番外編20 世界でいちばん幸せな花嫁
——エステル視点
目を開けると、薄いカーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。
今日は、いつもと違う朝。
もう一度目を閉じて、胸の奥にそっと問いかける。
(……本当に、今日なのね)
そう思っただけで、胸がきゅっと苦しくなるほど高鳴った。
静かに体を起こし、窓際まで歩く。
晴れていた。風も穏やかで、鳥の声が遠くから響く。
まるで、何もかもがこの日のために整えられているかのようだった。
———-
鏡の前に座りながら、ふと、自分の頬に手を当てる。
ほんのりと赤い。
鏡に映る自分の顔が、どこか浮き立って見えた。
侍女たちは早くから準備に動き始めていて、サラはすでにテンション最高潮。
ミシェルもなぜか朝からやたら真面目で、スカートの裾を整える手が妙に丁寧だった。
でも私の胸の中は、今も少しだけ夢を見ているような感覚のままだ。
本当に私が、今日――
(シリウス殿下と結婚するの……?)
何度も、そう問いかけてしまう。
あの、静かで、優しくて、冷静な彼。
誰に対しても公平で、距離を取り、感情を表に出すことがない彼が。
学園の頃は、それが少しだけ寂しくて、でも尊くて。
ただ遠くから、そっと見つめることしかできなかった。
名前を呼んだことも、呼ばれたことも数えるほどしかなくて。
視線を交わしたことも、数えるほどしかなかった。
それでも、あの胸の奥のざわめきは、確かに恋だった。
──彼のロケットペンダントを受け取った、あの日。
誰にも知られない場所で、制服の下にその想いを抱きしめていた私が、
今日、この日を迎えるなんて。
思い描く未来の中でさえ、想像すらできなかったのに。
———-
「……お綺麗です、エステル様」
サラが涙ぐみながら、私の背中のヴェールを整えてくれた。
その横で、ミシェルがぶすっとしながらも、まっすぐこちらを見て頷いていた。
「……まぁ、花嫁なんですから。これくらいは当然です」
思わず微笑む。
(きっと、殿下も見てくれている)
そう思うだけで、心が少し震えた。
彼は今、どんな顔をしているのだろう。
緊張しているだろうか。
きっと、表情ひとつ変えずに堂々としているのだろう。
でも、それが彼らしい。
私は、その隣に立つ。
世界でたったひとり、彼の隣を許された存在として。
————
(殿下……)
あなたは、私のすべてです。
この想いは、言葉では言い尽くせない。
あなたの手を取ったその瞬間、私はようやく知るのだと思う。
ただ見つめるだけだった背中に、手が届くということを。
恋が、静かに実を結ぶということを。
そして私は、今日という日を胸に刻む。
私は、あなたと歩いていく。
きっと、どんな未来よりも誇らしく、どんな奇跡よりも美しく。
だって私は今、
世界でいちばん幸せな花嫁なのだから。




