敗北
――夢を見ていた。
黒騎士が俺に怒っている夢だ。
俺を見て本当に呆れている。
「――情けない。お前は弱すぎる」
その言葉に怒りがこみ上げてくる。
「弱くて悪いのかよ?」
「……」
黒騎士は俺の問いに答えない。
「なら、あんたには勝てたのかよ!? あんたの力――黒騎士の鎧でも勝てない相手に、俺がどうやって勝つんだよ!? 俺はあんたじゃないんだ! 偽物なんだ!」
ヒーローになれると思っていた。
だが、現実はいつも厳しい。
魔王級と呼ばれる魔物に、俺は為す術なく負けてしまった。
黒騎士が俺を見ている。
フェイス部分は閉じたまま。
だが、きっと俺に呆れた顔をしていると思う。
そんな黒騎士に文句が出てくる。
「ヒーローならもっと優しい言葉をかけろよ。ファンに優しくしろよ! 俺は――あんたに憧れていたのに」
夢ならもっと優しくして欲しい。
そう叫んでも、黒騎士はまったく態度を変えなかった。
「お前は何も理解していない」
「そうだよ! 俺はあんたの力を借りただけの偽物だよ!」
「――違う」
俺の言葉を黒騎士が否定したところで、俺は夢から覚めた。
◇
「ここは?」
ゴトゴトと揺れていた。
灰色の雲が広がり、薄暗い。
雨でも降ってきそうだ。
俺は自分の体を見る。
黒騎士の鎧はボロボロで、装甲が溶けていた。
それでも、俺の体は無事なようだ。
黒騎士の鎧は俺の体を守ってくれた。
まるで、黒騎士が守ってくれたように感じる。
「――それなのに、俺は文句ばっかり言って」
自分が情けない。
俺は本当に口だけで――何も出来なかった。
瀬田の言葉が蘇ってくる。
あいつの言う通りだ。
俺よりも、この力をもっと有効に使える人間に渡した方が良かったのではないか?
俺よりも強い人に託せたら、どれだけ楽だろうか?
泣いていると、声がかけられた。
それは、村で一人残っていた老人だ。
「――起きたのか?」
「あ、あんたはあの時の」
「お前さんがわしの畑に落ちてきたんだ。本当は逃げるつもりがなかったんだが、お前さんを放っておくのも気分が悪い。それに――昼寝をしていると、死んだ婆さんが夢に出て来て睨むんだよ。さっさと逃げろ、ってな」
俺を運ぶために荷馬車を用意し、王都へ運んでくれているようだ。
老人は俺に話しかけてくる。
「なぁ、若造。お前さん、一人で戦いにいったんだろ?」
「――負けましたよ。本当にどうにもならなかった」
「挑むだけでも凄いことだ。わしなんか、戦うということすら思い浮かばない。あの村で死にたいと思ったくらいだ。お前さんは凄いな」
力を持たない人はそれでもいい。
だが、力を持っていた俺はどうだ?
弱い魔物相手に粋がって、本当に強い敵が来たら何も出来ずに負けて――何の良いところもない。
助けてやるつもりでいた老人に、こうして助けられている。
黒騎士が呆れるのも仕方がない。
「俺は――もっと頑張れたはずなのに」
老人は何も言わなかった。
すると、俺が乗っている荷馬車に近付いてくる馬の足音が聞こえてきた。
老人が俺に知らせてくる。
「どうやら、王都の騎士様たちだ。お前さんの迎えかな?」
駆け寄ってくるのは、王国の騎士たちだった。
「黒騎士殿、ご無事ですか!」
◇
王都。
黒騎士が敗北して戻ってきたという知らせが届いた王宮では、もはやこれまでといった雰囲気だった。
「黒騎士も不甲斐ない」
「いや、かなりの数の魔物を削ったらしい」
「ドラゴンロードが、動きを止めたそうだぞ」
「休んでいるだけでは? だが、これで少しは時間が稼げる」
「何か秘策はないのか!?」
「ゴドウィン卿は何をしている! こういう時こそ、宮廷魔法使いの出番だろうに!」
宰相であるチェスターは、他よりも詳しい情報を持っていた。
(黒騎士は予想通り敗北したが、その役目は果たしたか)
竜王の進行速度を、一時的とは言え止めたのだ。
ただ休んでいるだけかもしれないが、魔物の数もかなり削ってくれている。
全体で見れば数パーセントだろうが、それだけでも凄い数字だ。
(今日、この日のことは後の世のために記録に残す必要がある。黒騎士で駄目なら、他の英雄たちでも本当に僅かな時間稼ぎにしかならぬな)
たとえ、バリス王国が滅んだとしても、この戦いの記録だけは後の世に残そうと決めるチェスター宰相が口を開く。
「諸君、王都は放棄する。王族の方たちを最優先で逃がす」
ただ、既に王子達は各地にバラバラに逃がしていた。
王妃も東部にあるクルシュドール魔法王国へと逃れている途中だ。
そこが王妃の祖国である。
残っているのは国王だけだったが、それでは外聞が悪いため王族と発言した。
「私は陛下に報告してくる」
◇
王都を放棄することが正式に決まった。
徒歩で壁の外に出て移動するのは、愛梨と香苗だ。
避難する民の護衛役だった。
王都を振り返る愛梨は、中は相当混乱しているだろうと考えている。
「人間って不思議よね。滅ぶと分かっているのに、残ろうとする人たちもいるのだから」
香苗は先程から無言だった。
いつもの軽口を返してこない。
「後輩、どうしたの? 今日は何だか元気がないわね」
「――分からないんですよね」
「何が?」
「新藤先輩ですよ。確かに強いですけど、勝てないって言われているのに挑むとか馬鹿じゃないかな、って。あの人、本当に馬鹿ですよ。――周りの迷惑も考えずにヒーローの真似事なんかして」
「あぁ、新藤はヒーローがどうとか言っていたわね」
施設にいた拓郎が、そんなことを言っていたのを愛梨は思い出す。
香苗は本当に不愉快そうだった。
「神凪先輩、本当に辛そうだったじゃないですか。――心配してくれる人がいるのに、自己犠牲なんてしちゃう人、私は嫌いです」
愛梨は王都へと振り返る。
「――まぁ、馬鹿だったわね。もっとうまくやれれば、こっちの世界で成功できたのに。わたくしも理解できないわね」
誠太郎が他国に逃げ込めば、受け入れてくれる国もあっただろう。
王都にあるダンジョンの地下八階を突破した英雄だ。
欲しがる国だって多いはずだ。
「それにしても、あの神凪って人も馬鹿よね。捨てた男を待つために王都に残るんだから」
◇
誠太郎が担ぎ込まれた病室には、美緒と拓郎の姿があった。
疲れているのか、誠太郎は眠っている。
怪我はないが、黒騎士の鎧はボロボロだったらしい。
「――セイ君! よかった。本当に――無事で良かった」
無事な誠太郎の姿を見て安堵する美緒を、拓郎が見ている。
「あ、あの」
「何?」
「どうして、殿のお見舞いにいるのでござるか? 嫌いだったのでは?」
美緒の視線は眠っている誠太郎を見ていた。
「――嫌いじゃないわよ。嫌いだったのは自分よ」
「ちょっと何を言っているのか分からないでござる」
拓郎もコミュ障であり、美緒の感情を察するなど難易度が高すぎた。
素直に尋ねてくる。
「殿は本当に辛そうでござった。あんなことを言うのは酷いでござるよ。それなのに、お見舞いに来るとか、いったい何を考えているのでござる?」
拓郎は美緒に腹を立てていた。
美緒は顔を上げて拓郎の顔を見る。
察しが悪いと思いつつ、自分がかなり面倒な女になっていると気が付いて自嘲する。
「そうね。意味が分からないわよね。私だって、あんなことはしたくなかった。けど――けど、どうしようもないじゃない。人なんて信じられないから、利用しようと思ったのに! それなのに」
誠太郎はどうだ?
困っている拓郎を助けた。
不器用で、そしてコミュ障で――真面目で。
「嫌いじゃなかったのよ。好きになりそうだった。強いのに駄目なところがあって、放っておけなかった。このまま一緒にいたかったけど――私、利用するつもりだったから」
「余計にわけが分からないでござる。好きなら一緒にいれば良かったのでは?」
損得勘定なしに拓郎を助けた誠太郎を見て、美緒は自分がとても醜く感じた。
「――こんな卑怯な私が側にいたら、この子の邪魔になるじゃない」
拓郎が嫌そうな顔をしている。
こいつ、面倒な女だな――みたいな顔をしていた。
実際に面倒なのは美緒も自覚しているが、拓郎にそうした目を向けられるのは腹立たしい。
「何よ!? 好きになったから、幸せになって欲しかったんじゃない!」
「不幸のどん底に叩き落とした、の間違いでは? 殿は――殿は、本当に優しい人でござる。拙者、このような話し方をしているので、学校では友達が出来なかったのです。でも、殿はこんな拙者に普通に接してくれたでござる」
「――喋り方を変えれば?」
「自分を曲げたくないでござる」
妙なプライドを捨てろよ! そう思ったが、口には出さなかった。
「学校でも一人で、こっちに来てからも一人でござった。声をかけられても数合わせで、いいようにこき使われる毎日――異世界に来れば、拙者もチートで無双できると思っていたのに、酷いでござる」
「う、うん。うん?」
拓郎が何を言っているのか分からない美緒は、曖昧に返事をしていた。
「でも、殿だけは拙者を認めてくれたのでござる。こんな世界で、拙者のことを助けて下された。拙者、ハッキリ言って見た目は酷いし、普通なら誰も助けないでござる」
あまりにも自分を卑下する発言に、美緒は答えに困って黙っていた。
「――殿だけは、拙者のことを人として見てくれているのでござる」
それが拓郎には嬉しかったのだろう。
「分かっているわよ。そんなこと、言われなくても分かっていたのよ! あんたを助けたのを見て、誰でも助けられる人なんだって――だから私は、自分から離れたんじゃない!」
美緒が叫ぶと、拓郎が視線をベッドに向けた。
「あ、殿! お目覚めでしたか!」
驚いてベッドを見ると、凄く恥ずかしそうにしている誠太郎の姿があった。
言わなくても良いのに――。
「ご、ごめん。実は――話が聞こえていて」
――美緒は思う。
(そこは気を利かせて、起きたばかりでいいじゃない!)
顔を真っ赤にして俯いてしまう。
◇
目を覚ますと、病室にいた。
そこには拓郎と――美緒先輩の姿がある。
人の話し声が聞こえて目を覚ますと、拓郎と美緒先輩が俺のことで話をしているではないか。
これには驚き、寝たふりをして話を聞いていた。
色々と聞いたが、そもそも拓郎を助けたのはそれだけの力があったからだ。
こっちは特別なことを意識していないし、そこまで考え込まないで欲しい。
ぶっちゃけ重い。
あと、美緒先輩――俺のために身を引いたと言うが、意味が分からないです。
好きならそれでいいじゃない!
何で身を引く、って考えになるの?
「美緒先輩、俺――」
「セイ君」
見つめ合っていると、部屋に王国の騎士が入ってきた。
「黒騎士殿はお目覚めか!」
――雰囲気をぶち壊されてしまった。
美緒先輩は気まずくなったのか視線をそらし、俺は騎士の方を見る。
若干、イラッとした顔をしていたと思う。
「何か?」
「良かった。意識がハッキリされていますね。実は――」
俺の気持ちをまったく察することなく、騎士は状況を伝えてくる。
「王都から民が脱出しております。しかし、時間が足りません。民たちが安全な距離まで避難をするため、時間を稼ぐ必要があります」
「時間を稼ぐ?」
「――王都で籠城を行います。援軍は期待できません」
騎士は悲壮感を漂わせていた。
拓郎が慌てている。
「殿! 援軍のない籠城は危険ですぞ!」
「え?」
「言ってしまえば殿みたいなものでござる」
――殿って、戦国時代の豊臣秀吉が、敵に追われている味方を逃がすために時間稼ぎをした話を思い出す。
いや、その頃は木下藤吉郎だったか?
「途中で逃げれば――」
「この方たちは、死ぬつもりでござる!」
驚いて騎士の顔を見れば、覚悟を決めた顔をしていた。
「少しでも時間を稼ぐ――それが我らの務めです。出来るなら、黒騎士殿にも手伝っていただきたい」
正気なのかと疑ってしまった。
黒騎士の鎧でも歯が立たなかった相手に、この人たちは普通の武器で挑もうとしている。
そんなの、自殺行為と同じだ。
美緒先輩が、騎士の視線から俺を遮る位置に移動して待ったをかける。
「セイ君に死ねって言うんですか!? ボロボロになるまで戦ったのに、なんで! これ以上、彼を巻き込まないでよ!」
騎士が床に正座をして、頭を下げてきた。
――土下座だ。
「何を言っているのか理解して頼んでいます! ドラゴンロードに時間稼ぎを成功させた黒騎士殿が、今の我々には必要なのです! ――民だけではありません。陛下が生き延びるための時間も稼がねばならんのです!」
また竜王と戦えと言うのか?
あの時の恐怖を思い出して震えてくる。
「お、俺では勝てなかった。相手にもならなかったんです」
そう伝えても、騎士は頼み込んでくる。
「戦って生き残れただけでも立派です。我々も命を捨てる覚悟です。どうか――ご協力いただきたい!」
騎士の土下座を見ながら、美緒先輩が腹立たしそうにしている。
「王様が逃げ出すなんて」
その言葉に、騎士は譲れない何かがあるのか強く反論する。
「陛下はギリギリまで城に残られていた! ――陛下には生き残ってもらわねば困るのです。こんな時に、跡目争いで揉めることにでもなれば――この国は本当におしまいです。ゴドウィン卿たち魔法使い殿たちも覚悟を決めました。出来るだけ時間を稼ぎたいのです! 黒騎士殿――どうかお願いいたします!」
納得できない美緒先輩に、拓郎が元の世界で得た知識で説明をする。
「そ、その、もしも今の時点で王が死ねば、バリス王国は混乱するのでござる。遺言を残していたとしても、王都が滅べば王国の力は弱体化するでしょうし――誰かがまとめなければ、魔王級を封印しても――国が滅ぶでござるよ。――たぶん」
たぶん、は余計だ。
そこは言い切ってくれ。
しかし、騎士は拓郎の意見に頷く。
「ご友人の仰る通りです。――正直、王都を放棄するだけでも危ういのです。その上、陛下まで失っては――再起の芽もありません。どうか、お願いいたします!」
その騎士の姿を見て、俺は震えた。
怖くて震えていた。
竜王に勝てるわけがない。
逃げたい。逃げて――そして、竜王が封印されたら――そうしたら、この国もなくなり、ゴドウィンさんもいなくなる。
沢山の人が困る。
いつか見た――王都で幸せそうにしている家族を思い出した。
この場にいて、俺を殿と慕ってくれる拓郎や――俺のために泣いてくれる美緒先輩。
「お、俺――残ります」
そう――答えてしまった。




