元聖女アイリスの反乱①
アイリスについての後日談になります。
時系列としては、アイリスが失脚して王立病院に軟禁され、リーセルの王太子妃教育が始まった頃。48話の後のお話になります。
レイア王国の王都で最も盛り上がる、四年に一度の馬上槍試合が終わった。
私とシンシアが応援していたマックは残念ながら優勝できなかったけれど、出場していたことを誰も知らなかった王太子ユリシーズが、最後まで勝ち抜いた。
ユリシーズの優勝は、多大なる変化をもたらした。……主に私に。
馬上槍試合の翌日の新聞には、王太子が優勝メダルを授ける乙女として「王宮魔術師」を選び、その女性に求婚したことが掲載された。
その後間もなく、私は王太子の近衛としての任務を解かれた。
王宮魔術師ではなくなった私は王宮内の寮を追い出され、代わりに王族の私室が集まる棟の中に、強制的に転居させられた。
そして始まったのが王太子妃教育であり、これがなかなかの過密スケジュールだった。
「朝五時に起床して、歴史と語学の講義。その後すぐにダンスの練習と王宮の貴婦人達とのお茶会をして、午後は政治経済の講義と刺繍と乗馬のレッスンを。寝る前にはなんと、結婚式の準備ですよ。これを毎日続けていますので、忙しすぎて一息つく間もないんです」
久しぶりに一緒に昼食をとりながら、正面の席に座っているユリシーズに文句を言う。
ユリシーズは純粋に驚いたような表情で、サラダにフォークを刺した。
「王宮魔術師の業務より、妃教育の方が大変?」
「大変ですよ! 二十四時間、毎日やることが決められているんですから。――それに、健康管理のためだからって、毎日体重計に乗らされているんですよ?」
ユリシーズはテーブルの上に並べられた私の食事をチラリと見た後で、声を立てて笑う。
「そうか。だから今日のリーセルのパンは、妙に小さいんだね」
恥ずかしいことに気づかれてしまい、返事に困る。
どうやら私の体重はここ日で右肩上がりになっているようで、その情報が厨房に伝えられたらしい。
紅茶を一口飲んで、気を取り直す。
「でも、殿下はもっとお忙しいですよね。それなのに一言も愚痴を溢されず、ご立派です」
「ありがとう。リーセルに褒めてもらえるのが、一番嬉しいよ」
ユリシーズがとろけるような微笑みを見せ、自分のパンを半分にちぎって片方を私の皿の上に乗せる。
「リーセルが喜んでくれるなら、なんでもあげるよ」
「喜んでいただきます! と言いたいところですが、ここは私も甘やかされちゃいけないところですから、我慢します」
「そんな。私にならいくらでも甘えてくれて構わないのに」
本気で残念そうに言うユリシーズに当てられたのか、近くに控えていた二人の侍女達が、笑いを堪えるように頬を赤らめてこちらをチラチラ見つつ、食堂から出て行く。
二人きりになったユリシーズは、立ち上がってテーブルを回り、私の隣までやってきた。そのまま両腕を伸ばして私をぎゅっと抱きすくめる。
「殿下、食事中なのに……」
ユリシーズは私を抱きしめたまま、感慨深そうに言う。
「リーセルと一緒に王宮で食事ができる幸せを噛み締めているんだよ。こんなことは一度目の人生でも、二度目の人生でも一度もなかったから」
私も同意するように腕を伸ばしてユリシーズを抱きしめてから、そっと彼を離す。周りに誰もいない時を見計らって、私にはしなければいけないことがあった。
ポケットをまさぐり、巾着に入れていた卵大の黒い石を取り出してユリシーズに手渡す。
「今のうちに、魔力吸収石を使ってください。前回使われてから一週間ほど経ってますから、お体の中で魔力が有り余っていると思います」
「ありがとう。使わせてもらうよ」
ユリシーズは今や、ギディオンと合わせた二人分の魔力を持っていた。
普通なら日々内側から泉のように湧いてくる魔力を少しずつ使っていくのだが、二度目の王太子は「魔力を持っていない」と皆から認識されているため、魔力持ちであることは隠している。だが今のユリシーズほど強大な魔力を消費せずに抱えたままでいると、暴発してしまうかもしれないし、溜め込み過ぎると高位の魔術師達に勘付かれる可能性がある。
それを防ぐため、ユリシーズは魔力吸収石を使って自分の魔力を体から逃していた。
手渡された魔力吸収石を右手に握り、ユリシーズが目を閉じる。
魔力は目には見えないが、掌に密着させて握ることで、魔力を吸収してくれるのがこの魔力吸収石だ。
王宮魔術師なら持っていることが多いが、ユリシーズが持っていてはおかしいので、私が会える時に彼に使ってもらっていた。
数分ほど握り、掌を広げたユリシーズは顔色が明るくなり、すっきりした顔つきになった。
「いつ使っても、さっぱりするな。寝起きに冷たい水で顔を洗ったような気分になるよ」
「殿下から吸収した魔力をこの石に溜めておいて、後で引き出して他の人が使えるようになればもっと便利なんですけどね。魔術師からすれば、魔力が有り余っているなんて憧れちゃうくらいです」
魔力吸収石は黒色が太陽の光を吸収するように、魔力を吸い込むのに放出することはない。吸える上限もない。
ユリシーズから魔力吸収石を返してもらった私が再び巾着にしまうのを見て、彼は私の肩に手を回して言った。
「その巾着はシンシアが作ったものだよね? シンシアなら吸収石とは逆の働きができる石を、発明できそうだけど」
「そうなんです。この巾着は魔力吸収石の効果を遮断できる布でできているんですって」
「頼りがいがあるなぁ。魔術について研究熱心なのは、学生の頃から変わらないね」
学生の頃から、という表現に王立魔術学院での日々を思い出す。あの頃は自由だったが、ユリシーズには私以上に自由がない。
実は今夜は王宮を出て、シンシアとマックと夕食を久しぶりに食べに行く予定なのだ。なんとなく抜け駆けしているようで、ユリシーズに申し訳ない。
朗らかに話していたユリシーズは、真面目な表情に戻ると低い声で尋ねてきた。
「ところで……ゼファーム侯爵夫人とは、まだよく会っているの?」
「はい。私の乗馬のレッスンが終わる時間に合わせて、王宮にお一人でいらっしゃるので……」
ゼファーム侯爵夫人は、聖女アイリスの母親だ。
アイリスは断罪された後、王立病院に軟禁されている。そこで日々、病人の治療にあたっているのだ。
軟禁とはいえ常に見張りがつき、病院の建物の外に出ることは許されていないのだという。
アイリスは王太子に許しを請うために、病院で頻繁に手紙を書いて、侯爵夫人を通してユリシーズに渡そうとしていた。だがユリシーズは受け取ることがなく、侯爵夫人にももう手紙を預かってくるなと命じていた。
それでもアイリスは相変わらず手紙を書き続けており、侯爵夫人は王太子にいつでも会える立場にある私に、アイリスからの手紙を託すようになった。
ユリシーズは仕方なく何度か開封し、読んだことがあった。だが毎回手紙の内容は同じで、自分が恣意的にたくさんの犠牲者を出したことについての反省はなく、王太子への変わらぬ愛や二人の思い出を切々と連ねたものだったので、彼はもう読むこともなかった。
「侯爵夫人に言われるまま、受け取る必要はない。たとえリーセルを介して渡そうとしても、王太子はもう聖女の手紙を読んでいない、と侯爵夫人に伝えてくれて構わないよ。それとも私が直接会って言おうか?」
「いいえ、私も殿下が読んでくださっているとは言っていないので、大丈夫です。それに……、侯爵夫人もなんだか気の毒なんです。いつも悲壮なご様子で」
聖女が断罪された後、ゼファーム侯爵家は王都での火事の被害者達に多額の賠償金を払った。そのために領地もいくつか売り払い、何より稀代の悪女と呼ばれた聖女の実家として悪名がレイア国中に轟いてしまい、ゼファームの名声は地に落ちたのだ。
ゼファーム侯爵夫人の心労はかなりのものらしく、彼女は会うたび、げっそりと青白くなっていくようだった。
侯爵夫人はアイリスのことを心底心配しているようで、色々と考えてしまう。母親とはこういうものなのだろうな、と。
私の母は物心つく頃には他界していた。
母親の愛情を直接感じることがなかった私には、考えさせられるものがあった。




