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骸鬼王と、幸福の花嫁たち【第13部更新中!】  作者: 雨宮ソウスケ
第3部 『太陽と月の姫』

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第八章 太陽を掌に⑤

 ――ぞわり、と。

 その瞬間、男たちは揃って硬直した。


 突如、現れた乱入者。

 その傍らには、一頭の黒い巨大な熊がいる。

 鋼の巨躯を持つ熊だった。恐らくは式神だ。

 二本の足で立ち上がり、泰然と、こちらを睨みつけている。

 凄まじいほどの威圧感だった。

 だが、それ以上に、男たちは乱入者自身に見入っていた。

 誰もが顔を強張らせている。中には大量の汗をかいている者もいた。 

 そんな中で、


「………………」


 (ワン)だけは、静かな眼差しで乱入者を見据えていた……。



 一方、その傍らで。


「おじさん! おじさん! おじさんっ!」


 きゅうう、と。

 燦の小さな胸は、強く締め付けられた。

 ずっと探していた人と、やっと巡り会えたのだ。

 もう抱っこして欲しくて仕方がなかった。

 彼の方に両手を伸ばして、バタバタと動かした。

 けれど、彼は抱っこしてくれない。

 いわゆる『高い高い』の姿勢で、燦を近づけさせてくれなかった。 


「おじさぁん、やあぁ。意地悪しないでェ……」


 と、勝気な少女が、今にも泣きだしそうな表情を見せた。

 その顔を見て、彼――真刃は嘆息する。


「……仕方がないな」


 今の燦は、炎のドレスを纏っている。

 そんな少女に触れれば、只では済まない。 

 真刃自身は問題なくとも、服が持たないだろう。

 だが、この紳士服(スーツ)とコートには、一応、耐火の術式も施されている。

 相当な熱量のようだが、少しの間ぐらいなら耐えてくれるかもしれない。

 真刃が腕をゆっくりと曲げると、燦は、


「――おじさんっ!」


 目一杯、真刃の首筋に抱き着いた。

 自分が、炎のドレスを纏っていることも忘れている様子だ。

 とりあえず、いきなり服が燃え出すこともなかったので、真刃は少し安堵した。

 改めて、両腕で燦の背中を支えた。


「おじさん、おじさん、おじさぁん……」


 燦は、甘い声を出して真刃にしがみついている。と、


「――燦ちゃん!」


 不意に、少女の声が響いた。

 燦は、ハッとして目を見開いた。

 そして真刃の肩に手を置いて、声のした方に振り向いた。

 すると、そこには、こちらに駆けてくる親友の姿があった。


「――月子っ!」


 表情を輝かせて、親友の名を呼ぶ。

 それから、再び真刃の顔を見つめて、


「――おじさんっ!」


「……何だ?」


「愛してるよ!」


「…………………は?」


 思わず目を瞬かせる真刃の首筋に、もう一度だけギュウッと抱き着いてから、


「愛してるけど、今は降ろして!」


「……あ、ああ」


 燦の勢いに圧されて、真刃は少女を降ろした。

 そして燦は、


「――月子っ!」


 真刃から離れて、月子の元へと走り出した。


「燦ちゃんっ!」


 燦は炎の手袋だけを解除し、二人の少女は互いの両手を重ねた。


「良かったぁ。無事だったんだ。月子ォ」


「うん。おじさまに危ないところを助けてもらったの」


「そっかぁ」


 燦は、ニカっと笑った。


「うん! 流石はあたしの旦那さまでしょう!」


「う、うん。そうだね」


 月子は、少しだけ視線を逸らして頷いた。

 そんな少女たちの様子を、真刃が父親のような眼差しで見ていた。 

 と、その時だった。




「……《未亡人(ウィドウ)》」




 不意に、そんな呟きが耳に届いた。

 おもむろに、真刃がそちらに目をやると、そこには隻眼の男がいた。

 アタッシュケースを手錠で左手首に括りつけた奇妙な男だ。

 真刃と視線が合った男――(ワン)は「……ああ」と、小さく呼気を零した。


「……ちょいと、あんたが知り合いに似てたんでナ」


 そう告げる。


「……そうか」


 真刃はさして気にかけず、少女たちへと視線を戻した。


(……おっかネエな)


 言葉一つ交わすだけでも冷たい汗をかく。

 (ワン)は、内心で肝を冷やしていた。


(……一体何なんダ? こいつは?)


 改めて、戦慄を覚える。


 ――突如、現れた黒いコートの男。


 どうやら、火緋神家の娘と知り合いらしい。

 普通に考えれば、火緋神家の人間。火緋神燦の救出者だ。

 だが、


(こんなバケモンを、火緋神家は飼ってんのかヨ……)


 全身の緊張が、一向に解けない。

 この男は、少女たちを優しい眼差しで見守りつつ、同時に(ワン)たちには、微塵に切り裂くような凶悪極まる殺意を、絶えず叩きつけてきているのだ。

 魂力とは違う。純粋なる意志による圧力だ。

 この男の殺意は、(エボン)を始めとする部下たちも、肌で感じとっていた。

 イレギュラーが割り込んできたこの状況。

 本来ならば、即座に排除すべきだというのに、誰一人動けない。


 ――迂闊に動けば死ぬ。

 全員が、すでにそう察しているのだ。


(……それにしたってこの殺意。まるで)


 (ワン)は、片目しかない瞳を細める。

 本当によく似ている。

 自分の知る『最強』の人物と。

 敬愛してやまない『彼女』の姿に、とてもよく似ていた。


(……それに……)


 (ワン)は、少女たちの方にも目をやった。

 男と共に現れた少女。あの娘は(ビアン)が確保していたはずだ。

 その娘が、無傷でこの場にいるということは……。


(………(ビアン)


 すでに、あいつも()られたということになる。

 悪癖の多い(ビアン)だが、相当の実力者だ。それを無傷で倒したということである。


(クソ。とにかく、こいつとは戦うべきじゃネエ。だが、どうすりゃいい……) 


 (ワン)は思考する。 

 ここでの最善手は何なのか。

 それを模索する。と、


「……(ワン)


 おもむろに、(エボン)が口を開いた。


「ここは撤退すべきだ」


 小声で、そう告げてくる。

 (ワン)は横目で(エボン)を見やり、眉をひそめた。


「そいつは分かっているヨ。だが、どうやって……」


「俺が殿を務める」


 (エボン)はそう言った。 

 それから強張る腕をどうにか動かして、自分のポケットに手を入れた。

 取り出したモノは、普段の青とは違う赤い液体の入った無痛注射器だった。


「幸い、(ビアン)から切り札も預かっている。これを使えばこの場もどうにか出来る」


「……(エボン)?」


 (ワン)は、(エボン)の持つ赤い無痛注射器に目をやった。


「なんだそいつは? 俺は聞いてねえゾ」


「俺が用意させたものだ。まさかこんな所で使うことになるとは思わなかったがな」


 一拍おいて。


(ワン)よ」


 (エボン)は、真剣な眼差しで(ワン)を見据えた。


「恐らくこれが今生の別れになる。だから言っておくぞ」


 (エボン)は、拳を強く固めた。


「お前は『(おう)』だ。俺たちの『(おう)』なんだ。だからこそ目を覚ましてくれ」


「……なに?」(ワン)は眉をひそめた。「どういう意味ダ?」


「力こそすべて。そう生きてきたお前が『あの女』に心酔するのも分かる。だが、思いだしてくれ。お前は『(おう)』なんだ。最後にはすべてを略奪する『(おう)』なんだよ」


 (エボン)は、双眸をグッと閉じた。


「『あの女』に平伏するのはもうやめてくれ。敗北で牙まで失うな。どうしても『あの女』に執着するのならば」 


 (エボン)は一歩前に進み出た。

 男からの殺意の圧力で膝が崩れそうになるが、どうにか抑え込む。

 次いで、武骨な拳で(ワン)の肩を強く押す。


「『あの女』を自分の女にする。それぐらいの気概を見せてくれ」


「…………」


 (ワン)は無言だった。

 一方、(エボン)は黒いコートの男――久遠真刃の前へと進んでいく。

 一歩一歩が重い。

 それでも(エボン)は歩き続けた。


「……ほう」


 真刃は、静かな闘志を抱く(エボン)を一瞥した。


「……察するに、お前が殿を担うのか?」


 率直にそう尋ねる。 

 彼我の力量差は、真刃の方でも、すでに把握していた。

 月子の件もあり、今回は相当に腹に据えかねていたので、久方ぶりに『殺意』の挨拶をしてみたが、それだけで動けなくなる程度の輩だ。

 たとえ、廃ホテルにいた男と同じ力で全員が挑んできても敵ではない。


 ――模擬象徴(デミ・シンボル)

 金羊からそれを聞いた時は驚いたが、所詮はあの小僧(天堂院八夜)の劣化版といった印象だった。


(いや。実際に劣化版なのかもな)


 ともあれ、今も再会を喜び合う少女たちを保護した以上、勝敗は決した。

 後は、この輩を捕えるだけだった。

 だが、当然ながら、こいつらも足掻くはずだ。

 最も可能性が高いのは逃走。

 そしてその場合、恐らく出てくるのが、


「ああ。俺がお前の相手をする」


 (エボン)が頷いた。


「俺たちのボスが逃げる時間を稼がせてもらおう」


「……ふむ」


 真刃は目を細める。


「それは容易ではないぞ」


「分かっている。化け物め。だからこそ、この命」


 そうして(エボン)は、無痛注射器を首に当てて告げた。 


「我が『(おう)』に捧げることにしよう」

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