第三十六話 竜教の巫女
旅というのも烏滸がましい移動は相も変わらず尻が痛い。これだけの移動の間、文句ひとつ言わない御者の尻を盗み見たところ、膨らんだ布を尻の下に敷いていた。これが工夫かと嘆きつつ、どうにか真似してやろうと指輪の中を漁って出てきたのは俺の着替えだった。
皺になったところで困るようなこともないので何枚か畳んで重ねて置いたところ、とても楽になった。
「そんなしわっしわの服着て隣歩かれる彼女の身にもなってもいいよ」
「自分が思う程、他人ってのは自分のこと見てないもんですよ」
それに二色であることに実はまだ慣れてはいないのでローブですっぽりの予定だ。死角はない。
「これから行くのは……何という町だったか」
「竜を崇める宗教都市ケインゴルスクだよ」
「……知ってるのはそれだけってことね、オッケー」
俺とヴィンセントは互いに顔を見合わせ、肩を竦めた。
チトセさんの説明によると、このアルルケイン山脈にはかつてドラゴンが棲んでいた。今は姿を見せないそうなのだが、その神々しさから崇拝する人間が集まり、竜教と呼ばれる宗教がいつしか出来ていたらしい。
「元々ダンジョンの潜る人間が集まった集落があったんだけど、竜教の聖地にされて今のケインゴルスクになったんだよね」
「今は冒険者と信徒が入り乱れて生活してるってことですか」
ケインゴルスクはドラゴンのお膝元ということで聖地認定され、教会が建てられた。当時はモンスターを狩る冒険者との間で凄まじく険悪な間柄だった。それもそうだ。ドラゴンを信仰する者達と、ドラゴンを狩る者達。相容れるはずがない。町の各地で諍いが増え、時には信徒によるダンジョンの封鎖も行われた。冒険者達による教会への襲撃もあったりと、一時はドレッドヴィルと比べられる程に荒れ果てた町だった。
それを変えたのが現教祖である女性、ベラトリクス・ヨルムンガンドである。
「彼女は言ったの。『アルルケインに御座す崇高なる唯一竜を崇め奉るべきであり、亜竜である翼竜種は滅ぼすべきである』ってね」
力技も良い所である。しかし教祖の言葉は宗派の言葉。信徒はそれに従い、冒険者の妨害は終了となった。冒険者達もダンジョンでの狩りはするが、無用な争いを避ける為に山狩りをすることもなくなった。ただ、人に被害を与える亜竜と位置づけられた翼竜種は討伐されていった。
「とはいえ、絶滅させるのも生態系に被害が出てくるので人里に降りてきた翼竜種だけを討伐するようにって助言したんだよね」
「したって、誰がですか?」
「あたし」
チトセさんが教祖に助言? いや、二色であればそれも出来るのだろうか。
「ベラは友達だからね」
「そうなんですか?」
「うん。しかも元冒険者だし。ていうか、元赫翼の針だし」
「えぇ!?」
「一瞬だけだったけれどね」
初耳だった。俺が居た頃には居なかったから、多分相当前に少しだけ組んだのだろう。
「彼女も『二色』でね。特に珍しい変身魔法が使えるんだよ」
「変身ですか。凄そうですね」
「凄いよ。なんてったってドラゴンに変身出来るんだから」
「ドラゴンですか! あぁ、それで」
教祖になったのか。いや、されてしまったのか。
ケインゴルスクへとやってきた赫翼の針は、この町に来たばかりの二色、ベラトリクス・ヨルムンガンドをパーティーに加えたのだという。その能力はドラゴンへの変身魔法。その力をダンジョンで存分に奮った結果、竜教の耳に入ってしまった。
「最早ストーカーのように毎日押し寄せてきて、半ば誘拐に近い勢いで引き抜かれていったね」
竜教にしてみれば現人神だ。巫女として向かえることも考えたが、これを逆手に取ったベラトリクスは自ら教祖に取り入り、二代目教祖へなった。
若くして教祖となったベラトリクスはまず、目下の問題である信徒と冒険者の軋轢を解消する為の教えを立てた。それが先程の”亜竜は竜に非ず”、という訳だ。
チトセさんとの縁もあって冒険者側の意見も取り入れ、お互いがお互いに利益を出せるようにという妥協案ではあるが、一番良い形で納まった。状況とタイミングではあるが、これ彼女にしか出来なかったと思う。
こうして争いの元は断たれ解決したのだが、暫くしてベラトリクスから再びパーティーに参加したいという連絡が来た。理由は『現在のダンジョンを見てみたい』というものだった。
「ドラゴンの素材の裏取引があったらしいんだ」
「なるほど、それで……」
「闇ギルドが関わってるかもしれないってことでね。君に会う直前の話だったよ」
確か、俺がヴィスタニアでチトセさんに会う前はケインゴルスクに居たはずだ。そういうことだったのか。
「その時はあたしはもう赫翼の針は抜けた後だったから、少し前のウォルターみたいに2人でダンジョンに潜ってたんだよ。で、幾つかダンジョンに潜って最悪の場面を目の当たりにしたよ」
ケインゴルスクに存在するダンジョンにはボスとしてドラゴンが現れることがある。現れることがあるということは、現れないということもあるという訳で、普段は竜種が現れることは少ない。基本的に出現するのは竜種に近い亜竜種だった。その大きな違いは『四肢の有無』である。
亜竜と位置づけられた翼竜には、後ろ足はあっても前足はない。種によっては後ろ足もない。前足に関して正確に言えば、ない訳ではないのだが竜種にはしっかりとした前足があった。翼はなくても四肢はある。であればこれは竜種ということで、どんな姿であっても竜種の討伐は禁じられていた。
しかしそれでも狩る者が居た。闇ギルドの人間だ。此奴等はドラゴンの素材を裏の市場に流して大儲けしていたのだ。
「確かにドラゴンの素材は優秀だし高く売れる。狩ること自体はあたしも率先してやる。けれどそれはケインゴルスク以外での話だ。彼処でそれをやれば敵と見做されるからね」
立てた親指で自身の首に横線を引くチトセさん。その動作の通り、竜教と闇ギルドの間で大規模な戦闘が始まった。血で血を洗う戦いは信徒、闇ギルド共に多数の犠牲者を出した。しかし最後に勝利したのは竜教だった。
「こうして竜教でベラトリクスの足場は盤石なものになったって訳だね」
話すことは全部話したと言わんばかりに、椅子に深く体を預けるチトセさんを見て、いつの間にか食い入るように聞いていた前傾姿勢を元に戻した。




