第六十三話 灰雪ノ剣 サンドリヨン
雪の積もった山道というのがこれ程までに大変で危なっかしいとは想像できなかった。
「うわっ!」
「大丈夫!?」
「ぎ、ギリギリ……」
どんなに踏み締めても踏み締めても、足は滑った。なだらかな傾斜の山道に積もった雪はいくらでも下へ下へと滑っていく。草の上に積もった雪なんて最悪だ。踏んだが最後、無限に滑り落ちていく。
こんな過酷な道だが、これでもまだマシな方らしい。なんでも、古くは上顎の聖地への巡礼の為にこの九十九折の道を人々は行き交ったのだとか。
行き交う? この狭い道を?
そっと崖側を見下ろす。槍のような木々に積もった雪が落ちるのが見える。冗談ではない。こんな場所居られるか。俺は今からでも宿に戻ってもいいんだぞと大きな声で皆に言いたいが、3人とも真剣な顔で足元を見ているので邪魔できない。いきなり叫んで驚いて、滑り落ちたなんて笑い話にもならないだろう。
やめたいなんて思ってるだけだ。本心はやめたくないし、この先の光景を楽しみにしている。ただ、あまりにもこの道が怖くて怖くて……。
しょうがない、文句ばかり言ってもいられない。
俺はかじかむ手に熱い息を吐きかけ、擦り合わせながらまた一歩、一歩と慎重に踏み締めながら巡礼の道を上り歩き始めた。
初めて知ったのだが、こんなに雪が降りしきって冷え切った日でも、山道を上ると汗をかくらしい。ただ上り坂を歩くというのも大変なのは理解出来た。それに加えて雪を踏むというのが、一歩一歩への意識が強くて精神的に疲れた。
しかし、お陰様で俺達は無事に登山を終えることができた。
「すご……」
崖上は低木が幾つかぽつぽつと生えているようだ。町に続く聖地である上顎の上にもそれが少し見える。
逆に反対側は斜めに突き出た岩山が槍のように鋭く天へと伸びていた。それはまるで竜の角だった。これは竜の聖地と言われるのも納得だな。
周りには何も隔てるものがなく空間が無限に広がっていく感覚に陥る。灰色一色に染まった世界のなんと美しいことか。
あまりの光景に俺達は暫く無言で立ち尽くしてしまった。耳に届く雪が降り積もっていく音というのは何とも言えない贅沢さを感じた。積もれば大変なはずの雪を、ただただ立ち尽くして聞くというだけの行為に背徳感を感じてしまう程の時間の使い方だった。
恐らく時間にしてみればたった数十秒のことだった。それでも無限に感じた時間から最初に意識を取り戻したのはベラトリクスだった。
「そろそろいこっか。綺麗な場所だけど、過酷過ぎる」
「……そうだね。行こう、聖剣のところへ」
少し湿り気を帯び始めた雪をざく、ざくと踏み固めながら歩く。
聖地は風で舞い上がり、運ばれてきた土で覆われた部分に草や木が生えているようで、踏んだ感触は硬い。傾斜もないし、理論上は山道より遥かに歩きやすいと言える。
だが平らで、木も少ないので雪は一方的に積もっていく。すでに膝下まで積もった雪の中を歩くのは困難だった。こればかりは流石に予想できなかった。
そもそも雪の中を歩いたことがない俺としては、この靴の中が濡れて冷えていく感覚が辛かった。あっという間に指先の感覚がなくなってしまい、焦った俺は皆を立ち止まらせてでも靴に『防寒』と『速乾』の特性を錬装せざるを得なかった。勿論、皆の靴にそれを施したので結果的には立ち止まらせて正解だった。でなければ今頃、足の指があったかどうかも分からないだろう。
しかし歩けば前に進むもので、聖剣は程なく姿を現した。
「これが聖剣か」
「不思議……此処だけ全然雪が積もってない」
聖剣と呼ばれた剣は地面に突き刺さっていた。あまりにも無防備に突き刺さっていて、最初は何か理解できなかったくらいだ。しかし剣の周囲だけ雪が積もっておらず、まるで雪の壁に守られているようでこれが聖剣だと納得できた。
おまけに剣は野ざらしにも関わらず、雨風の影響をまったく受けていない。汚れなく、錆もなく、ある種の不老不死のような、そんな超常めいた貫禄を感じさせながら其処に突き刺さっていた。
聖剣はその呼び名の通り、純白だ。鍔の装飾も恐ろしく精巧で、刃にまで掘られた緻密な紋様は何を現しているのか分からないが、美しかった。
ただ一点、柄頭に嵌められた淡い緑色の宝石だけが色を持っていた。しかしそんな差し色があっても負けず劣らず、逆に剣という美術品の完成度をより引き上げていた。
これが聖剣だったら、とんでもない価値と共に、人々の心を集めただろう。竜教にも負けない大きな組織を作れただろう。
「ベラトリクス、残念ながら」
「えっ?」
「これは、聖剣じゃない」
そう。残念なことだが、これは聖剣ではなく、やはり魔剣だった。
□ □ □ □
『灰雪ノ剣 サンドリヨン』
そう名付けられた魔剣はその名の如く、雪を司る剣だ。付加された特性は『氷凍蒼宮』『霧氷創造』『白竜召喚』『地装錬化』『純白属性』の5つだ。構成からプリマヴィスタと共通点が多い。地装錬化……俺でもすぐに分かる。錬装術師関連の特性だ。そしてこれには十中八九、プリマヴィスタを作り上げた稀代の錬装術師『ハロルド・ルインデルワルド』が関与しているだろう。
「これは魔剣だ。間違いなく」
「どうして分かるのかな」
当然の疑問だ。疑われても仕方ないと、俺ですら思う。そして、それをこの場で隠し通せる程甘い相手でないことも。
「他言しないのなら、俺は教えても構わないと思ってるんだが……」
だから俺は最初から教えるつもりでいた。この聖剣……いや、魔剣を探しに行くとベラトリクスが言い出した時点で、だ。
ベラトリクスの背後に立つチトセさんとヴィンセントと視線を交わす。二人は無言で頷いてくれた。納得済みか……本当に、良い仲間に巡り合えたよ、俺は。
「しない」
「分かった。じゃあ改めて……俺は錬装術師だ。武具に備わる特性や属性を他の物に移し替える、錬装というスキルが使える」
「うん、そう聞いてるね」
「その中で錬装中に『天装錬化』というスキルを会得した。これは俺達が見つけた魔剣、プリマヴィスタに秘匿されていた、錬装術師だけが理解出来る特性を受け継いだスキルだ」
あの時は本当に頭痛で死ぬかと思った。多分、また『地装錬化』で痛い目を見るんだろうなと思うとちょっとゾッとする。
「天装錬化というスキルは、実際には二つのスキルが合わさったものだった。1つは武具の部分的錬装。剣で言えば刃部分、盾で言えば持ち手部分等といった箇所をまるごと他の武具に移し替える錬装だ」
「それは極論、木の枝を持って天装錬化とやらを使えば持ち手より先が鉄の剣になることも出来るってこと?」
「そうだな。可能だと思う」
やった瞬間に折れそうだけど。
「とんでもないスキルだね……それで、もう一つのスキルというのは?」
「鑑定のスキルだ」
「え……」
「武器、防具、魔道具。果ては人まで、視たものを鑑定することが出来る。人に関してはついさっき気付いたんだが……まぁ、これが、俺が絶対に秘匿しなければならないスキルだ」
ベラトリクスは信じられないという風に俺を見ていたが、スッと表情を戻すと腕を組んで思考し始める。
「言っとくが、俺はこれを誰かの為に使うつもりはないよ」
「っ、……へへ、悪い癖が出ちゃったね~」
「いや、責めてない。ただ、自分の為にしか使わないよって話。それだけ理解してくれたら有難いなって」
「ごめんね~。でもなるほど、その力でこれが魔剣だって見抜けた訳だ。凄いね」
俺でもこの力は若干、持て余し気味だ。制御するのにも時間が掛かったし、何よりも見え過ぎて良いことはない。ただ、それ以上に役立っているから何とも言えない感覚だった。
「それで、この剣に触れた人間が凍って死ぬ原因はわかる?」
「特性の1つに『氷凍蒼宮』というのがある。多分、これが発動状態なんだと思う」
特性の説明では氷の宮殿を具現化させて周囲の気温を下げ、相手の動きを鈍らせて場を支配すると表記されている。出現させた宮殿内は氷なので、霧氷創造で更に形を変え、純白属性……氷属性の最上位属性を使った魔法で戦うようだ。これは斬撃主体の剣ではなくて魔法主体の剣らしい。
「最後に剣を作った人間が『氷凍蒼宮』を発動させた状態で此処に封印したんだ。それで、持ち主が居ないから宮殿の具現化が出来ず、威力だけを内包したままの状態だから触れた人間は特性が逆流する」
「でもそれ、大丈夫なの? 抜けるの?」
「抜こうとするから死ぬんですよ。まずは待機状態の特性を吐き出させます」
健全に、順序だててやれば魔剣は牙を剥かないはずだ。だたそれでも、『氷凍蒼宮』という特性を知っていないと出来ないやり方だけどな。
早速俺は魔剣に触れる為に、身に付けていた厚手の手袋を外す。冷たい風が沁みる。
「皆はちょっと離れててね」
こくりと頷いたチトセさんが下がり、それに続いて二人も俺から距離を取ってくれた。多分だけどこれくらいあれば大丈夫だろうと判断して、深呼吸。
俺は両手でサンドリヨンの柄を握り締めた。
「『氷凍蒼宮』!!」
圧倒的な冷気が魔剣から発揮される。まるで湯気のような白煙は全て冷気だ。溜まっていたガスが抜けるような、そんな勢いで噴き出る白煙は魔剣を中心に全方位に広がる。
そして目にもとまらぬ勢いで地面から氷が突き出て、宮殿の内装が形作られていく。高速で組み換えらえていくパズルのように上へ上へと伸びていく氷がやがて天を覆う。
そして完成したのは氷を削り出して作り上げたかのような荘厳な宮殿の一室、というのはあまりにも広い、玉座の間であった。魔剣が突き刺さっていた場所は隆起し、氷の玉座が君臨している。せっかくなので座っておこう。
「さむ……」
こうして氷凍蒼宮内部に居るとどんどん体が冷えていくのを感じる。それでも出力元の魔剣を持っているから全然マシな方だろう。モンスターなら冷たくなって動けなくなっているだろう。
暫くの間、氷の壁に覆われた外でも氷凍蒼宮が作り上げられる音がしていたが、それも止んだ。俺はゆっくりと魔剣を地面から引き抜く。
「灰雪ノ剣、サンドリヨンか……」
今回発動した特性は前の持ち主……恐らくハロルドが発動させたからこうして巨大な宮殿が生み出された。これが俺なら小屋とかなんじゃないだろうか。特性の発動には魔力が多少なりとも必要になるから、頑張って底上げしないことには使いこなすのなんて夢のまた夢だ。
「うん……? なるほど、そういう機能もあるのか」
氷凍蒼宮へ誰かが入ってきたのか分かるようになっているらしく、感覚でそれが理解できた。人数は3人。言わずもがな、チトセさん達だ。近付いてくる速度からして急いではいないようだ。徒歩なので多分、見学しながら来ているんだろう。
俺は玉座の上で呑気に足を組み、ちょっといい気分になりながら皆を待つのだった。




