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③王太子と妃

……★★★……★★★……★★★……



 温室の中で咲き誇る赤い薔薇から手を離し、私は隣に立つ王太子ーーユリシーズを不満げに見上げた。

 帝王学を学んでいたユリシーズは、魔術学院生のローブなど羽織ったことすらないが、彼はあの頃私と確かに学び舎で五年間を過ごした、ギディオンなのだ。

 温室に差し込む陽光を浴び、柔らかに透き通る栗色の髪と、薄茶の瞳。気温と湿度が高い温室の中では、王太子然とした煌びやかなジャケットも今は脱いでおり、パリッとしたシャツの襟元も少し緩めに開いて、こうしてわずかな執務の休憩時間をくつろいで過ごしている。

 あの交換留学生が来ていた、かつての学院での温室の一幕を語り終えると、私は眼前の茶色い目を見上げながら、少し非難がましい口調で問いかけた。


「覚えている? 四年生の時のことよ」


 ユリシーズは滲むように笑うと、私の腰に両手を回した。


「もちろん。君から悪い虫を追い払えて、達成感でいっぱいだったからね」

「む、虫だなんて! そんな風に見ていたの?」

「オーガュストは、間違いなく君を狙ってた。私の妃を掻っ攫おうとする輩を、警戒して何が悪い?」

「殿下ったら」


 その時はまだ私は妃じゃなかったし、ユリシーズもまだギディオンとして生きていた。

 王宮の庭園に聳える大きなドーム型の温室は、かなり暖かくてユリシーズに抱きしめられると、さらに暑くなってしまう。

 温室の扉の前に控える衛兵や侍女達が私とユリシーズを見ているのが、今更ながらに恥ずかしい。

 私たちの結婚後は、こうしてユリシーズが公務の合間に、人前で愛情を示す機会が著しく増えたので、恥ずかしくてまだ慣れない。

 恥ずかしさを誤魔化そうと、お喋りを始める。


「この間、久しぶりに魔術庁に顔を出したの。丁度みんなの仕事が終わりそうな時間に」

「シンシアに会えた? たしか、シェルン州の実家が縁談を持ってきて、悩んでる様子だったと言ってたよね」

「そうなの。親のお勧めのその男性に実際に会ってみたら、素敵な人だったらしいんだけど、なんかピンとこなかったんですって」


 魔術庁で久しぶりに会った時のことを思い出しながら、ユリシーズにシンシアの様子を話して聞かせる。

 私とシンシアは、魔術庁のホールに置かれた来客用のソファに並んで腰掛け、近況を語り合った。シンシアは衛兵に聞かれないか気にしつつも、止まらない勢いで話してくれた。


「あのね、リーセル。その人、本当に文句のつけどころのない、シェルンの名士だったの。でもね、なんか違うの」

「縁談のお相手は、もしかして落ち着き過ぎてた?」 

「う、うん。なんだかそんな感じ。穏やかな紳士過ぎて」

「その人はシンシアには、面白みがなかったのね、きっと」

「よ、よく分かるわね。そうなのよ、多分」


 シンシアはうろたえた様子で、悩ましそうに両方の頰に手を当てていた。

 なんとなく、聞いてみる。


「もしかして、――もっと、振り回してくれそうな、少し荒い感じの男性の方が、好みなんじゃない?」

「そうかも」

「シンシアは、ざっくばらんな感じの人の方が、一緒にいて居心地がいいんじゃない? 違う?」

「言われてみれば、その通りかも……」


 その時の会話を思い出しながら、ユリシーズに言う。


「シンシアは、穏やかな紳士よりも、明るくて少し生意気なハラハラさせてくれる男性の方が、好きなんだと思う」


 するとユリシーズは呟いた。


「まさにそんな感じの男が、シンシアのすぐ近くにいるのにね。それも長年」

「そうなのよねぇ」

「その調子だと、まだまだ二人は時間がかかりそうだね」

「どうなろうと、私の親友に変わりないんだけどね……」

「私も二人が王宮に就職してくれて、本当に感謝しているよ」


 ユリシーズはそう言うと、一転して少しイタズラっぽく目を輝かせた。  


「ところで、(くだん)のオーガュストが今どうしてるか知ってる?」

「ううん。もしかして、知ってるの?」

「魔術師にはならず、実家の伯爵家を継いで、今は西部の州にいるよ」

「そうなんだ。みんな、色々ね。同じ学院にいて、机を並べて勉強していたのに、それぞれの道を歩いているのね」


 今後、二度と会わない友人も多いだろう。

 人生とは、無数の出会いと別れから成り立っている。

 こうして彼らのことを私が思い出しているように、ほんのひと時でも、学院にいたリーセル・クロウをーー私のことを思い出してくれることがあるのだろうか?


「私のことも皆が、思い出してくれることがあるといいな」


 するとユリシーズは小さく笑った。


「……思い出さなくても、時々君の名前は耳にするんじゃないかな。王太子妃なんだから」


 そう言うとユリシーズは私をさらに引き寄せ、額にそっとキスをした。

 その後で、小声で囁く。


「キスは頬にしないといけないんだっけ? お妃様」


 それは私が王宮魔術師だった頃、友達だったギディオンに言ったセリフだ。

 あまりに頻繁にギディオンがキスをしてくるものだからーー。

 いまだに思い出すと、恥ずかしくなってしまう。


「あれは、もう時効よ」

「そうだね、時効だ」


 ユリシーズは意味深に言うと、私の顎に指先で触れると、私を上向かせた。そのまま彼の顔が近づいてきて、慌てて目を閉じた直後、唇に彼のあたたかな唇が降ってくる。

 衛兵とか侍女達が近くにいるからやめてくれ、と何度言っても効果がないようだ。

 やたらに長いキスがようやく終わり腕の中から解放されると、ユリシーズは左手で何かを私の髪に挿した。

 確かめようと手を上げて触れてみると、耳の少し上に小振りの薔薇の花が挿し込まれている。

 棘は綺麗に取られてるし、手折る音もしなかったのに。


「いつの間に……あっ! あなたまさか、」

「これは風の魔術書の……何巻だったのかな。最近は魔術書すら開いていないから、忘れてしまったよ」

「いけないわ。王太子のユリシーズは、魔術は使えないんだから」


 ユリシーズは焦る私をよそに、ちらりと視線を少し離れた所にいる衛兵達に投げた。


「見えない位置の薔薇を摘んだから、安心して」

「万が一近くを王宮魔術師が通ったりしたら、見てなくても魔術を気取られるかもしれないでしょ」


 なおも言い募ると、ユリシーズは両手で宥めるように私の二の腕をさすった。


「そうだね。もう二度としない。――さぁ、公務に戻ろうか」


 蕩けるように甘かった表情が、ほんのひと時の間に、真面目な為政者のそれに変わる。

 王太子としての務めと、それ以外との切り替えの良さには、いまだに感心させられる。

 ユリシーズは近くの低木に掛けていたジャケットを取り、自分の肩に掛けると、私に左手を差し出した。

 手を繋いで戻るつもりらしい。

 当然のように差し出されたその手に、おかしくなって笑みがこぼれる。


「お忙しい王太子様。執務室まで、お供致します」


 手を重ねると、満足げにユリシーズが微笑み、私の手が彼の手に包まれる。

 出口の近くにいた侍女が、微笑ましげに私の髪の薔薇を見ながら扉を開けてくれると、私とユリシーズは温室の外に出た。

 ひんやりとした晩秋の風を心地よく頰に受けながら、庭園に敷かれた石畳の歩道を進んでいく。

 灰色の石畳はよく整備され、落ち葉一つない。代わりに私とユリシーズの影が、並んで落ちている。

 ふと顔を上げると、ほとんど同時に顔を上げたユリシーズの優しい目と目が合う。無言でそのまま微笑みを交わすと、私たちは再び前を見た。

 手を取り合うと、もう言葉はいらなかった。












番外編までお付き合いくださり、ありがとうございました。

書籍版は2021.12.02発売予定です。うっとり間違いなしの美麗イラストが、たくさんの一冊となっております。よろしくお願い致します!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 丁寧なハピエンで美味しかったです [気になる点] お疲れ様でした。聖女様に轢かれた名も無きモブさんや様々な焼かれた者達にも家族がいて。 怨みつらみが沒落後にも出るかと思いきや!あっさり。今…
[良い点] 楽しく読ませていただきました。 [気になる点] 交換留学のとき、例年はトップがお互いに行き来するなら顔を合わせることもないのでしょうが、今回の場合は、こちらに首席、次席が勢揃いしたはずでは…
[良い点] コミックシーモアの1巻無料から続きが気になりすぎてこちらに辿り着きましたが、全編通して長さも程よく吸い込まれるように読みました。最終話、王太子の気持ちに思わず貰い泣きしそうにも…。番外編の…
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