第六十五話 蜥蜴の城
日の光に照らされて目覚めた朝は昨日よりも寒くなく、普段は布団の中で無駄な抵抗を繰り返す俺も気持ち良く脱出することができた。
身支度を整え、食堂でいつもの面々と合流して朝食を食べ終え、宿の外へ出る。キラキラと輝く雪は人が行き交うところだけが踏み固められ、日の光が下から反射してきて凄く眩しい。
「雪焼けっていって、この下からの日差しで日焼けすることもあるんだよ」
「そういうこともあるのか」
チトセさんもヴィンセントも色白だし焼けたら大変そうだ。俺は勿論、出不精だから蒼白と言ってもいい。俺が一番大変だ。
「それで、これから俺達が向かうダンジョンは何処だ?」
「えーと……もう見えてくる頃だと思うけど……あぁ、あれあれ」
チトセさんが指差した先にあったのは柵で覆われた下り階段だ。周囲は広場になっているが、人通りは少ない。普段は屋台とかもあるのかもしれないが、こうも人が居なくちゃ店を開いても意味がないからか、無人である。
何となく物悲しさが漂うこの場で、ダンジョンに向かおうとしているのは俺達だけのようだった。
「今からこの階段を下りて、長い洞窟を抜けるんだ。その先がダンジョン」
「洞窟はダンジョンじゃないんですか?」
「そうなんだよ。面白いよね」
これはつまりあれか。元々あったダンジョンから洞窟を掘って町へ繋げたってことか。
不思議なこともあるもんだな……ダンジョンは得てして破壊行為があってもいくらか時間が経過すると自動的に修復されるのが殆どだ。人間が傷付いたらそれを自己治癒するような作用がダンジョンにもあると言われている。
しかし此処まで大きな破壊行為にはそれが作用されないらしい。怪我となった場所は人が行き交い通路となったのだ。ダンジョンにとっては体の一部に穴を開けられ、新たな器官として定着してしまったということになる。
ダンジョンの内外は別の空間と言われているが、こうした無茶が可能なのも不思議なところで、まだまだ解明されていない部分である。
「こうしたダンジョン改造は危険も多いけど、攻略しやすくなったりっていうメリットもあるんだよ」
「なるほど……」
「さぁ、そろそろ行こうか。『蜥蜴の城』へ」
無人のダンジョン入口。俺達を訝しむ視線もない。
あっさりと柵を乗り越え俺達は自己責任の下、チトセさん曰くケインゴルスクでも最難関と名高いリザードマンが支配する地底のダンジョン、『蜥蜴の城』へと向かった。
先日の山道のことを思い出していた。あれは本当に歩きにくかった。それに比べて、この整備された階段のなんと下りやすいことか。きっちり水平に削り出された石の段差の安心感に勝るものはない。
ぐねぐねと蛇行しつつも下りやすい階段が平坦になり、洞窟となる。壁に掛けられた魔鉱石製のランタンが照らす中歩いていくと、やがて視界が広がる。
「ん? 橋?」
先頭を歩くチトセさんが立ち止まり、呟く。俺からも見える。木製の吊り橋だ。洞窟は一端途切れて大きな空間にぶち当たるようで、其処を抜ける為の吊り橋が作られていた。
「洞窟の先に吊り橋で、また洞窟ですか」
吊り橋の先にランタンの明かりが見える。まだまだ洞窟は続くらしい。
「しかも下、見てよ」
「やですよ、怖い!」
「いいから、ほら!」
嫌がる俺をチトセさんが無理矢理掴んでぐい、と橋の下を見せられる。落ちたらどうするんだとビビりながらギュッと閉じていた目をゆっくりと開く。
「え……あれっ!?」
「ほぅ、これは凄いな」
「おーい、ブルー!」
驚いたことに橋の下に広がっていたのは地底湖だった。それもただの地底湖じゃなく、ブルーが住む地底湖だ。途中まで道が続いている地形から見て間違いない。『蜥蜴の城』へと続く洞窟は『昏き地底湖』を貫通して掘られていた。
チトセさんがブルーを呼ぶと、地底湖の水面に黒い影が見えた。だんだんと濃くなっていくそれは、やがて湖面を波立たせながら姿を現す。ブルーだ。
「おーい、こっちこっち!」
長い首を振り、キョロキョロと辺りを見回していたブルーは上を見上げ、俺達を見つけた。嬉しそうにキュルキュルと鳴いた。パシャパシャと水面をヒレ状の前足で叩いている。下りてきて一緒に遊ぼうと言っているような気がした俺は吊り橋の上からブルーに向かって叫んだ。
「ごめんな、今日は遊べないんだ!」
「キュゥ……」
「また今度、遊びに行くからな!」
「キュルル!」
申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、俺にもやるべきことがある。ブルーは俺達に向かって一度頷き、何度かぐるぐると湖面を泳いでから再び地底湖へと潜っていった。
それを見送った俺はとても淋しい気持ちで吊り橋を渡った。
「チトセさんがブルーを呼ばなきゃこんな気持ちにはならなかった……」
「無視して行く方が可哀想でしょ! ほら、早く攻略してブルーのところ戻るよ!」
「そうですね……よし、最速目指して頑張りましょう!」
俺は必ずブルーの元へ生きて帰る!
そう心に誓い、俺は力強く洞窟を踏み締め、しかし足取りは軽やかに『蜥蜴の城』へと続く洞窟を抜けるのだった。
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先人たちの知恵と努力の結晶とも言える洞窟を抜けた先にあったのは広大な空間だ。太陽のない地下にこんな広い空間があるにも関わらず、露出した魔鉱石のお陰で中は明るい。小さな魔鉱石1つ1つでも、集まればこれだけの明るさを放てるのだから凄いことだ。
「しかしあれだな……地底湖の上に吊り橋があるとは思わなかったな」
「いや本当にそれな。目の前の地底湖をどうやって渡ろうかって考えてたら上なんて見ないよ」
「そうだね~。でも此処は逆に上ばっかり見ちゃう」
ヴィンセントの言う通り、あんなの気付けるはずがない。そしてチトセさんの言う通り、此処では上ばかり見てしまう。こうして目の前の出来事に気を取られ過ぎるのは油断でしかないのだが……上も下も、右も左も前も後ろも、全部見て警戒してこその冒険者だ。こればっかりは意識して気を付けるしかない。
さて、そんな見上げてばかりの空間だが、見下ろせば其処に広がるのはゴツゴツした岩地帯だ。平坦な場所もあれば、突き出たのか落石したのか、大きな岩も転がっていたりと視界は不良。足場も悪い。これで普通の洞窟のように暗かったら地獄だろうなと、簡単に推測出来た。
岩陰に注意しながら先へと進む。この空間に入ってから数分、先頭を進むチトセさんが静かに手を挙げた。制止の合図だ。
岩に身を寄せて息を潜めながら周囲を伺うと、何かが歩く音と気配を感じた。
「……っ」
振り返ったチトセさんが指差す方向を見る。音のした方向だった。
其処に居たのは立派な体躯をしたリザードマンだった。暗い緑色をした肌にはゴツゴツとした鱗が生え、いかにも強そうだ。正直ちょっと怖い。
しかもそのリザードマンは4匹も揃っていた。各々が手に斧やら剣やらを持ち、周囲を見回しながらテクテクと歩いている。まるで哨戒任務だ。
……いや、そうか。哨戒任務なんだ。俺達がこれから向かうのは『蜥蜴の城』。何か比喩的な例えだと思っていたが、これが本当に城ならこの哨戒も納得がいく。
「……なんてこった」
どうやら俺達はこれから、たった3人で攻城戦を始めないといけないらしい。




