還ってきたユリシーズと私①
2025.10.3番外編を投稿しました。
時系列としては、馬上槍試合の前に当たります。43話の後のころのお話です。
二人の入れ替わりが戻り、まだリーセルと王太子がぎくしゃくしている頃のエピソードです。
最近、レイア王国の王太子は王宮でやたら誰かの落とし物を拾うらしい。
レイア王国の王宮は、王都の真ん中に位置している。
王宮は一つの建物ではなく、騎士達の詰め所や礼拝堂、更には宮廷貴族に割り当てられる住居も含めた、たくさんの建物の集合体だ。かといって雑然とした印象はなく、全ての棟が共通して重厚な石造りで白色を基調としており、高い城壁に囲まれていた。
王宮は一つの街のように広大で、中で働く者達は日々建物間や庭園を往復したり移動したりして、業務をこなすことになる。
日課となっている騎士達の訓練場に向かう途中、王太子のユリシーズは言った。
「昨日だけで口紅やカチューシャ、それにヒールの靴も拾ったよ」
「靴って落とすものでしょうか? 落とした人は片足が裸足の状態で王宮から帰ったのでしょうかね……」
悠然と歩くユリシーズの少し後ろを歩きながら、私は小首を傾げる。しかも落とし物から察するに、全部持ち主は女性なのではと思うが、偶然だろうか。
王太子としての一度目の死の後。時戻しの魔術によって、彼は二度目の人生を生き直してきた。
だが、莫大な魔力を一度に使った反動で、ユリシーズはランカスター公爵家の嫡男であるギディオンと入れ替わった状態で時間が巻き戻ったのだ。
こうして十年以上、ギディオンとして生きざるを得なかったユリシーズが、自分の本当の体である王太子の中に戻って、はや三ヶ月。
王太子の魂が入れ替わったことを知っているのは、「三賢者の時乞い」の発議者であるギディオンを除けば私とシンシア、それにマックだけだ。
だから私は周囲の人々に不審に思われないように、それまでの王太子に対する態度と、なるべく同じように振る舞おうと気をつけた。ユリシーズ含めて私達は何ごともなかったかのように日々を送ろうとしていたが、やはりコトはそう簡単ではなかった。
むしろユリシーズを取り巻く人々の態度が、徐々に変化してきたからだ。
気難しいところがあり、傲慢で完璧主義だった以前の王太子が、高熱を出してからは人が変わったように温和で周囲を気遣うようになった。――更には彼の恋人と言われていた聖女が投獄されて王宮から消えたため、王宮ではそれまで見られなかった現象が頻発するようになった。
その一つがこの「ユリシーズの通る道に、やたら女性が落とし物をする」現象だ。
「あ、何か踏んだな……。これはなんだ?」
王宮の裏手にある訓練場へ伸びる石畳の通路を歩いているユリシーズが、突然屈んで靴の下から何かをつまみ上げた。手のひらに乗せてみると、サファイヤらしき青い石が載った金色のイヤリングである。
近くに落とし主らしき人がいないか、ユリシーズが視線を巡らせる。
すると王宮庭園の東屋の陰から、一人の若い女性が姿を現した。彼女もこちらに気が付き、優雅に膝を折って私達が歩いてくるのを待っている。
ユリシーズが女性に和かに話しかける。
「たしか君は……ヌール伯爵家のステラだね」
「覚えていただけていて、大変光栄です。弟が忘れ物をしまして、訓練場に届けに行っておりました」
顔を上げたステラは、嬉しくてたまらないといった満面の笑みを見せ、ユリシーズを見上げた。
私は辺境の貧乏貴族なのでどうにも特権階級の文化に疎かったが、彼らは同じ階級に属する人々の顔と名前を完全に記憶しているものらしい。
四大名家の一つで育ったユリシーズも、ステラを見知っていたようだ。
ステラは結い上げた黒髪の後毛を、サラリと耳にかけた。その動きに釣られて右耳の下にぶら下がるイヤリングの細い金色の鎖が、光の線のようにキラキラと輝く。留金に近い部分にはめられているのはサファイヤで、猛烈に既視感のあるイヤリングだ。
ユリシーズも同じことを思ったのか、ステラの前に手のひらを広げて先ほど拾ったイヤリングを見せる。
「少し前に拾ったんだが……もしかして君のイヤリングかな?」
「まぁ! なんて偶然でしょうか。殿下に見つけていただけるなんて。それは間違いなく私のイヤリングです」
よほど感激したのか、ステラは両手で口もとを抑えて目を潤ませた。
ユリシーズは揶揄うように「忘れ物を届けて落とし物とは」と朗らかに笑うと、ステラは耳まで真っ赤になりながら受け取ったイヤリングの留金を開いた。
「もう落とさないように、しっかりつけますわ」
そう言って左耳に留金を当てようとするも、不器用なのか上手くいかず、挙句に芝の上に取り落としている。
助けを求めるように上目遣いでステラがユリシーズを見上げ、意図を汲んだのか彼が優しく問いかける。
「ステラ、よければそのイヤリングを耳に付け直すのを手伝おうか?」
「殿下にお手伝いいただくなんて、申し訳ないですぅッ! で、でも。あの、もしご面倒でなければ……」
くねくねと体を捩り、右手を振って遠慮気味に頭を左右に振ってはいるものの、やってもらう気満々なのか左耳をユリシーズに突き出している。
するとユリシーズはなぜかくるりと私を振り向いた。
「私もイヤリングは使い慣れていなくてね。丁度ここにいる護衛のリーセルに頼むとしよう」
(えっ、私? 私がステラのイヤリングをつけてあげるの?)
突然の指名に驚いてユリシーズの意図を探ろうと彼を見るも、彼は女性なら誰もが見惚れてしまいそうな綺麗な笑顔で「では、私も訓練場に行ってくるよ」とステラに別れの挨拶代わりに告げ、マントを軽やかに翻して石畳の道を先へと進んでいく。
「あっ、殿下……!」と呼びかけたステラの切なげな声が、寒空の庭園に虚しく響く。
こうなったら仕方ない。ユリシーズの背中を名残惜しそうに見つめているステラに、声をかける。
「あの〜、ステラさん。私でよければおつけします。どうぞイヤリングをお貸しください」
途端にステラがさっきとは別人かと思うほどの冷たく蔑むようなきつい形相で、私を振り向く。
「はぁ? 貴女じゃ意味ないでしょう。護衛はさっさと護衛に戻りなさいな!」
ピシャリと断られ、数秒ほど硬直してしまった。
(ええと、つまり付け直すのはどうでもよくて、王太子でなければ意味がないということで……。まさか、最初からそのつもりでイヤリングを落としたとか⁉︎)
ユリシーズの背中とステラを交互に凝視してしまう。
ステラは既に私の存在は眼中にないのか、両手で神への供物でも持つかのように大事そうにイヤリングを持ち上げ、恍惚とした表情で呟いた。
「――私のイヤリングを殿下に触れていただけたなんて」
ユリシーズを追いかけながら、私は確信した。
王宮の女性達は多分、王太子を狙い撃ちして落とし物をしている。
(絶対そうだわ。殿下との接点や会話の糸口を作ろうとして、ご令嬢達がこぞって釣り餌みたいに落とし物を撒いているんじゃ……)
ギディオン時代のレイアの王太子は、氷のように冷たく近寄りがたい雰囲気だった。だが今や王太子が親しみやすい人物となったことから急に人気が出て、王宮では彼の妃の座を狙う女性達による空前の王太子ブームが起きていた。
私はこれを不安に思うべきなのか、それともユリシーズが自分の人生を取り戻したことを喜ぶべきなのか、分からなかった。




