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環ってきたユリシーズと私④

 雪祭りは賑わう人々でごった返し、屋台と屋台の間を歩くのもやっとだった。

 ユリシーズと並んで歩き始めてからしばらく経つと、ついいつもの護衛癖が出て、彼の数歩後ろにいようと体が無意識に動いてしまう。横に並ばず適切な距離を保って、彼を見守りつつ歩こうとしてしまう。

 だが私の動きを読んだのか、彼はこれ以上私が下がれないよう腕にグッと力を入れてきて、自分の方に引き寄せた。

 ユリシーズの手が背中に回された状態で並んで歩くことに慣れず、横目で彼を見上げてしまう。

 細い毛糸で緻密に織られた、絹のような光沢のあるマフラーで口元が隠れてはいるものの、彼は目をまっすぐに進行方向に向けていた。


 広場には屋台だけではなく舞台も設置されていた。腹に響くような迫力ある太鼓の音と人だかりにつられ、私達も舞台に近づいていく。

 舞台上では大陸北方の民族衣装のような、革製の服を着た男性が太鼓に合わせてダンスを披露していた。

 長い袖や腰回りに組紐のフリンジがついており、男性が大きく動くたびに羽のように靡いて美しい。

 王宮の夜会で見るような軽やかなダンスではなく、足を踏み鳴らしたり、全身を使って緩急をつけた力強いダンスだ。舞台袖にいる仲間らしき人から火のついた松明を二本手渡され、両手でそれを持ち再び動き出す。

 松明を持ったまま踊り始めた男性は、実に見応えがあった。雪が積もった会場の圧倒的な白い世界の中で、赤く燃える松明の炎が煙と熱を撒き散らしながら、男性のダンスに合わせて動く。激しい動きの中でも、火は消えそうで消えない。

 見物客はどんどん増えて、やがて私とユリシーズは押されて互いにくっついていたが、舞台に見惚れているために気にならない。

 力強さと優雅さが同居する洗練された動きをひと時でも見逃したくなくて、目が離せない。


「凄いわ……。舞台の上に、今まで見たことのない世界観が広がっているような気分になります」

「同感だよ」


 太鼓の音が増え、周囲の観客達の盛り上がりが最高潮に達しようとする頃。男性が二本の松明を上空に高く放った。その間に彼は一回転し、顔を下にして両腕を背中の下から振り上げるような格好で、落ちてくる松明に視線を向けることなく、的確に松明を受け取った。

 火の燃えるパチパチという音すら聞こえそうな静寂の銀世界が一瞬広がった後、耳をつんざく大歓声が起きる。

 私達も大きな拍手を送りながら、観客達に押し潰されないうちに、舞台から離れていく。


「今のダンスを見られただけでも、雪祭りに来られて良かったです。後でマックとシンシアにお礼を言わなくちゃいけませんね」

「そうだね。私はリーセルのお陰で来られたから、お礼を言わなくちゃいけないな」


 ユリシーズが思いついたように言う。


「さっきリーセル達を追いかけてる間に、君に似合いそうなものを売っている屋台があったんだ。シェルンのお土産にどうかなと思って……。見に行こう」

「仰せのままに」

「そんなにへりくだらなくていいんだよ、リーセル。なんというか、マックの方がよほど砕けた態度で接してくれてる気がするな」

「それはだって、あのマックですから」


 私達はそれきりどちらも何も言わなかった。

 皆が明るい表情で祭りを楽しむ中、対照的に私は慣れない状況に緊張して心身ともに硬くなっていた。

 足下に積もる雪をサクサクと踏み締め、冷えた体を暖めようと時折り自分の二の腕を摩り、顔の前を漂う白い呼気をぼんやり見つめる。

 食べ物の屋台が並ぶ区画を通り過ぎ、雑貨を売る屋台が立ち並ぶ区画にくると、ユリシーズの歩調が速くなった。お目当ての屋台が見つかったらしい。

「あった。あの屋台で売っているレースのネックレスが気になってね。王都では見かけないデザインだから」

 屋台の前には数人の女性客がいて、商品を見ている。紺色のテーブルクロスが掛けられた陳列台の上には、レースを編んで環状にしたネックレスが並べられていた。

 細い糸で出来ていて繊細に編まれ、飾りがたくさんついている。飾りも同じ糸を立体的に編んで花や幾何学模様にしたもので、薔薇や水仙、ひまわりなど様々な形が表現されていた。

 思わず陳列台に手を置き、まじまじと商品を見てしまう。


「なんて可愛いの! 糸だけで本物の花みたいに、こんなに形が作れるものなのね」

「珍しいだろう? 派手すぎないけれど華やかで、いいなと思ったんだ。シェルンでは伝統的なアクセサリーらしいけれど、他の州には広まっていないのが勿体ないくらいだと思うよ。積極的に州外に売り出せば、特産品として人気が出るかもしれない」


 州の経済を念頭においた王太子らしい発言に、つい笑ってしまう。


「明日にでも知事に話してみるといいかもしれませんね。レースのネックレスはバラルでも王都でも見かけませんが、つけたら気持ちまで明るく華やかになりそうです」


 もしかしたら、北部に位置するために花を鑑賞できる期間が少ないシェルンならではのアクセサリーなのかもしれない。そんな想像のお陰で、更にロマンチックな一品に見える。

 商品を手に取り、柔らかな手触りと可憐な花に見入る私の隣に立ち、ユリシーズが微笑む。


「気に入ってくれてよかった。リーセルはこの中でどれが一番好き?」


 もしやこの流れは、私が一番いいと思ったものを、買ってくれようとする流れだろうか。値札を確認しようとサッと視線を写し、度肝を抜かれて二度見してしまった。


(えっ、いや、でも。いやいや、思ったより高いな!)


 細かい作業であること、レースを編める技術の伝承は限られていることから、希少価値があって値段設定が強気なのかもしれない。

 私の思考回路を読んだのか、ユリシーズが囁く。


「王宮魔術師はいつも黒いローブばかりだから、このネックレスを合わせたらきっと似合うんじゃないかな。私に買わせて。何しろこの体に戻ってから、自分でお金を出して買うことがさっぱりなくなって、買い物の楽しみが味わえなくてね」


 たしかに、ギディオンとユリシーズの生活は全然違うのだろう。でも私に気を遣わせないように言ったに違いない最後の一言が、いかにも優しいユリシーズらしくて胸がキュンとする。

 とはいえ、私は今ひとつ経済感覚が凡人とは違いそうなユリシーズに耳打ちした。


「お気持ちはとても嬉しいです。全部可愛いのですが、これは屋台で気軽に人に買ってもらえる金額ではありません」


 それを聞いたユリシーズがパッと笑顔になる。


「そうか。全部気に入ったのなら、全部買ってしまおうかな……」


 いやいや、そういうことじゃなくて。


「で、殿下。そうではなく、買い占めたら他のお客さん達も……」


 その時、私の言葉を遮ってすぐ隣にいた女性客が黄色い声を上げた。


「殿下? もしかして、王太子殿下にあらせられますかっ⁉︎」


 しまった、と思う間もなく、屋台の店主が目を爛々と開けて食い入るようにユリシーズを見ながら驚きの声を上げる。


「ああっ、本当だ! ま、まさか王太子殿下にお越し頂けるなんて!」


 後ろにいる客達からも、ザワザワと声が上がる。


「そういえば、王太子様が王都からシェルンに視察にいらしてるのよね?」

「えっ、じゃあ本物?」


 ユリシーズは特段うろたえることもなく、和かに口を開いて店主に話しかける。


「王都ではこのような刺繍のアク……」

「行くわよ! マクシミリアン。私、急にイモが食べたくなったの!」


 声を張り上げてユリシーズの発言を遮り、彼の手首をガシッと掴む。

 軽い驚きに見開かれた茶色の目から顔を逸らし、私はそのまま広場の奥へと走り出した。


「えっ、り、リーセル?」


 借り物競走のように私に引っ張られて仕方なく走りだしたユリシーズは困惑している様子だったが、構わず雪を蹴り上げる勢いでその場を逃げ出す。

 宿泊先のホテルは勝手に抜け出したし、護衛は今私一人しかいない。この状況でユリシーズの正体を明かすわけにはいかない。騒ぎになったら、私一人では事態を収拾できないからだ。

 屋台を何度か曲がり、追いかけてくる人は誰もいないことを確かめてから、ようやく立ち止まる。

 ユリシーズの手を離し、まだ焦りが抜けず肩で息をする私とは対照的に、彼はなぜか楽しそうに言った。


「ここでは殿下じゃなくて、名前で呼んでほしいな。でも――」


 そこまで言ってから、ユリシーズは少し感傷的に目を伏せ、声を落として続けた。


「走りながら、思い出してしまったよ。リーセルに引っ張られて走って逃げるのは、久しぶりだったね」


 冷たい空気を吸う荒い呼吸で喉をひりつかせながら、私は目を瞬いた。


「殿下の……」


 ユリシーズの立てた人差し指が私の口元に差し出され、うっと続きを呑み込んで言い直す。


「ゆ、ユリシーズの手を引っ張って、私が走って逃げたというのは……」


 いつの話だろう。するとユリシーズは風に靡いた私の髪を耳にかけてくれながら、言った。


「私達の中ではもう十年以上前のことだから、君は覚えていないかもしれないね。でも、私は今でもあの頃のリーセルと過ごした出来ごとを、全部はっきり覚えているよ」


 ユリシーズの指先が私の頬に触れる。夜の冷気で冷え切っていた体が、彼が触れた箇所から急速に熱くなっていく。


「私達はあの頃、なるべく人目につかないようにこっそり会っていたから。王宮の庭園の噴水のそばで、水の魔術の見せ合いをしていたのを、覚えていない?」

「噴水のそばで……?」


 そうだっただろうか。

 記憶をたぐりよせようと、目を激しく瞬く。

 二度目の人生で、公爵家のギディオンになっていた彼。けれどその前の人生で、私達は今と同じ姿で、まったく違う形で出会い、共に時を過ごしていた。優しい茶色の瞳を見つめているうちに、まるで私の頭の中の記憶の扉が開いたように、二人の思い出が徐々に蘇っていく。

 王宮の庭園の大きな噴水が上げる豪快な水飛沫の音が、聞こえた気がした。

 その噴水の水を盛大に巻き上げ、王宮魔術師のローブを濡らす私を、ユリシーズが髪から水を滴らせながらお腹を抱えて笑っている姿が、鮮明に思い出される。


(ああ、そうだ……。ユリシーズの言う通り、私達はそんなことをしていた)


 私達にこんなことがあったのを忘れないでほしい、と一度目のリーセルとユリシーズが語り掛けてくる。

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