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元聖女アイリスの反乱③

「ちょ、マック。私の鼻が潰れたわ。どうして立ち止ま……」


 背後からマックを覗き込み、私は絶句した。

 暗い夜道の先に、魔術師のようなローブを纏った小柄な人物が立っているのだ。

 背後に月を背負っているせいで明るさが足りず、こちらからは顔がよく見えない。

 だが着ているものと体格をじっくり見れば、どうも女性のようだ。

 夜道に女性が一人で立ち尽くす異様さ以上に私達を驚かせたのは、彼女が国立魔術学院の制服を着ていることだった。

 縁に金色の入った黒を基調とした制服を、まじまじと見つめながら、私達は女性にゆっくりと近づいた。

 手に持つランプで照らしてみれは、その華奢な女性は不安そうな顔立ちで私達を見つめている。

 彼女は私達が口を開くより先に、こちらに話しかけてきた。


「あ、あの。国立魔術学院にいた方々ですよね? わ、私、今三年生なんです」

「おう。偶然だな。俺達の後輩じゃないか。三年生ってことは、俺達が五年生の時に入学してきた子か。――こんな夜遅くにどうしたんだ? 寮を抜け出してきたのか?」


 少女はとても色の薄い金色の髪を、無造作に後ろで一つに束ねている。瞳はどこか頼りなさそうな淡い灰色で、少し茶色がかった金色の眉毛は急角度で垂れ下がっている。なんだか気がとても弱そうに見える。

 本来学院の寮にいるべきなのに、こんな夜更けに一人で目抜き通りを歩いている理由が、謎すぎる。

 在学期間が一年しか重なっていないため、正直に言って私は彼女に見覚えがない。


「どうしてもお話ししたいことがありまして、寮を抜け出してきました。この辺りにマクシミリアン様がよく出没されると聞きまして」


 よく出没するのは、マックの行きつけの店があるからだろう。まさかわざわざ待ち伏せしていたのだろうか。


「おう。君、俺のこと知ってるのか!」

「はい、よく存じ上げています。皆様の世代のご活躍はかねがね……。そもそもランカスター公爵家のギディオン様が国立魔術学院にいらっしゃると聞いて、私も王立じゃなくて国立の方を受験したんです」


 確かに、そういう下級生が多かった。


「で、でも今は卒業後のマクシミリアン様の王都保安隊でのご活躍を聞いて、後輩として凄く光栄に思っています」

「お、お〜! なんだ、照れちゃうな。俺もいつの間にか、結構な有名人になったもんだな」


 少女はキリッと瞳を私に向けると、拳を胸の前で握りしめた。


「そ、それに、何よりも王宮魔術師としてご活躍されて、王太子殿下に求婚されたリーセル様の後輩になれたことを、すっごく光栄に思っています!」


「なんだ、そっちが本命か……」とマックが頭をかく。 

 少女は勢いづいたのか、興奮したような上ずる声で言う。


「リーセル様が王太子殿下に馬上槍試合でメダルの乙女として選ばれたことは、全女性の憧れです!」

「そ、そんな……。ありがとう。なんだか、面と向かってそう言われちゃうと、恥ずかしいけれど……」


 少女はそこまで言うと、今度は一転して表情を曇らせた。握りしめていた拳から力が抜け、胸の前で再び握り始める。


 灰色の瞳の焦点はゆっくりと地面まで落ち、「実は」と言いかけてから続きが出てこない。


「ええと、どうしたんだ? 実は、どうしたって?」


 マックが首を傾けてその先を促すも、少女は何度も深呼吸を繰り返す。

 まるで続きを言うのは勇気がいるのだとばかりに大袈裟に何度も息を吸ったり吐いたりした後、少女は私と目を合わせた。


「実は私、元聖女のアイリス=ゼファームの遠縁なんです」

「えっ?」


 聞き間違いかと思ったが、マックとシンシアも同じ名を聞いたのか、急に警戒するように少女から一歩距離をとり、身構えた。その直後、少女は悲しげに瞬きをした。

 私達のこの行動が彼女を傷つけたのだ。遅まきながら、自分の浅慮な行動に罪悪感を覚える。


「私の祖母が、ゼファーム家の出身なんです。それで、色々と聞きかじることがあって。――あの、どうか……気をつけてください。詳しくは言えませんが、近々何か起きるかもしれません」

「どういうこと?」


 少女が言わんとすることがよくわからない。彼女自身は思い詰めている様子で、懇願するように私を見上げて言った。


「不届きな者達が、何やらよからぬことを企てているみたいなんです」

「その不届きな者達というのは、誰のことなのかしら?」

「これ以上はまだ不確かだし、私の立場では怖くて言えません。でも、黙っているべきじゃないと思ったんです」


 少女はそこまで言うと、前触れなくクルリと私に背を向けた。


「あ、待って!」


 差し伸べた手も虚しく、少女は素晴らしい速さで駆け去っていく。追いかけようと走り出すものの、「よ、よけてください!」と叫んでから少女は振り向きざまに掌大のボール状の物体を地面に投げた。直後、パン! と弾けるような音がして、白い煙が立ち込める。 


「ぎゃー、なんだコレ」


 ツンと鼻につく刺激臭と、白い煙に咳き込みつつ立ち止まって口元を両手で覆う。

 煙幕を焚かれたようだ。煙が夜風で靡き、周囲に視界がきくようになった頃には、少女の姿はどこにも見当たらなかった。


「何? 一体何者だったの、あの子」

「消えちまったな……」


 私達三人はしばし路上で呆然とした。


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