15 T君
「だふー」
思わず帰宅と同時にソファーに倒れこむ。
そして当然のように上に乗るイカ天。
君ぶれないね。
視界の端に順番待ちをしてるかのごとく鎮座しているエビ天を映しながら、先程までの事を思い返す。
「……姫、かぁ……」
正直な所、びっくりはした。
「別にそう呼ぶのは全然嫌じゃない。照れながら姫と呼んでほしいと言うときの雰囲気はほんとに可愛かった……けど……名前が出てくると思ってたぁ……」
確かに昔ゲームで女の子はお姫様扱いされたがると出てた気がする。
実際に付き合ったことはなかったから暫定的な情報だったが、どうやらあながち間違いではないのかもしれない。
一応、よくネットでは姫呼びのカップルは痛いみたいなことが書いてあるので、そう言った感じで揶揄されないか少しだけ心配になったが、よくよく考えるとそれ以前に面をかぶっているのでそちらにもっていかれるだろうという結論に至った。
「しかし、こうなってくると名前を知る方法がどんどん困難になってくるぞ……」
今日一緒に帰ることで顔がわかると思っていたから油断していた。
今回は俺自身が早めに待っていたことで本人が声をかけてくれたが、待ち合わせで少しでも先に彼女がきていた場合、現状俺に探し当てるすべはないのだから。
少なくとも付き合いたてである今の段階では、顔がわからない状態で彼女を見つけられる自信はない。
どうするか悩みぬいていると、
「んぐっ」
背中に乗っていたイカ天が勢いよくどこかに走り抜けて行った。
何事かと思った矢先、家のチャイムが鳴る。
――ピンポーン
「……ああ、誰か来たから飛んでったわけね」
チャイムが鳴ろうと我関せずなエビ天を一撫でしてから玄関に向かう。
そして玄関を開ける直前、ふと昨日、伊調のおばさんに久しぶりにおすそ分けを持って行ってあげると言われていたことを思い出した。
――……美琴とはちょっと疎遠になっちゃったけど、おばさんは相変わらずほぼ一人暮らしの俺を気にかけてくれてるんだよなぁ……。
ここ最近は自分の母親より会話してることの多い幼馴染の母親の存在に苦笑いしつつドアを開ける。
「はー……い?」
「………………………………」
「み……っ……い、伊調……さん?」
ドアを開けて鍋を持っていたのは、最近会話の多い伊調さんではなく、疎遠になった方の伊調さんだった。
「……………………………………」
「……………………………………」
予想外の存在に固まる俺と、特に反応を示してくれない美琴。
「えっと……」
「これ、お母さんがおすそ分けって」
俺の困惑をよそに、美琴は淡々と用件を伝えてくる。
単なるお使いってだけなんだろうか。
「あ、うん……昨日そんなこと言ってた……ありがとう。……その、おばさんにもお礼言っといてもらっていい?」
「うん」
「……………………………………」
「……………………………………」
おかずが入っているであろう鍋を受け取ったものの、その後特に動く様子のない幼馴染に、再び困惑する俺。
お使いの他に何か用事でもあるんだろうか。
意を決し尋ねようかを考えていると、ようやく美琴が口を開く。
「ねえ」
「ぉはい!」
「……なんで苗字なの」
俺の緊張故の変な返事に動ずることなく、聞きたいことを聞いてくる美琴。
――……? みょうじ? あ、ドア開けたときの?
「え、だって中学の時に名前で呼ぼうとしたら睨んだから」
正直あの時は結構ショックが大きかった。
少し話すことの減った幼馴染に話しかけようとしたら睨まれたのだから。
その後は苗字で呼ぼうと決めてたが、実際のところその後から今日まで会話に至ることがなかったから呼ぶ機会はなかったけど。
「それは……ごめん。普通に呼んでいいから」
「それは助かる。ぶっちゃけ美琴の事を伊調って呼ぶのなんかしっくりこなかったからさ。心ん中ではずっと、名前呼びだったわ」
「っ……そ」
「……でぇ……他になんか用事あった? おすそ分けの他に……」
「…………………………エビちゃんとイカちゃん」
「へ? ……ああっ!! そっか! エビ天とイカ天がうちに来て少ししてからだもんな、美琴がうちに来なくなったの! なんだなんだ? 久しぶりに会いたくなったのか? 結構でかくなったぞ。ほらこっち!」
「え、あ、う、うん」
そういって美琴を招き入れる。
こちらとしては疑問も解消されてすっきりだ。
――そうかそうかうちのお猫様たちに会いたかったのか。納得。
「イカ天はチャイムにビビッてどっか行ったけど、エビ天は不動だったから問題ないはずだな。不動のエビ天」
「……相変わらず猫の事となるとテンション上がってるし」
「え、昔からそうだっけ」
「自覚なしなんだ」
そういって美琴はクスクスと笑いだした。
まだ若干ぎこちない気がするが、何処か小さい頃に戻った気持ちになる。
そして俺がゴロゴロしていた居間に戻ってくると、先程まで俺が寝転がっていたソファーに広々とエビ天が寝そべっていた。
――お前あそこに座ってたのは俺が退くの待ってたのか! 順番待ちは順番待ちでも、俺の上じゃなくてソファーの方か!
「ほんとにでっかくなった……」
「え、ああ……だろ? エビ天はよく食うんだ。イカ天は割と普通目なんだが……」
エビ天の食い過ぎを嘆いていると、美琴はいそいそとエビ天を撫で始めた。
横になっているエビ天が一瞬こっちを向いたが、気にした様子もなく再び目をつむった。
その、撫でるがよいと言わんばかりの態度がツボに入ったのか、美琴は笑いながらエビ天を撫でつづけた。
すると、こちらの様子が気になるのか、イカ天が少しドアの影から覗いているのがわかった。
美琴もそれに気付いたようで、しゃがんだ状態で指を一本イカ天の方に向けてから呼ぶ。
「イカちゃん。おいでおいで」
「……流石に警戒してるか」
堂々とした態度のエビ天とは違い、イカ天は基本的に慣れてる人以外には臆病だ。
滅多に家にいないせいで母すら警戒する始末。
まあ一度慣れてしまえば、ベタベタに甘えてくるのだが。
――要するに現状俺にしか懐いていないヘタレ猫ですわ。
「……むぅ、残念。イカちゃん抱っこしたかったのに」
「エビ天は抱っこし放題だぞ。…………くっそ重いけど」
「遠慮しとく」
ほぼ間髪入れずにお断りされてしまった。
飼い主ながら、その判断は仕方ないと言えよう。
――……物言いたげな顔でこっちを見るんじゃないエビ天。君はガチで重いのだ。
抱っこをお断りされたエビ天を仕方なく俺が引継ぎ、気合を入れて持ちあげつつ話し始める。
「しかしそんなにこいつらのこと気になってたのか? 話しすらしなくなって久しいのに、お使いついでとは言えわざわざ家に来るなんて」
「……突然ごめん」
「へ? いやいや、責めてるとかではない。てか責めてる風に聞こえたならマジでごめんなさい!」
「いやでも、昔はよく話してたとはいえ、今はほとんど接点のない相手が突然家に来たら迷惑でしょ……」
「いやぁ別にそうでも……と言うか、正直美琴んとこのおばさんがちょこちょこ美琴の話をしてくるから、むしろあんまり接点がないとは思えないんだが」
そう、伊調のおばさんはよく俺の事を聞いて来たりするのだが、その流れでよく美琴の学校でのことも話してくれた。
おかげで本人とは全く会話がないにもかかわらず、成績とかどこに遊びに言っただとかが耳に入っていた。
「え……ちょっ……お母さん、何話してる!? 変なこと言ってない!?」
どうやらとうの本人は初耳だったらしく、すごい勢いで詰め寄ってきた。
「うお、近い近い押すな押すな……あぶっ」
「ひゃっ」
美琴は相当焦っていたらしく、勢い余って二人でソファーに倒れこむ。
俺がそのままソファーに座る形となり、美琴が俺たちをつぶさないように慌てて手でソファーの背もたれを押さえる。
結果、俺は美琴に壁ドンならぬ背もたれドンをされた状態になっていた。
それに気づいた美琴が慌てて離れる。
「ご、ごごめん、焦って」
「ああいや、俺は大丈夫。エビ天は……寝てるッ!?」
――嘘だろ!? このドタバタした状況で俺の腕の中でグッスリとかどんな神経してんだコイツ!




