ギディオンに聞きたいこと
アイリス=ゼファームが密かに敵国の将軍と通じ、両親とレイアを脱出しようとしていたことが発覚してから、三日後。
世間は大騒ぎになり、国王はアイリスを生涯王都郊外にある凶悪犯を収容する監獄の塔に幽閉することを、国内外に対して宣言した。元聖女の亡命劇が失敗に終わったことが周辺国に伝わったのと同時に、再び緊張が走っていたレイアとサーベルだったが、サーベル側の自滅に終わった。
サーベルの将軍率いる軍勢は、逆転の希望としていたアイリスを失い、瓦解したのだ。
頭を打たれて二週間の安静期間を宮廷医から言い渡された私は、三週間目に外出が許されるなり、ギディオンの見舞いに向かった。
ギディオンはアイリスの逃亡を止めた立役者だったし、何より人質となっていた私も、彼に助けられたようなものだ。ユリシーズは王太子として、彼に正式に感謝を伝えるために、私と共にランカスター家の屋敷を訪ねた。
王都に居を構える大貴族らしい、壮麗で広大なランカスター邸に着いた私とユリシーズは、屋敷の人達から丁重に歓迎された。
ギディオンの父が膝を折り、平身低頭王太子たる自分に挨拶をしている間、ユリシーズはとても複雑な表情をしていた。
(無理もないわ。ユリシーズは少し前までは、この人を父と呼び、この屋敷を自宅と思って長い年月を過ごしてきたのだろうから)
ユリシーズは勝手知ったる屋敷内に違いないが、私達はギディオンの両親に案内されて彼の寝室まで行った。
ギディオンは王都の人々がアイリスに向かって投げた物が当たり、額に怪我を負っていた。連日の王宮によるアイリス逃亡事件の調査にも協力した疲労からか、彼は風邪を引きようやく治りかけているところで、訪ねると寝台の上で私達を迎えた。顔色が悪く、最後に見た時より痩せたようだ。
既に額の怪我の抜糸も終わったようで、包帯はしていないものの傷口はまだ赤く、痛々しい。
寝台に座ったまま、ユリシーズが来ても顔も上げないギディオンを見て、ランカスター公が血相を変えて怒鳴る。
「ギディオン! 殿下がいらしているのだぞ、この無礼者! さっさと床に下りて、ご挨拶せんか!」
だがギディオンが口を開く前にユリシーズが片手を振ってランカスター公爵を宥めた。
「本調子ではないのだから、無理は禁物だ。――できれば私達だけで話がしたいのだが、外していただけないだろうか?」
ランカスター公は不安そうにしていたが、王太子に頼まれて断るわけにもいかず、渋々といった様子で侍女達と寝室を出ていく。
ユリシーズは私達三人だけになると、首をさまよわせて寝室を見回した。
「懐かしいな。ランカスター家の紋章が描かれたこの青い壁紙は、夢にまで出てくるほど、私の脳裏にこびりついているよ」
ギディオンは自分が話しかけられたとは思っていないのか、何も言わない。
私は寝台に座って俯いたままのギディオンに、話しかけた。
「ギディオン、アイリスを止めてくれてありがとう。お陰で私も助かったわ」
「――別にお前が人質になったから、アイリスを止めたわけじゃない。ただ、あの子が愚かな将軍に利用されるのが、嫌だったんだ」
「廊下を歩いている間に、ランカスター公から聞いたわ。貴方この二週間くらい、何度もアイリスの塔を訪問しようとしたんですって?」
「何度行っても会わせてはもらえなかったからな。もう行くつもりはない」
ギディオンはようやく顔を上げて、ユリシーズを見た。
「自分が自分に会いに来るとはな。なんとも不可解な状況だな。――我らが王太子殿下は、全てを手に入れて、良かったな。大成功の時戻しじゃないか。お前は魔術も地位も、俺の最愛の人すら奪ったんだから」
そこまで吐き捨てると、ギディオンは寝具をめくり上げて勢いよく寝台から下りた。だが体力が回復していないせいか、足元をフラつかせてすぐに寝台の天蓋を支えるポールに掴まる。
「大丈夫? ギディオン」
つい自分の学友が苦しんでいるような錯覚に囚われ、私は彼を支えてあげようと腕に触れた。だがその瞬間、ギディオンは私の手を素早く振り払った。
眉間に深い皺を作り、私をギロリと冷たい碧の瞳で睨んでくる。
「なんだ、お前はおめでたいことに、この見た目にまだ引き摺られているのか? お前が仲良しだったギディオンは、そっちだろ。それともこの顔と体に情でも湧いたのか?」
「――皮肉ばかり言うところは、体が変わっても全然変わらないのね」
ギディオンはフンと顎を逸らし、ふと思いついたように口を開いた。
「考えてみれば、この体がお前と何をしていたのか、俺は全然知らないんだな」
「おかしな言い方はしないで。彼は、貴方のその体をとても大事に扱っていたんだから」
「よくいうよ。この体じゃなく、お前を大事にした、の間違いだろ」
ユリシーズは彼にしては珍しく、剣呑なまなざしでギディオンを見つめた。
「君は私がいろんなものを奪った、と言ったな。その認識は改めてもらいたい」
「全部、事実だろ」
ギディオンの話し方は、王太子に対するそれとは到底思えなかった。あまりに無礼な口調だが、だからこそ時戻しの後で、初めて二人が自分達のしたことを、それぞれ一人の人間として総括している気がした。
ユリシーズがギディオンとにらみ合ったまま言う。
「現状に――三賢者の時乞いに、不満なのか?」
「当たり前だろう! 何もかも失った今に、どう満足しろと?」
「忘れるな。お前だけは、一度目の人生で起きたことを……いや自分が起こしたことを、決して忘れてはいけない。少なくともお前が今直面している現実は、何の罪もないのに絶望の淵に立たたされた自分の最も愛する人の胸に、自らの手で剣を突き立てなければならなかった私があの時見た地獄に比べれば、少しはマシなはずだ」
「それを言うなら、二度目の新しい自分の人生を奪われた俺だって……」
「そもそも殿下の人生は殿下のものです!」
二人の会話にたまらず、口を挟んでしまった。
ギディオンは一瞬驚いたように目を見開き、私と目が合うなり頬をひきつらせ、気まずそうにそっぽを向いた。
私はアイリスを断罪したあの日以来、ずっと聞きたかったことを、ようやく尋ねた。
「もしかして貴方は、王宮で二人の入れ替わりが解消した日、私を殺さなかったことを後悔しているの?」
ギディオンは目を一度閉じてから、大きな溜め息をついた。
「無論、後悔しかしていない。お前を、そばに置きすぎるんじゃなかったな。短い年月ではあったが、お前を多少は認めてしまうほどには、十分な期間があったんだろう」
そういうなり、彼は自分の額の傷跡に指を這わせた。
「アイリスは、この顔が好きだとよく言っていた。それなのに、傷をつけてしまった。どうせあの子にもう二度と会えないのなら、この顔には傷を治す価値もないんだな」
やけになったのか、ギディオンは指の爪を塞がったばかりの傷に食い込ませ始める。私は慌てて彼の手首をつかみ、自傷行為をやめさせた。
「そんなこと、二度としないで!」
「うるさい、黙れ。何の権利があって止めるんだ。もう俺の体なんだから、どう扱おうが俺の自由だろう」
「貴方には覚えがなくても、私達国立魔術学院の生徒達にとっては、大問題なのよ。私の友達の体を大事しなかったら、許さないんだから!」
ついカッとなって大きな声を出してしまうと、ギディオンが碧色の目を大きく開けて、思いもよらないことを言われた、と言った風情で何度も瞬きをした。彼は再び顔を背け、舌打ちをした。
「怒鳴るなよ、まったく。――お前は本当に貴族の女らしさがないな。アイリスとは大違いだ」
「違って結構」とユリシーズが速攻で口を挟む。
私はギディオンの正面に再び周り、彼の目を見て尋ねた。
「ギディオン、私には分からないわ。貴方は散々アイリスがしてきた悪事を、近くで見てきたでしょう。それなのにどうしてまだそれほどアイリスが好きなの?」
長年の疑問を、ここぞとばかりにぶつける。
ギディオンは明るい日差しが差し込む大きな窓に顔を向けた。日光を受けた金髪が、光に溶け込むように透ける。
ギディオンが眩しそうに少し目を眇め、息をゆっくり吐きながら話し出す。
「子どもの頃、この庭園でよくアイリスと二人で遊んだ。四大名家の子どもとして、期待ばかり背負わされた自分達にとって、何者でもよかった幼少期は唯一自分らしくいられた時代だったんだ」
ギディオンは庭園で遊んでいたかつての自分達の姿を思い出しているのか、感傷的に続けた。
「アイリスと二人で過ごした時だけが、思い出すに値する輝ける時代だった」
貧乏貴族として育った私は、その心境に共感することは難しい。けれど、嫌味ばかり言っていた彼が、今は素直に本当のことを話しているのだということは分かった。
ユリシーズは腕組みをして、首を傾げてギディオンの顔をじっと見つめた。
「それで、君は時間を戻した二度目の人生でアイリスに好意を寄せられて、嬉しかったのか?」
ギディオンは窓の方を見たまま、何を言おうとしたのか一度大きく息を吸った。だがその口元に薄い笑みが広がり、彼は「ははは」と笑って首を左右に振った。
「時を戻して……ただ一つはっきりしたのは、アイリスはいつも上を見ていたということだ」
「アイリスはありままのお前に好意を寄せていたわけではなかったんだ。結局、あの子は内面でも外見でもなく、人を飾る地位と称号に惹かれただけなんだ」
ユリシーズがそう言うと、ギディオンはゆっくりと首を戻してユリシーズと目を合わせた。
「それがどうした? アイリスが清廉な女性ではないことなど、分かっている。そんな単純であざとくて、向上心の塊のようなところも含めてアイリスだと。それでも俺には、一番恋しい女性なんだ」
「特殊な性癖だな」
「なんとでも」
沈黙が場を満たす。時折窓を揺らすガタガタという風の立てる音と、寝室の隅に置かれた柱時計のカチコチ時を刻む音だけを、私達は聞いていた。
何をするでもなく、寝室に立つ私達三人の中で、時間だけが規則正しく確実に過ぎていく。
私達はもう、互いに言いたいことを言い切り、話すべきことはないように思われた。
三賢者が別れる時が、近づいていた。
「最後に教えて、ギディオン。貴方はこれからどうするの? 公爵様の仕事を手伝うの?」
何しろランカスター家は広大な領地を保有している。その経営に力を注ぐのも、次期公爵としては大事な使命だろう。
ギディオンは魔力を失い、王宮魔術師として働くことはできないのだから。
だが予想に反して、ギディオンは首を左右に振ってから言った。
「いや、俺は南の植民地に行こうと思っている。というより、今決めた」
「植民地?」
「ランカスター家の領地の一つだ。レイアの南部諸島の中の、一番大きな島だ。ランカスター家の者が代々統領として常駐して、島でサトウキビの栽培をしている。今は叔父が統領で、公子が行くのは初めてなんだが、一度視点を変えて違う世界を見るべきだ、と叔父に勧められてね」
私は意外過ぎて、ユリシーズと目を合わせた。お互いに鳩が豆鉄砲でも食らったように、目をぱちくりとしている。
「驚いたわ。その……どのくらいの期間、行くつもりなの?」
「さあな。きっと多分――俺にアイリスより……大事な人ができるまで」
最後の方はギディオンの声が震えていた。
ユリシーズが一歩歩み寄り、ギディオンの肩を軽く叩く。
「案外、君が王都に戻ってくるまで、あっという間かもしれないな」
ギディオンは何も言い返さなかった。だが彼の口角が微かに上がり、微笑んだように見える。
南の島に行ったギディオンとまた会える日が、そう遠くないことを私も願った。
短編にお付き合いいただき、ありがとうございました、
これにて作品を「連載中→完結済み」に戻します。




