21-5
涼子がラルメ、宇佐と共に裏山に入ってから、すでに10分以上は経過していた。
営林署が山の木を整備するために定期的に山に入るので、裏山といっても砂利敷の道があった。
無論、追われている身であるので馬鹿正直に道を歩きはしない。道から少し離れた所を茂みをかき分けながら進んでいた。
先頭は宇佐で、ラルメが続き、殿を涼子が務める。
「のう、宇佐よ。何故に先ほどから歩きながら花を摘んでおるのだ……?」
「あ、この花、蜜があって甘いんですよ! 姫様もどうですか?」
「ほう。この青紫の花だったな……」
「涼子さんもどうですか?」
「私はいいわ……。野の花の蜜を飲んだら昔の事を思い出しそうだもの……」
涼子の両親が経営する町工場が倒産してからしばらくは野山やら河原に自生する植物を採取した物が食卓に上がっていたのだ。
だが涼子が本当に考えていたのはそんな事ではない。
涼子は呆れていたのだ。
(……アンタたち、宇宙人に追われてるって自覚あるの?)
ホトケノザに群がるラルメと宇佐を見て、涼子は心の中で悪態をつく。
もしかして杉並さんの「騒がしくなるから裏山でも散策してこい」という言葉を真に受けているのだろうか?
あれは逃げる事を恥とする日本人の感性がそう言わせたのであって、誰が見た目だけで凶悪だと分かる宇宙人が攻めて来た時に悠長に散歩してこいなどと言うか。
杉並さんが言ったのは「ここは持ちこたえられないから、我々が時間を稼ぎますので姫様は逃げてください」という意味の言葉だ。少なくとも涼子はそう思っていた。
後方の天昇園の方角からは今だに爆発音が聞こえてきており、その中には機関砲や、チハやハ号の物とは比べ物にならないような大口径の大砲の轟音も混じってきている。それは明らかに地球人の兵器の音だった。
誰かがなんとかガレージに辿りついたのだろうか?
だが、ハドーを迎え撃った時とは違い、火砲部隊は配置位置まで牽引することができなかったのだ。そして、その兵器を扱っているのは老人たちだ。一体、いつまで抵抗できるものやら……。
もはや天昇園の運命は風前の灯といったところだろう。
それなのに。
ラルメを慕う高齢者たちが命を賭して時間を稼いでくれているというのに、肝心のラルメは山の花の蜜を吸って笑っている。
文字通りに「道草を食っている」異星人と異次元人に涼子は呆れかえっていた。
「……あ~、姫様、そろそろ先を急ぎませんと……」
「ふむ、さよか……」
涼子の言葉にすんなりとラルメは花の蜜を吸う事を止めて歩き出すが、とても急いでいるようには見えない。
まるで赤絨毯の上を玉座へ向かって歩いているかのような堂々とした足取りだった。
一方の宇佐は随分とホトケノザに未練があるようで何度も振り返っている。
開けている砂利道の方ならばともかく、陰鬱とした暗い茂みの中は湿度も高く、日が当たらなくとも気温も上がって汗が噴き出してくる。涼子の膝よりも高い草の中には梅雨前だというのに羽虫も飛んでいる。それらと山の斜面が涼子の体力を擦り減らしていく。
ただでさえ2人に比べて体力の無い地球人である涼子は最後尾である事をいい事に足を止めて深呼吸をする。体を伸ばして肺の中に新鮮な空気を取り入れようとする気力はすでに無い。
「り、涼子さん!? 大丈夫ですか!?」
「…………大丈夫よ……」
目ざとくも涼子の様子に気付いた宇佐が心配して声を掛けてくるが、今は彼女の陽気な声さえイラだたしい。
だが意外にも不思議と2人の事を見捨てて1人で逃げようという気にはならなかった。
しかし、それを言いだしたのはラルメだった。
「……涼子、そちは1人で逃げよ……」
「はぁ?」
ラルメは後ろの涼子を振り返り、微笑を向けて涼子に告げる。
山の中を歩いて彼女の緋色のコートは随分と汚れてしまっていたが、それでも彼女のピンと伸びた背筋は威厳を保ち続け、山の中をたった2人のお伴を連れて逃げ回っているというのに、まるで彼女の誇りは寸分たりとも傷付いてはいないようだった。
そして、そのいつもの微笑みは涼子の全てを許しているようでもあった。
「アカグロの連中の本質は商売人ゆえ、そちのような殺しても金にならんような小娘なんぞ捨て置くであろう」
「…………」
「だが妾と共にいれば、それも分からんぞ? なんなら妾を脅すためだけに涼子を殺すかもしれん。園の御老人たちには山の中ではぐれたとでも言っておけばよかろう?」
そう言って彼女は顎で少し向こうの明るい日の差し込む砂利道を指し示す。
「……ふざけんじゃないわよ!」
「!?」
急に怒鳴った涼子に対してラルメの両肩が少し上がるが、気にせず涼子は続けてまくしたてる。
「随分と上から目線で話してくれるけど、アンタ! 何様のつもりよ!?」
違和感はずっとあった。
ラルメは彼女自身がそう名乗ったようにお姫様に相応しい振る舞いを貫き通していた。
それでも拭いきれない違和感。
ブレイブファイブの4人に自分がテロリストだと言われても必死で弁明する事も無く、彼女のアカグロが彼女の引き渡しを要求していると知った時でも面白そうに話しを聞いているだけだった。
さらにアカグロが天昇園に攻め込んできた時もそうだ。アカグロの銃撃が窓ガラスを割った時ですら、彼女は床に伏せる事もなく椅子に座ったままだった。
そして今、ラルメは実は杉並の言葉の意味を知っていながらも暢気に花の蜜などを吸って時間を浪費していたのだ。そうでなければ涼子にだけ逃げろとなど言うものか。
この女は自分の人生を生きていない。
「アンタを狙って宇宙人が来てるのよ! もっと必死になって足掻いてみなさいよ! 泥水を啜ってでも生き抜いてやるって根性見せてみなさいよ! 『涼子さんがいなければニッチもサッチもいきません!』って頭を下げてみなさいよ! アンタの命でしょ!? アンタの人生でしょ!?」
涼子は自分の事を極普通の気の小さい女子だと思っていたので、他人に対して怒鳴るだなんて保育園に行っていた頃以来の事だった。
涼子はラルメの事を宇佐のように憎からず思っていたので、彼女の叫びは本心からのものであり、ラルメに這いつくばってでも生きるという気概を持って欲しかったのだ。
だが彼女の返した言葉は……。
「……スマンが、妾はそんな生き方は知らん……」
ラルメの言葉を聞いた瞬間、涼子は疲労の事も、行く手を遮る茂みの事も忘れて彼女の元へ大股で歩いて行った。
スパァァァ~ン
それは見事な腰の入った平手打ちだった。
元横綱の瑞鶴のような威力は無いとはいえ、そのビンタは十分に涼子の意思を示していた。
ラルメはそんな経験は今までに無かったのか、顔を横に向けたまま茫然とした表情で目を見開いている。
「り、涼子さん!?」
宇佐がこちらに駆けだしてきていた。
涼子はてっきり自分がラルメをぶった事に対して宇佐が咎めるつもりなのだと思っていた。
だが、それにしては宇佐の表情は緊迫しているような……?
「ちょ、宇佐!?」
「涼子さん! 伏せて!!」
宇佐が涼子の後ろに回り込むようにしてから、覆いかぶさるように涼子の姿勢を無理矢理に下げさせる。
その刹那、宇佐の背中から火花が飛び散った。
「チィッ! やはりハドー獣人か!」
「各員、あのウサギ型にレーザー兵器は効かんぞ! 他の武器を使え!」
「プラズマ! プラズマスロアー用意! 対ハドー陣形急げ!」
斜面を続々と異形の兵団が昇ってくる。
ついにアカグロの部隊が涼子たちに追いついたのだ。
元々、天昇園の駐車場に現れたのは彼らの降下兵員の全てではなかった。彼らはラルメが山に逃げ隠れする事を考慮して隊を二分していたのだ。
「あ、貴女……」
「私は大丈夫です! それよりも涼子さんは姫様を連れて逃げてください!」
レーザー光線による攻撃を受けた宇佐は平気な様子だった。だが彼女の表情は強張り、視線を何往復もさせて彼女たちを包囲しようと迫りくる異星人たちを自分の後ろへは行かせまいと必死だった。
「ハァッ!」
そして気合を込めて発声しながら両手を振るうと宇佐の両手の爪は伸びていた。初めてラルメと出会った時のように。
だが慎重に歩を進めてくる異星人たちが持つ大きさも形もバラバラの得物に比べたら、宇佐の5cmほどの爪は随分と頼りなく見える。
「さっ! 早く!」
「…………後で貴女の靴を買いに行きましょう……。好きなの買ってあげるから……。だから……」
あまりにも絶望的な状況に「死ぬな」の一言が言えなかった。それを言ってしまえば、そんな状況に追い込まれている事をハッキリと認めなければならない気がしたのだ。
その代わりに宇佐の靴の事を言ったのは、両手と同じように彼女の靴が破れて爪が飛び出していたからだ。
「大丈夫です! 私も涼子さんたちが逃げる時間を稼いだらとっとと逃げます!」
「ぜ、絶対に絶対よ!」
「はい! だから、またコンビニでアイス買ってください!」
「そんな物、好きなだけ買ってあげるから! だから……」
「ちょ!? 涼子?」
ラルメの腕を取り涼子は走りだしていた。
「とっとと走れ! またぶつわよ!」
天昇園のガレージで歯噛みしている4人の男がいた。
彼らは戦車隊1号車の乗組員だった。
すでに他の戦車隊各車両を始め、各種火砲部隊もめいめいに戦闘を開始していた。
だが1号車は車長の泊満が入院中で、車両自体も原因不明の機関不調で起動すらできない状態なのだ。
他の車両と違い、戦闘重量57トンの1号車はエンジンが掛からなければ砲塔を旋回する事すらできないのだ。
多目的ホールでの涼子、ラルメ、そしてブレイブファイブの4人とのやりとりは1号車の4人も知っていた。
故に彼らは無力感に苛まされていた。
地球が破壊されるかもしれない状況において自慢の1号車で戦う事が出来ない。本来ならば武人にとって一世一代の晴れ舞台と言ってもいい戦場、地球の運命を賭けた天王山。天下分け目の大戦ならば、自慢の装甲を頼りに最前線に立つのが戦車乗りの誉れである。その戦で戦うことができずに指を加えて仲間の戦いを眺めている事しかできないとは屈辱的ですらあった。
車長の泊満のおかげで「影が薄い」と言われる彼らであったが、その本質はやはり立派な戦争狂である。
だが、その4人に声を掛ける者がいた。
「どうした、諸君? そんなショゲた面して……」
「あ、アンタは……」
いつの間にかガレージに現れた男は軽快な足取りで彼らの元へ近づいてくる。
ただ歩くだけで華のある男だった。誰がこの男を100歳を超えた老人だと信じるだろうと思わせるエレガントさすら感じさせる雰囲気。
久しぶりの感覚に4人は直立不動の姿勢を取る。
「燃料は?」
「が、ガソリンもニトロも満載です!」
「弾薬」
「88ミリ、7.7ミリともに積み込み完了しております!」
「結構! それでは行こうか?」
「ですが……」
「うん? どうした?」
「機関が……、エンジンが掛かりません!」
申し訳なさそうに告げられた言葉に、その男は大して落胆した様子を見せない。
「ハハッ! お嬢さん、私が他の女性に触られたのでご立腹か?」
男が1号車へゆっくりと、愛しい者の頬を撫でるように、壊れ物を扱うように。車体前面装甲に手を触れる。
BRUN! BRUBRU BOBOBOBOBOBOBO!!!!
4人もこれには絶句した。今までどこを弄ってもうんともすんとも言わなかった1号車のエンジンが唸り声を上げて命を取り戻したのだ。
「…………おい、中に誰かいるのか……」
「……そんなの分かってるだろ? 誰もいないよ……」
「…………信じらんねぇ……」
「……まるで超能力だな……」
だが男はさも当然のように4人に告げる。
「私が超能力者だか神秘主義者だかそんな事はどうでもいい! そんな事より諸君、出撃だ!!」
「虎の王」と「鋼鉄の虎」の復活の瞬間であった。
ガレージから飛び出すような勢いで発進していく天昇園戦車隊1号車、六号戦車輸入一号。そのキューポラから上半身を出して来る戦いに思いをはせているのは車長の泊満であった。
捕捉
6号戦車ティーゲルの機銃の口径は本来ならば7.92ミリですが、
日本軍が輸入した車両という設定なので7.7ミリの日本仕様の機銃に乗せ換えています。




