第五十話 ベラトリクス・ヨルムンガンドの話
ベラトリクス・ヨルムンガンドは竜に育てられた。まずはその話から聞かせてもらわないと話の全体像が掴めなかった。
育てられたとは言っても、竜から生まれた訳ではない。両親は確かに人間だった。だがその生みの親はベラトリクスを育てられず、アルルケインの山頂に棲む竜に子供を預けた。……いや、捧げた。
このケインゴルスクのあるアルルケイン山脈の反対側には過酷な土地が広がっている。雪の積もる極寒の土地だ。その影響を山脈が防いでいるのだが、ベラトリクスはその山脈の向こう側にある寒村の生まれだったらしい。
少ない食料。酷い寒さ。これをどうにかするには山頂に棲む竜に頼むしかないという村長の妄想から、幼いベラトリクスが選ばれてしまった。勿論、両親は反対すると思っていた。だが村長の妄想は両親にまで伝播し、やがては村全体に感染してしまった。
ベラトリクスはそのまま竜の生贄として捧げられた。
村長の言う通りに山道を進むベラトリクス。逃げてもよかった。けれどそんな気力は両親に捨てられた時に失くした。だから、死ぬ為に山道を歩いていた。
だが道は進むにつれて険しくなり、標高が上がるごとに寒くなっていった。
やがて、ベラトリクスは疲労と寒さで動けなくなり、道半ばで意識を失ってしまった。
「もう死んだと思った。けれど、ふわって温かくなって……意識を取り戻したら、其処は山頂に棲む竜の巣だった」
白い大きな竜だった。村を襲う翼竜種のようなものとは違う、知性の備わった目をしていた。
竜は人語を操り、自らを『ヨルムンガンド』と名乗った。
それがベラトリクスとヨルムンガンドの出会いだった。
生贄に捧げられた少女は竜に助けられ、竜と共に生きることになった。ヨルムンガンドはベラトリクスの事情を知るや否や、村を滅ぼしたし、ベラトリクスはそれを喜んだ。ベラトリクスの家族はヨルムンガンドだけになった。
暫くは1人と一匹で慎ましく幸せに暮らしていたらしい。だが、ヨルムンガンドがベラトリクスと出会う前から1つの秘密を隠していた。
「お母さん、怪我を隠してたんだ。龍脈っていう、竜が持つ魔力の道が傷付いて、其処から魔力が流れ出ていっちゃうんだ」
「出会う前からって……そんな、放置してていいものなのか?」
「いいわけない!」
感情任せに両手で机を叩いたベラトリクスは、叩き付けた手と手の間に顔を埋め、苦しそうに泣いていた。
「魂石を食べれば、多少の傷は回復するけれど……私が居たから、強いモンスターを探しに行けなかったんだ」
「……そうか、だからベラは山を下りたんだね。母親が動きやすくするのと同時にベラも魂石を集める為に」
顔を上げたベラトリクスはゆっくりと頷いた。
「そう。私は、お母さんに届ける魂石を集める為に山を下りてきたんだ。運良くチーちゃんと出会えて効率良く集められるかもって思ったけれど、チーちゃんはいずれ町を出ていくって聞いて……それと同じ時期に竜教に声を掛けられたから、これを利用すれば魂石を集めながらお母さんにも届けられるかもって思ってパーティーは抜けちゃった。チーちゃん、あの時は本当にごめんね」
「ううん、気にしてないよ。ちょっと寂しかったけどね?」
「へへ……まぁ、それで私は竜教へ侵入したんだ。幻惑竜の魔法で教祖の地位を奪った。これからはいっぱい魂石を集めて、何なら集めさせて全部お母さんに渡せば怪我は治るかもって思ってた」
でも現実はそう簡単ではなかった。
「姿を消す竜の魔法でこっそり抜け出して、ダンジョンのボスを狩って魂石を届けてたんだけど、私を崇拝してる信徒共の監視の目が強くなって……だから、逆に信徒を利用してギルドの方針を変えさせた。集めた魂石はギルドを通して竜教の、私の元に集まるようにした。それを私はお母さんのところへ運んでるんだよ」
魂石を回収する理由は理解した。冒険者にとっては理不尽極まりない方針だが、俺達3人は納得できた。
「冒険者達に、公表できないのか?」
「それは駄目! 駄目なんだ……」
「何故?」
ベラトリクスが握った自身の手を、まるで暴れ出さないようにもう一方の手で抑え込む。
「信徒の中にホランダー側についた裏切者が居るんだよ。そして、ホランダーは、竜を殺してる」
「!?」
ホランダー・クルーツェという男のことをベラトリクスは教えてくれた。
ホランダーの家名であるクルーツェ家は、竜教が広まる前にケインゴルスクを統治していた家だったそうだ。住民からの評判は悪く、それに比例するように金はあった。その悪評と地位を維持し続けられたのは得意の悪知恵のお陰だった。
そして悪知恵を駆使し、生き残る為なら地位すらも捨てるような連中だった。
「竜教が広まってきた頃、クルーツェ家は竜教を利用する為に多額の寄付金を渡したんだ。けれど、当時の教祖はそれを利用してクルーツェ家をも超える規模の宗教に育て上げた。教祖の方が一枚上手だったみたいだね」
結果、ケインゴルスクはクルーツェ家をも飲み込んだ竜教の支配する町となった。住民からの評判を上げる為にクルーツェ家とは真逆の方針で町を変えていったのも竜教の地位を不動のものにしていった。
「でもそれじゃあ何でクルーツェ家の人間であるホランダーはまだ竜教に居るの?」
「今思えば、いざという時の尻尾きりに使おうとしていたんじゃないかな~……それに当時は竜教が町を支配出来たけれど、クルーツェ家自体はまだ力は持っていたからね。寄付金のこともあったから無碍には出来なかったのかもしれないね」
当時の教祖が何を思ってクルーツェ家に教内で一定の地位を与えたかはもう分からない。
だがその所為でホランダーという人間が悪さを働く地盤が出来上がってしまった。
「ホランダーの経緯は理解した。だけどまだ其奴が何をしているのか、それがベラの目的とどう関係があるのか分からない」
「ちゃんと説明するよ。焦らないで~」
肉のなくなった骨を摘まみ、揺らしながらベラトリクスが笑う。
しかしベラトリクスの生い立ちには驚かされてばかりだな。竜に生贄にされ、その竜に育てられて『二色《にしき》』の力に目覚めた、か。状況は違うが、俺と似たような窮地での覚醒に思える。
そういえばチトセさんも大火事に巻き込まれた後に覚醒していた。ヴィンセントの事情は分からないが、彼の生い立ちから考えれば日々が窮地そのものだった。
「窮地に陥ることが二色への覚醒の条件、か……?」
「どうしたウォルター。ベラトリクスの話の途中だぞ」
「悪い、気が散っていた」
考えるのは後にしよう。まずはベラトリクスの話を最後まで聞くとしよう。




