第八章 太陽を掌に⑥
――ドクン。
ドクン、ドクン、ドクンッ……。
心臓が、大きく何度も跳ね上がった。
全身の血流が、沸騰するかのように激しく脈打った。
自分の体に、魂に、致命的な現象が起きている。
それを、はっきりと感じ取った。
だが、それも望むところだ。
すべては『王』のために。
幼き日より、共に泥をすすって生きてきた『友』のために。
「――がああああああああああああああああああッッ!」
崩は、咆哮を上げた。
「おじさん!」
その時、燦が叫んだ。
「気をつけて! そいつ、変身するよ!」
「……ああ」
真刃は、静かな眼差しで咆哮を上げる男を見据えていた。
「そのようだな」
そう呟くなり、真刃の姿はかき消えた。
男たちは動揺するが、次の瞬間には、少し離れた場所に真刃は現れた。
右腕には、大切そうに月子の腰を抱きかかえて。
左手では、燦の体を小脇に抱えていた。
――ズズンッ、と。
数瞬ほど遅れて、黒鋼の巨熊――車に憑依した猿忌が真刃の傍らに着地した。
「えっ!? なんであたしは小脇なの!?」
燦は真刃の手を掴み、バタバタと足を動かした。
「あたしも抱っこ! 抱っこして!」
「……ダメだよ。燦ちゃん」
そう告げるのは、月子だった。
「いま燦ちゃんは燃えているんだよ。おじさまが火傷しちゃう」
と嗜めるが、月子の眼差しは、ずっと真刃の横顔を見つめたままだった。
「月子」
そんな少女に、真刃は告げる。
「少々荒事になる。しっかりと掴まっておけ」
「……はい。おじさま」
こくんと頷き、月子は真刃の首に手を回した。
そうして、自分のすべてを預けた。
「え? 月子?」
燦は目を瞬かせる。
燦の角度から見えた月子の横顔。
それは、一度も見たことのない表情だった。
瞳は潤み、頬は紅潮している。口元には微かに笑みが零れていた。
あまりにも大人びた顔である。
真刃が少し顔を傾ければ、そのまま唇を許しそうな表情だった。
「えええッ!? 月子!? うそでしょう!?」
燦はすぐに状況を察した。
その声にハッとした月子は、
「は、はうゥ……」
と、真刃の肩に顔を埋めた。
「ご、ごめん、そういうことなの。ごめェん。燦ちゃん……」
「えええええええッ!?」
ただただ目を見開き、燦は驚愕の声を上げた。
そんな少女たちをよそに、真刃は変貌する男を見据えていた。
男の姿は、すでに人間のものではなかった。
体のサイズは天井近くまで膨れ上がり、全身は泥で覆われている。口もない。首もない。眼窩だけが窪んでいる。なで肩の泥の巨人だった。
「まるでダイダラボッチだな」
真刃が、率直な感想を告げた。
すると、
『お前を足止め出来るのならば、何であろうと構わん』
泥人が言う。
「気をつけて! おじさん!」
燦が再び叫んだ。
「こいつ、見た目は弱そうだけど凄く強いから!」
そう告げてから、
「あたしを降ろして! あたしも戦うよ!」
「それは聞けん」
真刃は告げる。
「今回は、お前たちを保護することが目的なのだ。こうしてお前たちを手にした以上、もう離すつもりはない」
「え?」
真刃の宣言に、燦は目を見開いた。
「……は、離すつもりはないって……」
次いで、ボッと顔を赤くした。
一方、月子も「だ、だから、その、おじさま、言い方……」と呟き、うなじと耳を真っ赤にしつつも、真刃の首にぎゅうっと掴まっていた。
「それに戦うのは己でもない。猿忌よ。ここはお前に任せる」
真刃は命じる。猿忌は『御意』と答えた。
黒鋼の巨熊は、地面を踏みしめて前へと進み出た。
真刃は、さらに言葉を続ける。
「金羊。刃鳥。お前たちにもだ。各自、従霊十五体の魂力の使用を許す」
『うっス!』
『承知いたしましたわ』
そう答えるのは、月子のスマホに宿る金羊と、真刃の胸ポケットにしまわれていたペーパーナイフに宿る刃鳥だった。
二体は、それぞれポケットから浮かび上がって抜け出すと、顕現した。
刃鳥は、銀色の刃で造られた孔雀に。
金羊は、月子のスマホを核にして、黄金の雷で形作られた羊へと姿を変える。
月子と燦は、目を丸くした。
「え、おじさん、同時に三体も式神を使えるの?」
「金羊さん、カッコイイ……」
『うっス! ありがとうっス! 月子ちゃん!』
黄金の羊は、月子の方を見てニカっと笑った。
『けど、アッシは戦闘が苦手っスからね。この姿も無茶苦茶コスパが悪いっス。長くは持たないからさっさと片づけるっス!』
『そうですわね』
刃鳥も言う。
『燦さまと月子さま。どちらを肆妃とすべきか、緊急従霊会議も開かねばなりませんし』
『いやいや。そこは月子ちゃん一択っスよ!』
『まったく。お前たちは』
黒鋼の巨熊が嘆息する。
『気を抜くな。あやつは弱敵ではない。わざわざ主が三体も喚んだのだ。さらには、従霊十五体の魂力を必要とする。その意味を心得よ』
『うっス!』
『はい。猿忌さま』
長の忠告に、黄金の雷羊は身構え、刃の孔雀は翼を大きく広げた。
黒鋼の巨熊も、のそりと間合いを詰め始める。
従霊たちは知識のみならず、互いの魂力をも共有できる。
三体の体に、待機している従霊たちの魂力が流れ込んできた。
一方、泥人は、
『……行け。王』
友に、最期となる言葉をかけていた。
王は、最も古い仲間の言葉を、静かに聞いていた。
『俺と鞭は、もっとガキの頃に野垂れ死ぬはずだった。お前に出会わなければな。お前と生きた時間は楽しかったよ。感謝している』
崩は言う。
『だが、忘れないでくれ。名無しだったお前がどうして『王』を名乗っているかを。お前は俺たちの「王」なんだ。どうか覇道を生きる気概を取り戻してくれ』
「……………」
王は未だ無言だ。
『さあ、もう行け。お前は、お前の道を進め』
崩は、静かな声でそう告げた。
「……ああ」
王は、ようやく口を開いた。
「分かったヨ。崩」
そう告げて、自分の左腕の手錠に触れる。
アタッシュケースの取っ手は握りしめたまま、手錠の鎖のみを引きちぎった。
グシャリ、と自分を拘束していた鎖を握り潰す。
「俺は行く。アバヨ。崩」
『ああ』
崩――泥人は、振り向くこともなく答えた。
『あばよ。王』
ズズズズ、と。
泥の両腕を大きく広げた。
そうして、
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――ッッ!』
泥人は吠えた。




