悪女
迷い人たちが暮らしている施設では、徐々に巣立つ者たちが現れ始めた。
冒険者として生きていく覚悟を決めた者。
兵士になる道を選んだ者。
一般人として生きていくため、就職する者。
――だが、まだ施設を出ない者たちもいる。
進路に悩んでいる者や、そもそも違う選択肢を考えている者たちだ。
「ねぇ、新藤ってヤバくない?」
「数百万バルクでしょ? 年収数億円と同じレベルだよね?」
「あいつを狙うくらいなら、年収数千万程度で良いからいい男を探すわ」
その女子たちは、同じ迷い人の男の妻になることを考えていた。
女子の中にも就職を選んで、職人になるため本格的な修行をはじめた子たちも多い。
だが、一部の女子たちは、働くよりも結婚する道を選んだ。
「田中はどう? あいつ、元運動部だし、冒険者で稼ぎそうじゃない?」
「それなら佐藤よ。佐藤君、剣道部でしょ? それに、一年生で可愛い系だし」
盛り上がっている女子たちの会話に加わるのは、雪菜だった。
「田中先輩も佐藤君も、もう恋人がいるわよ」
「え~、狙ってたのに」
女子たちが雪菜にも誰を狙っているのか聞く。
「雪菜はまだ新藤狙い?」
「当然。あいつと一緒なら生活に困らないからね」
「でもさ、神凪がいるよ?」
「――誠太郎を利用しているだけでしょ? すぐに本性を暴いてやるわよ」
◇
地下七階を攻略後。
本格的に訓練を再開したのだが――その効果は高かった。
今まで重くて振り回すのに苦労していた重り付きの木刀を、軽々と振り回せる。
それに、動きが違う。
「そうか、こう動けばいいのか」
以前きつかった訓練を楽にこなせるようになり、経験値の効果を実感していた。
「このまま色々と試してみるか!」
今なら瀬田にだって勝てる――と、いいな。
とにかく、俺は効率的に強くなれることが分かった。
動き回って汗だくになった俺は、休憩のためにベンチへと移動する。
腰掛けて汗が引くのを待っていると、飲み物を持ってきてくれた女性がいた。
――浦辺だ。
え? 何で?
以前は俺を避けていた浦辺が、こちらの世界では積極的に関わってくる。
「誠太郎、お疲れ様」
「お、お疲れ」
「何よ、かたいな~。昔みたいにもっと普通に話しなさいよ」
普通!? 普通って何だよ!!
俺は昔からこんな感じだったよ!
浦辺が俺の隣に腰掛け、そして体を寄せてくる。
距離を取ると、浦辺が顔を近付けてきた。
「どうして離れるの?」
「あ、汗をかいたから」
「誠太郎は真面目だね。昔から変わらないね」
「昔?」
「そう。ほら、覚えてない? 小学校の頃に――」
浦辺が話すのは、俺たちがまだ友達として遊んでいた小学生の頃の話題だ。
そこから徐々に疎遠になっていくので、話題はその頃のものしかない。
そうして、話題は俺が稼いでいるという話になる。
「ねぇ、誠太郎ってもうお金持ちだよね?」
「どうかな?」
「お金持ちだよ。年収億単位の勝ち組じゃない。ところでさ、今度一緒に買い物に行かない? 服が欲しいんだ。こっちで支給される服って、地味なのばっかりだし。ほら、私服もあるけど使い回しているとすぐにくたびれてくるし」
俺が稼いでいるとしって、たかりに来たのか?
追い払ってやりたいが――。
「――別に良いけどさ。お前の両親にはお世話になったし」
浦辺個人はともかく、ご両親にはお世話になった。
だから、浦辺には出来る限りのことはしておきたい。
浦辺は元の世界の両親を思い出し、少し暗い表情をするのだった。
「――うちの親、心配してるかな」
「おじさんとおばさん? ――心配していると思うよ」
「だよね。誠太郎のおじさんとおばさんもきっと心配しているよ」
その言葉に、俺は――浦辺が俺に何の興味もなかったのだと知ってしまった。
「――そう、だね。ごめん、もう訓練に戻るから」
今は体を動かしていたかった。
◇
風呂に入り、汗を洗い流して部屋に戻る途中。
廊下で美緒先輩に会った。
風呂上がりなのか、良い匂いがする。
「セイ君も今上がったの? なら、一緒だね」
「そ、そうですね」
最近は忙しく顔を合わせていられなかったので、美緒先輩の顔が見られて幸せだった。
「あ、あの、美緒先輩。今度の買い物ですけど、俺――おごります」
「どうしたの?」
「い、いえ、結構稼いだので、美緒先輩にプレゼントをしようかな、って。この前の約束も、まだ果たせていませんし」
買い物の約束は、お互いの都合で果たせていなかった。
美緒先輩は困ったように笑うと、俺の申し出を辞退する。
「ありがとう。でも、いいわ。そのお金はセイ君が自分のために使って欲しいな。それに、私がお礼をしたいから誘ったのよ。またおごってもらうのは申し訳ないわ」
「――美緒先輩」
この人は女神だ。
浦辺には、美緒先輩の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
ただ、代わりにお願いされる。
「それよりも、ダンジョンの攻略は順調なのよね? 出来たら、私にも参加させて欲しいかな。――駄目?」
「いいですとも! 美緒先輩のためなら、最優先でお供しますよ!」
「ありがとう。約束よ」
買い物に出かける前に、一度ダンジョンに挑むということで話がついた。
◇
数日後。
浦辺は苛立っていた。
「誠太郎の奴、また神凪と出かけたの?」
誠太郎を誘って買い物に出かけたかったのだが、朝から幾ら探しても見つからなかった。
人に聞いたら、美緒と出かけていた。
「まだあいつのことを信じているとか、これだからコミュ障は駄目なのよ」
浦辺から見ても、美緒には裏がある。
あからさまに誠太郎に媚びていた。
女子なら当然のように気付いている。
すると、二人の女子を見かけた。
「ねぇ、後輩。そろそろダンジョンに挑みましょうよ」
「嫌ですよ。先輩と二人だけだと危ないですし」
「他の人を誘えば良いじゃない!」
言い合っている二人を見かけた浦辺は、話しかけるのだった。
(この人たち、誠太郎と同じコースの人たちよね?)
「ねぇ、ちょっといい?」
声をかけられた愛梨が、腰に手を当てて不満そうにしている。
「何よ? わたくしは忙しいの。見て分からない?」
(――こいつ、面倒な奴ね)
「ごめんね~。それより、二人は誠太郎のことを知っているかな? ほら、新藤誠太郎」
愛梨よりも先に答えたのは、香苗だった。
「知っていますけど、何か?」
「実は話を聞きたいの。ほら、神凪って人に利用されているじゃない? 私、誠太郎の幼馴染みだから心配になったのよね」
この二人も神凪のことを気付いているはず。
そう思って尋ねると、二人とも反応が微妙だった。
「後輩、この人はあれね」
「あれが何か分かりませんけど、新藤先輩が嬉しそうなら良いんじゃないですか?」
「え? で、でも」
香苗はどうでも良さそうにしている。
「別に寄生しているわけでもないし、構わないと思いますよ。神凪先輩は努力もしていますから。新藤先輩も嬉しそうでしたからね」
愛梨の意見は少し違うようだ。
「新藤の事なんてどうでもいいのよ! 問題はわたくしよ。わたくし! 後輩、私たちもダンジョンに挑んで稼ぐわよ」
「――新藤先輩に頼めば良いじゃないですか」
「嫌よ。あいつは危なっかしいもの」
二人が去って行く。
浦辺は苛立ちを声に出した。
「何なのよ」
◇
ダンジョンの地下二階。
息を切らしている美緒先輩は、倒したオークを前にしていた。
俺は申しわけなく思う。
「すみません。まさか、黒騎士の武器が俺にしか扱えないとは思っていなくて」
本当なら美緒先輩に黒騎士の武器を貸しだし、魔物たちを大量に倒してもらい経験値を稼いでもらう作戦だった。
しかし、美緒先輩は呼吸を整えると俺を見て微笑む。
「いいわよ。一対一の状況を作ってもらって、おまけに移動も楽だもの。それにしても、とっても便利よね」
ドローンたちが地下二階の情報を集め終わり、地図も作成している。
敵がどこにいるのかも調べが付いていた。
そこに襲撃を加え、一体だけを残して後は俺が倒す。
残った一体と美緒先輩が戦う作戦に切り替えた。
「でも、ずっと戦っていますし、少し休んだ方が良いですよ」
「まだ続けるわ。地下二階は攻略して、先に進みたいの」
美緒先輩は焦っている。
「怪我をしたら元も子もありませんよ」
「まだ大丈夫。お願い――もう少しだけ頑張らせて」
結局その日は、美緒先輩が満足するまで戦闘を続けた。
黒騎士の鎧がある俺とは違い、一対一でも本当に命のやり取りだ。
美緒先輩の動きは、最初の頃と比べると頼もしさが出て来ていた。
だって普通に強い。
レイピアは突くための剣で、細くて頼りなく見える。
そんな剣で人より大きなオークを倒してしまうのだ。
急所に一突き。
血管を斬り、出血させて倒す。
生身なら絶対に戦いたくない相手になっている。
引き上げる時には、結構な時間になっていた。
俺は黒騎士の鎧があるから無理が出来るが、美緒先輩は本当に命懸けの無理をしていた。
それがとても心配だった。
◇
地下二階から戻った美緒は、翌日にはベッドの上で苦しんでいた。
経験値を大量に得てしまった副作用みたいなもので、かなり無理をした証拠でもある。
今日は誠太郎が地下七階に挑んでいるため、ダンジョンには入らない。
今の内に休んでおくつもりだ。
「せめて地下三階を攻略しないと。そうしたら――あの子から離れられる」
美緒は誠太郎と距離を置くつもりだった。
そのために、地下三階の攻略を区切りと考えている。
そこまで一人で行けるようになれば、冒険者として稼げるからだ。
一人の力で生きていける。
もう、誰にも裏切られずに済む。
「――早く一人になりたい」
誠太郎と一緒にいるのは苦痛だ。
何しろ気が利かない。
ボソボソと喋って苛々する。
さっさと離れる方が、お互いのためにもなる。
そう思っていると、ドアがノックされた。
痛む体で起き上がり、ドアを開けるとそこには雪菜がいた。
「――何の用?」
美緒の口調には、浦辺に対する不満から冷たいものになっていた。
辛くて苛々しているので、普段よりも態度が悪い。
「神凪さん、誠太郎を利用するのは止めてください」
それを聞いて、美緒は笑みを浮かべる。
浦辺を馬鹿にした笑みだ。
「何を言っているのか分からないわ。昔の幼馴染みを利用しようとしているのは、貴女じゃないの?」
「私は誠太郎の幼馴染みですよ。誠太郎のことはよく知っています」
「――嘘吐き」
美緒の小声の呟きを、浦辺は聞いていなかった。
「誠太郎を騙して何をさせたいのか知りませんけど、見ていて不愉快なんですよね」
「そう? でも、貴女には関係のないことだから」
ドアを閉める美緒は、ベッドに戻ると布団をかぶる。
浦辺は怒って去って行ったようで、足音が離れていく。
「――私もさっきの子と同じか。私って本当に嫌な女」
誠太郎を利用していることが、美緒には負い目になっていた。
だから、早く離れたいのだ。
「早く一人前になって、一人で生きていけるようにならないと――」
◇
地下二階――階層ボスの部屋。
「はぁっ!」
美緒先輩のレイピアによる鋭い突きが、オークの急所を貫いた。
心臓を貫かれ、血が噴き出すオークは苦しみながら地面に倒れる。
しばらくして、燻るように燃えはじめると――美緒先輩は安堵した表情になる。
「ここに来るまで長かったわね」
そう言っているが、ダンジョンに入って四度目だ。
普通の人たちと比べれば、明らかにハイペースである。
普通、地下一階から地下二階へ挑むとなると、一年近く時間をかけても早いくらいだと聞いた。
「急ぎすぎですよ。今日はポータルに登録したら戻りましょう」
美緒先輩はしばらく何か考え――そして渋々頷いた。
「そう、ね。もうしばらくこのままがいいわね」
何かためらっているようにも、名残惜しそうにしているようにも見える。
「ほら! 前の約束を果たしていませんし、明日は出かけましょうよ」
俺がそう言うと、美緒先輩が頷く。
嬉しそうな顔をしている。
「そうね。私も稼げたし、セイ君へのプレゼントは奮発しちゃう」
「え、それは悪い気がします」
「私が決めたからいいのよ。ほら、さっさと行きましょう」
美緒先輩が地下三階への階段を降りていく。
その後に続き降りた俺は、美緒先輩がポータルに自身を登録させる姿を見て地上に戻ろうと思った。
だが――。
「だ、誰か助けてぇぇぇ!」
――人の叫び声が聞こえてきた。
「美緒先輩、ここで待っていてください!」
「え? な、何!?」
「誰かが助けを求めています」
俺はすぐに亜空間コンテナのドアを開け、そこから四輪バイクを出現させると跨がって走らせる。
確かに助けを呼ぶ声がした。
ヒーローを目指す俺は、その声を無視することは出来ない。
「今いくぞ!」




