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還ってきたユリシーズと私⑤

 一度目の私たちが王宮で一緒に過ごしていた頃。

 あれは夏の暑い日だったのだ。

 ローブが暑くて、汗で張り付いて嫌だと言う私に対して、ユリシーズは腕まくりをして提案してくれた。


「それなら、私が噴水の水を、全部氷にして涼しくしてあげるよ」


 日々真面目に政務に取り組むユリシーズだったが、彼は時折お茶目なことをいう人だった。


「とんでもない。殿下にそんなことをやらせるわけにはいきません。王宮魔術師の名倒れです。凍らせるには、ちょっと水の量が多過ぎる気が致しますが……、ここはぜひ、魔術師たる私が!」


 ユリシーズが腕組みをして「できるかな?」と面白そうにこちらを見てくる。

 私は気合いを入れるために、咳払いをしてから両手を噴水にかざした。

 魔術の一発で噴水の水から温度を奪い、凍らせるのだ。王立魔術学院を卒業した私なら、きっとできる。

 心を落ち着けてから、カッと目を見開く。目の前の噴水の水の動きと、身体の中の魔力の流れにだけ集中をして――。


「水よ、すべての熱を太陽に戻せ!」


 水盤の水や噴き出す水全体に届くよう、両方の掌から魔術を広く繰り出す。その刹那、水はバシャッという大きな音とともに爆発したかのように四方八方に飛び散った。

 何が起きたのか理解できるまで、数秒かかった。

 私のローブはお腹の辺りから下までビショビショになっており、呆然としてしまう。


「あ、あれッ……?」


 相変わらず噴水は涼しげな音を立てて水を噴き上げていて、氷は一欠片も見当たらない。どう見ても私の術は失敗していた。噴水が大き過ぎたのだろう。

 悔しさに地団駄を踏む。

 そしてユリシーズはといえば、私以上に水を浴びたらしく、頭のてっぺんまで濡れていた。純粋な驚きに見開かれた目の横を、髪からしたたる水が流れ落ちていく。


「も、申し訳ありません! 殿下まで水の被害が……! 私が出しゃばったばかりに」


 もしや不敬罪でクビになるのだろうかとあわあわと焦る私をよそに、ユリシーズは軽やかに笑った。


「王宮魔術師殿にも、失敗はあるものなんだな。構わないよ。そんなに難しいのなら、違うやり方で私がチャレンジしてみようか。そうだな、例えば氷の剣を使うのはどうかな」

「氷の剣ですか。相当な冷気を剣から出す必要がありそうですが……」


 半信半疑で見つめている私の前で、ユリシーズが右手を差し出し「出でよ、氷剣!」と唱える。周囲の空気から紡ぎ出されたかのように、彼の身長の半分以上はありそうな長大な氷の剣が、手の中に現れた。

 冷気を放って白い煙を立てるその透明な剣を、ユリシーズが噴水に向けて大きく薙ぎ払う。

 直後、周囲に竜巻のように白い冷気が吹きつけ、「うわッ!」と叫びながら、私は両腕で自分の顔を覆った。

 数秒後に恐る恐る両腕を退けて目を薄く開けると、そこには美しい景色が広がっていた。

 噴水はまるで時が止まったかのように凍りつき、魔術を浴びた瞬間に飛び散っていたであろう水飛沫は、まるでダイアモンドのように七色の光を放ちながら、キラキラと輝く光の粒となってゆっくりと噴水の周りを舞っている。

 噴水は空気を含んでいたからか、ところどころ白っぽい透明な氷となっていて、ゆらめく白い煙が幻想的な雰囲気を醸し出している。丁度木から葉が落ちた瞬間に凍ったのか、水盤にたまる氷の中に半分だけ沈んだ状態で葉が凍っている。


「凄いわ、剣の一払いで動いている水を凍らせてしまうなんて……。流石です、殿下!」


 凍りついた噴水は、心地良い冷気を周囲に放っている。ユリシーズの魔術の腕前に感激しつつ、水盤に膝を乗せて氷に抱きつき涼をとる。


「とても涼しいです。ありがとうございます」


 氷は夏の茹だるような暑さで火照っていた私の頬や腕から、あっという間に熱を奪ってくれて、思わず「生き返るわ〜」と何度も呟いてしまう。

 そんな私の後ろから、同じくユリシーズが氷に両手で触れる。彼は両腕を広げて、私の後ろから氷の柱に触れた。


(えっ、ちょっと待って。この体勢は……。これじゃまるで……!)


 氷に顔面を押しつけたまま、自分達の体勢を把握しようと目を見開く。

 ユリシーズは私の体ごと、背後から氷に抱きついていた。背中に彼の体温を感じて、落ち着かない。いや、背中どころか腕も彼の両腕で上から包みこまれるように、押さえつけられている。

 体の前面に当たる氷は冷たいのに、後ろにユリシーズが迫っているせいで、冷たさと熱さに挟まれ、頭が真っ白になっていく。

 猛烈な緊張で、ドクドクと激しく鼓動する自分の心臓の音が聞こえそうだ。

 震える声で、何とか抗議する。


「殿下、あの……。なんだか余計に暑いです」


 ユリシーズが右手を氷から放し、私の髪をかき上げて顔を覗き込む。


「リーセル。真っ赤になっていて、すごく可愛い」

「だ、だって殿下が近すぎるからです」

「ーーいつから、リーセルはこんなに可愛いんだろう?」

(そ、そんなこと、大真面目に言わないで‼︎)

「それは殿下の目の錯覚です。殿下こそ、すごくかっこいいじゃありませんか。王宮で……じゃなくて、レイアで一番素敵な男性だと皆言っていますよ」


 突然私は体の支えを失い、前につんのめった。固い氷に抱きついていた腕は宙をかき、代わりに水が眼前に迫る。

 次の瞬間には上半身が噴水の水盤に突っ込みかけ、頭から胸までびしょ濡れになった。

 舞っていた氷の粒は消え失せ、噴水は水飛沫を上げている。――ユリシーズの掛けていた水の魔術が、突然消えたのだ。

 ユリシーズは私がこれ以上前に倒れこまないよう、肩を掴んで引き寄せてくれていた。濡れた髪を後ろに払いつつ振り返ると、彼は酷く申し訳なさそうに眉尻を下げている。


「すまない。リーセルに言われたことが嬉しくて。――心を揺さぶられ過ぎて魔術をコントロールできなかった」


 そう言いながら、ユリシーズの顔が少しずつ赤くなっていく。

 その時、庭園の芝生を踏むサクサクとした足音と、複数の男性達の話し声が聞こえた。見回りの騎士達かもしれない。

 噴水の前で二人きりでずぶ濡れになっているところを、見られるわけにはいかない。


「殿下、こちらへ行きましょう!」


 緊急事態だ。思い切ってユリシーズの手首を掴み、驚きに少し見開かれた彼の茶色い瞳を受け流し、大急ぎで噴水から離れる。その先には直方体に枝葉を美しく整えられた低木が並んでおり、身を隠しながら走るのに丁度いい。

 そうして私達は庭園の一角にある、小さな倉庫に飛び込んだ。中は広くはないが少し涼しく、庭師たちが職業用具をしまっている場所なのか、くわやバケツ、シャベルなどが整然と棚に並べられている。奥に積まれているのは、肥料の袋だろう。

 私はそこで、ようやく殿下の手首を放した。


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