第五章 参妃、推参!②
……沈む。
とても、とても深く沈んでいく。
ここは一体どこなのだろうか……?
ぼんやりとした思考で、御影刀歌は考えた。
うっすらと瞳を開く。
上空には明るい光が見えた。
周囲は暗くはない。どこまでも澄んでいた。
……ここは、湖の中?
ゆっくりと。
刀歌は、湖の中に沈んでいった。
呼吸は苦しくない。
それどころか、心地よいぐらいだ。
彼女は、再び瞳を閉じた。
しゅるり、と。
彼女の長い髪を結んでいた白いリボンが解けた。
ふわりと彼女の髪が広がる。
リボンは刀歌から離れて水面へと向かい、途中で光となって消えた。
続けて、彼女が身に纏っていた制服も解けていく。それらも次々と光となっていく。
いつしか、刀歌は一糸纏わぬ姿となっていた。
羞恥はない。ただ、圧倒的な心地良さだけがあった。
――と、その時。
沈んでいく刀歌の体が、不意に止まった。
誰かに受け止められたように、その場に留まる。
(――ぁ……)
刀歌は、自分の頭に誰かの手が触れるのを感じた。
大きな手。恐らく男性の手だ。
普段の刀歌ならば、不快に思うはずだった。
けれど、その人の手には、どうしてか嫌な感じがしなかった。
まるで曽祖父の手のような、とても暖かい手だった。
――大丈夫。大丈夫だ。
彼が、そう言ってくれているのを感じた。
刀歌は凄く安心した。彼は、ずっと刀歌の頭を撫で続けてくれた。
――が、不意に。
(……うぐッ!)
強い痛みを感じた。下腹部辺りだ。
ズキン、ズキンッと痛む。
激痛だ。
(あ、ぐう……っ)
刀歌は大きく仰け反った。
下腹部の痛みは消えない。刀歌の目尻に涙が滲んできた。
――御影!
その時、彼女の体が力強い腕で抱き上げられた。
(ぐ、ぐうッ!)
痛みは一向に収まらない。
――鎮痛効果がもう切れたのか。御影。ゆっくり呼吸をしろ。
彼の声が耳元に届く。とても近くからだ。
指示通りに呼吸をしようとするが、想像を絶する痛みから上手く出来なかった。
両手で喉元を強く押さえる。
激痛と息苦しさに、意識が消えてしまいそうになる。と、
――やむを得んな……。
そんな声が聞こえた。
そのすぐ後のことだった。
唇に柔らかな感触が伝わる。次いで、肺に酸素が入ってきた。
(う、ン……)
刀歌は体を大きく震わせた後、硬直した。
唇から感触が消える。が、すぐにもう一度、酸素が肺に注がれた。
ようやく、少し呼吸が落ち着いてきた。
刀歌は、自力で息を整えていく。
――そう。それでいい。ゆっくり呼吸せよ。
刀歌はこくんと頷いた。ふらふらと手を伸ばすと、彼の肩に触れた。
ギュッと彼の首にしがみつく。と、彼は、刀歌の髪を優しく撫でてくれた。
それだけで不安が消えていく。
しばらくすると、痛みも少し治まってきた。
――繋がったな。よし。そろそろ行くぞ。御影。
彼はそう告げた。刀歌はよく分からなかったが、再びこくんと頷いた。
その数秒後だった。
(……え……)
突如、圧倒的な心地よさが、彼女の全身を満たしていった。
ゾクゾクと背筋が震えてくる。
(あ、あ、あっ……)
刀歌の呼吸が再び荒くなる。
まるで荒波にでも呑み込まれるような感覚が、何度も何度も襲い掛かってくる。
かつて覚えたこともない感覚だった。
(え、や、あ……)
怖い、怖い。
途轍もなく怖かった。
感情の渦に、自分の人格さえも消えてしまいそうだった。
目尻からは、次々と涙の雫が零れ落ちていった。
ずっと小刻みに体が震えている。
彼女は、必死の想いで彼にしがみついた。
すると、
――大丈夫だ。受け入れろ。じきに終わる。
彼がそう言ってくれた。そして彼女の腰を、背中を強く抱き直してくれた。
決して離さないと、態度で示してくれた。
刀歌は彼の言葉を信じて、コクコクと頷いた。
絶え間なく襲い来る感情の怒涛。
それに合わせて、全身の震えが激しくなっていく。
気を抜くと、今にも自我が消えてしまいそうな中で――。
それでも、刀歌は彼のことを信じた。
そうして――。
(―――――ふあっ!? あああッッ!?)
これまでにない、大きな波が押し寄せる。
(――熱い、熱い!)
まるで火でも点いたように、下腹部辺りが熱くなった。
自分の最も深い所に、何かが大量に注ぎ込まれるのを感じ取った。
体の芯までが大きく震える。
刀歌の頭の中は真っ白になり、大きく仰け反った。
今までとはまるで違う。
あまりの衝撃に、呼吸も出来ない。
ぐらりと後ろに倒れ込んでいく――が、
――グッ、と。
彼女の背中が受け止められる。彼の力強い腕だ。
彼は崩れ落ちそうになった刀歌を抱きとめてくれた。
そうして、
――よく頑張った。辛かっただろう。もう終わったぞ。
そう告げると、彼は放心した刀歌を持ち上げて、しっかりと抱き直した。荒い呼吸を繰り返す彼女が再び呼吸困難に陥っていると思ったのか、また唇が重なった。酸素が注がれる。
(………ん、ン……)
刀歌は朦朧とした意識で、彼の首元にぎゅうっと抱き着いた。
刀歌は、心から安堵していた。
長い旅路の果てに。
ようやく安息の地でも見つけたかのように。
彼女は自らも望んで唇を重ね続け、その心地よさに身も心も委ねた。
いつまでも。いつまでも。




