第六十一話 ベラトリクスの部屋
連れていかれたのは誰も居ない部屋。使われていないのか、或いは倉庫か。置かれた書類や木箱には薄っすらと埃が積もっていた。
置かれた物の間を縫うように部屋の奥まで俺を引っ張るリエーラは、行き止まりまでやってきて漸く足を止めた。手を離し、此方へと振り向いたリエーラは黒い手袋越しでも分かる細い指を口元を覆う布に掛け、ゆっくりと引き下ろす。
「ん……」
少し潤んだ目で俺を見上げるリエーラ。
「……痒い」
手袋なのもお構いなしに目を擦るリエーラ。埃か? 埃の所為なのか?
「あんまり擦らない方が……」
「うん……」
と言いつつ擦るのをやめない。あんまりやると目に傷が入って視力とか落ちるからやめさせたいのだが、痒いのはしょうがないよねという気持ちもあって強く出られない。
一頻り擦って満足したのか、赤くなった目のリエーラが改めて俺を見上げる。
「ごめんなさい、任務中にマスクを取れないので……」
「あぁ、だからこんな場所で。ていうか、言ってくれれば」
「これを付けている最中は声も出ないんです。『防声布』っていうらしいんですけど」
そんなものがあるのかと、ついつい鑑定の力で視てしまう。特性は『防音』か……なるほど、声が出せないというよりは、出した声を布が吸収してしまう感じか。それに、黒いからよく分からなかったが包帯のような細い布を何重にも顔に巻いて覆っている。これ、画期的だな。何重にもすることで特性の重ね掛けを疑似的に再現しているんだ。
つまり、この包帯に『衝撃発生』のような特性を付けて手に巻いて何かを殴れば、物凄い威力のパンチが出せたりするってことだ。当然、手は粉々になるだろうけれど。
逆に『衝撃緩和』とかと錬装した包帯を体に巻けばオークの一撃にノックバックするということもなくなるだろう。その際の痛覚はどうなるか分からないが。衝撃がないということは打撃が発生してないってことになるのかな。それとも……。
「ウォルターさん?」
「……あっ、ごめん。考え事してた」
悪い癖だ。本当に。
「どうして私だって気付いたんですか? って聞いたんですけど……」
「あぁ、えぇと……俺の能力みたいなもの、かな。ほら、これがこうなもんで」
なんて、適当に髪を摘まんでふりふりと振るとリエーラは納得してくれた。『二色』って便利~!
「勿論、悪用するようなことはしないから安心して」
「其処は理解してるので大丈夫です。……それで何か御用ですか?」
そうだ、本題はそれだ。俺がリエーラに気付いて呼び止めたのは、どうにかベラトリクスに面会出来ないか相談したかったからだ。
「どうにも門前払いされちゃって……ギルドも運営するのに手一杯で」
「報告は聞いてます。冒険者の皆様は手痛い状況ですよね……分かりました。状況を打破出来るかどうかは分かりませんが、ベラトリクス様に取り次ぐことは可能です。其処から先はウォルターさん達に頑張ってもらうしかないですが……」
「いや、それで十分だよ! ありがとう!」
もしかしたら断られるかもしれないと思っていたが、リエーラは応えてくれた。思わず俺はリエーラの手を取ってしまうくらいには嬉しかった。何度もありがとうと繰り返してしまうくらい、嬉しかった。
「こ、困ります、ウォルターさんには、彼女が……」
「それはそれ、これはこれだよ。本当にありがとう」
「嬉しい……私、二番目でも嬉しいです……っ」
二番目って何だろう。よく分からないが、感謝は感謝だ。
自分の中の感謝の気持ちを目一杯リエーラに渡した俺は、リエーラが再び口元を防声布で覆うのを待ってから倉庫を出た。一緒に出ると間違われるとリエーラが言っていたが何を間違えるのかはちょっと分からなかった。暗部の中での何か、事情があるのだろう。
ヴィンセントの元へ戻った俺はリエーラと話した内容を伝えると、ヴィンセントも喜んでくれた。
「チトセさんは?」
「彼処だ」
ヴィンセントが顎で指す方を見ると、チトセさんはまだカウンターのところで信徒にダル絡みしていた。もう形振り構わないといった様子だった。
「あれが二色で、ヴィスタニア最強と謳われた”赫炎”のチトセだ。目に焼き付けておけよ」
「やめろよお前、怒られるぞ。方々に」
「掛かってこい。俺は一度ドレッドヴィルを平らにした男だ」
「お前最近、丸くなったよな……」
良い傾向なのか悪い傾向なのかは分からないが、俺は好ましく思う。でもその方向性はちょっと扱いが難しいからやめてほしかった。何故なら俺のツッコミが忙しくなるから。
俺はチトセさんへ先程の出来事を報告する為、足を向けた。
「チトセさん」
「ウォルター、おかえり。何処行ってたの?」
「知り合いが居たのでちょっと」
チトセさんに絡まれていた信徒はこれ幸いと逃げ出していく。それを見送りながら、ダル絡みしていても周りの状況を見ているのは流石だなと感心する。ただウザ絡みしているだけの人じゃなくて本当に良かった。
「ベラトリクスに取り次いでもらえるみたいなのであっちで待ちましょう」
「おー、やるねウォルター。あたしとは大違いだよ」
「ふふん」
素直に胸を張って誇らしげにしておこう。張った胸をチトセさんに突かれながらヴィンセントと合流し、暫く待っていると黒蜥蜴衆の人間が俺達を手招きした。視ればそれはリエーラ達と一緒に居た冒険者の1人、ラスラーだった。
「ラスラーか?」
「……」
無言で頷く。俺の能力の一端はリエーラから聞いているようで驚いた様子はなかった。ラスラーは初めて会った時のような緊張感はなく、それどころか鋭い刃のようだった。これが本来のラスラーなのか、仕事着に身を包んで気合いが入った結果なのかは分からない。
踵を返したラスラーの後について歩く。行先は先日忍び込んだホランダーの部屋とは反対の方向で、地下だった。狭く薄暗い石階段をゆっくりと下りていく。
「ベラトリクス様は地下でお待ちです」
周りに信徒の姿はないのか、防声布を外したラスラーが話してくれた。ベラトリクスはどうやら地下に居室を作っているらしい。
その理由は『敵から狙われない為』だそうだ。
「だが地下だって塞がれたら逃げ場がないだろう?」
「ベラトリクス様なら上の教会を吹き飛ばして脱出出来ますから」
「……納得した」
ヴィンセントの抱いた疑問は俺も抱いた。そしてラスラーの言葉に俺も納得した。
確かに人の目のある上の階に居て、例えば遠距離からの不意打ちは対処が難しいだろうが、地下ならそういった不意打ちの可能性は少ない。どうしても狭いから近距離での戦闘になるのは必至だし、それを避けて閉じ込める方向に動いたとしてもベラトリクスの前では意味がない。
「到着しました。この部屋の中に居られますので」
「ありがとう、ラスラー。本当に助かった。リエーラにもありがとうと伝えておいてくれないか?」
「えぇ、勿論。では、また。ウォルターさん、チトセさん、ヴィンセントさん、この度は色々と助けていただきありがとうございました」
恭しく礼をしたラスラーは、その姿勢のまま霧のように掻き消えた。なかなかやるじゃないか……格好良い去り方だ……。俺もあれやりたい……!
……と、それはまた今度だ。今は先にやることがある。俺はベラトリクスの居室の扉をコンコン、とノックする。
「はーい。開いてるから入っていいよ~」
いつもの緩い声だ。ちょっと地下の雰囲気に飲まれかけていた俺達はホッと顔を見合わせ、ゆっくりと扉を開いた。




