
けれども、アドルフのリーダースキルは、彼の意思でオンオフできるというものでもないはずだ。
ぬちゃぬちゃと音がした。沼に倒れた男ふたりを乗り越えて、スライムが残りふたりに迫ってくる。
「もう、やだ。こんなんじゃ、もうこんなところにははいられないわ」
彼女は懐からなにかの巻物を取り出した。
アドルフの目はそれが持つ魔法の効果を即座に見て取る。
パーティーごと、ダンジョンを脱出する魔法のスクロールだった。
「まて、これをこのままにしていく気か?」
「うるさい。」
アドルフが言うのも聞かず、エヴァンジェリンはそれをかかげる。
アドルフの視界がひかりにつつまれた。
―――――――
ドラゴン、ヴィルドの一撃で、甲冑武者は吹き飛ばされた。
「発動、暴走特急」
体制を立て直す余裕を与えず、俺が放った突進で、甲冑武者を壁にたたきつける。俺と壁とに挟まれた甲冑武者は、もがきながら2、3度俺に切りつけたが、力の入らない斬撃ではフェンリルの毛皮を貫くことはできなかった。
ぽう、と俺の剣に光がともる。
リンネがかけた、エンチャントの魔法だろう。
俺は剣を逆手に持つと、わきの部分にある鎧の隙間からそれを付きこんでから、めったやたらにつきまわした。
ぱき、となにかを割ったような手ごたえがある。
甲冑武者が動きを止めたのはそれと同時だった。
「もう、いちいち驚くのもつかれちゃったわ」
と、リンネは近づくなり言う。
「結構苦戦しちゃったね」
彼女はなぜか吹き出した。
「ヴィルドがブレスを吐こうとしたときはどうなるかと……」
口寄せしたヴィルドが、得意の熱線を吐こうと準備すると、突然なにかを吸い取られるような心地がして俺の気が遠くなった。
中止のお願いを、素直にヴィルドがきいてくれたから、事なきはえたのだけれど。
おかげでヴィルドには肉弾戦をくりひろげてもらうはめになった。流れる血にさえ魔力が宿る、というドラゴンには不本意だったかもしれないな。
リンネによれば、俺とテイムしているモンスターはどこか魔力的につながっている気配があるとか。
「ビーストテイマーには何人かあったことがあるけれど、そんなつながり方をしているテイマーとモンスターはみたことがないわ。もっとも」
送還されていくヴィルドをみながらリンネは続ける。
「ドラゴンをテイムした人っていうのも、みたことはないんだけどね」
俺とタロの間にも、そういったつながりがあるのだろうか。
「タロちゃん?タロちゃんとロッカとは、また少し違うような気がするわね」
そういって、彼女はあたりを見回す。
「そういえば、タロちゃんは?」
言われてみれば、タロの姿が見えなかった。
戦闘が終わればいつも真っ先に駆け寄ってくるタロにしては珍しいことではある。
「タロー、おーい」
呼びながらあたりを探すと、ダンジョンボスの部屋一角で、もふもふの黒い毛玉が、なにやらがさごそしているのが目についた。
身をかがめて小さくしている、タロである。
「タロ、どうしたの?」
声をかけると、タロは顔をこちらに向けた。
こりこり、とタロの前足のあたりから音がしている。
どうやらダンジョンの壁の一部を、ひっかいてでもいるようだ。
「これは、文字?かしら」
よってきたリンネがそれを見て言う。
はじめはタロがひっかいてできた傷かと思っていたけれど、言われてみれば何かの文字が書かれているように見えなくもない。
「なんだろう、リンネは読めるの?」
「古代ベルカ語に似ているようなきはするけれど、ちょっとわからないわ」
「へえ。タロがここまで気にするなんて、なにかあるのかな」
俺は指の先で文字をつんとつついてみた。
途端、壁に刻まれている文字の溝が、ほのかに光を放ち始める。
「なに、これ」
ゴゴ、と低い音がした。
目の前で、文字が刻まれていたダンジョンの壁が、ゆっくりと右にスライドしていく。
「あなた、なにかしたの?ロッカ」
「いや、なにも……」
壁が動き終わると、その後ろには空間があった。
そこには暗闇を下へと続く、階段が現れていた。
「ここが最下層じゃなかったのか」
「新発見、というわけね。どうする、一回戻って、ギルドに報告しましょうか」
「そうだね。なにがあるかわからないし。そうしようか」
この先に興味がないわけではなかった。
が、確かダンジョンの発見者にはダンジョン攻略の優先権が認められているはずだ。
今回はダンジョンそのものではなく、新ルート発見というところだけれど、発見者の俺たちが優先して攻略するのに、ケチをつけられるようなことはないはずだった。
「準備もしたいし、報告して、もう一度来ることにしよう」
決めて、俺は帰ろうと振り向いた。
と、
タロが鼻先で、俺のおなかをぐいぐい押す。
「タロ、なに?」
ぐいぐい、とタロは答えずに、さらに俺を押してくる。
俺はその圧に耐えきれずに、2歩、3歩うしろに下がった。
「もしかして、この先にいきたいの?」
くぅん、とタロは鳴いてから、ぺろぺろと俺の顔をなめた。
「いつもきままにふるまって見えるタロだけれど、俺の行動に反して自分の意思を通そうとするのは珍しい」
俺はリンネのほうを向いた。
「リンネ、行ってもいいかな」
「あなたがリーダーよ、ロッカ。任せるわ」
リンネは軽く目をつむって即答した。
「よし、いこうか、タロ」
タロはうれしそうに、わふ、と吠えた。




