番外編9 秘密の口づけ
今日は、久しぶりに 二人揃っての休日 だった。
普段、シリウス様は多忙を極めている。
私も結婚式の準備や社交の場への出席で、なかなかゆっくりと過ごす時間が取れなかった。
けれど、今日は特別。
何も予定を入れずに、のんびりと二人の時間を過ごすことにしたのだ。
朝からゆっくりとお茶を飲み、本を読み、穏やかに過ごす。
昼食を終えてからも、私たちは各々に本を広げ、心地よい静寂の中にいた。
私は、ふと読んでいた本から顔を上げた。
「……?」
シリウス様が、珍しく ソファに座ったまま眠っている。
(……これは珍しい光景ね)
彼は普段、昼間にうたた寝することなどほとんどない。
どんなに疲れていても、いつも姿勢を正し、冷静でいようとする人。
けれど——
今日の彼は、静かに 目を閉じている。
長い金のまつ毛が、穏やかな表情を作り出し、普段よりも 無防備に見える。
「……昨日も遅くまで働いていたものね」
私は、彼の寝顔を眺めながら そっと心の中で労った。
政務に追われ、毎晩遅くまで書類と向き合う彼。
護衛のマークによると、最近は特に忙しく、休む間もなかったらしい。
(少しは、ゆっくり休んでもらわないと……)
そう思いながら、私は シリウス様の寝顔をじっと見つめた。
彼が眠る姿を見るのは 初めて かもしれない。
いつもは冷静で、気品に満ちていて、それでいてどこか人と距離を置いている彼。
でも、今は ただのひとりの青年のように眠っている。
——なんだか、可愛らしい。
そう思った瞬間、ちょっと悪戯したい気持ちが湧いてしまった。
(……こんな機会、滅多にないわよね?)
私は そっと彼の顔に近づく。
いつもなら、こんなことはできない。
でも 今なら——。
ちゅっ
「……っ」
軽く、ほんの一瞬、彼の唇に触れるだけの 秘密の口づけ。
触れたのは一瞬なのに、心臓が ありえないほど高鳴っている。
(……な、何をしているの、私……!?)
けれど、唇に残る 柔らかい感触 と、
自分から 彼にキスをした という事実に——
恥ずかしさよりも、満足感が勝った。
(ふふ……私も、できたわ)
小さな達成感を胸に、私は そっと身を引こうとした。
——その時だった。
「……エステル様」
「……っ!?」
囁くような 低く優雅な声 が耳元で響く。
私は、驚きのあまり 飛び上がりそうになった。
「し、シリウス様……?」
「……これは、どういうことでしょう?」
いつの間にか 紫の瞳が私を捉えていた。
(ま、まさか……気付いていた!?)
「……悪戯、でしょうか?」
穏やかな微笑みが、どこか 楽しげな色を帯びている。
「そ、それは……!」
どう誤魔化せばいいのか分からず、私は 咄嗟に視線を逸らした。
「……ふふ」
彼が 微かに笑ったのが聞こえた。
そして——
「では、私も……お返しをしないといけませんね」
「え?」
そう思った瞬間——
ふわりと、シリウス様の指が私の顎をそっと持ち上げた。
「……っ」
動揺する間もなく、彼の 柔らかな唇が重ねられる。
さっきの私の 秘密の口づけ とは 比べ物にならないくらい深く——。
ゆっくりと、慈しむような 甘いキス が落とされた。
「……んっ……」
心臓の音が、聞こえてしまいそうだった。
「……秘密の口づけ、でしたか」
唇が離れた後、シリウス様が 微笑を浮かべる。
「え、えっと……」
どうしよう、完全に負けた気がする……!
私は 顔を真っ赤にしたまま、言葉を失った。
そんな私を見て、シリウス様は 満足そうに微笑んでいた。




